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月喰い  作者: 密室天使
第三章 レコンキスタ
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第二十五話 いびつ

 五時間目の授業が終わり、簡単なホームルームもすむと、校内は急激に沸騰する。小学生ならではの自由奔放な風が吹き、てんやわんやの大騒ぎ。それは四年一組の教室も例外ではなかった。

 ランドセルをからった生徒たちが、しゃべったり走ったりしている。

 そんな中、浮永真だけはじっとしていた。

 その視線は沖雪嗣に向いている。

「浮永君」

 と。

 それは背後。浮永真にかけられた声だった。

 浮永が振り返ると、そこには一人の少女がいた。細い腰回りをしていて、懐の深そうな笑みを浮かべた少女。本が似合いそうな雰囲気をかもしている。「火澄か」

「このクラスに、沖雪嗣って子、いるよね?」

 浮永はなぜかギクっとした。「あぁ、いるぜ」そして彼方のほうを指差す。「あそこだ。黒板の近くで座ってる」

「ありがと」火澄五十鈴は柔和な表情を見せた。ぺこりとお辞儀をして、すたすたと歩いていく。

「お、おい。なんだよ、なんだんだよおい。付き合ってんのかよおまえら。そういう関係なのかよ。返事しろって火澄」

 五十鈴は振り返って悪戯っぽく笑った。「秘密」

 浮永は呆気にとられたような顔をしている。

 教室を横断した五十鈴は、ぼんやりと黒板を眺めている少年に声をかけた。「雪嗣君」 

 雪嗣は緩慢とした動作で、五十鈴を見た。「誰?」少女の顔に見覚えがない。雪嗣は出し抜けに声をかけられて、困惑しているようだった。

「わたしのお名前は、火澄五十鈴っていうの。君のいとこのさだめちゃんのお友達なの。わたしを呼ぶときは苗字じゃなくて、名前で呼んでいいよ」五十鈴は一息に言ってみせた。

 さだめというなじみの固有名詞が少女の口から発せられからか、雪嗣はいくばくか緊張を緩めた。いとこのさだめは雪嗣が大好きに思っている少女だった。「さだめちゃんの、お友達……?」

「そ。図書室でお話したりするんだ」

「図書室で?」

「どうしたんだろうね。さだめちゃん、図書室よりも運動場でわいわいやるようなタイプなのにね」

「イヤなことでもあったのかな」

 それは君が大いに関わっていることだよ、とは言わずに、「どうなんだろうね」とはぐらかした。

「五十鈴ちゃんは僕に何か用なの?」

「一緒に帰ろう」

「どうせなら、石蹴りしながら帰ろうよ」

「いいよ。石蹴りしよっか」五十鈴は男の子っぽい提案に、くすくすと笑う。

 雪嗣は見知らぬ子から一緒に帰ろうと言われても、変に勘ぐることも、おかしく思うこともなく、がんぜない童子の心持ちで、少女の提案を諾した。小学四年生ともなれば、男女の性差と言うものを意識しだす年齢である。今までは男女の別なく接していても、いつしか周囲の目が気になり始める。男子は女子と一緒にいるとからかわれたりするし、女子は女子で男子と一緒にいる子のうわさをしたりする。

 多感で、周りに敏感な年頃。

 雪嗣の笑顔はそれからやや、ズレていた。

 雪嗣は五十鈴の手を引いて、教室を駆け出した。

 純真な表情をしている。雪嗣はこの頃の男子が女子に対して持つ、一種の敵意のようなものがなかった。女子の手を握って恥ずかしがることもない。女の子の笑みを真正面から平気で受け止める。奇妙だった。五十鈴は周りの男子とは違う反応に、奇妙なものを覚える。

 それは幼さを失っていない、というわけではなかった。

 むしろ、壊れてると言ったほうが適切かもしれない。

 しかし、年端の行かない五十鈴にはそんなこと、思いも及ばない。

 雪嗣も自分が周りの男子とやや違っていることに気付かない。雪嗣の体に生々しく残る、打ち傷やあざを見て、周りが気味悪がっていることにも気付かない。自分にこれと言った友達がいないことを恐れたりはしない。一人で給食を食べることを嫌がったりしない。かといって、ひねくれてるわけでもなく、さだめや浮永が声をかけてくれると、とても嬉しくなる。

 雪嗣には欠けていた。

 幼少期で身につけるべき、常識的な感性というものを、欠落させていた。

 雪嗣の精神は幼いままで止まっていた。

 そんな雪嗣に対して、いかばかりの恋心を抱く阿賀妻さだめ、一抹の興味を覚える浮永真、そして、火澄五十鈴は――。

 先生に挨拶を返しながら、正門を出た。辺りはのどかな田園地帯で、幅の広い一本道が真正面にある。

 雪嗣は石蹴りに手ごろな石を探している途中で、五十鈴も探そうかなと思っていた折、五十鈴は異様なものを目にする。

 それは。

「ねぇーえ」

 漆を流し込んだかのように澄んだ漆黒の髪、気品を感じさせる高い鼻梁(びりょう)、可憐な花のような唇から紡がれるは、鈴を転がしたような美声、そして目も綾な顔貌には、どす黒い邪悪が張り付いていた――。

「あがっ、あがががが」五十鈴はペタンとしりもちをついた。足がふるえていた。立てない。体の神経を切断されたかのように、寸毫(すんごう)も動かない。

 “それ”は立ちはだかるように道の真ん中にいた。

 ランドセルをからっており、少なくとも自らと同じ小学生であることが分かる。顔立ちも幼いし、背も高くない。

 でも。

 まとう雰囲気は吐き気を催すほど、強烈な毒にまみれていた。

「あ」どうやら“それ”の存在に気付いたらしい。石を拾い上げた雪嗣は、さしたる警戒もなく、“それ” に近づいた。

 ダメ。

 言葉としてあらわれたか、どうか。

 五十鈴の叫びは、のどの辺りで詰まった。身の毛のよだつ醜悪を前にして、口内が渇いている。そのおかげで、言葉を口にすることもなく、雪嗣を目で追う。ダメだ、近づいちゃダメ……のどまででかかったその言葉は、極度のおびえに相殺される。言葉がのどにふさがれて、胃に逆流しそうだ。五十鈴はあどけなく笑う雪嗣をただ、見守ることしかできない。  

「お姉ちゃん」

「は」言葉はポッと出た。のどに詰まっていた異物がとれて、すっきりしたときに発するような、小さい声。五十鈴は雪嗣の言に何か、末恐ろしいものを感じた。

 雪嗣は亜麻音に対して、ニコニコと笑っていた。亜麻音も笑っていた。

 いびつな笑みだった。

 生気と言うものが感じられない。

「雪嗣ううぅぅ。今日はお姉ちゃんと帰りましょ帰りましょ帰りましょおおぉぉ」

「いいよ! お姉ちゃんも一緒に帰ろう」

「も?」

「え……」

 亜麻音は笑顔を保っている。

 頬をひきつかせたまま。

「お姉ちゃんもってぇ、どういうこと?」

 雪嗣は困ったような顔をした。チラチラと五十鈴を省みる。

 亜麻音はその雪嗣の視線を絡めとった。行き着いた先にあるものに目を向ける。五十鈴ははっとなって目をそらした。

 しかし、目をそらしたところで相手がこの場からいなくなる、なんてことにはならない。砂嵐にあったラクダは、砂に頭を突っ込んで砂嵐を見ないようにするらしい。眼前の脅威から逃げるために。逃避。砂嵐がかき消えるわけでもないというのに。

 五十鈴の行動は、それに似ていた。

「二人で帰ろう。雪嗣とお姉ちゃんで」

「でも……」

「雪嗣はお姉ちゃんと帰る」上からかぶせるような物言いだった。有無を言わせぬ口調。「いいわね」

「五十鈴ちゃんが」

「おまえは家族よりも赤の他人のほうが大事なの?」

「そんなわけじゃ」

「わたしを失望させないでよ。お姉ちゃんを裏切る悪い子はお仕置きしちゃうぞ」

 雪嗣は凍ったように動かなくなった。

「お姉ちゃんと手をつなごうね」亜麻音は雪嗣をズルズルと引っ張っていった。

 途中雪嗣は、「バイバイ」と言おうと思って後ろを向こうとしたが、尋常ではない力で首を固定された。

 視線を上にすると、石膏(せっこう)のように表情をなくした亜麻音がいた。「バイバイしなくていいのよ。あの子はお友達なんかじゃないんでしょう?」

「お、お友達だよ!」五十鈴とは初対面のはずなのだが、雪嗣は声を張り上げて言った。一度でも言葉を交わせば、それは友達にほかならない。雪嗣は天使のようなおおらかさで、万人を許容する。

 例外はない。

 さだめであっても。

 浮永であっても。

 五十鈴であっても。

 たとえそれが、自分をイジメるものであっても――。

「おまえにお友達なんて必要ない。わたしとお母さんさえいたらいいんだそうだろそうだと言えよクズめ。おまえみたいなどうしようもないクズっ子とお友達になってくれる高尚な人間なんてこの世に存在するわけないだろそれくらいわきまえろよおまえは頭悪いお姉ちゃんは頭いい。教科書に書いてあっただろ?」

 みしみしと首の骨が悲鳴を上げていた。亜麻音につかまれて、息ができない。あがあがと雪嗣は呻吟(しんぎん)の声を上げた。

「それともなんだ彼女か、あれは。……おかしいよなぁ。なんでおまえみたいなクズの隣に女がいるんだぁ? おまえの隣はいつもわたしで埋まってんだろわたしについてこい」

 亜麻音は路肩にそれていった。竹やぶの密集したしげみである。亜麻音は問答無用に雪嗣を連行する。

「お姉ちゃん」雪嗣の表情にはおびえが混じっている。太陽光が木々の枝や葉に遮られ、どことなく小暗かったからだろう。どこか陰のある場所。雪嗣はべったりと薄ら笑いを貼り付けた姉に、凄絶な狂気を感じ取っていた。

 亜麻音は雪嗣を突き飛ばした。しりもちをつく雪嗣。亜麻音はその肩に手を置いて、雪嗣を押し倒した。

 衝撃を感じた雪嗣はしばし目を閉じていた。 

 目を開けると、半開きになった口からよだれを垂らした亜麻音がいる。ポタポタと重力に従って落下し、雪嗣の服にしみを作る。まるで獲物を前にした獣のようだった。亜麻音は雪嗣の足と足の間に自分の足をむりやり割り込ませて、ふともも同士を密着させた。冷たい熱が皮膚越しに伝達された。

 亜麻音は鼻を近づけて、雪嗣のにおいをかぐ。首筋からあご、口元から鼻筋、まぶたを迂回して耳元へ、最後には髪を手に取って……。雪嗣の全てを味わいつくす、といわんばかりに……。

「や、やめてよ。変だよ。おかしいよ」

 普段とは様子の違う姉に、雪嗣は困惑と恐怖を覚える。 

「黙れ」亜麻音は雪嗣の頬をぶった。「おまえはわたしの言うとおりにすればいいんだ」

 雪嗣は黙った。

 思う。

 僕が我慢すればいいんだ。

 僕が我慢すれば、お姉ちゃんの気はすむんだ。

 幸せになれるんだ。

 信じて疑わなかった。

 自分を抑えることで、亜麻音の欲を満たす。それは亜麻音が年上で自分が年下なのだから当たり前のことで、姉弟とはそういうものだと理解していた。少なくとも、亜麻音にそう教えられた。自分は弟なのだから、姉の亜麻音に隷属しなければならない。命令は絶対。何をされても、文句を言ってはダメで、むしろ喜ばないといけない。そんないびつな関係。

 笑顔が一番。

 雪嗣は笑った。

 いびつな笑みだった。

 亜麻音がポケットから取り出したものは――“カッターナイフ”だった。薄く鋭い刃。スルスルと衣服を裂いていく。自分と雪嗣を隔てるものを、ことごとく排除していく。

 やがて、亜麻音はズボンまで手にかけようとした。

 雪嗣は慌てて姉の手を制した。「お姉ちゃん……」

 それを邪険に振り払う。

 亜麻音はよどんだ目つきで、雪嗣の肌にむしゃぶりついた。不要とばかりにそこら辺にカッターナイフを放り捨てる。薄い胸板に舌を這わせて、なめくじのような白いあとをつけた。雪嗣はあえぎ声を出した。

「なんだわたしのベロが気持ちいいのか変態だなおまえ。お姉ちゃんに舐めてもらって興奮してるんだろそうだろ? ったく、この淫乱め……」

 亜麻音は本能に従って、実の弟に悪しき欲望を募らせる。これを自分のものにしたい、ほかのものに渡したくない……そんな倒錯的な色欲。

 竹の乾いたにおいが風に混じってしてきた。うだるような夏風だった。虫のうごめく気配がどこからかし、野鳥が鳴き声を交わしている。

 そんな自然に満ち溢れた土の上で、みだらにまぐわう二人。

 一方的に搾取し、一方的に搾取される関係。

 一方的に奪取し、一方的に奪取される関係。

 終わらない媾合(こうごう)

 帯をとき、一糸まとわぬ姿で幼いままの肉を絡ませ、粘膜を触れ合わせる。

 それは愛する男女が交し合う、神聖な儀式――。 

 家族なのに。

 姉弟なのに。

 汚辱の血が交わる中、厭わしいこの世から解脱する。

 禁断というにはあまりに甘く、醜悪というにはあまりに美しく、汚穢(おあい)というにはあまりに清らかな、不浄を帯びた結びつき。

 幸か不幸か、天国か地獄か、行き着き先はなんなのか。

 それは血によって導かれることだろう。

 炎熱の夏のとある日。

 土をむしろに、草を枕に、体を重ね、二人は――“堕ちた”。


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― 新着の感想 ―
涎を使った表現が本当に好き。
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