第22話 木の棒
―― 聖樹王暦2000年 2月 1日 20時 ――
んん……んん……ん?
あ、あれ……ここは……僕の部屋?
僕は確か……はっ! みんなは?!
助かったのか? あの少女から逃げられたのか?
ゴブルンが一瞬の時を稼いでくれた。
その間に文無しが瞬間転移のカードを使ったはずだ。
起きて確かめ……あれ?
あれ……あれれ……あれれれ?!
身体を動かそうとした……身体が動いた感覚はある。
手を動かそうとする……動く。手を見ようとする……見えない。手で頭を触ろうとする……触れる。
身体を見ようと首を曲げる。曲がる。上下左右に動かせる範囲内で首は動くし、視界も動く。
しかし視界に僕の身体はない。代わりに茶色い物体が見える。
足を動かそうとしてみる。動く。足を見ようとする。見えない。
胸に手を当ててみる。手が胸に当たる。心臓の鼓動を感じられる。生きている。
顔に手を当ててみる。目、鼻、口、耳、全て触れる。
首を動かして自分の身体を見る。やっぱり茶色い物体が見える。
頭の位置って固定?……移動させてみようとしたら、移動した。
なるほど……身体を移動させるのではなく、頭を移動させることで位置が変わるのか。
頭の向きに従って身体は存在していると……。
さて、冷静に分析できている自分を褒めたい。
いったいこれはどういうことなんだ。
僕はテーブルの上に置かれている。
部屋の壁にある大きな鏡。
そこに僕の姿が映っていた。
何度見ても変わらない。絶対に変わらないのだろう。
僕は木の棒になっていた。
え?! なんで木の棒?! なんでなんで?!
おおお……な、なんかすげ~混乱してきた。混乱してきた!
落ち着け、落ち着くんだ。
僕は木の棒、僕は木の棒、僕は木の棒。
落ち着けるか!
しかし状況を分析しないといけない。
ここはマリア様の屋敷で僕が住むことになった別館の、僕の部屋だよな。
マリア様はこの別館を僕専用の館にしてしまった。
他の男性客人用の館は別で建設中である。
とりあえず自分確認だ!
人間としての身体はこの木の棒の中に存在しているようだ。
身体の感覚はあるし、動かせるし触れる。
見ることはできないが、裸と思われる。
そして僕の身体はぐにゃぐにゃとした心地良い弾力を感じる「何か」に包まれているようだ。
弾力ある水? それに身体は支えられている。
頭は木の棒のどの位置にでも移動できた。向きも自由だ。
今はテーブルに対して水平だ。
弾力ある水を踏むことで立っているという感覚にもなるし、腰を下ろして座ろうとすれば、お尻を包み込む水の弾力が増して、柔らかいソファーに座っているかのような感覚を得る。
ベッドに寝転がるように横向きにもなれる。
弾力ある水がベッドのように支えてくれるので、まったく苦しくない。
むしろ心地良くて眠たくなる。
視界は頭の位置から見える範囲なのだが、不思議なことに、首を上下左右動かせる範囲で視界が動く。
首を動かすことで、木の棒の自分も見えるのだ。
まさか木の棒に目がついているのか? と一瞬思ったけど、鏡に映る僕はどう見てもただの木の棒である。
目があったり、手足が生えていることはない。
そしてベッドを見ればそこに「僕」がいる。
うん、僕だ。
間違いなく僕がベッドの上で眠っている。
……幽体離脱?
え? 僕の魂が身体から抜けて木の棒に宿ったとか?!
ガチャ
ドアが開く音。
入ってきたのは……ミカ様、文無し、マリア様、それにサリエル様だ。
みんな無事だったんだ。
でも表情が暗い。
「目覚める……よね?」
ミカ様が僕の身体の頭を撫でながら、まるで自分に言い聞かせるように言った。
「きっとお目覚めになります。明日になればきっと……」
マリア様も同じだ。自分がそう信じたいという願望のように言った。
「魔力が尽きるまで太陽の光は注いだわ。きっと大丈夫よ」
文無しの言葉と表情は合っていない。本気で心配している顔だ。
「……」
サリエル様は黙っている。
ま~僕とは面識ないわけだし。
「今日はみなさん休みましょう。みなさんもお疲れなんですから」
マリア様の一言で、文無しとサリエル様は僕の部屋を出ていく。
ミカ様は僕の身体の頭を撫でる手を離そうとしない。
「ミカさん……ちゃんと休んで下さいね」
マリア様もそれだけ言うと部屋を出ていった。
部屋には僕と、僕の身体と、ミカ様。
「ルシラ君……」
ミカ様はベッドに腰掛けて、僕の身体の頭を優しく撫でてくれる。
ぬぉぉぉぉぉぉ! なぜ僕の魂は身体を離れたのだ!
こんな美味しいシチュエーションを堪能できないなんて!
ミカ様! こっちです! 僕こっちにいます!
ぴょんぴょんと飛び跳ねるように動いてみるけど、木の棒は1ミリも動かない。
少ない情報から推測するにこうだ。
あの謎の少女から瞬間転移で無事逃げる。
金剛メイスは失っただろう。また作ってもらう必要があるな。
瞬間転移でマリア様の屋敷に戻ったけど、僕は目覚めない。
昏睡状態と思われたのだろう。
すぐに僕の身体は部屋に運ばれて、文無しが魔力尽きるまで太陽の光を注いでくれたと。
しかし僕は目覚めない。
僕の魂が宿ってしまった木の棒はテーブルに置かれて、さっき僕は目覚めた。
そしてミカ様は魂のない僕の身体の頭を優しく撫でてくれていると。
え?
その時信じられないことが起きた。
ミカ様が……ミカ様がベッドの中に入ってきたのだ。
そして魂のない僕の頭を、そっと胸で抱きしめて……。
ぬぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!
戻りたい! 今すぐ戻りたい! あの胸の感触を堪能したい!
くそっ! くそっ! これはいったいどういう試練だよ! こんな試練ありかよ!
「キス……したら目覚めるかな?」
はぅぅぅぅぅぅ!
ミカ様とキス! 確かにそんなおとぎ話ありましたよね!
白雪姫ですよね! 立場が逆ですよね!
「でも私なんかのキスじゃだめかな……私お姫様じゃないし」
だめじゃないっす! めっちゃしたいっす!
くっ! 考えろ! どうにかして身体に戻る術はないか?!
ちょうどキスする瞬間戻る術はないか?!
「それでも……」
あっ……ミカ様の顔が、魂のない僕の顔に近づいていく。
そしてそっと……おでこにキスした。
「……明日元気な顔を見せてね」
ミカ様は最後にまた胸で僕の身体の頭を抱きしめると、部屋を出ていった。
はぁ~……なんてこった。
ミカ様からのキス。
おでこであってもキス。
その感触を味わうことができなかった。
ミカ様が出ていかれて数分後。
すぐにドアが開いた。
入ってきたのは文無しとサリエル様だった。
僕はサリエル様のことをほとんど知らない。
穴の時も必死だったので、ちゃんと見ていなかった。
こうして見ると……服があれですね。
ゴスロリっていうの?
あんまり詳しくないから分からないけど、たぶんゴスロリって呼ばれるような服だ。
いったいこの世界のどこにそんな服が売っていたんだか。
オーダーメイドで作らせたとか?
歳は15歳ぐらいに見える。
でも文無しと同じで年齢を弄ったか?
いや文無しと違って自然だ。
自然の15歳の少女だ。
やや褐色系の肌に銀髪。
瞳は金色? 何色といえばいいのかな。
可愛いけど大人しそうな女の子って感じだな。
胸は……ある。小さくない。
DからEか?
「どう思う?」
文無しがサリエル様に聞く。
「昏睡状態というより、魂がないように思えます」
おお! 当たってる! サリエル様当たってるよ!
僕の魂はこっちにあります!
「魂がない……なら私がどんなに太陽の光を注いでも無意味ってことね」
「おそらくは」
「そう……明日目覚めると思う?」
「わかりません。でも魂が戻らない限り目覚めることはないと思います」
「はぁ……ミーちゃんに聞かれたら、わかりませんとだけ答えておいてね」
「はい。この人はミカエル様の大事な方なのですか?」
「さぁ~どうなんだろうね。良い仲だと思うけど、ミーちゃんがどう思っているか……あの御方とのことがあって以来、ミーちゃんは仕事一筋で恋愛なんてまったくしてこなかったからな~」
「……」
「大事な仲間だよ」
「仲間」
「そう、仲間。目覚めたら話してみるといいよ。きっとサリエルも気に入ると思うな」
「わ、私は……」
「ほらほら、またそうやって人を遠ざける。大丈夫だって。ルーちゃん馬鹿だから、きっとサリエルのこと何も知らないだろうし」
知ってますよ。死を司る大天使様ですよね。
「仮に知っていたとしても、ルーちゃんはそんなの全然気にしないよ。私もルーちゃんにはいろいろ助けてもらってね~。さすがに大型銃を作るのにナールさんを騙して勝手に聖純度神石を使ったことにはキレられるかな~って思ったけど、ルーちゃん許してくれたし」
ナール様は騙されやすいから、今後は要注意だな。
「他人の面倒見るのが好きなお人好しだから、サリエルのこともきっと助けてくれるよ。ほら、サリエルはお兄ちゃんが欲しいって前に言ってたじゃない。ルーちゃんにお兄ちゃんになってもらいなよ」
は?
「お兄ちゃん……ルーお兄ちゃん……ルーにい……ルーにぃ……うん響きがすごくいいです」
響きの問題?
「くすくす。明日目覚めていたら、いきなりルーにぃって呼んでみたら?」
「そ、それは……」
サリエル様はもじもじしながらも考えている。
いや、考えるところじゃないでしょ。
「……明日には元気な顔見せてよ、ルーちゃん」
「明日……お会いしましょう……ルーにぃ」
文無しとサリエル様は部屋を出ていった。
そして僕はルーにぃになってしまったようだ。
ミカ様の「あの御方のこと」って文無しの言葉がすごく気になるな。
―― 2時間後 ――
う~ん、どうやっても木の棒から魂を身体に戻すことができない。
この2時間いろいろやってみて分かったことがある。
神力が使える。
そう、神力が使えるのだ。
木の棒に神力が宿る。
しかし魔法はでない。
木の棒の内面に神力が宿っているっぽいな。
さっきミカ様のキスの場面で興奮して、ちょっと神力出ていたもんな。
それにミカ様は気付かなかった。
気付かないわけない。
つまり外には出ていないんだ。
木の棒の中にだけ神力がある。
う~ん、これが突破口か?
神力を上手く使えば身体に戻れるのか?
そんなことを考えていた時だ。
ガチャ
ドアが開く音。
入ってきたのは……んなああああああああああああ!
マ、マリア様?
マリア様だよね? マリア様だよ!
で、で、でも……どうしてメイド服を?
マリア様はメイド服を着ていた。
黒を基調として、襟に白い首かけ? 白い首かけの上に黒いリボンがある。
そして清純な白のエプロン。
エプロンを、首の黒いリボンと同じ黒い帯で止めている。
スカートは太ももがチラリと見える長さだ。
マリア様の美脚を包むのは黒のニーソックス。
完璧だ。
完璧なメイドさんです!
マリア様は魂のない僕の身体に近づいていく。
そしてタオルで……ああああ! ぼ、僕の身体を拭いてくれるのか!
「ルシラ様の御身体を清めさせて頂きます」
マリア様はベッドの上で正座をして両手をついて一度お辞儀すると、僕の身体を拭いていった。
優しく、優しく、丁寧に。
もうその様はエロいです。
こんなに優しくて清純で慈愛溢れるマリア様なのに、エロく見えてしまう!
くそぉぉぉぉぉ! 戻りたい! いますぐ戻りたい!
マリア様は僕の身体を拭いていく。
そして最後に……あの部分に目がいく。
え? そこも? そこも拭いちゃうの?
「こ、ここはどうしましょう……清めて差し上げたいのですが……で、でも」
マリア様は顔を赤くして一人でテンパっている。
可愛い。
めちゃめちゃ可愛いけど、めちゃめちゃエロい。
「きょ、今日はまだ大丈夫ですよね。明日お目覚めになられたらお風呂に入ればいいだけですし……も、もし明日もお目覚めにならなかったら……その時は!」
勝手に決意を固めてしまったマリア様。
むしろ拭きたくて仕方ないという感じに見える。
「ああ……こうしてルシラ様の専属メイドとしてお仕えできる日々を送れたら、どんなに幸せなことでしょう」
ぬぉぉぉぉぉ! 専属メイド! マリア様が僕の専属メイド!
いいです! すごくいいです!
マリア様は僕の身体に服を着させ終えると、ベッドから離れて部屋を出ていこうとする。
その時だ。
マリア様がテーブルに置かれている木の棒を見る。
つまり僕と目が合った。
マリア様はゆっくりと近づいてくる。
「ルシラ様の大事な木の棒。ルシラ様の御力の源……はっ! そうだわ。この木の棒も洗って綺麗にすれば、きっとルシラ様もお喜びになられるわ」
え? いや、この木の棒は汚れないですから。
いつも清潔な状態キープですから。
「私の部屋でゆっくり洗いましょう♪」
ええ?!
マリア様は僕を持って部屋を出ていった。
ってこの姿のまま戻るの?
メイド服着てるところなんて見られたらダメなんじゃない?
―― 1分後 ――
ガチャ
マリア様の部屋のドアが開く。
お~まさに聖女という言葉がぴったりのピュアな雰囲気の部屋だな。
部屋の造りは、やはりこの屋敷で一番大きいのだろう。
いくつもドアがあってその先がどうなっているのか分からないけど、この屋敷の主だもんな。
しかしまさか闇魔法を使っていたとは。
マリア様はメイド服のまま本館に戻られた。
こんな姿を召使いさん達に見られていいの? と思ったら闇魔法で自分のことを隠蔽していた。
マリア様の闇魔法を見破れる凄腕の魔法士が召使いしているとは思えない。
闘気まで纏ってものすごいスピードで、誰にも見られることなく、マリア様は部屋に戻ってきたのだ。
「さっそくルシラ様の木の棒を洗って差し上げましょう♪」
そう言ってマリア様が向かったのは……あれ? お風呂場?!
ええ?! 洗うってお風呂で?!
部屋でタオルか何かで拭くんじゃなくて、お風呂で?!
どうなっちゃうの?!




