第四八話 花桃
早朝。朝焼けが差す鬱蒼とした森の中、一軒の山小屋がひっそりとあった。
その玄関の戸が緩やかに閉じられると、タカオはこくりと頷く。
「モモ様、行きましょうか」
「ああ」
眠るように沈黙する灰神トオルを背に担ぎ、タカオは森の中へと踏み出す。
その足取りがヨロヨロと危なげなものだから、モモが背後で三白眼を細めた。
「大丈夫とか? せめて下山するまでは、私が担いでもええんぞ?」
「ありがとうございます。でも、母の胎から一緒だった大事な妹です。私が最後まで担がなければ」
「そうか」
絡舞紀伊と戦うことを任せてしまったのだから、最後くらいは全部自分で背負う。
そう、タカオは数日前から息巻いてはいたが、非力な女子の体力でどこまで持つか。
これから向かうのは〈雛子岬〉という、タカオとトオルの母親の故郷であり、彼女の墓標が立つ場所だ。
母は遊女の身であったがゆえに、自由に外へ出かけること叶わなかった。だから、故郷である雛子の海が恋しいと、都度口にしていたそうだ。
だから、トオルを母の眠る土地で埋葬したい。
そんな願いの達成を成し遂げるには、ここから三〇理(一二〇キロ)の距離まで歩かなければならない。
改めて思い返すと、この途方もない旅路にモモを付き合わせることにひどく負い目を感じ、タカオの頭が下がる。
「すみません。馬車や牛車に頼れたら良かったのですが……」
「しょうがないちゃ。灰神連れて人目につく事できんやろ。私の使ってた馬も消えてしもうたから」
灰神であるトオルを担ぐ旅路は、ひたすらに人目を避け続ける旅となる。
効率を重視すれば、山小屋でトオルの首を落とし、死体を大八車に乗せて移動するべきなのだが──。
タカオの切なる願いだ。最後に雛子岬の海を二人で見てから、お別れしたいと。
「ここからかなりの距離があります。もし私のわがままに付き添うのにうんざりしたら、遠慮なく置いていってください」
短気であるモモへの配慮からそう洩らすと、
「……置いてくわけなかと」
妙に歯切れが悪い。その上、モモらしからぬ柔らかい言の葉が飛ぶ。
てっきり、『当たり前ちゃ、雑魚が足引っ張んなら置いてくに決まってるっちゃ』などと、悪態が返ってくるとタカオは予想していたが。
千歳町を抜け、人目に触れぬよう、山小屋に忍んで三日が経過していた。
その間、必要な品々をネズミとザクロに調達してもらい、旅支度をゆっくり整えてきたが、モモは黙ってタカオに寄り添ってくれていた。
絡舞紀伊の鮮花を手に入れた今、モモがタカオに付き合う理由はないというのに。
「雛子岬までかなり距離がありますので、多くの迷惑をかけてしまいます」
「上等や。そんな事、いちいち言わんでもええぞ」
──優しすぎる。あまりにも優しすぎる。
タカオは困惑して目を回してしまう。モモの様子がやはりおかしい。
自分が夢誘の花を行使して眠っている間、一体何があったのか。
ここ数日、何か考え込むような顔をするばかりで、応えてはくれなかったが──
「も、モモ様? やはり最近、あなたの様子がおかしいと思うんです」
「……んなことないやろ」
「だって、モモ様はそんな風に……あっ──」
よそ見をしたタカオが、雑草に足を取られて体勢を崩す。
転倒してしまう──その寸前、モモがすかさず肩に手を添えて支える。
「あ、ありがとうございます……」
「気ぃつけろ」
おかしい、あまりにも。人が変わってしまったようだ。
タカオを労わるような優しい手つき。毒々しく荒々しい大蛇のようなモモは、一体どこへ行ってしまったのか。
「何か、鮮花の能力を行使されましたか? 人格に影響が出るような」
「んなわけなか」
ぶっきらぼうに返し、モモはずいずい歩き始める。根の張る土を踏み割り、低い枝を躱すように、タカオが転ばぬ進路を選び取ってゆく。
「……モモ様?」
この変わりようを見過ごすのにも限界を感じ、タカオは静かに問う。
どうしたのか話してほしいと、多くを重ねず、沈黙を以て。
すると──返答を待つことしばらくして、
「だぁっ、クソ!」
モモが頭をかき乱して狼狽しはじめた。
「何が『花の羅刹になれよ』やッ、くそザクロがッ、好き勝手言いよって!」
空に向かって姉の名前を叫び、次には近くに生える大木に拳を打ちつけた。
「絡舞狩りも『助っ人に過ぎん』言いながら、首刎ねたのも全部あのクソ女や! ええとこ全部持ってかれとる! 絡舞の鮮花もアイツの活躍のおこぼれみたいなもんちゃ!」
心内で、タカオは「ああ」と納得を落とす。
恐らく、どこかでザクロに言い含められたのだろう。
『お前、大して活躍してねえんだから、せめてタカオに優しくしろよ』
──なんてことを、置き土産として。
「ザクロ様に、何か態度を変えるように言われたのなら──」
「ちゃうっ、断じて!」
違うらしい。それだけは認められないと言いたげに、モモが相貌を歪めて怒りを露わにする。
そして、覚悟を決めるように腹を締め、深く息を吐き切るのだ。
「私はな、雑魚やったと。香梨紅子という巨大な岩山に手を添えてないと立ってられなかった、クソ雑魚やったと」
モモは己の拳で額を叩きながら、そう独白し始めた。
「神の正しさに甘えて、お門違いに胸張って、風切って歩いて……クソ甘ったれや!」
過去の自分が許せなかったのだろう。近くに転がる石ころを蹴り上げ、苛立ちを土に散らす。そして一息つくと、ふと肩を落とし、タカオに呆然とした視線を注ぐ。
「だから、キサンに縋られたとき……正直……怖かったっちゃ……」
「え……な、なぜです?」
「助けてほしい、なんて……人生で一度も言われた事なか……そんな自分が真正面から頼られるなんて……どうしてええかわからんかった……」
喉を詰まらせるモモに、タカオも目頭に込み上げるものがあった。
そうか、そんな心の状態で、タカオの懇願を受け止めていたのか。
「そんな風に、思ってたのに……どうして助けてくれたんですか?」
「困難を乗り越えるのが羅刹の流儀やッ、短所も弱味も誇りに変えて、図々しく胸張って生きるのが羅刹の美学や! なにをひ弱な女に頼られて臆してると!」
タカオの質問を聞いているのやら、いないのやら。過去の自分に喝を入れるように、モモは咆哮を上げる。
そして、肩で息を切らした後、「それに──」と続けた。
「そうや、ザクロに図星突かれた。支配の糸を引き剥がし、絡舞紀伊から逃げたキサンと、支配の糸に絡まり続けて、香梨紅子の言いなりやった自分。比べるほどに、自分の弱さを突きつけられた。キサンより雑魚や、私は」
悲痛に歪むモモの相貌に、ついタカオは「そんなことはない」と言いかけるも、喉の中に押し込む。
誠実な言葉を尽くしてくれるモモに対して、浅い慰めはあまりに礼を欠く。
「弱いと、自分を責めながらも、私を助けてくれたんですね」
「言うたと……短所も弱味も誇りに変えるのが羅刹の流儀や。私ら羅刹同士は、犬のように吠え、存分に見下し、相手を激しく罵倒する。己の鮮花に、己の宿主は強き者であると刷り込まなきゃいかん」
羅刹の喉元に宿る、鮮花の習性だ。己の宿主より強大な花に惹かれる本能をもっている。
ゆえに、常に己の力を誇示する必要がある。もし、最初から阿るような態度を取れば、相手の支配の糸に絡め取られ、相手に首を差し出してしまうのだ。
「キサンの伸ばした手を振り払ったら、キサンを追い詰めた絡舞紀伊にビビってるいうことになる。そんな弱い有様を見せれば……己の鮮花に見限られるっちゃ」
タカオは担いだトオルごと、崩れるように膝を折る。
羅刹同士の闘争とは縁遠い生活を送っていたため、相手を威圧する作法は身につけていない。ゆえに、考えが至らなかった。助けを懇願する態度もまた、羅刹の生存を脅かすものだとは。
「ご、ごめんなさいッ、私が無知なばかりに!」
「謝るな……」
つい謝罪を口にしたタカオに、モモは首を横に振る。
「私は、楽な道を今まで選んどったと……母上の支配の糸を巻きつけていれば、『香梨紅子の娘である』と、誇らしい日々を送れたから」
しかし、それは強き羅刹に成り上がる道ではない。そう語るモモの肩は自嘲に揺れる。
「あのドブネズミに支配の糸を切ってもろうた上に、キサンに縋られることで、ようやく羅刹として新しい一歩を踏めた。だが、絡舞の首を落としたのはザクロで、キサンを守り通したのもドブネズミ……情けない有様ちゃ」
つらつらと並べられた自虐に、今度はタカオが首を横に振った。
「それでも、私のために最善の道を選び取って下さいました。ネズミ様とザクロ様に頼ることに、己の矜持を投げ出すような覚悟があったのではないですか?」
「…………」
モモは静かに沈黙し、首をだらんと下げた。
なお認められない心根があるのか、精一杯の意地を張り、
「頼ったんじゃなかと……利用したんちゃ……」
振り絞るような声音を落として、自身の眉根を揉みしだく。
素直ではない、が、今はそんな矜持にしがみ付かなければ、立っていられないのだろう。
「……私に、今も寄り添ってくれるのはなぜですか?」
遠慮がちに問うと、モモはタカオの目の前にしゃがみ込んで目線を合わせる。
「私の舌が割れとる理由……なんやと思う?」
言いながら、モモが盛大に口を開け、その二枚舌をチロチロ動かして見せる。
世間話程度に聞かせてもらったことがある。暮梨村では嘘を吐くと、舌を二枚に割られる戒律があると。
「幼い頃に、母である香梨紅子様に切られてしまったのですよね?」
「そうちゃ」
「なぜ、モモ様が舌を割られたか……」
いくら考えても検討もつかず。タカオが顎に手を当てて唸っていると。
待ちかねたモモが、己を嘲るように肩をすくめた。
「私の『本当の名前を覚えてる』そう言うた」
「本当の名前……ですか? モモという名の他にもお持ちなのですか?」
「ああ、『本当の親からつけられた名前を覚えてる』そう言うたら、舌を二つに割られたっちゃ」
タカオは口を抑えて絶句する。その所業は、あまりにも容赦がないものだ。
「その断罪の真意は……? なぜ、香梨紅子様は嘘だと決めつけられたのでしょうか?」
「嘘やったからな。母上を試したっちゃ。目の前で嘘吐いても見抜けるかどうか」
「それは──」
幼子らしい大胆不敵な振る舞いと言うべきか、過ちと言うべきか。
「でもな、思い出したと。舌を割られた痛みが、私の記憶の棚を開け放った」
「……聞かせて下さい。あなたの本当の名を」
聞くと、鼓動三つ分の沈黙の後、ぽつりと打ち明けられる。
「タカオ」
「私と……同じ名前……」
香梨紅子の元、苛烈な闘争に身を投じて育った──モモ(タカオ)。
絡舞紀伊の元、花よ蝶よと愛でられて育った──タカオ。
まったく正反対の二人が、まったく同じ名前。
「名前ってのは不思議やと思う。ただの偶然の一致……にも関わらず、妙な繋がりを感じた。そして、一緒に過ごすうちに、キサンは私が香梨紅子の元で失ったすべてを持ってる気がした」
モモはツンっとタカオの額を突くと、らしからぬ柔和な笑みを浮かべるのだ。
「よく泣くし、謝るし、自分を卑下して肩を落とす。チャンバラもできんし、鈍臭い。女子らしい感性をもったまま羅刹として生きている。その有様は……私には想像できん仕上がりちゃ」
「すみません……同じ名前の女が、こんな脆弱な有様で……」
「いいや、逆ちゃ。変わらないまま、羅神の支配から逃れた。そりゃ何よりも強い」
羅刹は人前で泣くなと教わる。敵を見下し、支配の糸を断てと叩き込まれる。
しかし、タカオはそれら羅刹に必要な姿勢を持ち合わせていない。まるでそこらを歩く町娘のような心根のまま、絡舞紀伊の支配から逃れた。
「だから、最後まで付き合うと決めた。いや、このまま付き合ってもらうと。私に引き摺り回された後、キサンがどんな境地に辿り着くか見てみたい」
自分のためにな、とモモは淡く付け加える。
その一言に、タカオは胸の奥が小さく震えた。
──ああ、トオル。
生前の、晴れやかに笑う妹の顔が浮かんだ。何をするにも、互いの所作を見比べて生きてきた。まるで同じ鏡を覗き込むように、相手の心がわかる気がした。
そんな交流は、道を踏み外さぬための指針であり、軋む心を支える松葉杖のようでもあった。
きっとモモは、欲しているのだろう。心を支え、歩き続けるための松葉杖が。
そしてなにより、タカオを支えたいという真心が、婉曲な表現のなかに滲んでいる気がした。
「私は、足手まといになりますよ?」
「上等ちゃ。いちいち言わんでもええぞ」
「迷惑をいっぱい、かけてしまいます」
「キサン一人背負えんようじゃ、香梨紅子《母上》を越えられん」
モモは力強い眼差しでタカオを見つめ、次には手を引いて強引に立たせ、
「ぐだぐだ抜かすなや。雑魚は黙って犬みたいに付いてこいちゃ」
いつもの調子を手繰るような、刺々しい悪態を吐く。
少し前はそんな毒舌に慌てふためきもしたが、今はなんだか、やけに微笑ましい。
「はい。どこまでも」
モモの手を借りながら、タカオは妹を背負って歩き出す。
「これからなんとお呼びすれば? タカオ様とお呼びしましょうか?」
「いや、モモで良え。母上を超えるまで、『モモ』を背負う」
ふたりの影が、朝の光に長く伸びてゆく。
踏みしめる土は夜の冷気を吸い込み、砕けた落葉の香がほのかに漂う
タカオは横を歩くモモを見やり、小さく息をつく。
その視線に気づいたのか、モモは前を向いたまま、口元を綻ばせる。
山道に射す木漏れ日が、その横顔をまぶしく照らしていた。
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
これにて、第二部は終幕となります。
星やブックマーク、リアクションなど、さまざまな形で支えてくださった皆さまに、心より感謝申し上げます。
執筆中は、自分の心を抉るような場面が幾度もあり、描くことそのものに覚悟を要しました。
それでも最後まで筆を進められたのは、読者の皆さまの存在あってのことです。
改めまして、ありがとうございます。ほんとうに、大きな励みとなりました。
さて、次回の舞台は海です。そして、あの長女が……。
続きはまた、第三部でお会いいたしましょう。




