第三二話 化け物(上)
五重塔の四階──
大小様々な人形が並べられた一室を物色する中、ネズミはとある一角の前で足を止めた。
文机の上に何枚もの紙が雑多に散らばり、床にも丸めた紙くずが散乱している。
一つ手に取って広げてみれば、綴られたすべての文字がひどく震えていた。
読むのに難儀するが、なんとか判読してみると、そこにはこう書かれている──。
『謹啓、香梨紅子様、益々のご繁栄のこととお喜び申し上げます。
先般、枝から告げられた通り、故伊紙彩李に代わり、この絡舞紀伊が生涯を以て暮梨村の管理に尽くすこと、謹んでお受けしようと思います。
あなた様には多くを頂きました。
盲目であった私めに、新しい目玉を。
脆弱な花であった私めの異能、その有効な使い道を。
そして、欲望への没頭、人心の極点、その羅刹としての心根にお導き下さった。
あらゆるものを頂きながら、此度、卑しくも最後の嘆願をしたく、筆を取った次第です。
先日、誓願の成就、我が欲望の達成を成し遂げたいと思い、娘であるトオルを殺害致しました。
紅子様には、灰神となったトオルと、姉であるタカオに、腐らぬ肉体を頂きたいのです。
彼女達の儚い美貌、あらゆる感情を内包した美しき声。人形では辿り着けぬ、情欲を煽る肉の艶やかさ。
それらを永劫に留めたいのです。変わってほしくはないのです。私の手では産み出せない、永劫なる美しさ、その保存が私の悲願となりました。
何でも致します。死ぬまで暮梨村に留まります。あなた様が飽きるまで、我が生涯をあなた様に捧げます。千歳町にいるすべての人間も、あなた様のご自由になさってください。
どうか御助力を。生変の花の恩恵を。矮小なる我が身が求める美しさを、どうか叶えてください。
いずれ隠れ潜むタカオも誘き出し、身柄を確保いたします。その後、百足と共にそちらに向かわせて頂きます。
羅生界の糸の導きに、貴方様に出会えた縁に、深く感謝を。
追伸 弥内千子に作品を渡しておきました。あの者が何を成すのか、推しはかること叶いませんが、あなた様の手に余るようでしたら、そのときはどうか私めに御下命を』
そう書かれていた。文に綴られたその内容に、ネズミの頭が混乱を極めた。
──絡舞紀伊が紅子様に文を? 彩李さんの代わりに暮梨村を?
ネズミは追加で辺りに散らばる紙屑を広げて内容を検めてみるも、すべて同じ内容であった。トオルを殺害した直後に書いたのか、ひどく動揺していたのだろう。何度も筆運びを間違えて書き直している。
「ネズミ様、どうされましたか?」
紙屑の中で息を呑むネズミに、タカオが背後から声をかけた。
「タカオさん、これ」
ネズミが広げた文を差し出すと、彼女は首を捻りながら文を指でなぞりはじめる。
「父上が……なぜ香梨紅子、他里の羅神の名を……。暮梨村の管理? 盲目だった? 初めて知りました……」
そして、視線を右から左に流れるにつれ、
「トオルと私に腐らぬ肉体……香梨紅子の生変の花を頼って……」
タカオの柳眉が吊り上がり、文を握りしめた両手が憤怒に震える。
「なんてッ……なんて! 香梨紅子にッ、トオルを!」
相貌を歪め、弾かれたように顔を上げてネズミに言うのだ。
「私が阿呆でしたッ、何度となく考えました! トオルの身を救えずとも、父上にこの命を捧げて、遊郭の女達の待遇を改善するように嘆願すれば、私が産まれた意味もあるかと! 愚かにも考えました!」
モモに出会わなければ。
ネズミとザクロの助力がなければ。
タカオはそういう未来を選びとっていたのかもしれない。
羅刹として脆弱な我が身を呪い、犠牲にし、せめて人間達の役に立とうとする儚い願い。
されど、その命を賭けた悲願に賭けたとしても、最初から達成されることはなかったのだろう。
「なにが神か! 香梨紅子に縋りつき、千歳町を捨て、暮梨村で安住しようとしている! 民草さえも捧げ、我が身の願望だけを叶える! 欲望に濡れた化け物ではありませんか!」
タカオは憚ることなく怒声を張り上げる。ネズミはただその怒りを受け止めるように、タカオの震える背中に手を添えた。
最早、階下にいる羅生衛士にバレても良い。騒ぎにはなるが、獣の肉体を存分に生せば、この場をなんとか退くことができるはずだ。
──まずいな。
取り乱すタカオの背後で、ネズミはなんとか思考を回す。
差し当たって一番の問題は、タカオの命も狙われていること。同じ顔であるからか、トオルだけでは飽き足らず、双子の姉であるタカオさえも灰神に変え、側に侍らせようとしている。
──旗色が悪すぎる。
ネズミとザクロにとって非常に不味い事態だ。絡舞紀伊が香梨紅子と通じている。その事実も折り込めば、必然的にカリンとも何かしらの手段で接触し、連携をとっていると考えられる。
──絡舞紀伊は隠れているタカオさんを確保したい。カリンさんはモモさんの殺害と、俺の捕縛を成し遂げて暮梨村に帰還したい。
お互いの欲望の達成のため、策を弄していたとするなら、最初から二人の掌の上で踊っていたことになる。
更に、文の最後に綴られていた名前── 百足と弥内千子。その得体の知れない存在がとにかく不穏だ。
──撤退だ。これ以上、ここに留まれない。
ネズミは状況を整理し、苦悶の答えを導く。
タカオの覚悟を脇に置く、心苦しい答えを。
「ここから離れよう。タカオさんも狙われてる。俺たちがここに忍び込むことを折り込まれていた場合、外で神輿に乗ってる絡舞紀伊は囮で、トオルさんの近くに罠が張られてる可能性が高い。タカオさんを殺す罠が」
「でもッ、でも!」
タカオの懇願する瞳に、ネズミは押し潰されそうになった。
叶えてやりたい。できることなら。だが──。
「ごめんだけど、俺は死んでる人より、生きてるタカオさんの安全を優先したい。タカオさんが殺されたら、ミチユキさんを助けられないから」
あけすけに自身の下心を、ネズミは口にする。
ネズミとザクロの最大の目的は、タカオの〈夢誘の花〉でカリンを眠りに誘い、無力化すること。そして、能力から解放されたミチユキを避難させることだ。
「どんなにここに留まりたいって言っても、俺は強引にタカオさんを担いで連れてくよ。タカオさんが死んじゃったら、俺とザクロの目的が叶わない」
ネズミは鎮痛を滲ませながら、タカオの腕を強引に掴む。
「ダメッ、お願いですネズミ様! このままトオルを置いて行くなんて! 灰神のままにしておくなんて!」
激しく狼狽したタカオは、ネズミの手を強引に振り切り、勢いのあまりその場に倒れて畳に背中を打ち付けた。
まずい、錯乱している。ネズミも大いに動揺する。タカオが感情の整理ができていない最中、強引な言葉を選び取ってしまった。
「本当にごめん。でも、もうここにいるのは──」
「お願いです! 弱いからッ、私が弱いから! 血の繋がった家族さえ救えないのですか!? 見ていることしかできないのは嫌なんです! もうッ、何もできないのはイヤ!」
タカオは悲嘆に暮れ、落涙を散らして自身を呪う。
そして、次の瞬間。
「──ッ!」
帯から打刀を抜き放ち、震える切先をネズミの向けるのだ。
「タカオさん……」




