129.ままならぬ心
どんどん遅れてしまう(汗)
酸欠地獄を超えて、なおも進み続ける討伐軍。
ユリエルの仕掛けた時間稼ぎと回り道が奏功し、タカネノラとの勝負の最初の分水嶺が迫る!
しかし討伐軍も負けていない。
強引に異物混入した食糧を正しく使った後は、これまで後ろに控えていた貴族たちが力を発揮して再び快進撃タイム!
だがお互い、思うに任せぬ方向に事態が進むことも。
自分が描いた方向に進むかは、自分の思い通りにならない他人の心次第なのだから。
討伐軍に初めて大きな被害を出したユリエルの作戦を、ダンジョンの仲間たちは固唾を飲んで見ていた。
「すっげぇ……あんな人間離れした軍でも、あんなに倒せるのか!」
目を丸くしているケチンボーノを横目に、ミツメルも珍しく感嘆の息を漏らした。
「……素晴らしい!生者必須の弱点を突いた見事な策だ!
生きとし生けるもの、生きた空気なしではいられないからな。そしてそれは、火が燃えることにも消費される。
おまけに生きた空気が使い尽くされて死んだ空気に変わっていても、見た目では分からん。
それでも力押しをやめぬ聖歌手の愚かしさよ!」
ミツメルは、ユリエルが何をしたのか分かっていた。
ユリエルは空気が滞りやすい谷に多くの人を閉じ込め、そこで火を使うことで谷底を酸欠に陥れたのだ。
しかも、討伐軍が油を投下するのに合わせて炎天の陽石で火の勢いを爆上げし、酸素を使い尽くさせる徹底ぶりである。
どんなに強化されていても、酸素がなければ人は生きられない。
多少虫の犠牲も出たが、ユリエルはこれまでで最大の犠牲を討伐軍に強いた。
憎き聖歌手が地団駄を踏むのが、目に見えるようだ。
「ふふーん、生きるのにどうしても必要なものってあるからね。
水、食べ物、温度、空気……特に空気はいつも当たり前にあるから、意識してる人なんてほとんどいないし。
でもそれらを奪われたら、人は簡単に死ぬ!
戦って倒すばかりが戦じゃないのよ!」
得意げなユリエルに、ミツメルはいたずらっぽく突っ込んだ。
「でも、君の事だ。こんなのが本命じゃないんだろう?」
「もっちろん!」
ユリエルは、弾けるような笑顔でうなずいた。
「こんなの、何度も通じやしないわよ。でも、一度味わわせれば敵はそっちを警戒するようになる。
そうすれば、他への警戒が削がれるわよね。
それに、これでまた時間が稼げた。これで奴らが日が落ちるまでに4階層にたどり着かなかったら……見てろよ!」
この作戦は、敵の犠牲を出すことそのものが目的ではない。
足を止めさせ、目をそらし、精神に恐怖を刻み込むのが目的だ。
ユリエルは、虫入りランチショーで歌っているタカネノラを眺めて陰湿に呟く。
「あいつの歌、効果が一日ともたないなら……このまま4階層まで行けなかったら、そろそろダンジョン内で効果が切れる奴が出てくるよね」
ユリエルの言葉に、仲間たちもゾクゾクと興奮を覚えた。
これまで、ダンジョン内にいる敵は皆がタカネノラの強化を受けている。誰もが一日一回は、歌を聞くことができたから。
しかし戦列が伸びるにつれ、それはできなくなる。
討伐軍が今日中にまた4階層まで進み、滝の上から歌声を響かせることができれば、まだつながるだろうが……。
それができなければ、何が起こるか。
オリヒメが、熱い吐息とともに身をくねらせてうっとりと言う。
「強化に溺れて己を無敵と思い込んで……奴ら、攻撃を受け放題ですえ。
毒毛虫の毛入り嵐も、アサルトビーの毒も……解毒しなければ、効果はあの歌よりずっと長続きしますえ。
素面に戻ったら、どんな風に悶えるでありんすかねえ!?」
「それで補給もガタガタだな!」
レジスダンも、心底面白そうに笑う。
しかしユリエルは、その点では不満があった。
「そうだね……補給は全ての源だもの。
あーあ、虫を突っ込ませた食べ物を捨ててくれたらもっと削れたのにな。まさかアレを食べちゃうなんて」
ユリエルが残念そうに言うのは、ゴキブリとコバエを大量に突っ込ませて異物混入してやった食糧のことだ。
ユリエルとしてはパニックで捨てて食糧を浪費してほしかったが、タカネノラは歌で惑わしてそれを食べさせてしまった。
だが、それはそれで別の効果がある。
「うえっぷ……た、確かに食糧は無駄になりませんでしたけど……。
これこそ、し、素面に戻ったら……百年の恋も冷めますわ!」
ミエハリスが、青い顔で嗚咽しながらぼやく。
薬でお腹がたぷたぷになって戻って来たミエハリスは、戻るなり討伐軍の虫入り食事風景を見て吐いてしまった。
これを仕掛けたユリエルも恐ろしいが、味方に強要するタカネノラはもっと外道だ。
いくらタカネノラのファンでも、ここまでやられたのを冷静になって思い出したら、別の意味で黙っていられないのではないか。
「戦略的には正しいんだけど、そういうの割り切れない一般人も多いもんね……生理的嫌悪には勝てないよ。
いやー、こっちになるとは思わなかったわ」
「姉御の予想の上を行くたあ、あのクソアマも相当だな」
レジスダンの突っ込みに思わず鬼の顔になるユリエルに、オリヒメが慌てて気をそらす。
「あ、そ、それに、あの女は自分と取り巻きの聖騎士たちだけ新しい食事をもらっていますえ。
しかも腰巾着の審問官に、自分も同じものを食べているとうそぶかせて。あれを暴いたら、どれだけ株が暴落するでありんすかねえ?」
「うーん、それなぁ……。
なまじ戦略的には正しいから、クッサヌおじさんたちが暴こうとするのは望み薄な気がするのよ」
ユリエルは、複雑な顔でぼやく。
タカネノラの評判が壊れるネタはいくつも掴んだが、現状それをこちらから人々に証明する手はない。
だからこそ、向こうから崩れてくれるのを期待しているのだが……。
「敵も、そこは分かっているだろう。
ほら、進み始めたぞ。何が何でも、今日中に4階層まで行く気だな」
「あっ畜生、行かせるか!」
タカネノラたちだって、ユリエルの思い通りになる気などさらさらない。歌が途切れるかどうかの分水嶺をかけた戦いが、再開された。
「さあ足を止めずに~勇気と正義を奮い立たせて~♪」
タカネノラたち討伐軍は、急いで進軍を再開した。
ユリエルたちが見抜いていた、4階層に辿りつけなければ強化が途切れる者が出ること……当のタカネノラたちも百も承知だ。
本当の恐ろしさに気づいていなくても、それが大問題だということは分かっている。
(ヤバい、思った以上に時間を取られた!
これじゃ、計算通りに食べ物や薬が届かなくなる!
そんなんでファンが減ってたまるか!私の経歴に傷がついてたまるか!)
焦っていつもより力が入るタカネノラの歌が響く中、討伐軍も難路攻略のために強い駒を使い始めた。
「さあ、儂を向こうまで飛ばせ!
儂が杭を打ちこんだら、迅速に橋を架けよ!」
そう言ってカタパルトに身を預けるのは、クッサヌ家の大将イシアタマンだ。
イシアタマンは老いてもなお鍛錬を欠かさぬ歴戦の猛者、それがタカネノラの歌で強化されているのだ。
本来大岩を飛ばすカタパルトで勢いよく対岸に叩きつけられたイシアタマンは、しかし両手両足でしっかり衝撃を吸収して着地した。
そして、体にくくりつけていた杭を全身の力で打ち込む。
イシアタマンの力はすさまじく、あっという間に橋の要となるロープが張られ、恐ろしい谷に下りる必要がなくなった。
「ありがとー!クッサヌ様に、感謝ー!」
「おう、他愛もなきことよ!」
タカネノラのお礼に、片手は剣で虫を斬り払いながら片手を振って応えるイシアタマン。
討伐軍にはこのクラスの猛者がそれなりにいるため、出し惜しみしなければこうして突破できるのだ。
なら最初からやれという話だが、タカネノラは工事など雑魚の仕事と思っているため、聖騎士を参加させる気はない。
他の教会軍や貴族軍も、強敵に対抗できる戦力を消耗させたくないため、今は強者を後ろに置いて守っている。
そんな中兵士や一般人のために力を解放するのは、クッサヌ家くらいだ。
そこからもクッサヌ家の将兵たちの活躍により、討伐軍はアスレチック難路を攻略していった。
そうなると面白くないのは、タカネノラに手柄を見せて気に入られたい他の貴族軍……特にハッラ一党である。
一党の中でも特に先陣にいるモラハッラ家の後継ぎは、自分は後ろでフビンダを虐めながら見ているだけにも関わらず、部下にふがいないと当たり散らしていた。
「このままでは、クッサヌ家ばかり覚えが良くなるではないか!
さっさと働けそうな所を見つけて、働かんか!!」
そんな時、ちょうど下り坂で虫が大量に襲ってくる場所に差し掛かった。
「よーし、クッサヌの老兵共は疲れただろうから休んでいろ。
ここは我らモラハッラ家が、汚れを払ってみせようではないか!」
割と誰でも対応できそうな場所の攻略に、モラハッラの後継ぎは意気揚々と名乗りを上げた。
そして、婚約者のフビンダまで伴って前線に出た。
そこは、長く続く一本道で、両側の壁の上の隙間から大量の虫が……主にゴキブリが出てきて火をつけられる場所である。
おまけに、途中鉄球が落ちてくる場所があり、その先に進んだ者は炎の中滑りながら鉄球に轢かれることになる。ただしこの鉄球は、通路の終わりのスイッチで止められる。
安全に通るには出てくる虫を掃討する必要があるが、鉄球が落ちてくるより前からでは一番奥の敵に攻撃が届かない程度の距離がある。
さらに、時間をかけていると虫は次々援軍が来てしまう。
少数精鋭なら虫を無視して走り抜けるのが一番だが、一時でも安全な補給路を開くなら犠牲を覚悟で虫を掃討し鉄球を止める必要があった。
そんな死の道に、モラハッラ家は兵を突っ込ませた。
「さあ行け能無しども!
毎日食いつぶしてるうちの資産の分、返してみろ!」
全くやる気が出ない言葉で、モラハッラの後継ぎは兵士たちを急き立てる。
兵士たちが通路に踏み込むと、さっそくビッグローチとオイリーローチがカサカサと這い出してきた。
オイリーローチは殺されなくても油をまき散らし、それに着火しようと通路の奥でウィルオーウィスプが漂っている。
思わず足を止める兵士たちに、モラハッラ家の後継ぎは言い放った。
「おー?養ってもらった恩も返さんのかおまえらは。
なら、払うモンを止めるしかないなー。おまえの家にあるモンや家族で、払ってもらうしかないなー。
おまえのモンは誰のモンか、考えて動け!!」
相手の命など欠片も考えない脅し100%の言葉で、嫌がる兵士の背中を蹴飛ばす。
だが、そんなんで兵士が命を捧げる気になる訳がない。兵士たちは自分が一番先にならないように、固まってもたもたと進んでいく。
そうして兵士が密集したところに、鉄球が落ちてきた。
「うわっ頼む進んでくれ……ぐえっ!?」
あっという間に数人が潰れ、負傷者が続出する。
その無様に、モラハッラの後継ぎは怒鳴った。
「何無駄死にしてんだてめえら!!
死にたくなけりゃ、さっさと走って鉄球を止めろ!トロトロして死んだ奴ぁ、何もかも徴収してやるぞ!!」
その言葉に、兵士たちは家族の顔を思い浮かべて涙目で走り出す。
だが、道は途中から虫だらけの油まみれだ。鉄球を避けるために速く走れば、その分転びやすくなる。
足の下にゴキブリに滑り込まれ、踏みつけてすっ転び、油まみれになる。
そうなりながら兵士たちが通路の中ほどまで来た時、ついにウィルオーウィスプが油に火を放った。
「ぎぃえええ!!」「嫌だああぁ!!」
あっという間に、通路の奥から火が迫りくる。
熱さと本能的な恐怖には抗えず、兵士たちは引き返そうとする。
だが、それを目にしたモラハッラの後継ぎは舌打ちし、フビンダに何かの薬を持たせて背中を押した。
「行け!俺の嫁にふさわしいと、見せてみろ!」
フビンダは恐怖に顔を引きつらせながらもうなずき、棘だらけの凶悪な鞭を手にして前に出た。
フビンダは大きく息を吸うと、鬼のような顔になって鞭を打ち鳴らした。
「止まるな、行け!!あんたらには、そうするしかないのよ!!
下がるクズは、私が焼き尽くしてやる!!」
モラハッラの後継ぎに対する時とはうって変わった、乱暴で威圧的な態度。ボンテージ姿で鞭を振るう彼女は、まさに苛烈な女王様だ。
戻ってこようとした兵士たちは、怯んだ。しかし死の恐怖に抗えず、フビンダへの侮りもあって、戻る足を止められない。
それを見ると、フビンダは意を決したように薬を飲んだ。
フビンダの息が荒くなり、鞭を持つ手に力が入る。
「ハァ……ハァ……!誰に、仕えてると思ってるの!!
役立たずは、要らないのよおおぉ!!」
次の瞬間、フビンダが鞭で前方を薙ぎ払った。その軌跡が炎によって描かれ、フビンダに迫っていたゴキブリたちに着火する。
その燃えるゴキブリが、フビンダの鞭の衝撃波に弾かれて、退こうとしていた兵士たちに降りかかった。
「ひいぃえええぇ!!?」
退こうとした兵士たちは、通路の奥からの炎とフビンダの放った炎に挟まれる。
逃げ場をなくした兵士たちに、フビンダは怒りをぶつけるように叫ぶ。
「行けっつってんだ!!鉄球を止めたら、癒す金は出してやるよ!
私に逆らうな!言う事聞きゃいいのよ!
私のあんなところ見て、あんな事までしといて……万死に値するゴミ共が!!誰のおかげで生きて来られた!?」
フビンダのこの嗜虐心は、本物だ。
何せ、フビンダはこの兵士たちにはやし立てられながら、モラハッラの後継ぎに凌辱されるところを見世物にされたのだ。
止めてくれず自分の恥ずかしいところを食い物にした兵士たちに、フビンダは常日頃から煮えたぎる怒りを溜めている。
それが、この場で役目を借りて噴き出しているのだ。
通路にいる兵士たちは、焼けただれながらも進み始めた。
フビンダがもう一度鞭を鳴らすと、後続の兵士たちも虫たちが焼け死んだ通路になだれ込んだ。
時々鉄球に潰されつつも、フビンダの放った炎で油が燃えてしまった通路を下り、ついに終わりにたどり着いて鉄球を止めた。
「ハッハッハー!どうだ我がモラハッラ家の実力は!」
モラハッラの後継ぎは、得意げに成果を誇示する。
「あ、ありがとー!すっごく助かっちゃったー!」
タカネノラは一応感謝を口にしたが、内心はドン引きだった。
自分の歌で精神が高揚しているはずなのに、それであの有様とは、この軍はいつもどんな士気の低さをしているんだ。
むしろいつも怯え切っている主への恐怖が薄れたせいで、それに押し潰されていた感情が出て暴れて不安定になっている。
(うええ……いつもが異常だとこんなになる軍もいるんだ。
もうハッラ一党は全員出禁にするべきだったかな?
でも、そうすると肉壁が足りなくなるし……こういう形で世の中のゴミを掃除するのも、聖女の役目よね)
自分の事を棚に上げて、タカネノラはしみじみと思った。
実際、モラハッラの後継ぎのクズっぷりは尋常ではない。
嫌な役目を押し付けたフビンダを抱き寄せて、
「よくやった、それでこそモラハッラの嫁だ!
おまえが俺のものである限り、雑魚共なんざいくらでも鞭打っていいんだからな。主の嫁を辱める下郎共に、黙ってる必要なんかないんだぞ」
と言っておいて、フビンダが下がると負傷した兵士たちに、
「よく耐えて従ってくれた、あれには後でしっかり教え込んどくからな!
あいつは罰としてたっぷり辱めてやるから、そん時に好きなだけ貶めてやれ。ひっでぇ嫁だが、俺はおまえたちの味方だぜ」
と舌の根も乾かぬうちに言っている。
モラハッラの後継ぎは、こうして兵士たちとフビンダの不満をお互いに向けさせているのだ。
そして自分はおまえたちの味方だと慰め、笑っている。
兵士たちもフビンダも一番悪いのが誰か心の底では分かっているものの、モラハッラの後継ぎに逆らったら人生も家族も終了だし、実際に嫌なことをした相手への憎しみに抗えない。
だから、流しやすい方に負の感情を流して苦しめ合っている。
これが、ハッラ一党の伝統的な統治の仕方だ。
そしてそれは、苦しめられる者への偏見を生み、助けようとする意志をも挫く。
フビンダが兵士を後ろから攻撃するのを見たミエハリスは、その残虐さに嫌悪を覚えてこう言い放った。
「まあ、何て野蛮で非道なのかしら!
仕える者にあんな事をするなんて、見損ないましたわ!
あんな男に虐げられてと思いましたけど、フビンダさんも似たり寄ったりじゃありませんの!
むしろお似合いの夫婦ですわね」
この冷たい言い方に、ユリエルは目を丸くして言い返した。
「何てこの言うの!?明らかにやらされてるじゃない!しかも、実家の領の財布まで握られてるんだよ!?
本人を責めたって苦しめるだけだし、やりたくてやってるんじゃないんだよ!
あんただって、カッツ先生にお金を使わされた時、周りから自分のせいって思われて辛かったでしょ」
そう言われても、ミエハリスは呆れて鼻で笑う。
「はーん、あんなの、わたくしとは全然違いますわ!
わたくしは能力で操られていましたけど、フビンダさんはそうじゃない。
それに、フビンダさんは自分がされて、虐められる辛さを知っているでしょうに。分かっているなら、他者に優しくするはずですわ。
それができないのは、フビンダさんがそういう娘だからに他なりません!
わたくしの言う事、何か間違ってますの?」
ミエハリスは、フビンダをモラハッラの同類だと思って助ける気をなくしてしまった。
幸いと言っていいのか、ダンジョンの他の仲間は虐げられる者の気持ちや世の残酷さを知っているので、フビンダの状況を理解して同情しているが……。
当のミエハリスは、自分がそんな目に遭ったことがないので分からないのだ。
他人の嫌がることをするのは、悪いこと。それは正しい。
しかし、一方的にやられて抗う事も許されず、どこかにぶつけなければ生きていけない人だっている。
そんなフビンダの状況を、ミエハリスは理解できない。
おまけに、フビンダに少し同情していた討伐軍の将兵たちも、これで少なからず同じ気持ちになってしまった。
それが、フビンダを放置する心の免罪符になってしまう。
そうして放置されることで、フビンダはさらにそうすることでしか生きられなくなるのに。
「そんな……ひどすぎるよ、こんなの!
もう自分で助けを求めることもできなくなってるのに、私たちが助けなくてどうするのよ!?
あんなの絶対、あの人の本心なんかじゃないのに……」
胸を痛めて見守るユリエルの目には、フビンダがせっかくの助けの手を自ら振り払う光景が映っていた。
あの後、フラフラとテントに引き返すフビンダは、途中でイシアタマンに声をかけられた。
「大丈夫かね、お嬢さん?」
イシアタマンは、心配そうな顔でフェイクブレイカーを握っていた。
「やりたくもないことをやらされて、辛かろう。
何なら、儂がフェイクブレイカーでお嬢さんの本心を証明して、少し控えるように言ってやろうぞ。
あの男の貴女への扱い、目に余る!」
曲がったことが大嫌いなイシアタマンは、モラハッラ家のやり方が腹に据えかねていた。
仕える者を虐げるのも許せぬのに、あまつさえ被害者同士を憎み合わせ、そのうえ被害者の意思のせいにするなどと……。
だが、せめて最後の部分だけは、フェイクブレイカーで否定してやれる。
ワイロンはこれがフビンダの意思だと言っているが、イシアタマンにはどうも信用できなかった。カサンドラの件を思いだすと、審問官と言えど……。
しかしフビンダは、金切り声を上げてそれを拒絶した。
「いいえ、結構です!
これは私の意思、軽々しく口を出さないでくださいませ。
それに、まさかその剣で私を傷つけるおつもりですか!?愛する未来の夫以外で私を傷つけるなどと、訴えますよ!!」
こう言われては、イシアタマンにも手を出せない。
イシアタマンは仕方なくフビンダに謝罪とねぎらいの言葉をかけ、去っていった。
その背中を見送りながら、フビンダはがくりと膝をついた。
自分のしたことが、信じられない。みじめで苦しくてたまらないのに、こんなに助けてほしいのに、自分はそれを受け入れられない。
だって、自分がモラハッラ家のご機嫌を取っていないと、家族や領の人々が苦しむから。
モラハッラ家のいいようにされて、ふさわしい嫁になるしかないのだ。
(うぅ……仕方ないの……私は、役目を果たさなければ……!
でも……ああ……ごめんなさい!痛かったね!熱かったね!怖かったね!……私をあんな目で見た報い……ざまあみろ!!)
フビンダの心は、罪悪感と悪魔の爽快感で真っ二つに引き裂かれそうだ。
あんなに痛くて苦しい事を他人に強いるのが、汚い言葉をぶつけるのが嫌で。でもそうしないと、自分の境遇を受け入れられず壊れてしまいそうで。
(ああっ嫌!!虐めなんかしたくない!悪魔になんかなりたくない!
でも……でも私ばっかり辛いのなんて嫌ああぁ!!
お願い助けて神様……いえ、もう魔女でも悪魔でも何でもいいのお!!)
心の底からの叫びを人に届けることはできず、フビンダは声を殺して泣き続けた。
なんと、フビンダちゃんの見せ場でした(いい意味でかは別として)。
自分がされて嫌なことはやめよう、は正しい言葉です。しかしまさにそうされて追い詰められて虐待の連鎖を起こしている人に理路整然とそれを説いたって、事態は何も解決しません。
今まで順風満帆で生きてきたミエハリスには、それが分からないのです。
そしてモラハッラの味方を追い詰める戦法ですが、実は現実にあるヤツです。ロシア軍には、味方の兵士を後ろから撃って突撃させる督戦隊というのがいてだな。
火に火で対抗するのも、現実的な手段です。迎え火といって、迫って来る火に向かって火を放つことで勢いを相殺し、自分の近くの燃えるものを先に燃やしてしまうことで延焼を防ぐという。水が乏しいうえに燃えやすいオーストラリアのユーカリ林火災などで使われる手法です。
このような手を使うモラハッラの後継ぎは、それなりに賢いんですよ。
なのでうまく不満を持つ者同士を憎み合わせ、地獄を見下ろして自分だけ笑っているのです。




