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月喰い  作者: 密室天使
第二章 楽園探し
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第十七話 狂言回しvs芸術家 (3)

「なぜ君をこんな場所に案内したと思うかい?」芸術家はよどみのない口調で言った。

「……警察に自首するためだろ」

「君を芸術にしてあげるためだよ」

 榎戸岬は酷薄な笑みを作った。

「彼女と一緒にいる君を見て、思ったんだ。君もまた、モデルにいいんじゃないかってね。単体ではさほどではないが、彼女とかみ合うと突如、すさまじい光彩を放つんだ。血が近いからかな? その点では亜麻音も近いけど、あの子はダメだ。純粋すぎる。あまりに純なものだから、使い勝手が悪いんだ。それにしても、不思議だよ。わたしは見たくてたまらないんだ。彼女と、君との共演。きっと、想像を絶する作品が生まれるに違いない」  

「……イカレてンよ、あんた。芸術だ芸術だ言っても、結局は殺人じゃないか。しかもバラバラ解体のほうのな。どんな崇高な意味づけをしたって、殺人は殺人。それ以上もそれ以下も、それ以外もそれ以内もねェクソみてェーな行為だ。犯罪に美学なんて求めるもんじゃねェだろ」

「……やはり、その程度か存在か沖雪嗣。わたしは失望したよ。むしろ喜んで、己が肉体を提供してくれるものと思っていたのだが……それはどうやら、わたしの勘違いのようだ。君のような凡人はことごとく、繊細なわたしを失望させる」

「はッ、失望たァー大きく出たな。どうせ周囲に理解されないもんだから、ひがんでるだけだろ。あんたは白ご飯にふりかけかけたもん見せられて、『これが日本国に伝わる絶品料理です』なんて言われてみろ。それと同じだよ。芸術の価値は芸術家本人が作るんじゃねェ。周りの鑑賞者が作って決めるンだ」

「……いずれ分かるだろうさ。かのゴッホやシューベルトも死後何十年たってからその価値が見出された。時代遅れの連中にはわたしの大いなる至高が理解できない。きっと何十年かした後に、わたしの芸術は美術の教科書に掲載されるだろう」

 平行線の会話。

 交わることはない。

「やっぱ言葉の羅列で理解しあうなんて、どだい無理な話なンだ」

 カッターナイフを握る手を強める。

 榎戸岬もペーパーナイフを強くつかみ締めた。

「皮肉な話しだけどさ、僕たち(異常者)僕たち(異常者)なりに、刃物(こいつ)で語り合うしかねェンだよ」 

 じりじりと間合いを詰めていく。

 雨と血に濡れた体が寒気を訴えている。

 息苦しい緊張の糸。わずかな拍子で、切れてしまう。一度切れてしまえば、元には戻らない。待っているのは、無慈悲な斬撃のみだった。

 先を取ったのは、榎戸岬のほうだった。

 足をとられたのが致命傷だった。板が腐っていた。沼にはまるように右半身だけが沈んでいった。あっと思ったが、もう遅かった。榎戸岬の刃が肉薄しようとしている。

 かろうじて受け止めた。だが、明らかに無理な体勢だった。上から押しつぶされているような感じ。まるで重力が二倍三倍に増加したかのように、徐々に重くなっていく。手首が痛い。ペーパーナイフに押されて、手首はいまにも折れ曲がってしまいそうだった。

 いくら男女の体格差があろうとも、体位の絶対的優位は揺るがない。

「問題はフィールドだった。そうは思わないか?」 

 榎戸岬は顔を思い切り近づけて、目を細めた。

「敵の土俵で切り込む姿勢は見上げたものだが、勝負というものは常に非情。わたしは武に関して造詣が深いわけではないが、闘に関して言えば、わたしはこれまでに四度、モデルを急襲し、解体すらしているのだ。闘うということに、わたしは慣れている」

 話しこんでいる間も、力が緩むことはなかった。

 僕はついに片膝をついた。

「美に生まれ変わるといい」

 それは僕に投げかけられた、最後の言葉だった。

 榎戸岬の顔はすぐ目の前にまで迫っている。整った顔立ちだった。

「奥の手ってのは、土壇場で使うから、奥の手って言うンだろうな」

 榎戸岬は眉根をひそめた。

 僕は唇を舌で乾かした。

 カッターナイフのスライダーに指を添える。

 そして。

 思い切り。

 伸ばす。

「あ、あぁ……」

 榎戸岬はうめき声を上げて、己が目を押さえた。伸ばされたカッターナイフの刃が、眼球を突き刺したのだった。

 榎戸岬は千鳥足を踏んで、声にもならない悲鳴を上げている。

「顔を近づけすぎたんだよあんたは。近づきさえしなければ、勝てたってのに。ま、自分がペーパーナイフを使ってるもンだから、カッターナイフの“伸びる”っていう特性に気がつかなかったンだろうがな」

 その声が榎戸岬の耳に届いたのかは分からなかった。

 榎戸岬はペーパーナイフを手放し、二メートルもある棚に衝突した。

 倒れる榎戸岬。

 倒れる棚。

 榎戸岬は崩壊に飲み込まれたがそれだけではなく、棚の上には作りかけの石膏が乗っていた。それが重力にしたがって、落下する。

 落下する。

 落下する先は――。

 すさまじい音がする。

 棚が完全に倒れた。

 榎戸岬の姿は、なだれ込んでくる棚や石膏、舞い散るちりに埋もれ、見えなくなる。

 後悔はなかった。ひどいことをしたな、とは思った。しかし、榎戸岬は同情を寄せるにはあまりに罪を重ねすぎた。体は人の血にまみれ、忌むべき穢れが骨の髄まで染み付いている。数奇な業をその身に宿した、因果な女だった。それに、僕から仕掛けたとはいえ、順当に刃先を向けてきた敵に対して、情けは無用だと思った。

 小屋の中は、さっきまでとは打って変わって、静かになった。

 息遣いは、一つだけになる。

 僕は慌てて、黒い箱に駆け寄った。留め具がとにかく多くて、イライラした。焦燥感。手つきがおぼつかなくなる。僕は震える手で留め具をはずしていった。

 最後の留め具をはずした後、深呼吸をする。

 覚悟を決めた。

 箱を開けることを、悔やまない。そう決めた。中がなんであろうと、真実を受け止める。いや、でも、しかし、あぁ、神様……。

 僕は久しぶりに、神様って奴に祈った。

 はたして、箱には一人の少女があった。丁寧に体を折り曲げて、仕舞われてある。マネキンみたいだ、と思った。

 どうやら眠っているようだった。睡眠薬でも打たれたのか、昏々と寝入っている。

 見たところ、外傷はない。頭も、手も、足も、きちんとついている。滑らかな指は健在だった。僕は彼女の胸に耳を当てた。

 早くこの不安を溶かしてくれ、と切に願う自分がいた。

 胸はトクトクと規則的に動いている。

 体の奥から、こみ上げてくるものがあった。

 僕は箱の前で、体中の水分を使い切るかぐらいに、泣いた。




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