休み時間ー華波とけーと
とある平日の放課後、とあるカフェで、一人黄昏る少女がいた。小井戸華波、誰もが見とれるような美貌に、アンニュイな雰囲気まで加わっている。口を開けば能天気なバカ発言を繰り返すような娘には、到底見えない。
「……はぁ~」
ため息をつくその背は、普段よりも明らかに小さい。そんな華に魅せられた数匹の蜂が近寄る。
「ねぇ、ねぇ。この後暇? 一緒に遊ばない?」
「パス。この後暇じゃなくなる可能性にかけて今精一杯時間つぶしてるんだから」
ナンパをツーンとはね除ける。ナンパで幸せになれない事は充分に理解していた。彼らは華麗な花にばかり目が行き、茎や根には、興味ないのだから。
「ホーラ、行った行った」
シッシッ、と手を払う。蜂は何か悪態を呟きながら、どこかへ飛んで行く。
「……ぶー」
たたでさえ低かったテンションに、拍車がかかる。それらを流そうとクッキーを頬張りながら、紅茶を飲む。だが、心は一向に晴れる事はなかった。
事の発端は、今日の昼休みにまで遡る。
「……華波、ごめんね。今日の放課後、緊急部長集会なの」
「ええっ!? 緊急っていうか、急過ぎでしょ!?」
「そうなのよ、本当にうちの生徒会は何をしているのかしらね……。けど、だからと言って欠席する訳にも行かないし……ごめんなさい。だから、今日の放課後遊べそうにないわ」
申し訳なさそうに言う理奈に、困らせると解っているから、我が儘を言える訳もなく、現在に至る。
一人で紅茶を飲んでも、クッキーを食べても、全然美味しくなかった。
不貞腐れてスマホについているストラップ
指で軽く弾く。今日は放課後に少し都心の方へと向かう予定だった。地元のカフェに不満がある訳ではない。けれど、やはり普段とは違うところへと行く特別感。華波は、それが楽しみだった。
住み慣れた、見慣れた地元ですらも、お姉ぇちゃんと歩くと変わって見える。きっと、普段行かないような都心なら、きっともっと楽しいに違いない。そう、期待していた。
「……バーカー」
「おうおう、誰が馬鹿だって?」
普段つかない悪態をつくと、後ろから聞き慣れた声がする。チラッと視線を向けると、顔に大きなアザが目立つけーがいた。
「まーた喧嘩? 良かったね、お姉ぇちゃんは今日居ないから怒られないよー」
「喧嘩じゃねェよ、友達とジャレただけだ」
「殴り合いでしょー、結局さー」
「んだよ? 辛気臭ェと思ったらやけにつっかかるじゃねェか? どーしたよ、んなに不機嫌になった理由はよ?」
聞くまでもねェか!とけーが声をあげて笑う。その馬鹿にした態度を見て、華波はいーっ、と威嚇する。
「ふん、けーなんかお姉ぇちゃんに怒られちゃえ」
「ざーんねーん♪ お姉ぇちゃんは今日は居ませんー?」
けーは華波の頭をポンポンと撫でてやる。
「細けェ事ァ解ンねェけどよ? よーはすっぽかされたんだろ?」
「……せーかい、せーかい。凄いねー、けーはなんでもお見通し? 第二のお姉ぇちゃん?」
「あんまよ、理奈困らせんなよ?」
「困らせてないもん」
「困らせてんだろ? オメェよォ、アイツァお前の事相当大事にしてんだぜ?」
「……解ってるもん」
ブスッと拗ねながら、けーの方を見向きもしないまま華波は答える。解ってる。知ってる。そんな事、言われるまでもない。
「理奈ァよ、アイツァ頭硬ェ節あっからよ? けどよ、他の誰よりもオメェの事優先してんだぜ?」
「……解ってるって。だけど……」
「気持ちで納得しねェかァー?」
「……」
コクッ、と頷く。けーは背もたれに身体を預けて、宙を眺める。苦い表情をして、自分の事を振り返る。
諦めると決めておいて、矛盾した行動をとった。そして、その一方で素直にすらなれなかった。少し、今の華波と自分ぎ重なって見えた。
「おーし、華波。今日は俺と遊ぼーぜ?」
「ええー? けーと?」
「んな嫌そうな顔してんじゃねェよ、ホラ」
けーは華波の腕を引いて表に出る。
そして、華波はゲームセンターやバイクのパーツショップやらカラオケにつれ回される。普段からこうやって、落ち込んでる人見つけては連れ回してるんだろうな、と華波は笑う。そのエネルギーに感化されたのか、 初めは乗り気でなかった華波も、次第に楽しくなり、暗い気分が消えて行く。
そして、二人が最後に行き着いたのは華波の家の近くにある公園だ。
「ハッハッハ! 遊んだなー!? 真っ暗だぜー?」
「もー、夕飯の支度だってあるのにさー」
華波が少し困ったように言うが、その顔はどこか満足気だ。けーはもう少しだな、と華波の状態を見て判断する。いうならば、後は食後のデザートだ。デザートに何を振る舞おうかと考えていると、良いものを見つけた。表情はイタズラを思い付いた悪ガキそのものだ。
「おし、少し待ってろ、華波」
そう言い残してけーは走り去る。独りポツーンと公園に残された華波は、ベンチの上で伸びをする。
お姉ぇちゃんと一緒に遊べなかったのは、今でも凄く寂しい。けど、そんなあたしにけーは気を使って、1日中つれ回してくれた。
「んあー、恵まれてるなー、あたし~」
ダラッとベンチに身体を預けた、次の瞬間、高速で顔面へと投げつけられた缶が視界に写る。
パシッ、と激突の寸前でそれをキャッチする。投げつけられた方を見ると、けーが笑っている。
「アホ面に激突すっかと思ったけどよ、まさかキャッチするとァなァ!」
「もー! 危ないでしょー!?」
「ハハハ、信じてたぜ?」
「嘘ばっか言うなー!」
「さァて? もう独りはどォっかなー♪」
もう独り? 華波が首を傾げるよりも早く、けーが缶コーヒーを豪速で投げる。華波がそれの軌道をなぞって見ると、それは公園を飛び出して公道に出る。
その先で、華波は何事もないかのように投げつけられた缶コーヒーをキャッチする人影を見つける。その姿は、あまりにも見慣れた影。
カシュッ、と軽い音を立ててプルタブをひく。一口飲んでから、まったく、と一言漏らす。
「通行人に当たったらどうするのよ?」
「当たらねェよ? 俺はオメェがキャッチするって信じてたからな」
人影が公園に入ってくる。その見覚えある姿に、華波は驚く。こんな時間に、こんなところに居る訳がない。もう、家に帰っているハズだ。
「お姉ぇちゃん!? なんで!?」
「別に、本屋で買い物していただけよ」
ほのかに汗をかき、顔にくっつく髪を退ける。上気した頬を見て、華波はそれが嘘だと見抜く。まるでどこかで、慌てて探し物をしていたかのようだ。
「ほー? その割には何も持ってねェじゃねェか?」
けーが嘘を言及すると、理奈は少し視線を泳がす。やはり、嘘のようだ。
「き、気に入ったのがなくて……」
「素直になれよ、オメェもよ。……んじゃ、俺は帰ェるぜー」
そういって缶コーヒーを掲げながら、けーは立ち去る。少し離れたところにある駐車場から爆音が轟くが、その排気音はまるで呆れ果ててついた溜め息のように聞こえる。
次第に遠ざかる排気音を聞きながら、取り残されたのは理奈と、そして華波の二人。お互いにどうしようという雰囲気が拭えない。理奈は静かに、華波の隣に腰を下ろす。
「……あー、もう。けーって、本当に余計な事しかしないよねー」
華波が、いつもより高めのトーンで言う。
帰宅しているハズの時間。本屋に寄ったという嘘。そして、ほのかに滲んでいる汗。
きっと、いや、絶対に自分を探し回っていたのだろう。それが、嬉しい。それだけで、他の感情なんて、すっぽかされた事なんてどうでも良くなる。
「明日、今日のすっぽかしを口実にベタベタしよーと思ったのにさー。偶然でも会えちゃったら、明日出来ないしー?」
「……クスッ」
華波なりの気遣いに、笑いが漏れる。
「んんー? 笑ってるのかなー? あたしは怒ってるんだぞー? な、の、に、笑ってるお姉ぇちゃんには……こーだっ!」
「きゃ!?」
いきなり理奈に抱きつく。理奈が反応するよりも早く、首に腕を回して、ギュウギュウと身体を擦り付けるように密着させる。理奈は驚きこそすれど、抵抗する事なくその頭を優しく撫でてやる。
「怒ってるのかしら?」
「偶然でも……会えたから。もーどーでも良いよ」
今はこの幸福感を、堪能したい。それだけだった。過去の憤りよりも、今の幸福。いかにも、華波らしい選択だ。理奈は慈しみを込めて優しく撫で続ける。華波はその温もりに身体を預ける。
声のトーンで、無理をしているのが解る。思うところはあるハズだ。言いたい事があるハズだ。 困惑と罪悪感と、安堵が入り交じって気持ちの整理が追い付かないが、それらを黙殺して、自分に負担をかけさせまいとしているのが、ありありと読み取れた。
そんな華波を愛しく感じる。撫でる手を止めて、少しだけ距離を作る。それでも、お互いの顔が接触しそうなくらいに近い。
「華波、あなたの事を蔑ろにした訳じゃないわ。だから、今日反故した事を許して欲しいの」
「もう、怒ってないよ」
少し拗ねたように言う。気持ちの整理はまだついていない。だから、つい視線が下に行く。理奈が顔を傾け、華波の視線の先に顔を持って行く。
「だったら、どうして顔を見て話してくれないのかしら?」
「それ、は……」
「なら、どうしてあなたが後ろめたさを感じているのかしら?」
大事にされてるのは解っているのに、不貞腐れた。そんな自分に嫌気がさす。そんな自分を後ろめたく感じる。
「お姉ぇちゃんー、暴きたがりは良くないよー」
えいや、と再び抱きつく。この後ろめたさも、きっと受け止めてくれる。けれど、それは甘えすぎなようで、嫌だった。
「お姉ぇちゃんには充分支えてもらってるから、これはいーの」
困らせんなよ。けーの言葉が、頭の中に木霊する。困らせないのは出来ない。困らせるくらい甘えたいから。だから、それ以外は少しだけ頑張ってみよう。




