これからのこと
目を開けると、見知った天井が見えた。とはいえ見慣れた天井ではない。カンカンと小気味いい鎚の音が耳に入ってきて、自分の記憶が確かだと認識する。
……俺は、なにをやって。
ぼんやりとした頭で考えていると直前にあったことを思い出す。
「アリシャ……!」
名前を呼び、飛び起きる。場所はアリシャの鍛冶屋だったが、油断はならない。もしかしたら助けられなくてここに戻されたのかもしれない、そんな不安が胸中を訪れる。
鎚の音がするなら、工房にいるかもしれない。期待を抱いて展示品を無視しカウンターを跳び越えた。
そして工房で鍛冶に勤しむ背中を見つける。
いつの間にか見慣れた、そしてもう二度と見られなかったかもしれない背中だ。
「っ……!」
不安と恐れが強かった。あの時確かにその腕を掴み抱き寄せたはずだったが。それでも意識を失っている間に飛び降りてしまったかもしれないとも思っていた。
思わず目頭が熱くなる。
彼女が物音に振り向く前に、俺は駆け寄って後ろから抱き締めていた。
「……リューヤ」
「アリシャ……! 良かった、ホントに……!」
「……痛い」
「悪い。けど、我慢してくれ」
ぎゅう、とアリシャの身体を強く抱き締める。ちょっとした意趣返しも込めているので少しくらい痛くたって我慢して欲しい。
「……リューヤ、ごめんなさい」
「……」
軽く嘆息してから、アリシャは神妙に謝った。なにも言わず次の言葉を待つ。
「……悲しんでくれるなら、想ってくれるなら、生きてみようと思う。ありがと」
「……ああ」
少なくともそう思ってもらえたなら、俺が必死に引き止めた甲斐もあったというモノだろう。
それに、口には出さなかったがデスゲームにおいてそれを実行させた側が死んで償うというのは逃げなのではないかとも思ってしまった。もちろんそれ以外にどうしようもないというのであればそうするしかないのかもしれない。俺はそこまで追い詰められたことがないから、軽々しく「生きていればいいことだってある」なんて無責任なことは言えない。
簡単に命を奪える場所にいるからこそ、命の重さを自覚しなければならないのだ。
腕を緩めて、しかし離れずそのままでいた。特に敬遠されなかったのは幸いか。
「アリシャは、これからどうするんだ?」
「……考え中。どっちにしても、トッププレイヤー、ギルドへの説明は必要」
「そっか」
淡々とした口調は変わらないが、それでも声が硬くなったのがわかった。どこまで非難されるかわかったモノではないからだろう。
「俺がいるから、安心してくれ」
「……流石最強プレイヤー、言うことが違う」
「名に恥じなければいいんだけどな」
苦笑するが、アリシャはこっちに顔を向けて少しだけ悪戯っぽく笑う。
「……今のところ唯一の、レベル100の癖に」
思わず目を逸らしてしまう。……アリシャの言う通り、おそらく今俺以上にレベルの高いプレイヤーはいない。というか多分一生現れない。なにせ、このIAOというゲームではレベルの上限が100だからだ。
このレベルがどれほどのモノか、と言われると難しい。当人である俺が言うのもおかしな話だが、今他のプレイヤーは95あればいい方だ。トッププレイヤーの大半も90台に乗っかったところだろうか。
「それは、あれだ。アルティとレベルを一緒にしないといけなかったからで……」
「……それで無茶なレベル上げをずっと繰り返してたのは、バカ」
「……」
断言されてしまうと言い返せない。確かにそれまでよりも一層レベル上げに勤しんでいたのだから当然か。
「……AIの知能も上がって雑魚モンスターでも強い無限迷宮の最下層で、ずーっとモンスター引き寄せアイテム使い続けてたのは知ってる」
アリシャがややジト目になった気がした。
「いやまぁ、俺が知ってるモンスターの中であそこにいるヤツらが一番経験値効率良かったから」
「……だとしても、ほぼ自殺行為。リューヤの方がバカ」
「いや、アリシャも今回のこと考えればバカだろ。大体、来なければバラされる確率も減ったかもしれないのに。なんでイベントに参加したんだ?」
「……」
反撃に移るとアリシャは黙って顔を背ける。
「……リューヤと一緒に、イベント出たかったから」
顔は見えなかったが、後ろから見てもわかるくらいに赤くなっていた。……そう恥ずかしがられると俺も恥ずかしくなってくるんだが。というかほぼ密着状態だし。あれ、なんか今更恥ずかしくなってきたな。
「「……」」
気まずい沈黙が流れる。思わず、少しだけ離れてしまった。
「……それで、リューヤはこれからどうするの」
沈黙に耐えられなくなったのか、アリシャがそんなことを聞いてきた。
……これからか、か。そう言われてみると具体的なビジョンは浮かばないな。でもやるべきことはわかっている。
「このゲームをクリアする。ログアウトできたら、“乗っ取り女王”を捕まえる」
断言すると、ぴくりと肩を震わせていた。
「……それは、無理。あの人は、逮捕できないから」
「なんでだ? 犯罪を犯した以上、罪状はいくらでも……」
「……物理的に捕まえられない」
アリシャの答えは、俺の疑問を更に深めるだけだった。
「……あの人は、もう現実の肉体を捨ててる。あの人は幼い頃からずっと身体が弱くて、でも頭だけは良かった。演算能力も高い。でも、その高い頭脳に脳が追いつかなかったらしい。コンピュータ顔負けの処理能力があるのに、脳がそれに耐えられなかった。だから、不自由な現実の肉体を捨てて電子の世界に意識を持ってる」
「そんなことが可能なのか?」
「……実際にやってるから、可能。意識を電子に移した後、現実の肉体を処分して機械の身体を作ったから現実でも活動できるけど。あの人は今ネットの海に暮らしてる。自ら電子生命体になったと言ってもいい」
「……」
そんなことが可能なのか、とどうしても思ってしまう。今だかつて、電子の世界に入り込むことはできてもそれは現実ありきのことだった。それを完全に切り離して生きているだなんて信じ難いことだ。だが、それならアリシャがああも絶望していた理由に説明がつく。
「だから、“乗っ取り女王”は捕まえられない。望みが叶う以外に対処方法はないってのか」
「……ん。少なくとも私には思いつかない」
「そう、か。でもなにか手はあるはずなんだ。この世に最強無敵はあり得ない、と思う」
「……」
「希望的観測かもしれないけど、やる前から諦めるのは性に合わないからな」
「……そう」
半ば自分に言い聞かせるようだったかもしれない。でも言葉にすることはなにかしらの意味があると思っている。
「……その時は、私も手伝う。それが私にできる最大の償い」
「そうか、ありがとな」
アリシャからもいい返事が貰えた。だがまずは目先のことだ。このゲームを、クリアしなければ。
「じゃあ、これからも攻略のために力を貸してくれ」
「……ん。でも私が完全にこっちについたら、きっとあの人やその手下がちょっかいをかけてくる。例えば、私が伝えた情報とは全く違うボスに作り変えるとか」
「そうだな。それくらいはやりそうだから、未知の情報をくれるっていう方針じゃちょっと難しいかな。余計な混乱を招く可能性もあるから、その辺が臨機応変に対処できる人だけに共有するとか、した方がいいと思う」
「……わかってる。でも、信じてくれるかどうかは不明」
「信じないなら信じないでいいんだよ。結局のところ実際に戦うまでは答えがわからないんだから」
「……ん」
伝えなければなんの情報もなくなる。伝えても直前で作り変えられるかもしれない。なら全員に伝えなければいい。変わること前提に、念のためとして伝える。実際に戦った時全く違うボスだったとしても冷静に対処できるだけの能力を持った者だけに。
「因みになんだけど。アリシャは女王の手下があと何人いるとか、誰がそうだとかって知ってるのか?」「……ん。でも多分言えない。――。聞こえた?」
「えっ? あ、いや……」
アリシャが口を動かしていることはわかるのだが、口の形すら認識ができなかった。声も聞こえていない。読唇術ですら封じられている、ということなのだろう。
「……やっぱり。スキルの『読唇術』や『テレパシー』なんかを使っても聞き取れないようになってるはず。そうしないと誰かが裏切ったらすぐ吊るし上げられることになるから、だと思う。人数も無理」
「そっかぁ。……じゃあ、トッププレイヤーの中にはいるのか?」
「……」
俺が意を決して尋ねると、アリシャは頷いた。その動きが認識できた。……なるほど。それくらいの情報だったら知られてもいいってことか。多分それによってプレイヤー間で疑心暗鬼になることを期待しているのだろう。ということは妄りに伝えない方が良さそうだな。
「……大丈夫。皆に伝える情報、伝えない情報はちゃんと考えてる」
「ならいいんだ」
アリシャは賢いから、きっと俺よりもその辺りの調整が得意だろう。
しばらくそうしていて、アルティが俺達を助けてくれたと聞いてアルティを褒めつつ過ごすのだった。
それから、アリシャと共にメッセージで呼ばれていたので会議室へと向かう。グランドクエスト対策会議も行った場所だ。円卓にそれぞれが並ぶ中、俺とアリシャも着席して会議に参加した。
議論は当然アリシャの処遇についてだったが、トッププレイヤーのスキル模索に対する助言など攻略に対して有利になる情報を伝えることを条件になにもなしとされた。
ボス情報などは直前で変えられる可能性が高いため、一部この会議に参加しているプレイヤーのみに伝えることとなった。もちろんその通りになるとは限らないと念を押して。
一応トップギルドへの最強装備提供も挙げられたが、ゲームから逸脱した不正を働くと女王に処分される可能性があるため却下していた。試してみて死にたいならどうぞ、とは言っていたが誰も手を挙げない。狡をしようとして死ぬというダサい真似はしたくないのだろう。
それにゲームの仕様上、一つしか存在しない武器も多く存在し、それらが最も強い武器であるケースも多いそうだ。それらを強化することはできるが、それらを増やすことはできない。加えてそれがどこにあるか、ダンジョンをどう攻略するかも伝えるとゲームとしてプレイするという範疇から脱した見做される可能性があるためやめておいた方がいい、という話もしていた。
後から聞いた話だが、これはゲームだからと言うより女王が異世界を求めているから、だそうだ。異世界では最初から情報がわかった状態でダンジョンへ行くことはない。自力で突破してこその冒険だ、という認識なのだとか。
いい迷惑、と言えるかは微妙なところだ。これまで当たり前のようにやってきたことなのだから、贅沢を求めてはいけない。助言程度なら兎も角攻略を努力もなしに丸々知るのはプレイヤーとしてどうなのだろう。まぁ人命がかかってるんだからあれこれ言えないのもある。
そこは大半がゲーマーなので受け入れられているようだ。
最後にメッシュから「リューヤに攻略情報を流していたか」という質問もあった。
そんなことは一切なかったので俺は首を傾げていたのだが。
「……私はなにも教えてない。リューヤが勝手にやってるだけ。大体、いくらリューヤとテイムモンスターが強いとしても幻想世界を一人で回らせるなんて無謀もいいとこ。普通に死ぬ可能性だってあった」
確かに。というか未だに話の全貌が見えてこないのだが。
「リューヤがこれまでに強いスキルや武器を手に入れてたのは、アリシャちゃんがその情報を渡していたからじゃないか、って言いたいのよ」
俺がわかっていない様子だったのを察してか、姉ちゃんが苦笑しながら説明してくれた。……ああ、なるほど。確かに俺はそう思われても不思議じゃないほどの幸運に恵まれてきた、と言っていいか。
「……そもそも、リューヤは私が知る前に武器やスキルを入手してた。後から聞かされて、なんで? ってずっと思ってた。レベル上げのことだってそう。リューヤはおかしい。バカ」
「おい待て、なんで俺がディスられてるんだよ」
一応アリシャの一番の味方であるはずなのに。
「レベル上げ?」
「……ん。リューヤはもうレベル100だから」
「「「っ!?」」」
早々にバラされてしまった。全員が驚いた顔で俺を見てくるので、気まずくなって頭を掻く。
「……まぁ、な。と言っても『UUU』の仕様上の問題で、上げるしかなかったんだって。ボス戦の最後に使ったアビリティ、あれはプレイヤーとテイムモンスターのレベルが一緒じゃないと使えないんだ。だから、どうしてもプレイヤーの方がレベル上げが楽な都合上、一緒にするならレベル上限まで上げた方が手っ取り早いと思って」
「いや、確かにそうだけどそれを実行して、実現してるのが凄いな」
俺の言葉に《ナイツ・オブ・マジック》のギルドマスターであるジュンヤが苦笑していた。
「……その方法も言って」
アリシャから若干咎めるような視線を受けて、仕方なく説明する。
「無限迷宮の最下層でモンスターを引き寄せるアイテムを使い続けて一週間ぐらい籠ってたんだよ」
「……だから、バカ」
「ちゃんと準備して行ったんだって。回復アイテムとか物凄い量を買い貯めたからな。一人でレベル上限にいくまで延々と戦い続けるために結構な消費が必要なんだよ」
それを俺とアルティの二回分だ。次は無限迷宮の狭さを考えてシルヴァかなぁとは思っているが、もう少しアイテムに余裕を持たせてから実行したい。
「……兎に角、私がなにを言うでもなくリューヤは自分で掴み取ってる。それに、現段階のボスならソロで勝てる可能性もあるけど、本当に上まで行ったらソロは不可能なくらいの強さになる。それがわかっていて、一人のプレイヤーを強化させる意味あると思ってるの? 少しはちゃんと考えて発言したら?」
アリシャにしては辛辣な言葉でメッシュに告げていた。相手も血管を浮き上がらせて怒りを露わにしている。
ジュンヤがなんとかまとめつつ、アリシャの処遇や情報共有について話を進めた。
多少変化はあったが、このゲームをクリアしなければ脱出できないことに変わりはない。
そのためには最上階にこのゲームのラスボスが待ち構えているという最難関の塔型ダンジョン、デルニエ・ラトゥールを登らなければならなかった。今回のサバイバルイベントをクリアしたことで解放される海のダンジョンもそうだ。
まだまだこれから、トッププレイヤーにはここで立ち止まることなど許されないのだ。




