お米ちゃんの目覚め
目を覚ますと、彼女は眼前に広がる光景に心を奪われた。
小麦色に変わった田んぼを、まぶしい夕日が照らしている。
夕立でもやって来ていたのか。
並びたつ稲のところどころに水滴がついていて、夕日の光が輝かしく反射している。
その光景はまるで、金銀財宝の山、もしくは壮大な金色の海のようだ。
「わたしもこんな風に輝きたいな……」
彼女は思ったことをふっと口からこぼした。
しばらくの間、彼女は美しい自然に見とれていた。
しかしそれから、あっと不意に気がつくのである。
「……ここってどこですかっ?」
彼女は自分で出した質問に、はっと意識を取り戻した。
「ええっ、ここってどこなんですかっ!? わたしさっきまで――――」
ぐるぐると目をまわし、混乱する彼女。
その状態が長く続くことはなかった。
「ええっとええっとっ!! ……あれっ? どうしてわたしは慌てているんだろう……?」
彼女の記憶が、まるで手ですくった水が指のすきまから零れ落ちていくかのように、消えていく。ついには、彼女の記憶の一片でさえ無くなってしまった。
「……あれっ? わたしは誰で、ここはどこなのでしょう……?」
うつろな目で彼女はそうつぶやいた。
「……なんだか眠たいですっ……」
すっぽりと頭から何もかもが抜けおち、頭の中が真っ白になった彼女は、そのまま意識が遠のいていった。
*
それから彼女は何日間も一人っきりで過ごした。
どこかでなくニワトリの鳴き声で朝をむかえる。農家のおじさんがおにぎりを食べる姿を見ては、お昼なんだと気がつく。黄金の時間がすぎると、暗闇がまわりを満たしていき、住宅街の光で夜なんだなと感じる。
そんな日々を繰り返す中で、彼女が唯一わかったことは、自分はお米なんだということだけだった。
それ以外なにもわからない無機質な生活が続く。
ある日の、朝のことだった。
「――――っ!」
「――――」
(なんだか騒がしいなあっ……)
誰かがぎゃあぎゃあと叫んでいる声で、彼女は目をさました。
空は雲一つない快晴で、透き通った水色が広がっている。熱を感じさせない太陽の光とともに、嫌なものをさらっていってくれるような爽やかな風が舞う。なんともいえない心地よさがそこにはあった。
騒がしくも楽しそうな声は、どうやら風に乗って運ばれてくるらしい。
耳をすませて声に集中すると、元気な男の子と大人びた青年のものだとわかった。
なんだか幸せそうな会話だ。
「おいユウ、米といえばハンバーグでしょ!」
「バカなことを言うな。お米といえば味噌汁だ」
「くっ、兄ちゃんだからって大人ぶりやがって!」
「ふっ、お前がおこちゃまなんだよ」
「きいいいいっ! なんだとおおおおっ!!」
どうやら兄弟の会話らしかった。きっと元気な男の子のほうが弟くんで、大人びた青年のほうがお兄さんなのだろう。
ふふっと、思わず彼女は笑みをこぼした。
この二人の会話を聞いていると、元気が出てくる。独りぼっちの彼女にとって、誰かと一緒にいるということはなんとも羨ましいことであった。
特に兄弟のような関係は、夢のようである。
「わたしにも妹がいればよかったのになあっ……」
はあっと、彼女はため息をついた。
もしも自分に妹がいたらどんな毎日だろうかと想像する。
「……ふふっ」
これまた思わず笑みがこぼれてしまった。
けれどある一定のところまで考えてしまうと現実に引き戻され、悲しい気持ちになってしまうのである。
「……できもしないことを考えても、しんどくなるだけですよね……」
彼女は悲しげな瞳をふせる。
そんな彼女の心の奥底にまで、あの明るい声が届いてきた。
「ユウのバーカ! 味噌汁なんてただお湯に味噌を溶かしただけじゃないか!」
「わかってないな。そこにいろいろな具材のダシが出るから、奥が深いんだよ」
「ぐぬぬっ! でも、ハンバーグのほうがおいしいもん!」
「ハンバーグ? ただ焼いたり蒸したりしただけの肉の塊だろ」
「くううううううううううっ!! デミグラスソースもおいしいんだよ!!」
賢そうなお兄さんに、どう頑張っても勝てない弟くん。
彼女のしずむ心は闇に浸ることをやめ、子供っぽい彼になんとか勝ってほしいなと思うようになってきた。
(がんばってっ!)
このときから彼女はその男の子のことを応援するようになったのである。
*
数日たったときのこと。
夕日の中で、彼女はふっと疑問に思う。
「あの男の子の名前ってなんでしょう……っ?」
お兄さんの名前はユウらしい。
けれど彼らの会話の中に、弟くんの名前が出ることはなかった。
もやもやとした厚い雲が彼女のこころにかかっていく。
何ともいいがたい心地の悪さが彼女を襲う。
「気になりますっ……」
うーんっと頭を悩ませる彼女。
そこでさらに重大なことに気がついた。
「……わたしの名前って……なんでしょうか?」
そう、彼女は自分自身の名前さえ知らなかったのだ。
「あわわっ!! そういえば忘れていましたっ!! わたしっていったい誰なんだろう!!」
あわあわっと慌てふためく。
彼女にわかっていることといえば、自分がお米だということだけだった。
「うーん……、仕方ありません……。ここで決めてしまいましょうかっ!」
意外にも、彼女は早い段階で自分を落ち着かせることができた。ぼうっとしているようで、案外きっぱりとした性格なのかもしれない。
次に、名前を決めようと思った彼女は、またもや頭を悩まし始めた。
やはり名前とは大事なものなのだろう。
頭痛がするほどの長いあいだ考えた挙句、彼女は男の子の名前だけなら思いつくことができた。
「お米の男の子で、弟くんだから……コーくん……かな?」
考え抜いた果てに、この名前なのだろうかと、ついつい疑いをかけたくなってしまう。
彼女はきっぱりとした性格でありつつも、どこか抜けた天然でもあったのだった。
「うん、いい名前っ! あの男の子はコーくんっ!! あとは……わたしの名前かあ」
彼女は再び目をつむり、一生懸命考え始めた。
しかしながら、いっこうにいい名前が思いつかない。
「はあっ……。なかなか思いつかないものですっ……。……あっ」
考えることを一度やめ、目を開けて、夕日のまぶしい光に目を細めた時だった。
彼女の視界に美しい景色が入ってきた。
「なんど見ても素晴らしいですっ……」
小麦色に変わった田んぼを、まぶしい夕日が照らしている。
夕立でも降っていたのであろうか。
並びたつ稲のところどころに水滴がついていて、夕日の光が輝かしく反射している。
その光景はまるで、金銀財宝の山、もしくは壮大な金色の海のようだ。
「わたしもこんな風に輝きたいな……。誰かに光を与えられるような……」
そのとき、ひとつの名前が頭に浮かび上がった。
「稲……。そうだ、わたしの名前はイネにしましょうっ! あんなふうに輝けるイネに!」
イネはこの名前がしっくりときて、十分に満足することができた。
……それに。
「……あの男の子がお米だからコーくんで、わたしはイネか……。ふふっ」
ちょっとした甘酸っぱい気持ちも感じていたのだった。
「いつか、コーくんと話せる日が来るといいなっ」
イネはこう思いながら、疲れが連れてきた睡魔におそわれて、夢の中へと誘われるのだった。
*
翌朝、なにやら周りが騒がしいのでイネは目が覚めてしまった。
なにごとだろうと目をこらす。
すると、前方から大きな音を立てて機械がせまってきていることに気がついた。
機械の前方の稲が刈り取られている。
「どうしようっ! こままじゃわたしもっ! それにコーくんたちもっ!」
着実に近づいてくる無機質なものに恐怖を感じるイネ。
そこで、あの男の子の叫びが聞こえてきた。
「おいユウ! 起きろって! やばいから……ってうわあ!!」
大きかった声が急に聞こえ無くなった。
もしかすると、機体に飲み込まれてしまったのかもしれない。
「いやあああああああああああっ!!」
彼女の希望が自分の目の前から消えてなくなり、絶望の叫び声をあげた。
「……あっ……」
電池が切れたかのように、イネの意識はプツリっと途切れた。
*
「……う、ううん……」
イネが目をひらくと、まわりは真っ暗な場所だった。
「こ、ここはどこなんだろう……? こわいよ……コーくん……」
ポツリとこぼした小言のなかに、無意識にもあの男の子の名前が入っていた。
泣きそうになるイネ。
が、そこで再び希望が現れる。
「ユウー! どこにいるのー! いるなら返事してー!」
「~~~っ!」
イネは思わず声をあげたくなったが、彼女の甘酸っぱい感情がその口をおおった。二度と聞けないのではないかと危惧した彼の声を、もう一度聞けたのだ。
やっぱり、声をかけたい。
そう思ったとき、周りに変化が起こった。
ザアアアアアアアアアアアア
と、イネを含む米のかたまりが下へと流れ始めたのだ。
彼女はこの流れを知っていた。
「これって……精米ですかっ!? じゃあ、次に行われるのって……っ!!」
ジャリジャリジャリ
先に流れていったお米の殻がむかれている。
殻はお米にとって、衣服のようなものだ。
それをはがされるとなると……。
ジャリジャリジャリ
抵抗できるはずもなく、イネの服は無残にも引きはがされていった。
「きゃーーーー!」
思わず、これまでに出したこともないような声量で叫んでしまった。
「……ああ……」
イネは疲れ切ってしまい、再び意識を失った。
*
次に目を覚ました時には、すでに周りは明るくなっていた。ふうっと安堵したのもつかの間、すぐに状況を把握して驚愕した。
目の前で、一人の女の子がおいしそうな目でこちらを見つめているのだ。
「おなかへったー! いただきまーす!」
おはしでつかまれ、あっという間に、女の子の口の中へと運ばれていった。
むしゃむしゃと頬張る女の子。
為されるがままにすりつぶされていくイネ。
イネの意識はすでにもうろうとしていた。
飲み込まれてしまったイネは、胃の中で溶けながら、ああっとつぶやく。
「かわいい妹がほしかったなあっ……。少しでも輝いていたかったなあっ……」
ほんの一瞬の出来事の中、彼女は深く思う。
「……あの男の子と……」
静かに目を閉じ、ゆっくりと彼女の魂はどこかへ向かい始めるのだった。
*
「……ふあっ、よく寝ましたっ」
手をあて大きなあくびをし、ぐぐっと伸びをしてから、彼女はふと疑問に思った。
「ニワトリさん、今日は鳴かなかったなあっ。どうしたんでしょう? ……あれっ?」
と、いつもと違う朝をむかえ、いろいろと考え直すイネ。
その顔つきは、お米ではなくかわいい人間の女の子だ。
「……わたし、さっき伸びをしましたよね? ……ってええええええええっ!!?」
ここにきて、彼女はようやく自分に起こった変化に気がついた。急いで近くにあった川まで移動し、自分の姿を映す。
そこにはお米ではなく、一人の女の子がいた。
身長は低く、全体的にまるっとした見た目。
髪はロングヘアーの紅色で、髪の先端はすこしウエーブがかかっている。
そして、胸のあたりがすごくずっしりとしていた。
「わたし……人間になっちゃってますっ!!?」
とんだ不思議な出来事に頭がパンクするイネ。
それに加え、ナース服を着ているものだから、さらに謎が深まる。
「これはいったいどういうことでしょう……っ?」
「ーーーー!!」
イネが疑問を口にしたところで、不意に何かが聞こえてきた。
手を耳に当て、よく聞いてみる。
「括目せよ! これが全米が涙した……ばくてんだああああ(ボキィッ)ああううええええええ!!?」
「……っ?」
なんだかよくわからないが、なにか事故が起きたらしい。
とりあえず、イネはその声の主のもとに行くことにした。
「だいじょうぶかなあ……っ? ……ふふっ、どんな人だろ? きっとおかしな人なんだろうなあっ!」
彼のもとへと駆けよるその足取りはとても軽やかで、楽しそうにリズムをとっていた。
(さっきの声、あの男の子の声に似ていたような……っ?)
小走の中、彼女は無意識にそう思った。
少し走ると、一人の黒い忍者が倒れていた。
苦しそうではあるが、どこか楽しんでいるような彼に、彼女は声をかける。
「あの、だいじょうぶですかっ……?」
ようやく、声をかけられた。




