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月喰い  作者: 密室天使
第三章 レコンキスタ
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第二十四話 お昼休みの怪


「おい沖、グラウンドでサッカーしようぜ」

 それは学校の昼休みの出来事だった。

 給食を食べ終わった雪嗣の周りに、五人ほどの男子生徒が現れる。

 その中のリーダー格らしい一人が、雪嗣の顔を覗き込んで言った。「メンバーが奇数でさ、おまえが入るとちょーどうまくいくんだよ」

「僕が?」雪嗣は自分を指差した。

「そ。おまえ走るの速いだろ? せっかくだし一緒にやろうぜ」

「でも僕、サッカーしたことないし……」

「んなもん関係ねぇ。サッカーは初心者だろうが熟練者だろうが楽しめるスポーツだぜ。なにせ、大切なのはここなんだからな」と少年は自分の胸の辺りを示した。

 雪嗣も少年を真似て胸に手を当てた。

 それを見た少年は、ニカっと笑った。そして周りを見て一言。「俊足ってのは得だぜ。あのロナウドのドリブルも、俊足あってのテクニックだからよぉ。あれは世界を魅了した。おまえらも沖なんかに抜かれんじゃねーぞ」

 周りの男子生徒は歓声を上げた。

 勝手に話が進んでいることに雪嗣は困惑を隠せない。

「そんな顔すんじゃねぇよ沖。まずはボールを蹴れ。話はそれからだろ?」

 浮永真は悪戯っぽく笑った。

 周りのメンバーも思い思いに雪嗣の肩に手を置いたり、屈託のない笑顔を浮かべている。

 次第に楽しくなってきた。 

「うん僕やるよ。ぜぇーったい負けないからね!」雪嗣はいの一番に駆け出した。

「なんだよ、俺たちはおまえをかけっこに誘ったんじゃねーんだぞこら。……おいみんな、一番最初にグラウンドに着いた奴が勝ちな。まずは沖の野郎を追い抜くぞ」

 おおとかけ声がして、浮永を含む五人は我先にと走り出した。しかしながら、浮永が自分だけサッカーボールを持っていることに気付き、己の不利を悟るのは走り出してすぐのことだった。



 

  *




 昼休みのグラウンドでボールが縦横無尽に行きかっている。

 砂塵が舞う中、やんちゃそうな少年たちがボールに向かって殺到した。しかしだんご状態になってしまい、ボールの行方は判然としない。本人たちもどこにボールがあるのか分からなくなった。

 と。 

 そこに。

「もらったよ!」雪嗣が颯爽と走って行った。足元には行方不明になっていたボールがあった。雪嗣は不慣れそうにしながらも、敵陣に向かって突っ走ろうとする。

 決してうまいとは言えないドリブルだったが、速さだけは一流だった。

「クソッタレ! 追いつけねぇぞ!」

 守備の少年たちはすぐ隣をすり抜けていった雪嗣を追う形となった。されど、雪嗣の体はばねでも仕込んでいるのかと思わせるほど、俊敏な動きをした。誰よりも速く駆ける走法。ボールを操るのではなく、むりやりつき合わせるような風にして、ゴールに向かって一直線。

「ふん! まったく情けねぇーなまったく……なーんでオフェンスの俺がゴール前に陣取らなきゃならねーんだよ」

 風と一体になっていた雪嗣の前に、強大なものが立ちはだかった。

「……浮永君」

「しゃーねー、こうなったらオフェンスでもディフェンスでもなんでもしてやらぁ」

 気がつけば雪嗣は、ただ走っていた。

「……あれ?」

「足だけでどうにかなるほど、サッカーは甘くはねーんだよ!」

 雪嗣からボールを掠め取った浮永は、雪嗣とすれ違うようにしてグラウンドに土ぼこりを上げた。

「俺が本当のドリブルって奴を見せてやるぜ!」

 浮永のドリブルは、荒削りな雪嗣のそれとは違う、洗練された美しさがあった。足とボールが一つとなり、華麗に進んでいく。素人の雪嗣には分からない、未知なる何かを感じさせる動きだった。

「……速いだけじゃ、勝てない」

 出し抜かれた雪嗣であるが、その顔は充実したものがあった。めげることなく、方向転換。浮永に追いすがろうとする。

 一方浮永の前には、雪嗣と同じメンバーのディフェンスが巧みな守りを見せた。浮永は一度ボールをとられる。しかし、浮永はすぐさまボールを取り返した。ディフェンスを抜けようとする。

「でも僕には、速さしかないんだ」

 その隙を突いて、雪嗣が突っ込む。

 虚をつかれた浮永は、ボールの制御を見誤った。さすがにこんなに早く雪嗣が戻ってくるとは思ってもみなかったらしい。

「……おいおい、まさかこいつが未来のロナウドなんてオチはねーよな?」

 背後を狙われて、浮永は浮き足立っていた。

 そして。

 ボールは浮永にも、そして雪嗣とも違うところに流れる。

「なんかもう突っ走れ沖ぃ! 後はおまえに任せた!」

「浮永の野郎、自分の尻は自分でふけよ!」

 敵味方から鼓吹(こすい)の声が聞こえる中、二人のデットヒートが始まる。ボールは空白の地帯にころころと転がっていた。

「なんか楽しいね浮永君! こんなに楽しいの、僕はじめてかも」並走する中、雪嗣は思わず笑い声がでてしまった。

「あったりめーよ! サッカーは楽しいんだ!」

「楽しい! ホントに楽しい!」

「でも、最後に笑うのは俺だぜ!」

 浮名はラストスパートをかけた。

 負けじと雪嗣も精一杯足を動かす。

 一進一退の攻防。

 しかし、一馬身の差で、雪嗣のほうが早かった。

「最後に笑うのは……僕だぁ!」

 雪嗣は勢い余って、ボールを思い切り蹴り上げてしまった。

 二人は綺麗な放物線を描くボールを、ただ唖然と眺めていた。

 はたして、ボールは木々の茂みに突っ込んだのでした。

「……おい、どうすんだよ、ヤベぇよ、捜索願ださねーと警察に。ボールの」浮永はあたふたしている。

 雪嗣はしばし悩んだが、決心したように、「僕、取ってくる!」といって、茂みに向かって走っていった。

「無理すんじゃねーぞ」

 雪嗣は茂みの中に入った。

 土のにおいが雪嗣の鼻腔を刺激する。

「うーん、どこだろう」

 手探りでボールを探しているうち、雪嗣は開けたところに出た。

 そこは体育館裏の倉庫だった。空気はどことなくよどんでおり、人の行き来が極端に少ないことを示していた。

「あった!」

 ボールはその近くに転がっていた。

 ボールを抱えてふと、人の気配に気付いた。

 雪嗣は倉庫の階段で体育座りをしている少女を見つけた。曲げた膝に頭をうめ、空ろな悲壮感を漂わせている。ボールが転がったことも、雪嗣が来たことにも気付いていないようだった。

 雪嗣は少女に見覚えがあった。

 しかし、その少女の様子は普段見ているそれとは、大きく乖離していた。

「……お姉ちゃん?」雪嗣は恐る恐る声をかけた。

 長い髪を垂らし、少女は顔を上げた。その直後、瞳孔が見開かれる。少女はうろたえたように体を振るわせた。

「ねえ、どうしてこんなところにいるの? 遊んでるみたいには見えないし……靴もはいてない。教室に戻らないの? お友達は? お姉ちゃん、いつも僕にお姉ちゃんはクラスの人気者で、お友達もいっぱいいるって言ってたよね。みんなに面白い話をして、いろんな人からちやほやされてるって。……そうだ、お姉ちゃんもお友達いっぱい呼んで、僕たちと一緒にサッカーしようよ。僕ね、初めてみんなからサッカーしようって誘われたんだ! みんな僕と違ってメチャクチャうまいんだよ。特に浮永君は自分の手足みたいにボールを扱って、プロのサッカー選手みたいでさ。ねえ、お姉ちゃんもやろうよ。ねえ」

「だまれだまれだまれだまれだまれ」

 亜麻音は耳をふさぎ、眼をつむって、呪文をつぶやいた。何度も何度もつぶやいた。

 閉ざされる世界。

 聴覚は遮断され、視覚も遮断される。

 世界は“無”になった。

「……どうしたのいきなり? そんな怖い顔して」

 心配そうに雪嗣が近づと、卒時(そつじ)としてぬっと立ち上がった。

 その爬虫類みたいな目つきに、総毛立つような怖気を抱く。

 微動だにしない。亜麻音は視軸を雪嗣に合わせている。そのまま微動だにしない。まるで人形みたいだ。(ろう)でできた人形。息もせず、寝もせず、老いることもなく、気味の悪い美しさを内包した、人ならざるものの妖しさ……。

 亜麻音は幽鬼のような陰気をにじませて、おぼつかない足取りで肉薄していく。

 一歩、また一歩、雪嗣はあとずさりする。

 雪嗣はこれまでの経験から悟った。

 殴られる。

 殴られる殴られる殴られる。

 イヤだイヤだイヤだ。 

「いいいぃぃぃ」

 雪嗣は駆け出そうとした。一刻も早くこの場から離脱しなければならない。姉の皮膚から噴き出す痛みと恨みと憎しみ。立ち上る毒気から、雪嗣は遠ざかろうとするが……。

 しかし。

 肩が。

 肩が――。

 溶ける。ジュプジュプと音を立てて、崩れる。亜麻音の手。まるで硫酸のように、雪嗣の血肉を溶かしていく。

 と。

「……何やってんだ?」

 間の抜けたような声が木々の間から聞こえてくる。

「……浮永君」

 浮永真の姿を視界に納めたとき、雪嗣は助かったと言わんばかりに安堵した。極度のおののきが氷解していくのが分かった。

 だが、自分に向かう悪意が氷解したわけでもない。

 亜麻音は瞳孔をカメラのレンズのように大きくした。あごが外れてもおかしくないほど口をあけ、雪嗣の肩にかけた手に力を込める。みしみしと肩部の骨が軋む。

 浮永は名も知らぬ女子生徒に対して、本能的な危険を察した。

 浮永はとっさの判断で、雪嗣の手をつかんだ。「にっ、逃げるぞ!」

「え」雪嗣は毒気を抜かれた。「逃げる……?」

「なんだか分かんねーけど、ヤバイんだ、何かが。なんだよ、俺らが悪いことでもしたかよクソッタレ! おい、おまえはあの女を知ってるのか?」

「知ってるも何も、僕のお姉ちゃんだけど」

 雪嗣はなんでそんなこと聞くの? と言うような顔をしている。

 浮永は露骨に顔をしかめた。

 亜麻音は背を猫のように丸め、首だけを上げるという病人みたいな姿勢をして、二人を見つめている。落ち窪んだ眼が空間を切り取った。

 二人を追うわけでも、罵声を浴びせかけるわけでもない。

 ただ。

「なんでなんでなんでなんでなんで……」 

 亜麻音は頭を抱えてうずくまった。頭が痛い。神経が千切れそうになる。

 憎い。

 あいつが憎い。

 弟を連れ去ったあいつが憎い、大して抵抗もせず連れ去られる弟が憎い、この世界が憎い……。雪嗣はわたしのものだ。わたしの所有物で、わたしだけがいじくっていいんだ。あいつは独りが好きなんだ。わたしのことが好きで好きでたまらない変態弟なんだ友達なんていらない不要。でもなんであんな奴が友達みたいに振舞っている……?

 あぁ、友達うらやましい。

 殺す。

 雪嗣はうずくまる姉を気遣うような後ろ目を向けたが、一方の浮永は一目散に疾駆する。

「お姉ちゃん……」

 雪嗣はちらちらと後ろを見るが、浮永はそんなこと無視している。

 お姉ちゃん……。

 雪嗣はただ純粋に、苦しそうな姉のことを(おもんぱか)る。


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