40.拒み、断つ道
ダンジョンものでは、ダンジョンは侵入者から収入を得るのがテンプレです。
なので、浅い部分は侵入者に優しい造りになっているのが常識なのです。
しかしユリエルはその逆をいきます。
その原因は……これまでダンジョンものを熟読している人なら速攻で分かるはず。そしてもう一つ、歓迎しなくてもいい事情もある。
攻める側が作ってしまった、鬼畜にされる理由とは。
コアルームで、オリヒメは固唾を飲んで調査隊を見つめていた。
「うわ……あいつらもう二回目上りの途中まで来てるよ。
人間には進みにくい道にしたはずなのになぁ……」
やきもきするオリヒメの後ろから、ユリエルが顔を出した。
「ふぁーあ、まあ当然だね。前来た奴らとは、ダンジョンへの慣れ具合が違うし。
あいつらは元々、険しい地形を踏破したりこっそり敵陣に忍び込んだりが得意な奴らだから……マリオンとロリクーンは特に」
「ユリエル、よく侵入されてて寝れるね」
オリヒメが呆れたようにぼやくと、ユリエルはあっけらかんと言った。
「5階層まで来られてなきゃ、まだまだ大丈夫だって。
それに、敵が寝てる時くらいこっちも休まないと、集中力が続かないわ。こっちが前の強行軍で疲れてた騎士みたいになって、どうすんのよ!」
「ううっ……それは良くないけど」
頭では分かっていても、オリヒメはやはり不安なようだ。教会に守られていて攻められた経験がないため、耐性がないのだ。
一方ユリエルはダンジョン戦や野戦をそれなりに経験しているため、休息と睡眠の必要性を理解している。
ダンジョンマスターになると食事や睡眠はなくても死ななくなるが、しっかりした精神状態を保てるかは別の話だ。
だからユリエルは、自分が手を出す必要がない時は遠慮なく寝る。
「いいじゃない、私たちは安全に寝れるんだから。
あいつらなんて、必ず誰かが警戒してないと眠ることもままならないのよ。
そういうのを見ながらこっちは安眠できると、心にも余裕ができるわ。ついでに、もっと敵を消耗させる嫌がらせをどんどん思いつくわぁ!」
「その性格の悪さが心強いよ」
オリヒメには実感がないようだが、ユリエルには分かる。安全でない長い道というのは、それだけでおっくうなものだ。
進むだけで体力気力食糧とあらゆるものを消費し、帰り道のことを考えるとどんどん不安が増してくる。
ユリエルは、浅い階層をそうすることで侵攻を難しくする作戦を立てた。
シャーマンも、感心してうなずく。
「やるもんだね。こう終わりが見えないと、攻める方は萎えちまう。
あたしたちだって、ここが3階層しかないって分かってたから、毒に侵された体を押して攻め込んだんだ。
それが実はずっと広くて長かったら……やれやれ、かわいそうに」
このダンジョンは今、一度4階層に下りてもう一度1階層まで上がり、そこから下って初めて5階層より先に行ける造りになっている。
ユリエルが討伐部隊を追い出した後改造したのは、そこだ。
これなら深さで成長を気づかれることなく、広くできる。
それに、DP消費も抑えられる。ダンジョンは深く掘るほどDPがかかるが、浅い場所なら一気に広くしてもそれほどかからない。
もっとも、広くなったダンジョンに魔物をたくさん待機させると、維持費が増えすぎてやっていけなくなるが……ユリエルはそれも対策済だ。
ダンジョンで一から生み出した魔物はダンジョンの力で維持しなければならないが、外から持ち込んだ生物を魔物化させた場合は大幅に維持費が少なくなる。
彼らには、ベースとなる肉体が元々あったのだから。
彼らが繁殖して増えた分も、同様だ。
さらに外から来た魔物を服従させた場合、維持費はほぼ0になる。ワークロコダイルの戦士たちや妖精たちが、このパターンだ。
こうして、ユリエルはダンジョンの維持費を他と比べ物にならないほど圧縮していた。
だから、DPの定期収入が少ない浅い階層ばかり増やすやり方でやっていける。
普通、魔物を増やして防備を充実させようとするほど維持費がかかり、収入を増やそうと一時的な出費と警戒されるリスクを取ってもダンジョンを深くするものだが……。
ユリエルに限っては、そんな必要は全くない。
「えへへ、ワークロコダイルの皆さんのおかげもあるよー!
戦士の皆さん以外は配下にしてないから、侵入者扱いで毎日DPが入って来るし。これけっこう馬鹿にならないよ。
おかげでうちは、積極的に侵入者を呼び込まなくてもやってけるし」
ユリエルは、シャーマンに感謝を述べた。
人間の生活でもそうだが、ダンジョン経営においても不労所得があると大きい。わざわざ侵入者を呼び込まなくても、それなりの防衛力を維持できる。
なのでユリエルは、浅い階層から旨味のない時間稼ぎを全開でやっていた。
「そもそもうちは、どんなに旨味がなくても進みづらくても、私を狙って教会とギルドがどうあっても攻めてくるし。
だったらもう呼び込む努力なんか一切なしで、私たちの安全と敵の滞在時間を伸ばす方に全力を注ぐべきよ。
進みづらくすれば、一石二鳥ね」
ユリエルは、上り路で四苦八苦している調査隊を眺めて言う。
「私、かなり前にあの変態ロリコンから他のダンジョンの話を聞いたのよ。
だから、ダンジョンに来る侵入者の期待を裏切る方法はよく知ってるわ。
あと、ダンジョンの不自由な環境で何が嫌かも。侵入者がそれで足を鈍らせて浅い階層で長居してくれたら、御の字。
で、長居するほどひどい目に遭う罠を組み合わせたらさらに安全」
「ああ、さっきの毛虫の毛入り嵐か……」
「イビルフェイスをあんな風に使うとは思わなかったよ」
さっきユリエルが見せた時間差式の罠には、オリヒメもシャーマンも若干引きつつ感心した。
マリオンの読み通り、ユリエルはイビルフェイスに時間差で痒くなる毛虫の毒針毛を混ぜて散布させたのだ。
毒針毛は毒の入った細かい針で、刺さると毒が注入される。
なので肌についた時は優しく流水で洗い流すか、テープで取ると良い、
だが、大量の毒針毛を水と一緒にぶっかけたらどうなるか。水をふき取ってごしごしと擦る事で、敵はかえって効率的に毒針毛を肌に擦りこむことになる。
顔までびしょ濡れにしてやれば、目や鼻まで攻撃できる。
結果は、さっき調査隊が食らった通りだ。
「……あの状態のままで進んでくれたら、面白かったのにな。
うまくいかないわねー」
ユリエルとしてはあの毒と難所を組み合わせて敵の自滅を狙いたかったが、調査隊には回避されてしまった。
「いやいや、毒を食らったって気づかせない時点で十分すごいよ!
あたしたちクモだって、噛んだらその時点で気づかれるし」
「気づかなきゃ、敵も対処しようがないしねえ。
鑑定持ちがいるんだから、その気になりゃすぐ毒を食らったって分かるだろうに……鑑定させないのがキモだね」
ユリエルの思惑は外れたが、鑑定持ちの調査団にも一応通ったのだ。
これから来るもっと用心が足りない奴らには、十分効くと思っていいだろう。この結果が分かっただけでも、一つ収穫だ。
この調査隊との戦いは、お互いの技を試し情報を得る組み手のようなものだ。
ユリエルはそう胆に銘じて、新エリアを進む調査隊に目をやった。
「くぅ~……キツいぜ!」
岩壁に囲まれた坑道で、ハゲ男が両手を振ってぼやいていた。たくましい筋肉の浮く体には、玉の汗が光っている。
「ああ、お疲れ様。
ここはあんたみたいなのには厳しいだろ。ったく、とんでもねーアスレチックだな!」
再び入った2~3階層は、入り口付近よりさらに進みづらい仕掛けに満ちていた。
きつい傾斜の道をロープを伝って進む場所、岩場上りに網上り、逆に足下が崩れやすく上りにくい道もある。
マリオンやロリクーンはともかく、体の重いハゲ男とこの中では体力が乏しい鑑定官はかなり疲労がたまっている。
「険しいのは覚悟してたぞ!
しかし……こんな浅い階層でこれはひでえ。
普通、浅い階層ってのはもっと進みやすいモンなんだがな。ここまで進ませる気がないとは思わなかったぜ」
ハゲ男が、憤慨して愚痴る。
「ああ、しかも休憩に適したところがほとんどない。
普通もうちょっと、途中に気を抜ける場所があるんだが……これでは交代でないと眠ることもままならんな」
鑑定官も、同意して煩わしそうに上を見上げた。
高めの天井には、数匹のアサルトビーがとまって複眼でじっとこちらを見ている。他にも大グモや足切り虫が、壁や斜面を這いまわっている。
難路を進む敵に、隙あらば奇襲をかけるために。
実際マリオンたちが進む間にも、虫たちはまばらに奇襲を仕掛けてきた。こちらの近接攻撃の射程外から、手が塞がっている者を狙って。
もちろんそんな敵は、マリオンの手裏剣やロリクーンの投げナイフ、鑑定官の魔法で全て倒してきた。
だがそのたびに有限の武器が減り、魔力を消耗する。
おそらくは使い捨ての小虫ごとき相手に。
広範囲の魔法を使える者がいれば見えている奴は一掃できるかもしれないが、すぐ代わりが出てくるだろう。
しかもこんな所で倒して死体が下に落ちてしまったら、素材の回収もできない。
どこまでも冷徹に、消耗を強いる道だ。
「下も進めないことたァなさそうだが……ゴキブリ火刑の予感しかしねえな。
前の討伐で犠牲になった奴らにゃ、同情しかねえぜ」
ロリクーンが、下の谷間をのぞいてぼやいた。
一応落ちた所から上に戻るはしごや階段は見えるが、実質的には落ちた時点でほぼアウトだろう。
下の谷間には尖った岩が多く上以上に進みにくいうえ、その間に黒光りする触角の長い虫がチョロチョロしている。
前の報告書で同じような場所に落ちた中間指揮官がどうなったかを読めば、おのずと運命は分かる。
「こんな所で痒くてくしゃみが止まらなくなったら……。
鑑定官殿にゃ、感謝しかねえ」
「ユリエルのことだから、絶対それ狙ってただろうな」
この幾重にも張り巡らされた罠には、調査隊もため息しか出ない。
しかも痒くなる植物や毛虫の毛を使った罠は、どこにあるか分からないのだ。いつまた毒にひっそり侵されているかもしれない。
実際、3時間ほど経って念のため鑑定してみたら、ハゲ男と鑑定官はまた何らかの毒に侵されていた。
解毒はしたが、これではどれだけ解毒剤が要るか分からない。
発症する前に解毒した方が間違いなく安全だが、いちいちそれをやっていると解毒剤と魔力がもたないジレンマ。
この状況に、苛立って仲間割れを起こす者も出るだろう。
不快症状に悩まされていれば、なおさら。
「やれやれ、ダンジョンは侵入者あってのものだたァ言われてるが……ここは侵入者を迎える気があんのかねェ?」
うんざりしてぼやくロリクーンに、マリオンは頭を押さえて言った。
「ないと思うぞ……つーか、迎えなくても来るって思ってんだろ。
実際、枢機卿は現場がどんなに嫌がってもケツを叩くのをやめないだろうし。放っといても来るモンを迎えるもクソもあるか」
「なるほどな、足下見られてんのか。
けど、それなら逆に日干しにしてやれば……」
あくまで常識的なダンジョン知識で語るロリクーンに、鑑定官が待ったをかけた。
「いや、他のとこならそれでいいんだが……ちょっとここは事情があってだな。
体を休めつつ、情報を共有しておこう」
鑑定官の苦虫を嚙みつぶしたような表情に、他のメンバーはすぐによくない話だと悟った。
それでも知らぬことには対策は立てられぬと、拒もうとする耳をなだめて腰を下ろした。
数分後、さっそくロリクーンがすっとんきょうな声を上げた。
「配下じゃねえ奴を飼ってる!?
不労所得じゃねえか!!」
鑑定官が告げた事実は、常識的なダンジョンへの対処法を吹っ飛ばすものだった。
まず大前提として、ダンジョンは侵入者や中で死亡した者から力を吸い取って成り立っている。
だからダンジョンが成長するには、適度な侵入者が欠かせない。むしろ人が来ないと、成長は見込めないほどだ。
そのためダンジョンは侵入者を招こうと、浅い階層を進みやすくし、宝物を置いたりいい素材が採れる魔物を配置したりする。
死肉祭で戦う聖者落としのダンジョンだってそうだ。
だが、ここはその逆をやっている。
その原因として考えられるのは……。
「前の討伐で4階層まで来た時に、谷川に落ちた奴らにレベルの低いワークロコダイルが襲い掛かってた。
で、そいつらを鑑定したらな……野生のままだったんだ」
鑑定官は、ふーっと大きなため息をついた。
そこで、さっきのロリクーンの叫びである。
ハゲ男も、顎が外れそうな顔で呟いた。
「なるほど……つまりここは、あえてワークロコダイルの一部を野生のままにして力を吸えるようにしてんのか。
だから人が侵入しなくても、その分の収入はいつもあると。
……籠城する訳だ」
つまり、ユリエルは人が来なくてもそれなりにダンジョンを維持する収入源を持っている。結論を言えば侵入者を断たれても、中でワークロコダイルを繁殖させればゆっくりとだがダンジョンを成長させられる。
「この段階でもう牧場持ちとか、勘弁してくれよ」
ロリクーンは、もちろんそういうダンジョンがあることを知っている。
深いダンジョンの中には、侵入者を捕えて人間牧場を作っているところがあるのだ。
ただしそれをやるには、人間牧場を守り切れる深さと、万が一牧場で反乱が起きても耐えられる防備が必要になる。
ゆえに、まだ浅い虫けらのダンジョンには無縁の話だと思っていたのだが……。
「どーすんだ!こんなんただの地獄じゃねえか!
日干しにできねえから、人を送り込んで落とすしかねえ。けどあっちはそれ分かってて、全力で長居させて搾り取りに来てる。
討伐するにも消耗して逆に討ち取られたら、逆にヤツを肥やすだけだ!
けど、枢機卿は勝つまで攻める気でいる……チクショー!!」
ロリクーンは、思わず地面に拳を叩きつけた。
マリオンは、半目になってぼやいた。
「ああ、あいつがダンジョン乗っ取ったって聞いた時から、侵入者は絶えねえだろうけど日干し対策はどうすんのか考えてたよ。
けど……何があったか知らねえが、うまくやったな。
こりゃ、もうちょっとやそっとじゃ落とせねえぞ!」
要するに、死肉祭前に騎士の突入を阻止する要素は十分だが、その後の戦いは長引く可能性が高い。
そして長引けば長引くほど、ただ従っているだけの人が犠牲になる。
「そうだな、止めるには、それこそ英雄クラスの人材を投入して一気に落としてもらうしかないだろう。
ただ、死肉祭以外に大した戦のないここに、そんな奴は常駐してない。
面子にこだわる枢機卿が、いつその判断を下せるか……」
「クソみてえな戦だなオイ!
誰がこんなん始めやがった!?ユリエルだよ!!」
ロリクーンが再び、地面に拳を叩きつけた。
この時点で、調査隊の皆が分かっている。この戦いは、関われば無意味に命をすりつぶされるだけの処刑場だ。
しかも人を死地に追い込むのは、何がどうあっても純潔を主張する破門者と、誰がどうなろうが己の利益と面子を守りたい枢機卿。
どちらかが途中で退くことは、有り得ない。
終わらせる主導権は今のところ枢機卿が握っているものの、それをいつ投入してくれるかは本当に世間知らずの気まぐれな訳で……。
それまでにどれだけの人が犠牲になるか、想像もつかない。
調査隊の面々だって、いつそこに放り込まれることか。
何より、これだけの情報を得てそうなると分かっていても巻き込まれる人々を助けられないのが、悔しかった。
マリオンは、悲しげに呟いた。
「枢機卿がどんな手を使っても攻めてくるって分かってるから、ユリエルは評判も何も気にせずダンジョンをいくら鬼畜にしてもいい。
むしろユリエルは、枢機卿が音を上げるまで味方をはぐつもりだろう。
ただ、それだと本当に世界の何割かを殺さなきゃいけねえ。
それでもそれしか方法がねえなら……あいつはやるだろうよ」
前の報告書が、その意見の正しさを裏付けている。ユリエルは既に、そのために三桁に上る人間を殺した。
ここまでやった以上、もう方針を変えることはないだろう。
ユリエルを恨み憤るロリクーンとハゲ男を前に、マリオンと鑑定官は別の怒りがふつふつとこみ上げてきた。
(冗談じゃねえぞ!
こうなったのは枢機卿が真実を足蹴にして、ユリエルが命懸けで訴えるのを拒んで、人が真実を知る道を断ったからじゃねえか。
そこさえ道が開ければ、これ以上誰も……いや元凶以外は死ななくて済むものを!)
だがマリオンたちにも、そちらの道を開く力はない。
陰でビラをまいたりしても信じてもらえないだろうし、もしやったのが自分たちだと知られれば命がない。
そしてマリオンがそうなれば、ユリエルは深く傷ついてさらに容赦をなくすだろう。
「……ったく、八方塞ってのはこのことか」
「仕方ない、我々はできることをやるだけだ。
せめてできる限り枢機卿が攻めたくなくなる報告書を上げて、少しでも衝突を回避して人を守るしかない」
「そんなモンが枢機卿に通じればいいがな。
それに結局、ユリエルを倒さねば終わらんよ」
忌々し気に言うハゲ男に、マリオンと鑑定官は心の中で突っ込んだ。それではまた同じように繰り返すだけで終わらんよ、と。
だが結局のところ、マリオンと他の鑑定官も他人に示せる証と自分を守れる力がない以上、真実を伝えることはできないのだ。
調査隊は憂鬱なまま、体だけ休めてまた進み始めた。
そこからの道も、面倒と困難と底意地の悪さを叩きつけられるようだった。
ユリエルは虫を使って掘り抜いたアスレチック道で、確実に侵入者の体力気力を削りにかかってくる。
下りに入ると、重力を利用した罠も混ぜてくるようになった。
一本道で転がる鉄球に追われ、道が途中から上りになっているのでそこまで行けばと思ったら、目の錯覚で下りが緩くなっただけだったり。
しかも角度が変わった先が異様に滑りやすくなっている。素人ならそこですっころんで、鉄球に轢かれて終了だろう。
さらに、三度目の3階層に入ると、プ~ンと嫌な羽音が聞こえ始めた。
「うげっ蚊がいるのかよ!?」
「ああ、湿地から採ってきたんだろうよ。
下手したら、刺されたら熱病になるかもな」
マリオンは、荷物の中から匂い袋のようなものを取り出して配った。
「ほらよ、虫よけだ。
ユリエルが作り方教えてくれたヤツだ。前の湿地調査でも使ったし、そこらで売ってるのよりよく効くぞ」
「お、おう……これだけ虫に詳しい奴が作ったならそうだろうな」
製作者が敵本人であることに驚きつつ、それを身に着けると、たちまち嫌らしい羽音が遠ざかっていった。
「憎いねぇ~……こんなのがあれば、他の虫系ダンジョン攻略がだいぶ楽になるものを。
惜っしい奴が敵に回ったもんだァ」
感心したように言うロリクーンに、マリオンは苦笑した。
「惜しいっておまえ、やっぱまだあいつのこと気に入ってんじゃねえの?」
「昔のちょっとした弟子、みてえなもんだよ。
それにあいつ、態度はおまえより素直で幼くて好みだぜ。体さえ、あんな胸と太股にならなけりゃ、なァ……。
今女として見れんのは、おまえだけだ」
「そりゃどうも」
引きつった笑みで肩をすくめるマリオンに、ロリクーンは熱い眼差しとともに告げた。
「だから、よ……おまえのことは、このクソみてえな戦いから守ってやりてえんだよ。おまえみたいなんが、こんな所で無駄死にするこたァねえ」
柄にもないセリフに、鑑定官とハゲ男は目をしばたいた。
「おまっ……そんな事言えるのかよ!」
「へえ、珍しいこともあるもんだ。
身を固めて大人しくなってくれりゃ、ありがたいが……マリオンの気持ち次第だからな」
これまでにない戦いに直面して、ロリクーンの心境にも変化があったのだろうか。鑑定官とハゲ男は、つい少し期待してしまった。
マリオンは複雑そうな顔をしているが、目の奥の闘志は一分もブレない。
人を拒み命をむしり取ることでしか抵抗できないユリエルに、少しでも寄り添おうとしているのか。
この健気で小さなくノ一が、悲しい死から救われるなら……ロリクーンがどれだけ変態か知っていても、ついそう思ってしまった。
そうして進むうちに、一行はついに再び4階層に入った。
「おおう、こりゃまた……進みにくそうなとこだな!」
さっきの峡谷とは違い、ここは洞窟の中に川が流れている。その岩壁との間の狭い道と川から顔を出した岩を、伝っていくのだ。
「逃げ場がねえし、時間稼ぎは終わりってことかねェ」
「かもな。……ここまで来るのに我々でも三日かかった。十分稼げてるさ」
鑑定官は、疲労のにじむ顔でぼやいた。
調査隊は踏破力に優れているが、それはしっかり体調管理をしているから。難路で落ちないように(主に鑑定官が)しっかり休息を入れると、このくらい時間がかかる。
むしろそれを省いたら、ここまで来られなかっただろう。
「ここも、休める階層って感じじゃねえな。
それにこの川……急いで進むぞ!」
何かを感じ取ったロリクーンとマリオンに従い、調査隊はしっかり命綱をつけて先を急いだ。
しかし、岩陰から数体のイビルフェイスが出現してゆく手を阻む。
足場の悪い濡れた岩に、叩きつけるような風雨が襲い掛かった。鑑定官とハゲ男は、滑らないように岩にしがみつくので精一杯だ。
だが、その風雨の音がいきなり大きくなってきた。
その音はみるみるうちに地鳴りに変わり、洞窟全体が揺れ始めた。
「こいつは、ただの嵐じゃねえ……鉄砲水だ!!」
マリオンの叫びの直後、洞窟を洗い流すような圧倒的な量の水が調査隊を飲み込んだ。
生きたまま洗濯機に放り込まれ、全方位から押されたり引かれたり振り回されるような水の暴力。
それでも調査隊は必死に命綱にしがみついていたが……それが、途中で切れた。
「ゴボッガバハッ!?」
あっという間に、ハゲ男と鑑定官が流されていく。
鉄砲水が去ると、マリオンとロリクーンだけがそこに残されていた。
毛虫(特にチャドクガ)の毒針毛は、プールの近くに湧いただけでもたくさんの児童に皮膚炎を起こして皮膚科に殺到させたりします。
保健所の職員として、そういうことがないように指導する立場なので……水→拭く動作+毒針毛の凶悪さは知っているのさ。
次回、ついにロリコンがマリオンに……!




