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花の羅刹✿ 【第三部準備中】  作者: 再図参夏
第弍部 千歳町編
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第一話 人里

 大森林を抜けた先、ネズミとザクロの眼前には広大な小麦畑が広がっていた。

 陽光に照らされたこうべを垂らす輝く稲、それらが風に靡いて黄金の波を作っているのだ。


「わお……」


 二人は歓喜のあまり溜息を漏らす。

 人里だ。一ヶ月の間、御目見することがなかった、くっきりとした文明の香りだ。ほのかに甘く、煙に混じる畑の香り。今のネズミたちには全身を弛緩させるほどに求めていた香りだ。

 これは期待できる。たくさんの食料にありつけるだろうと、ネズミの顔が綻ぶ。


「ネズミ、意見のすり合わせをしたい」


 突然、ザクロは言うと、小麦畑に吸い寄せられるように歩くネズミの肩を掴んで止めた。


「万が一『得体の知れない羅刹なんぞに食べ物は分けてやらない』なんて言われたら……私は、盗みを働いてでも米と調味料を調達しようと思っている」


 二人の瞳が交差し、飢えた獣のごときザクロの眼光がネズミを射抜く。

 食い気に取り憑かれたその胸中を、今のネズミに諌めることはできない。


「ザクロ……もしそういうことになったら、俺も盗みを辞さない覚悟ではある。あるんだけど、お前の場合は……生まれ始めての盗みになるんじゃ?」


 ザクロが生まれ育った暮梨村では〈五戒〉と呼ばれる厳しい戒律があった。

 その中でも盗みを禁じる戒律は──。


 不偸盗戒ふとうちゅうかい─他者の持ち物を奪うべからず。この禁を破りし者、自らの両目を抉り取り、二度と他者を羨むことなきよう励むべし。


 ザクロは幼少の頃から不偸盗戒ふとうちゅうかいに怯えながら過ごしてきた。

 罪を犯すという行為そのものが、ザクロにとって精神的に多きな負荷がかかるはずだと、ネズミは杞憂しているのだ。


「大丈夫? 畑泥棒くらいなら俺だけで……」


「ここに目玉をくり抜くような母親はいない、大丈夫だ。私はいける。それに──」


 言いさして、ザクロは腰に差した太刀を手で叩く。


「今更だろ?」


 香梨紅子の愛刀──銘は不明、号は〈紅無垢べにむく〉と呼ばれるものらしい。香梨紅子から放たれる強烈な斬撃を受けても、刃こぼれ一つないまごうことなき業物だ。 


 そんな宝物を暮梨村を脱する際、勢い余って頂戴している。それ以外にもたくさんの戒律を破ってここまで逃げてきたのだ。追手に捕まってしまったらネズミもザクロも罪の精算が求められるだろう。


「まあ、確かに……今更すぎるか……」

 

 ネズミは体毛に覆われた顔を拭って頷く。

 確かに食料を盗むくらい些末なことに感じてしまう。

 もうどうにでもなれという心持ちになるも、途端に重大なことを思い出す。


「ああ、そういえば、飯もそうなんだけど、俺の場合、もう一つ懸念点がある。俺のこの風貌で近づくのはちょっと……」


 強調するようにネズミは手を広げて自身の立ち姿をザクロに見せる。

 暮梨村での苦い経験からか、自分がいきなり村人の前に姿を表すのは、ひどく抵抗があった。


「安心しろネズミ。その点に関しては大丈夫だ。お前が私を肩車して近づいて行けば、珍妙な光景過ぎて危険な存在とは見なされない。むしろ逆に警戒するほうがどうかしてる」


「いや、女の子が二足で歩く大きな鼠に肩車されていたら、まともな人間は警戒する」


「いいや、されないね。そんなことが出来るのは愉快な羅刹に違いないと、良い方向に解釈してくれる」


 どこから湧いて出た自信であるのか。ザクロは妙に確信を得たような顔をしている。


「でも前に……いや……もう、それでいこう」


 溢れ出そうな弱音をネズミはなんとか飲み込む。明るく振る舞ってくれてはいるが、ザクロはもう立って歩くのが辛いのかもしれない。肩車を提案してきた時点で気がつくべきだった。


「ほい、いいよ乗って」


 言って、ネズミはふわりとした体毛に覆われた背を向けて屈んで見せる。


「大丈夫だ、きっと上手くいく」


 ザクロは妙に嬉しそうにネズミの肩に跨って、頭頂部を優しく撫でて合図する。

 それを受けて、ネズミは「よいしょ」と立ち上がると、ザクロの体勢が崩れぬよう、ゆっくりとした足取りで小麦畑に歩き出した。


「どう?」


「成人してから肩車なんてするもんじゃないな。正直、怖えぇ」


「大丈夫、俺も超怖いから」


 人間の怯えた顔はネズミの心を存分に抉るのだ。

 自分が人間社会から浮いた存在であると、嫌でも自覚してしまう。

 

「じゃあ、ビビってる同士、お揃いだな」


 頭上からザクロのそんな言葉が降り注ぐと、ネズミの腹に妙な安堵感が湧き立った。

 人間に戻れればいいものをと考え続けていた。人の身であるならば、堂々と衆目の前で、ザクロと並び立てると。

 しかし、ザクロが肯定してくれるだけで、どんな姿でも構わないかという心持ちになる。他者の視線への恐怖が、幾分か軽くなってきた。

 

「そうだね。お揃いだね」


 二人で怖い怖いと声を合わせて、田園の脇道を歩いていく。しばらく進んで小麦畑を抜けると、青々とした背の低い稲穂と大根や芋であろう丸い葉の作物が、畑から顔を出していた。

 するとそこに、一軒の木造の古屋が畑の中央に鎮座していた。収穫した作物を置く倉庫か、畑の管理小屋か。

 どちらにせよ尋ねてみようと、ネズミが古屋に向かって舵を切ると。


「あっ、やっべ」


 ザクロが思い出したように平手を打ち、馬の手綱を握るようにネズミの耳を掴んで停止させた。


「痛ぁッ、ちょ、どうしたの?」


「もう一つ、言わなきゃいけないことがあった」


「なに? やばいこと?」


「もしも、この村に羅神らしんがいたとしたら」


 その言葉に、響きに、ネズミの丸い背筋がぴんっと立つ。


「い、いるの? 人が住むところに、そんなポンポンいたりするの?」


「一応、羅刹は人里を運営するのが使命だからな。それに、人間に囲われてれば食いっぱぐれしないだろ?」


「そうか……」


 七百年ほど前にあった戦争をキッカケに、羅刹は権力に溺れた国主を、強大な異能力を行使してことごとく滅ぼしたという。罪のない民草に血を流させる権力者たちを許せなかったそうだ。


 そして、国という寄る辺を失った人間たちの上に、平和と安寧を約束する頼れる存在として、羅刹が君臨することとなる。

 やがて、人里に君臨する羅刹を羅神と呼称し、神として丁重に崇め奉られている。

 つまりは、人間が密集する場所には高確率で羅神が鎮座しているということだ。


「流石に母上ほどの強大な羅神ではないにしろ、私たちを狩ろうとする可能性は充分にあるな」

 

「さいですか……」


「もし、ここを治める羅神がそういう奴だった場合、殺し合いになるかもしれない」


「超イヤなんですけどぉ……」


「私だって超イヤだよ。だけど、そのときは選ばないといけない──闘争か逃走を」

 

 ゴクリとネズミの喉が鳴る。そして、地面に寝転がりたいほどに嫌気が差しはじめた。

 羅刹に生まれた宿命だ。常に首を刈られる危険と付き合っていかなければならない。

 されど、それは向こうも同じことだ。


「うーん……とりあえずここの羅神が悪い人で、俺たちより強そうだったら一目散に逃げよう。俺たちより弱そうだったら一発ぶん殴って逃げよう」


「良い奴だったら?」


「穏便な人だったら、なんか草刈りとか畑仕事を手伝ったり、肩とか揉んでご機嫌を伺おう。それで食料たんまり分けて貰って、厄介事を頼まれる前にとんずらしようか」


「いいねぇ。面白いこと言うようになったなネズミィ。良い根性が生えてきたな」


「ここまで大変だったからね」


 ザクロは嬉しそうにネズミの頭をぽんっと叩く。 


「まあ、運が良ければリンゴ姉とミカン姉がここにいるからな。二人に泣きつけば問題ないだろ」


 確かに。とネズミは大いに首肯した。リンゴもミカンも暮梨村から逃げ出す際に、香梨紅子と大立ち回りをしてくれた。最強の神と対峙した上で生還しているとあらば、これ以上にない助っ人だ。


「話は固まったな。そんじゃ、行こうぜ」


「ちょ……耳引っ張んのやめい」


 ザクロがネズミの耳を前に倒して合図すると、ネズミはゆっくりと歩き出す。

 そして、畑中央に鎮座している小屋の前に立つと、


「こんにちはー! 誰かいるかー!」


 頭上のザクロが声をかけ、ネズミが戸を遠慮がちに叩く。


「はーい、ちょっと待ってねー」


 間もなく、やや低く枯れた女性の声がした。

 

「やったなネズミ、ババアだ。ババアは優しいと相場が決まっている」


「そうだね、優しいといいね」


 小声でザクロが耳打ちし、ネズミは呆れまじりに微笑む。

 さて、歓待されるか、怯えられ腰を抜かされるか。これからの立ち回りを考えると、ネズミはいっそどうでもいいような、楽しみであるような心持ちになる。


 間もなく、すっと戸が開き、やや腰を曲げた柔らかい印象の老婆が姿を表した。

 老婆はまず、ネズミの姿を視認し、瞳を驚愕に染め上げる。


「えッ……」


 小さい呻めきを漏らし、しばらく放心。

 それからゆっくりと視線を上に移動し、ネズミの肩に跨ったザクロと目を合わせた。


「頼むッ、食い物分けてくれ! 腹減って死にそう!」


 ザクロが拝むように手を合わせ、老婆に精一杯懇願すると、


「え……アッ、え?……まさか、羅刹様ですか?」


「そうです!」


 ハツラツとネズミが答えると、老婆の顔から安堵の色が浮かび出す。

 そして、次の瞬間。


「皆の者ぉおお! 羅刹様がおいでなすったぁぁぁあああ! 集まれぇえい!」


 爆雷のごとき大咆哮が、老婆の口から打ち上がった。



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