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月喰い  作者: 密室天使
第二章 楽園探し
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第十二話 過去の一部

 で。

 さだめは気でも狂ったのか、昼食後に僕を、最近できた六階建てのデパートなんかに連れて行きやがった。エレベーターで三階。その階には随分と洒落たブティックがあって、さだめはそこで何度も試着をした。僕が棒立ちになっていると、どことなく恥ずかしそうに試着姿を見せる。

 どんな服でも似合った。でも、それを口にするのは癪に障って、斜に構えた言葉を返した。するとさだめはむっとなって、僕に怒気をぶつけて試着室に戻る。痛みを訴える頭部をなでていると、店員さんから朗らかな笑みを向けられた。誤解されてるな、と思った。

「これにするわ」

 さだめは一組のシャツとジーンズを手に取った。薄い縞の入った、明色のシャツ。スキニーのブルージーンズ。

 頭の中にシャツを着たさだめが想像される。それらをカッコよくはきこなし、墨を流したように流麗な黒髪を一本に束ね、快活に飛び回る少女。鹿の俊敏さを隠した見事な四肢。涼しげに切れた瞳は、油断なく獲物を狙う鷹の鋭さを含んでいる。

「似合う」僕は思わず、口に出していた。「さだめに似合うと、思う」

「本当?」さだめは喜色をあらわにした。しかしすぐに、「べべべ、別にッ、あんたの意見なんか求めてないわよっ! 買い物の邪魔だわ!」とツンツンしてくる。

「でも、買うんだろ?」

「かかか買うわよ! 買うに決まってるじゃない! かっ、勘違いしないでよね! 別にあんたに似合うとか言われて買ったんじゃないんだからね! あたしの意志でっ、買うんだから!」

「分かったから、とっとと会計済ませろよ。何時間ここにいると思ってンだよ」

 僕たちはかれこれ、一時間近く痴態を演じていた。いい加減追い出されてもいい頃合だった。

 さだめは手のひらを差し出した。

「なンだよ」

「お金」

「あ?」

「お金、ちょうだい」

「……おまえには遠慮ってもンがないのかね」

 実を言えば、電車代も昼食代も全て僕が払っていた。こういうのは男が払うもんでしょ、とさだめは言い、僕もそういうものだと思って払った。おかげで懐はすっかり冬めいてきた。早くも軍資金が底をつきそうだった。

 それがここに来て、追い討ち……。

 僕も少しばかり、意地がはたらいた。いくらなんでも、そこまで追い込むことはねェだろ、と不満を覚える。「財布の中はからっからだぜ」

「これを買えるくらいはあるでしょ」といって、例の一組を示す。「二着分。お願いできるかしら」さだめは信じられないことを言った。

 買えなくもない。

 しかしながら、僕の目算は参考書だけだと思っていた。それが予想外の出費。ただでさえ家計が厳しいというのに、これ以上の支出は控えるべきだった。

「ない」

「ある」

「ない」

「いい加減にしなさい」

「おまえがなッ」僕は柄になく怒りを表に出した。みっともない気がしたが、僕は沖家の財を管理する任をおっている。当然、自分に対する小遣いも、限界まで切り詰めている。「僕はよォ、金がねェんだ。虎の子の金だったんだ。少なくとも、おまえの散財のためにある金なんかじゃぁねェ。いくらいとこだって言っても、このままじゃ堪忍袋の緒が切れそうだぜ」

「いいじゃない。そんなにケチケチしないで」

「よかねェんだ。僕は金のなる木かよおい。そもそもッ、なんのために服なんざ買うんだよ。なんのための二着なんだよおまえの友達のためかッ」

「あ、あんたの分よ……」

 僕はきょとんとした。

 自分を指差す。

 さだめは頷いた。僕のいつにない剣幕に、驚き、おびえているようだった。「ペアルック……あんたと、ペアルック……したかったの」

「……はァ」

 僕は想定外の言葉に驚倒しそうになった。

 何より、さだめの弱々しそうな表情。

「わ、悪かったわよ、色々注文しちゃって……お金もおごらせちゃったし、映画とかブティックとか、つき合わせちゃって、ほんとに、悪かったって思ってるわよ。でも……」

 今にも泣き出しそうな顔つきだった。

 僕は負い目を覚えた。

「でも、あたし、嬉しかったの。久しぶりにあんたと一緒に、いれて。だってあんた、ずっとあのブラコン姉貴にべったりだったじゃない。あたしに全然構ってくれないし、いっつもいっつも亜麻姉、亜麻姉って……あんたたち姉弟でしょう? べたべたいちゃいちゃして、手をつないだり抱き合ったり……。亜麻音が迫って、あんたはイヤイヤするけど、結局は受け入れるじゃない。ちょっとだけだよって言って……受け入れるじゃない。あんなの、おかしいよ。変だよ。姉弟なのに、家族なのに……亜麻音だって、あんたにあんなひどいことしたのに……なのにあんたはへらへら笑って……見ててムカつく!」

「さだめ……」

「子供の頃は、あたしのほうがずっとッ、仲よかったじゃない。いっつも二人でかくれんぼとか鬼ごっことかして、遊んでたじゃない……なのに亜麻音はあんたにひどい仕打ちをして、イジメて……なのに今はあたしを放ってあの女にばっかり……。それにあんたのお母さんだって、ひどいことしてた。あたしが止めても、ニヤニヤして、あんたを壊そうと」

「違うッ!」僕は声を張り上げた。「違うんださだめ。亜麻姉は、母さんは、そんなんじゃ」

「なにが違うってのよっ! あいつら散々雪嗣にひどい仕打ちしたじゃない。殴ったり、蹴ったり、したじゃない。なのに、なのに、あの女は、恥じも知らずにあんたにべったり依存して、のうのうとッ、生きてる……そんなのおかしい。気持ち悪いよ。トチ狂った亜麻音も気持ち悪いけど、それを簡単に受け入れるあんたも、気持ち悪い。理解できない」

 さだめは顔をうつむけた。

 周囲の客は何事かと僕たちを注視している。しかし、ただの痴話喧嘩とでも思ったらしく、長く気に留めることはなかった。 

「恨んでなんかない」僕は言った。「恨んでなんか、いない」

「じゃあなんで五十鈴(いすず)さんを受け入れなかったのよ! あの人、雪嗣のことすっごく好きだったのに……頭がよくて優しくて、あたしの憧れの人だったのに……。あの人は紛れもなく正常だった。それを異常なものにしたのは、あんたがあのクソ女とべたべたやってたのが一番の原因じゃない! なんでそんなことにも気付かないのよ……!」

火澄(ひずみ)は――違う。あれは例外だ」

「いいっ、言い訳がましいのよあんたはぁ! なにが違うっていうのよあたしにいってみなさい!」

「正してやったさッ! 僕が……僕がッ……だってそうだろ? あいつには元からそういう素質があった。僕がスイッチをオフからオンにしただけで、火澄は普段からおかしかっただろ? おまえが知らなかっただけでさ。確かにおまえにとっては頭がよくて優しくて、憧れの人だったかもしれねェ。浮永も火澄には一目置いてたし、みんなからも好かれてたさ。でもッ! あいつは違うンだよ……」 

 さだめはひるんだらしかった。鋭い舌鋒は鳴りをひそめ、なにを言っていいか迷っている。

 僕はきっと、ひどい顔をしている。

 カチカチ。

 カチカチカチ。

 ――あァ、クソッタレッ! きれーに尾を引いてやがるぜ。まだあのときの記憶がくすぶってンのかよ……。

 ったく、あれだ、平常心平常心。忘れろ。忘れるんだ。忘れちゃいけないことだけど忘れろよ僕。

 心頭滅却すれば火もまた涼し。

 僕はさだめを見た。

 さだめは慌てて口を開く。

「でも」

「お客さんが迷惑してるよ。お店から出ようか。それで参考書を買って、お茶でもしよう。お金は全部、僕が出すから」

「なん、で」

「はは、ペアルックなんてさだめもかわいいこと言うんだね。普段のキャラと全然違うじゃないか」

「雪嗣」

「にしてもあの映画は面白かったね。海を背景に主人公が告白するシーンなんか、思わず涙したよ」 

「ねぇってば」

「ほら、早くお会計、済ませないと。そうだろ、さだめ?」



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