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93.貴族と真実

 舞台がだいぶ変わります。

 ミエハリスのクライマックスを一話に収めようとしたら長くなってしまった!


 ユリエルが桃を聖騎士に渡す前に仕掛けていた、プライドンを人質にした真実暴露作戦!

 頑なにユリエルの真実を認めなかったミエハリスの実家事情、そして真実を知ったミエハリスの運命は……。

 貴族ってのは、大きな目で見ようとするあまり足下の大事なことを見落とすのが定番ですね。

 時は、少し遡る。

 ゴウヨックたちが絶え間ない空腹と渇きに苦しんで食べ続けていた頃、絶え間ない高熱に苦しむ一人の少年がいた。

 虫けらのダンジョンで捕えられ、ユリエルの血を鑑定して親に見せるという条件で解放された、プライドンである。

 プライドンはあの後、騎士たちの必死の行軍でセッセイン家に帰った。

 しかし家に帰る少し前から、マラリアの恐ろしい高熱が襲ってきた。

 奥歯がガチガチ鳴るほどの寒気と震えが来て、熱はあっという間に高くなった。しかも、それが下がらない。

 兵士たちは半日ほどで熱が下がって楽になったのに、プライドンはずっとうなされて気分が悪いまま。

 食事もまともに食べられない。

 その有様を目の当たりにして、見る者は皆思い知らされた。

 ユリエルの課した条件を満たして呪いを解いてもらわなければ、プライドンは本当に長く生きられないと。


「ああ、プライドン……何てこと……!」

 暗く閉ざされた部屋、ベッドに横たわるプライドンの隣で、一人の貴婦人が涙に暮れていた。

 セッセイン家当主の夫人、ミエハリスとプライドンの母親だ。

 真っ赤な顔でフーフーと荒い息をするプライドンを前に、母親は憎しみのこもった目でプライドンの胸元の小瓶と目玉をにらみつける。

「おのれ魔女め!邪眼の悪魔め!

 ミエハリスのみならず、プライドンまでこんな……許さない!!

 よってたかって、こんな何の罪もない子に!人でなしめ!!」

 プライドンが生きて帰って来たと聞いた時は、涙を流して喜んだ。

 しかし運び込まれてきたその姿を見るなり、夫人は心臓が止まりそうになった。

 可愛いプライドンは邪悪な魔女に取引の道具にされ、胸元に不気味な目玉をくっつけられて高熱にあえいでいる。

 そのうえ、魔女と取引したことが公にバレるとまずいからと、帰還も病気も公表できずこの薄暗い部屋に押し込められている。

 国に助けを求めることも、できない。

 それが夫人には、不憫で腹立たしくてたまらない。

 どこに出しても誇れるように育ててきて、国中に鳴り響く大兵法家と共に華々しい初陣を飾るかと思われたのに。

 それが、ここまでひどい事になるとは。

 おまけに夫人が取り乱して泣きわめくと、プライドンも感情が高ぶって泣き叫び、さらに熱が上がってしまった。

 上がった熱が下がらないと聞いて慌てて席を外しても、もう後の祭りだ。

 プライドンはもう食事も喉を通らず、回復薬で体力をつないでその身を燃やしながら生きているだけ。

 この子の体がいつ燃え尽きて冷たくなるかと思うと、夫人は気が狂いそうになる。

(ああ、何でわたくしがこの子を奪われなきゃいけないのよ!?

 わたくしもこの子も、普通に生きて来ただけ。いえ、役目に従って世のために身を捧げていいことをしてきたわ。

 なのに、何でいきなりこんな目に!!)

 納得できない理不尽に、夫人はひたすら犯人の魔女と邪眼の悪魔を憎んだ。

 そいつらを殺せるなら、自分の命を捧げてもいいとすら思い、神に祈った。

 しかしそいつらが死んで取引が果たせなければ、結局プライドンは助からないのだ。ふと我に返ってそれに気づくと、自分すらそれを望んだのかと嫌になる。

 悪への憎しみと我が子愛しさで、夫人は板挟みにされて潰れそうだ。


 だが、そこに夫が解決策を持ってきた。

「腕のいい裏社会の鑑定能力者と、教会のものではない審問玉に渡りをつけた。

 金はかかったが、今夜にも来てくれる。これで教会に悟られずに、魔女の出した条件を満たせるだろう」

 それを聞くと、夫人はぎぃっと憎たらしく顔を歪めた。

「そう……屈するのね、人でなしの悪党どもに!」

「仕方ないだろう、それ以外にどうやってこの子を助けるんだ!

 ダラクや魃姫が支援するダンジョンを力攻めで堕とす力など、我が領にはない。死肉祭だけで、どれだけ死んだと思ってるんだ!」

 夫は、叩きつけるように言った。

 セッセイン家は王国でも有数の軍事力を持つ、辺境伯家だ。だから平時なら交渉に力を使うことがあるし、騎士団長グンジマンに対抗する武力派閥を率いている。

 しかし、いかんせん敵と状況が悪い。

 先の死肉祭で、セッセイン家は少なくない兵を失った。さらに今回のプライドンの件でも、数十人のベテランを失っている。

 おまけにユリエルだけならともかく、ダラクや魃姫が配下を派遣しているとなると、とても勝負にならない。

 力で元を断って解決することが、できないのだ。

 そのために国や教会に助けを求めるのも、賢い判断とはいえない。

 夫人はそうしてくれと夫に泣きついたが、夫はそうする訳にはいかないと判断し、プライドンが戻って来たことも秘匿している。

 夫人は、それを当て擦るように嫌味を言った。

「正直に教会に助けを求めれば、そんな面倒なことをしなくても良いのに!

 ずいぶんと、誠意のない助け方ですこと!」

「私は私なりに、家と子のことを考えてやっているのだ。

 言っても分からぬくせに、おまえこそ子を助ける邪魔をするな!」

 プライドンの対処を巡って、夫婦は険悪なことになっている。しかし二人とも、プライドンを助けたいのは同じだ。

 ただ、その方法と信じるものが異なるだけで。

 夫人は教会の力と正義を信じ、夫はそれに頼らない解決を手配した。

 貴族家として知っている地元の裏社会のつてをたどり、捕らえてある悪党の仲間と取引をしてまで、地下で活動する鑑定能力者と審問玉を借りた。

「……そんなものが信じるに値するんですの?」

「契約魔法で縛る、嘘はつけん」

「そんなことのために民が納めてくれた金を使うなんて、反吐が出ますわ。いつもの節制とは、えらい違いですわね!」

「世の中には、信じるものを選ばねばならん時があるのだ!」

「教会と悪魔が戦っているのに、教会以外の何を選ぶというの!?」

 夫は、一つため息をついただけで答えなかった。

 世の常識に照らせば、妻の言う通りなのだろう。

 しかし共に帰って来た騎士や兵士の生き残りの話を聞くに、その判断は致命的な過ちになり得ると夫は判断した。

 それを、プライドンの帰還を明かした一部の家臣も支持した。

 ゆえに夫の解決策が動き出し、夫人はプライドンと一緒に幽閉されてひたすら負の感情に囚われ、神に祈っている。

 それが本当に届いてしまった時こそ一家の破滅だと、思い至る事もできずに。


 一見平穏なセッセイン領に、夜のとばりが下りた。

 呼びつけた裏社会の鑑定能力者は、目深にフードをかぶったローブ姿でしずしずと部屋に入ってきた。

「さあ、契約魔法を結ぶぞ。

 今宵朝日が昇るまで、おまえは鑑定結果を偽れない!」

「……そんな事しなくても、嘘なんかつきやせんがね。

 あっしら地下に生きる者こそ信用が命だし、あっしはお貴族様と違って身一つでどこへでも逃げられるんでね!」

 夫人は汚物でも見るように、顔を背けている。

 その代わり、プライドンの胸元にくっついた不気味な目玉がギョロリとそちらをむき、じっと見つめていた。

 もう既に、映像をあちらに送っているのかもしれない。

 セッセイン家当主は呼吸を整えると、その目玉をのぞきこんで聞いた。

「今から、貴様らの望み通り血の鑑定を行う。

 それで、本当にプライドンは解放されるのだろうな?」

 すると、口もない目玉が言葉を発した。

「いかにも、そういう契約だ。騎士と呪いをかけた者の間で、約束を違えぬと契約魔法を結んだはずだが?

 ああ、魔族のやる事は契約しても信じぬか。

 まあいい、きちんと人間による鑑定結果を見て判断するがいいさ」

 少し皮肉屋の、若い男の声。

 これがあの聖者落としのダンジョンの目の声かと思うと、セッセイン家当主は背中に嫌な汗がにじんだ。

 だが、やるしかない。今は、従うしかないのだ。

 裏社会の鑑定能力者が前に出ると、目玉はじっと見つめて満足そうに瞳を細めた。

「ほう、間違いなく鑑定能力を持っているな。

 人間にしては、なかなかの手練れと見た」

「なんのなんの、あんたと比べたらヒヨッコさ!見る目界隈で憧れのあんたと話せるなんて、光栄だねえ」

「御託はいい、それよりさっさと鑑定を」

 目玉の声に促され、鑑定能力者はプライドンの首から下がった小瓶を手に取った。

 セッセイン家当主と夫人の喉が、ごくりと鳴る。

 鑑定能力者は、しばらくじっと小瓶を見つめていた。そしてみるみるうちに興奮を隠しきれない顔になり、オタク特有の早口でまくしたてた。

「すっげぇ、マジもんの『純潔なる神器の血』じゃねえか!神の力を得た処女からしか採れなくて、教会が厳重に流通を管理してるヤツ!

 しかもこれ、神の力が抜けてさらに魔力容量が上がったヤツじゃねえか!?こんなん、破門者か引退できた奴からしか採れねえ!

 なあ、これどうやって手に入れたんだ!?

 ……まあ、ただ事じゃねえのは見りゃ分かるけどよ」

 鼻息を荒くして目を輝かせる鑑定能力者と逆に、セッセイン家当主と夫人は真っ青になって言葉を失っていた。

 もしこいつの言うことが本当なら、真実は……。

 だがそれに抗うように、夫人が呟いた。

「き、きっと……ミエハリスの血ですわ!あの子なら、純潔……」

「馬鹿を言え、あいつはまだ聖女だ!!金を払い続けているだろう!?」

 必死で別の可能性に逃げようとする夫人を、当主が一喝した。純潔かつ聖女でなくなった者など、一人しか思い浮かばない。

 それを裏打ちするように、鑑定能力者が告げた。

「ああ、こいつの元の持ち主か?ユリエルって奴だよ。

 待てよ、ユリエル……何か聞いたことが……。

 あっ!!まさか、あの反逆して魔族の反攻の原因だとかそうじゃないとかいうアイツか!ふーん、こりゃこりゃ。

 ……って、これ俺生かしてもらえるんだよな!?」

 今、鑑定能力者が言ったことが全てだ。

 当主は、天を仰いで一つため息をついた。


 ユリエルがずっと訴えていた純潔は、真実だった。

 となると、ユリエルが邪淫で破門されたというのは濡れ衣だろう。

 ……だがそれは、世間的に知ってはいけないこと。そのために行動を起こすなど、もっての外。

 だって教会は、ずっとユリエルこそ嘘をついていると言い続けて来た。

 おそらく本当にユリエルの血が原因であろう魔族の反攻で各地に大被害が出ても、そう強弁し続けている。

 つまり、教会としてその真実を認める気はさらさらないということ。

 だがセッセイン家は、これからそれを知ったうえで行動を決めねばならないのだ。


 夫人はしばし固まっていたが、はっと顔を上げて夫にすがった。

「あ、あなた……早くこれを世に広めなくては!

 こんな事のために、ミエハリスもプライドンも兵たちも戦わされていたなんて……こんな戦いやめさせなくては。

 教会がだめなら、王に直訴してでも……」

「やめい!!破門されたらどうする!?」

 何も考えていない夫人の頬を、当主が打った。

「奴らは……教会のトップは、簡単に我らを破門できるんだぞ!それこそユリエルがやられたように、濡れ衣を着せてとことん貶めてな。

 それをやられて、今の世で誰が我らを守れる!?誰が表立って味方できる!?

 ユリエルだって、そうなって人に頼れなくなったからああまでしているんだろうが。

 我らがそうなったら、誰が子らを守る?これ以上無為な戦火に命を散らさぬよう、誰がこの地の民を守れるのだ!?」

 それを聞いて、夫人ははっと目を見開いた。

 どれだけ確固たる真実があろうと、世間的な信用では教会が圧倒的に上。大多数の人々にとっては、教会の言うことが正義で真実。

 そんな状況で、知ってはいけないことを知ったと声高に叫べばどうなるか。

 ほぼ間違いなく、運が良ければ世間的に、悪ければ本当に死あるのみ。

 実際に、その兆候はこれまでにもあった。

 死肉祭ではミツメルの目玉がこの真実を放映し、それを少しでも信じて教会に疑問を投げかけた兵士や冒険者が多数粛清されたという。

 今自分たちが表立ってユリエルの味方をすれば、同じことになるのは想像に難くない。

 いや、この真実を知る可能性のあることをしようとしていると教会に知られた時点で、監視され妨害されただろう。

 セッセイン家当主がプライドンたちの帰還を隠したのも、そのためだ。

 それが分かると、夫人ははらはらと涙をこぼしてへたり込んだ。

「そんな……こんなことが、この世にあるの?

 だってずっと、教会は正義で慈愛に満ちて、その通りだったのに……」

 放心状態の夫人をよそに、当主は目玉に語り掛けた。

「おまえたちの知らせたいことは、よく分かった。

 ……そして、知らせてくれて感謝する。これから私は、この情報の元で民と国を守るよう動くとしよう。

 ただし、民を教会から守るため、君たちの味方として戦うことはできない。

 我らにも守るものがあるのだ、どうかそれで許してほしい!」

 それが、貴族の責務と真実の狭間で出した、セッセイン家当主の答えだ。

 真実と正義に全てを懸けて戦うことは、美しい。しかし、そのために守るべき多くの人を潰してはならない。

 目玉に頭を垂れる当主の耳に、可愛い息子の声が届いた。

「良かった……僕が魔族と取引したのは、間違いではなかったんですね……」

「プライドン!しゃべれるのか!?」

 当主と夫人は跳ね起きてプライドンを覗き込み、額にそっと手を当てた。プライドンの額はびっしょりと汗に濡れ、手に伝わってくる温度はほのかに温かい程度になっている。

 プライドンは、嬉し涙のにじむ目で両親をしっかりと見つめていた。

「ずっと、迷っていました……魔族なんかの言いなりになって、いいのかと。

 でも、ユリエル殿は訳の分からない力で僕を狂わせたカッツ先生から救ってくれて、姉上も囚われてはいましたが元気そうで……。

 本当に、そんなに悪い人なのかなって、少し思って。

 それに、その分の恩には報いなきゃって……」

「ああ、ああ、それで良い!騎士の判断は正しかった!

 現にユリエルはおまえに報い、呪いを解いてくれたではないか。よくぞ初陣で、正しい道を歩めたものだ!」

 当主と夫人は、感無量でプライドンを抱きしめた。

 これからの道は険しいだろうが、正しい道を選んだおかげでプライドンは助かった。その幸せは、これからの道を照らす光となる。

 だがプライドンは、少し恥ずかしそうにささやいた。

「あ、あの……でも僕も、ユリエル殿のせっかくの救いを拒みそうになって……。

 姉上は、ユリエル殿の潔白をどうしても認めなくて、その……失礼というか……傷口を抉るようなことをすごく言ってましたので……。

 これからも良い関係を望むのでしたら、ちょっと謝った方がよろしいかと」

 それを聞くと、当主はものすごく苦い顔をした。

 ミエハリスがどういう性格かは、父である当主もよく分かっている。すぐ隣でさっきまでの拒絶を忘れている夫人に、とてもよく似ていることも。

 当主は、目玉に向かって神妙に頭を下げた。

「ユリエル殿、その……娘が、すまなかった。

 悪気がなかったとしても、娘のしたことは許されることではない。だが、知らぬとは本当に恐ろしいことなのだ。

 どうかこの私の謝罪をもって、贖罪の機会を与えてもらえまいか?」

 すると、目玉が強い光を放ち、映像を映し出した。


「お父様……わたくし……!」

「おお、ミエハリス!」

 映像の中には、囚われの娘の姿があった。

 その隣には、長くうねる黒髪の、胸に黒く染まった聖印章をつけた戦聖女服の少女。これが、ユリエルなのだろう。

 ミエハリスはユリエルや周りの魔物たちに険しい目でにらまれ、途方に暮れたように座り込んでいた。

 プライドンの胸元についている目玉と同じ一つ目を持つ金髪の男、おそらくミツメルが、冷たい声で告げる。

「この娘は、ユリエルの真実を知ろうともせず、一方的に断罪を繰り返したぞ。

 おまえがどんなひどい娘を育てたか、一度見てみるといい!」

 そう言って映し出される、ミエハリスの頑なな言動の数々。

 ユリエルがどんなに事実を訴えても、逆にユリエルの罪を問い、悪には屈しないの一点張り。

 神に遣わされたカッツ先生の悪行が分かってなお、教会が悪事を働くはずがないと個人の問題で済ませようとして。

 ユリエルがどうしようもなくて戦っているのを、それはもう毅然と許されざる殺人と責め立て。

 教会と神に疑問を持ちユリエルに降った仲間を、話を聞こうともせず一方的に哀れんで。

 ユリエルが無実と分かった今見ると、吐き気を催す所業だ。

 映像があちらの様子に戻ると、ミエハリスはひどく怯えて涙を流していた。

「ほ、本当に……教会が間違っていたんですのね。

 でも、卑怯よ!わたくし、こんな事があるなんて知らなかったのに!正しい信心をもって教えに従っていれば、何も悪いことはないんじゃなかったの!?

 わたくしはただ、貴族として世を守り模範を示すために、一生懸命誇りをもって!

 なのに、どうしてこうなるのよぉ!!」

 訳も分からず嘆くミエハリスに、当主は静かに謝った。

「すまない……世の上層の闇をあまり教えなかった、私の失敗だ。

 悪意は、人の上に立つ者にこそ巣食うことも多い。だがそれが対象とするのは弱者が多く、我らのような上位貴族は余程のことがなければ被害に遭わん。

 それに、教会の教え自体は確かに守れば世に平和をもたらすものだ。教会自体も、人同士の争いを防ぐのに大きな役割を果たしている。

 だから私は……ミエハリスが被害に遭わないのならば、教えに従って人の団結を促す人物になってほしいと思ったのだ」

 ミエハリスは生まれながらに、ユリエルよりずっと被害に遭いにくい立場にいた。

 それに貴族として人々を統治するのに、教会との連携は必須だ。

 だからセッセイン家当主は、ミエハリスには教会の汚いところはあまり教えないままにし、純粋に教会を信じ手を取り合える娘に育てた。

 本人が堕とされないなら、その方が大きな目で見て領と民のためになると思ったから。

「……だが、それが誤りだった。

 教会や手本になるべき者の悪意は、この世にある。あるものをあると知らねば、巻き込まれたり守るべき民に魔の手が迫った時に、対処できぬのに。

 今回のことで、それがよく分かった」

 セッセイン家当主は、娘とユリエルに深く頭を下げた。

 だが、夫人はそれでもかぶりを振った。

「ふざけないで、知らなかったんだから仕方ないじゃない!

 それに、こっちは普通に生きてきたのに……世の中に役に立ってきたのに、こんな怖い目に遭ったのよ!!

 わたくしたちの気持ちも思って、謝りなさいよ!!」

 それを聞くと、ミツメルがユリエルに尋ねた。

「……と言っているが、どうだ、おまえがどんな目に遭ったか記憶から見せてやるか?」

「ええ、お願いします」

 ミツメルの大きな一つ目から触手が伸び、ユリエルの耳に挿しこまれた。


 そして映し出される、ユリエルが陥れられた時の記憶。

「ほーら、僕の言う事聞かないから。……これはねえ、天罰なんだよ!君はねえ、神に見限られたの!

 ねえ、今ど~んな気持ちいぃ!?」

「僕が言えば、理由なんていくらでも作れるよ。もちろん、君に選ぶ権利などないがね」

「君がその顔で犯されるとこ、見たい人はたくさんいると思うんだ~。破門されたら、生きていけないでしょ?僕は優しいから……」

 悪意しかない顔のインボウズに浴びせられる、有り得ない暴言の数々。

 そして実際に破門されたユリエルを襲った、人々の残酷な手の平返し。

 冒険者ギルドのマスターは、ユリエルを買うのを楽しみと言い。何度も癒してやった底辺冒険者は、ユリエルを何をしてもいい女とみて性欲丸出しで襲い掛かり。純真な若い冒険者は、ユリエルを賞金の元としか考えず。

 いつもの店で商品を売ってもらうこともできず、村で害虫をたくさん退治しても返って来るのは嫌がらせばかり。

 そしてどれだけ真実を叫んでも信じてもらえず、こちらから攻めないようにしていても、人々は後から後からユリエルを殺そうと攻め込んでくる。


「ねえ、私さあ……そんなに悪いことした!?

 一生懸命勉強して、戦場で人を助けて、ずっと真面目に生きて来たのに!どうしてこんな目に遭うの!?

 こんなに奪われたのに……何で、攻め込んできた奴に謝らなきゃいけないの!?

 おかしいよ!!ひいいぃえええ!!」

 ユリエルは、肩を震わせて号泣していた。

 ミツメルのこの術は、対象の記憶を引きずり出す時に、当時の感情や感覚もフラッシュバックさせる。

 ユリエルは今、これまでの怒りと悲しみと悔しさを一気に味わっているのだ。

 それを知らなくても、これを見てユリエルを責める者はいなかった。

「何てことだ……こんなに腐っているとは!!」

 セッセイン家当主は、怒りをにじませて呟いた。

 自分たちも民も、教会を信じる者は皆、教会は正義の味方でこんなことはしないと思って従っているのに。

 これは、世界への裏切りだ。

 またユリエルの味わった苦難を見て、夫人とミエハリスは己を恥じた。

 自分たちは自分たちに降りかかった理不尽にばかり憤っていたが、ユリエルに降りかかったのはその比ではない。

 自分たちよりずっとひどい状況で、同じ気持ちを何倍も深く抱いていた人に向かって、何ということを言ってしまったのか。

 断罪し謝れと言った自分たちが、人でなしの悪鬼に思えた。


 必死に謝罪するミエハリスの襟首を掴んで、ユリエルは告げた。

「悪いけど、戦いが終わるまでミエハリスは返さないわ。

 実は先日、別のところから来た聖騎士が私の処女を証明してくれたのだけど……それを見たミエハリスは、どうにかしてって神に祈るばかりだった。

 その神が人の正義を大事にしてたら、こんな事にならないのにね。

 なので、もうちょっと盲信がどうにかなるまで出せません!」

 それを聞いて、夫人は絶望の表情で手を伸ばしかけた。

 だが、当主はそれを制してうなずいた。

「ああ、そうしてくれ。我が家としても、ありがたい。

 正直、この戦いはどちらが勝つか分からん。ならば、どちらの陣営にも血筋を残しておくべきだ。

 それにミエハリス、おまえ戦場でも人脈作りにばかり勤しんで負傷兵を癒さなかったらしいな。

 そこまで下々の実情と思うところが分からんでは、辺境伯の娘として話にならん!そこでしばらく教育されて来い!

 そのためにも、妻とは会えぬくらいでちょうどいい」

 ミエハリスは一瞬打ちのめされた顔をしたが、すぐに神妙に頭を下げた。

「分かりました。誠心誠意、学ばせていただきます」

 人間側が確固たる証拠を出して、しかも自分の信頼する父がそれを認めたら、ミエハリスも認めずにはいられない。

 頑なだったミエハリスは、ようやく真実の下に降った。

 そうして重荷が下りたところで、ユリエルはセッセイン家当主に持ち掛けた。

「ところで、プライドン殿も世に出せないならば……一つ隠すあてがありまして……」

「……ほう、悪くないな」

 夜が明けても、表面上世界は変わっていないかもしれない。だがユリエルの真実と反逆の種は、確実に世にまかれていった。

 ミエハリスは、実家の教育方針(主に夫人)が原因で、上に立つ者の悪を知らず純粋に貴族の役割にまい進する子に育てられました。

 当主は辺境伯としてちょっとそれでいいか疑問でしたが、夫人が気高くうまくやるので娘はそれでいいか、となってしまいました。

 上位貴族が陥れられることは稀なので、下手に首を突っ込まなければ高い確率でうまくいくんですけどね。

 そして当主は、ミエハリスが焦って軍事に顔を突っ込むことを想定していませんでした。戦の家のたしなみとして魔法の才能を育てていたのでミエハリスも戦力になれてしまい、しかし実際戦場に出したら家の名に泥を塗る大惨事という。

 もちろん、こっちにも騎士団長グンジマンから苦情が来ています。


 次回は、また場面が変わります。

 ユリエルが言った、プライドンの預け先となる勢力とは……。

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