第十九話 焦燥
千歳町の夜は、田舎に比べてひどく明るい。
周りの店にぶら下がる提灯の数々が、煌々と大通りを照らしているのだ。
森林の中で見ていた満点の星空は霞み、張り付けられたような暗闇が頭上にある。
まるで、夜空と人の住む世界が切り分けられたような光景だ。
根っからの田舎者であるザクロだが、その周囲の光景に特に何か言うこともなかった。
それどころではないと、ただただ足早に歩を進めるのみだ。
「まずは情報共有しよう」
千歳町の大通りを進みながら、ザクロが提案する。
ネズミが過去の残滓に囚われている時間は、思った以上に長いものであったらしい。
その間、ザクロはあらゆる情報をカリンから引き出していた。
「まず一つ、炎の灰神、〈翁火九乱〉を殺害したのはカリンだ」
曰く、枝に救出されたカリンは、いち早く千歳町の南西に位置する翁木村に辿り着く。
そこに住む村民を使役の花で操作し、鈴蘭の毒を翁火九乱の食事に盛ったそうだ。
なぜそんなことをしたのか。それは──。
「力試しだったらしい……」
カリンは枝から得た情報で地理を把握し、ネズミ達が最初に辿り着く場所を三鷹村であると予測した。後は灰神に転化した翁火九乱を三鷹村に向かって誘導する。
ネズミ達と戦わせるために。
「お前さんの鮮花が開くかどうか見たかったと、ほざいてた」
カリンがまず警戒したのは、ネズミの鮮花の効力だ。
香梨紅子から聞き及んでいた情報を元に、正面で戦うのは不利であるとカリンは判断し、遠くでネズミ達の戦いを見定めていたのだとか。
「ってことは、炎の灰神との戦いを何処かで見られてたってこと?」
「そうだ。あの辺は見晴らしが良い山がそこらにあるから、望遠鏡なんかを使って呑気にこっちを眺めてたんだろ」
「でもさ、千歳町に入るには花縛帯を巻かないといけないじゃん? 俺が鮮花を開けるとか、そういうの関係ないのに……」
ネズミが差し出した疑問に、ザクロは即座に首を振る。
「カリンが言うには、お前の花の名前は〈生編の花〉だ」
告げるザクロの口調は、どこか重々しい運びだった。
「自在に開けるようになれば、こんな花縛帯なんて関係なく、自分の性質を変化させて鮮花を行使できる。花縛帯を巻かれる前に、自分の性質を変化することができればだが……」
ザクロが首を叩いて言った言葉に、ネズミはあんぐりと口を大きく開いて固まった。
確かに炎を吸い込むなんて荒技を、彩李の助力によって一度は行使できたが、花縛帯を無視できるほどに便利な花であるのかと。
流石は香梨紅子の鮮花から産まれた至高の花だ。あまりに規格外の可能性を秘めている。
しかし、ネズミは優越に浸るわけでもなく、相貌に沈痛を滲ませて足を止める。
自分の鮮花の効力を試すために、罪のない羅神が一人、犠牲となってしまった。
「そうか……俺のせいで九乱さんが……」
「違う! それは違うぞ!」
肩を落としそうになったネズミを、ザクロは両頬を掴んで支えた。
「お前がカリンの卑劣な手段を呑み込むな! お前が殺したんじゃない!」
「あ、ああ……」
「頭のおかしい奴の所業を、お前が背負うなよッ、お門違いだ!」
ザクロの活声に打たれて、ネズミの胸に吹き溜まった自責の念が散ってゆく。
あの過去の残滓が教えてくれた。獣となる前も、こうしてザクロは支えてくれていた。
ネズミは背筋を伸ばし、礼を言わねばと口を開きかけるも──。
「落ち着いたか? 大丈夫そうだな。仕切り直すぞ。もう一つ、カリンの鮮花についてだ」
ザクロが真剣な眼差しで人差し指を掲げる。
ネズミは気を引き締めて頷く。口を挟める雰囲気ではない。
ミチユキが人質となり、命が危ぶまれている。故にザクロも焦っているのだろう。
この一件が片付いたら改めて礼を言おう。今は状況の打破が最優先だ。
「あいつの能力が強化されてる。カリンは以前まで自分の能力の範囲をうまく絞れなかった。そのせいで暮梨村の河川にいる人間は、知らぬ間に溺れているということが多々あった」
そうだ。そのせいで、ネズミの父親は死亡したのだ。その最後を看取ってくれたのもザクロだ。過去の残滓が教えてくれた、悲しくも暖かな記憶。
「母上から鮮花でも貰ったんだろう。今は範囲を絞れるようになったみたいだ。しかも効果時間も長い。千歳町の町民の何十人か、使役にかかってる。さらに厄介なことに──」
言いさして、ザクロがゆっくりと視線だけで後方を指し示す。
茶屋の軒先で団子を頬張っている男が一人、虚な眼でこちらを見ていた。
かと思えば、正気を取り戻したように隣の客と談笑しはじめたのだ。
「能力にかかっている人間が、わかりずらい」
ザクロが相貌を苦悶に歪めて、ぽつりと溢す。
旅籠屋の女将もそうだった。楽しく談笑している最中、突然と豹変してネズミの腹に出刃包丁を刺しこんで来たのだ。
「町の人間を片っ端から突き飛ばすことなんて出来ない。それこそ、こちらの動きを気取られて、ミチユキの生命が摘まれかねない」
「じゃあ、ずっと監視されながら行動することに……」
「そうなる」
これは気が滅入る。モモの花を本当に摘まないといけないのか。
絡舞狩りを手伝うフリををしてモモを殺害しろという注文だったが、なんとかカリンの裏をかけないものかと、ネズミは腕を組んで頭を回す。
「とりあえず、モモさんに接触しよう。それでカリンさんがこの町にいることを伝えたら、互いに潰しあってくれるかも?」
「それは……私も考えてはみたが……」
どうだろう、とザクロは眉根に指を添える。
「あいつが、わざわざカリンなんかに構うか?」
今のモモは香梨紅子の支配の糸に絡め取られていた頃とは違う。
強大な羅刹となって香梨紅子に挑むため、より強い鮮花を喰らうことを求めている。
半殺しにして放置したカリンを、手間を惜しんで相手にするだろうか。
と、ザクロは言いたいのだろう。
「あっ!」
そこで、ネズミはハタと平手に拳を打つ。
あるじゃないか。モモが求めている物を、ザクロは所有している。
「炎の灰神の鮮花を、モモさんに上げちゃう?」
落とした声音でネズミが提案すると、ザクロは反射的に胸元に手を添えた。
肌身離さず持っていたであろう菊の花。カリンに取り上げられていなければ、そこにあるはずだ。
「ありだな……」
交渉材料は揃っている。炎の灰神、翁火九乱は羅神であり、生前はかなりの猛者であったようだ。モモが求めるに足る十分な代物だ。
「これを材料に、モモをカリンにぶつけて、どさくさに紛れてミチユキを助けることができるかもしれん」
「じゃあ、とりあえずモモさんが何処にいるのか、聞きに行こうか」
話は決まったと、二人は足早に通りを歩く。
あの娘はひどく目立つ見目をしている。少し聞き込みをすれば当たりがつくだろう。
✿
「カリン様、よろしかったのですか?」
旅籠屋の一室で、枝である老爺が、座した金の髪の少女に伺う。
「どうした? 何か引っ掛かるか、ゼイゾウ」
名を呼ばれた老爺は、厳かに膝を折ってカリンに憚るような声音で問いを発した。
「翁火九乱の鮮花、あれを回収せずにザクロ様を送り出してよろしかったのですか?」
「ああ、それで良いんだ。それに気がついていたのに、よく口を挟まなかった。褒めてやろう」
「ありがとうございます」
厳かに腰を曲げるゼイゾウを見て、カリンはしたりと口を緩めて文机に肘をつく。
「奴らの心根は知れている。人間の命がかかっていれば、縋れるものに縋るだろうからな。それが罠だと知るまいよ」
それに、とカリンは付け加える。
「なぜ、僕がわざわざ千歳町に奴らを誘き出したと思っている?」
「申し訳ございません。私のような末端の枝には見当もつかず……」
「そうか。いずれ知ることになるだろう」
そっけなく相槌を打ち、カリンは答える気はないとばかりに戸惑うゼイゾウに構わず、不敵に笑って肩を揺らす。
「母上の配慮に感謝しなくては。あの汚らしい獣とザクロを捕らえて暮梨村まで連れ帰るには、僕だけでは骨が折れるからな。元々、奴の手を借りてあの阿呆どもを運ぶ予定だった」
だが、と金の髪をかき上げて、瞳にほの昏い光を宿す。
許さない。不意に一太刀を浴びせてくれた、あの四女だけは。
「もっと、存分に利用させてもらう」
苦しみを与えなければ、気が収まらない。
あれが母を裏切ったまま、のうのうとこの世を彷徨うことに、我慢ならないのだ。
✿




