第三十八限ー理奈と服部
謎解き編です
華波が見間違えるわけがない。華波の記憶力は圧倒的だ。理奈は、華波が死人に会った様な顔をした意味が、よく解った。確かに、中学校時代の櫻子の彼氏、服部であった。
「こんにちは、服部さん」
もはや、華波は逃げようとはしなかった。ただ、立ち尽くす以外なにも出来ないようだった。オカルト方面には、とても弱い。占いなんかもすぐ信じるタイプだ。華波は、本当に死人に会ったと思い込んでるに違いない。そして、どうせ、あの世に連れてかれるー、とか思っているのだろう、と理奈は呆れる。
「森下理奈さんと、小井戸華波さん、かな?」
「ええ、間違いなく」
理奈は答えると、ファーストフード店の向かいにあったカフェを指差す。
「立ち話も、なんですしね。服部さん?」
「お、お姉ぇちゃんー」
華波が、泣きそうな声で呼ぶ。理奈はぎゅっと華波の手を握る。
「華波、何を怖がっているの? 私がいるのよ?」
少し不遜な態度。だが、今の華波には、もの凄く頼りがいを感じられるものであった。理奈の手を握り返して、華波も腹を括る。
会話の主導権は、理奈にある。華波はそう信じ、目の前の服部がお化けでない事を信じた。
席について、コーヒーを三つ理奈が頼むと、服部が笑いながら、先に口を開いた。嫌らしい、シニカルな笑みを浮かべている。
「こんにちは。あの世から来ました、服部です」
「……!」
その言葉を聞いて、華波はその場に突っ伏す。人目もはばからずに、涙を流して泣く。
「うう~、死ぬんだ~。あの世に連れてかれるんだ~」
「そういうブラックジョークは笑えませんよ。服部くんに、悪いとは思いませんか?」
「僕も服部なんですけどね」
そういっておかしそうに笑う服部は、理奈の記憶には無い。だが、お化けという設定を通すには、少しボロが出た。
「俺」
理奈が、短く言った言葉に、華波が少し顔を上げて理奈を見る。
「……んあ?」
「服部くんは、俺って言っていたわ」
「そうだそうだ! 偽物め!」
華波は起き上がるとビシッと指を指す。大した変わり身であった。
「華波、人を指差さない」
その手を理奈が上から押さえて下げる。その様に、服部が笑う。
「アハハ。さすが理奈さん。翔の言ってた通り、頭が良いんですね」
翔。服部の下の名前だ。その瞬間、理奈の頭の中で、ピースが全てつながった。
「この場合は記憶力だと思うわ、服部くんのお兄さん?」
「年上にタメ口?」
否定する事もなく、肩をすくめる。
「年上じゃないでしょう。あなたは一卵性の双子のお兄さんでしょう?」
「……翔から、聞きましたか?」
「いいえ、全て憶測です。けど、事実でしょう? 病気は治ったのかしら?」
「そこまで、お見通しかー」
目の前の服部は、詰まらなさそうに上を向く。華波だけが、状況についていけずに、理奈と目の前の服部を見比べる。
「そう、初めまして。翔の双子の兄、駆です」
「ええぇぇえぇぇっっ!? お姉ぇちゃん、知ってたの!?」
「話はちゃんと聞きなさい。全て憶測よ。まぁ、当たってたみたいだけど」
「なんで!? なんで解ったの!?」
「まず、服部翔を服部くん、服部駆を服部さんと呼ぶわよ?良い?」
「うん」
華波は大人しく頷く。それを見た理奈は、語り出す。
「服部くんには、双子のお兄さんがいたの。それが服部さん。一卵性の双子である事からも、華波が見間違えたのも無理ないわ。一卵性の双子って、すごく瓜二つだから。少し違ってたりするけど、細かすぎてさすがに見分けがつかなかったのかしら? そして、仮にそのまま双子だとすると、服部さんが下の名前で呼んだ事から、お兄さんと推測したの。もちろん、年上という可能性もあったけれどね。
それで、さっき華波が言ったように、服部さんは服部くんよりも細いし、白い。病的な程にね。それは、日光に当たる事も無く、あまり動いていなかったから。そこから、ひきこもっていたか、病気でずっと病院にいたのか、という風に推測出来るわ。
そして、服部くんは、よく写真を撮っていた。それは、服部くんが、服部さんに自分の、外の風景を見せてあげるため。服部くんなら、いかにもやりそうな事でしょう? ボランティアといって毎週土曜はそそくさと帰っていたのも、本当は、服部さんのお見舞いにいくため」
「お見事。いやー、凄いね、理奈さん。まさかそこまで解るなんて」
彼はパチパチと拍手を贈る。でも、と付け足す。
「その理屈だけで僕を翔とは別人、あるいは親戚って見抜いたのだとしたら、穴だらけじゃない?」
「そうかしら? 私たちの名前を知っていた。それだけでも私たちの知り合い、あるいはその親族という想像が出来るわ。それに、あまりにも服部くんと、あなたは似ている。服部くんの親戚と考えるのが筋よ」
「あー。そっかー、そこ伏せておけば、もう少し難しかったのかな?」
「いいえ。私たちに話しかけた時点でそうだと判断するに足る理由になります」
それで? 理奈は駆を見る。心の中まで見透かしているようなあの目で。
「一体どんな御用ですか?」
「用件なんか解ってるって目で聞かれてもねぇ?」
「……」
理奈の沈黙に、駆は肩をすくめる。癖なのだろう。
「用件って程のものじゃぁないよ。ただ単に、君達に興味があったんだ」
観念したように口を割る。駆は鞄の中から本を、いや、アルバムを出す。
「ホラ、見てよ、これを。翔の撮った写真でアルバムを作ったんだ。よく撮れてるよね。風景から、人まで。人は、中学に入って少しした頃から、櫻子さんと、君達二人がメインになってる。僕は、不思議でしょうがないんだ。なんで、彼女である櫻子さんだけでなく、君達まで、大量に撮られてるんだと思う?」
パラパラとページをめくっていくと、確かに理奈と華波の写真は、櫻子と同じくらいに多い。こんなに撮られているなんて事は知らなかった。理奈も華波も、少し面を食らう。
「翔が好きだったのは確かに櫻子さんだよ。凄く話題にあがってたからね。けど、やっぱり同じくらい君達も話題に上がるんだ。君達の、ペアで」
僕はね、と駆はシニカルな笑みを浮かべる。
「翔は、君達の事が羨ましかったんだと思うよ。今日見て、実感した。華波さんは理奈さんをお姉ぇちゃんと呼んで慕ってるし、理奈さんも、それに応じてる。本当に、仲の良い姉妹みたいだ。
さっきの推理で上がってたように、僕は身体が弱くてずっと病院にいた。特定の病気でなくて、何度も入退院を繰り返してたんだ。そこだけが違ったね。……病院にいない時も、ベッドの上で寝てる事が多かった。……元気にはしゃいだり、出来なかったんだ……。
翔はね、いっつも口癖みたいに言っていたんだ。早く元気になって、外で遊べるようになったら、一緒に遊ぼうって。
そしたら、事故で死んじゃったんだ。
その時ね、僕は、不思議と涙が、流れなかったんだ」
理奈と、華波は、黙って駆の話に耳を傾けていた。彼は、アルバムを抱えて、泣きながら話していた。
「酷いよね。自分だけ、先に死んじゃうんだから。僕を残して、約束だけ残して……さ」
そうやって駆はしばらく泣いていた。しかし、やがて泣き止むとシニカルな表情を取り戻す。そういう表情も、翔とは別人である事を示唆している。
「今日、翔の事で初めて泣けたよ。君達を見て、さ。僕は、きっと、ずっと翔に支えられて生きてきたんだ。君達を見て、実感した。
僕は、このアルバムを持って、翔が見ていた景色を追っていたんだ。だけど、君達だけが、どうしても解らなかった。君達の、絆。姉妹って、兄弟って、どういう事なのかなって。けど、実際見て解ったよ。支え合って、生きてるんだね」
「はいはい! あたしは主にお姉ぇちゃんに支えられてばっかりなんで、ちょっと違うかも!」
「君の、そういうところが、理奈さんを支えてるんだよ。……ねぇ? 理奈さん?」
「……」
その問いには理奈は答えなかった。ただ、華波も駆も、その沈黙が、これ以上ないくらい答えを語っているように感じた。二人して、ニヤニヤと笑っている。
「そんな二人の大切な、たーいせつな時間を邪魔しちゃって悪かったね。僕はこれでおいとまするよ」
席を立ちながら言う駆の言葉に、理奈は少しムッとしたようだ。あまり良い顔をしない。
「ただ出かけてるだけよ」
「けど、その時間がかけがえないんだろう? 姉妹にとっては、さ」
「よく解ったわ。あなたと服部くんの違い。私は、あなたみたいに嫌味っぽい人が嫌いなの」
「アハハハ。嫌味っぽいか。よく言われるよ。けど、照れ隠しに使う言葉はもう少し考えないとね。隣の妹が悲しそうな顔をしているよ」
ハッとして振り返るが、華波は普段通りだった。理奈は駆を睨むが、彼はニヤニヤとしながら、立ち去っていた。律儀にも、伝票は持ち去られている。
「ンフフフ」
むしろ、華波は今のやりとりで、上機嫌になっている。理奈がハッとして振り返ったのが、よっぽど嬉しかったのだろう。駆には、してやられた。
「お姉ぇちゃん~」
いつもよりも、三割増甘い声。理奈は抱きついて来る華波を制しながら、立ち去った駆の席を見る。
病的に白く、か細く、そして何よりシニカルで、そのシニカルさが、あまりにも記憶の服部翔とかけ離れている。
「……面白くないな」
ボソッと言った理奈の言葉を、華波は聞いておらず、甘い声を出し続けていた。
二人はそのまま帰宅する。荷物が多かったのもあるし、何より、散々歩き疲れきってしまったというのもある。
「もう少し体力つけないと、華波とは遊んでられないね」
「ンフフフ。ならお姉ぇちゃん、毎晩あたしとベッドで運動する?」
「そういうはしたない事言わないの」
「お姉ぇちゃん、照れちゃって~」
華波は上機嫌だ。駆の支え合い発言が、大分嬉しかったようだ。ぴょんぴょんと跳ね回る華波を見ていると、落ち着いて歩く事も出来ない。車通りはそこそこ多いのだ。この先、少し行った公園の前で翔は跳ねられた。
「……」
目の前で跳ねられた服部に、理奈は何も出来なかった。救急車を呼ぶくらいしか出来なかった。それ以外、何も。
華波は、そんな理奈の気もしらないで跳ね回っている。まったく。
「少しは落ち着きなさい」
理奈が少し頭を叩こうと手をあげると、華波はさっと、身を引いて逃げる。車道の方に。
キィッ!とブレーキ音。
「ほえ?」
目の前に、トラック。ハンドルを切っているが、おそらく間に合わない。
華波を引こうと手の伸ばす。その手が、むなしく空を切る。
ひょっとしたら、本当に駆は死神だったのかもしれない、理奈はどこかで思う。
彼に会わなければ、華波がこんなに上機嫌で跳ね回ったりはしなかっただろう。
彼に会わなければ、自分も不注意に手をあげたりはしなかっただろう。
「うおぅっ!!」
華波は上手い事ギリギリでトラックを避ける。肩が少しぶつかって、姿勢を崩す。
「痛ぁ……」
トラックから、クラクションが鳴らされる。確かに、運転手からしたら、たまったものではない。
「痣になってないと良いな~。……あれ、これって轢き逃げになるのかな?」
「……本当に、馬鹿じゃないの!?」
能天気に言う華波に、理奈が怒鳴ると、華波はビクッと身をすくめる。後一歩、華波がリアクションするのが遅ければ死んでいただろう。本当に、奇跡みたいな回避だった。
「この先の公園の前で! 服部くんは車に轢かれたのよ!? なのに、車道に飛び出す!? 馬鹿じゃないの!?」
「……うぐっ……。……ごめん、なさい」
華波はシュン、としている。そこで、理奈はハッとする。元はと言えば、理奈が叩こうとしたから、こういう事態になったのだ。バツの悪さを覚えながら、理奈は華波の手を引く。
「……ごめん、言い過ぎたわ。元々、私が悪いのに」
「……ううん、お姉ぇちゃんは、悪くないよ」
華波も理奈も、お互いにバツが悪そうだ。そのまま、トボトボと歩き出す。
「あ」
そこで、華波は何かを見つけたようで、声を上げる。理奈が辺りを見回すが、とくにこれと行って目立ったものはない。
「ちょっと待ってて、お姉ぇちゃん」
言って華波はピューと走り出して、角を曲がって消える。あれだけ車に注意しろと言った直後にも関わらず、また走るあたり、本当に学習しない子である。
「……明日から、首輪でもつけようかしら」
本気でそう思う。リードがあれば、飛び出したりも出来ないだろう。
そして、華波は再びぴょんぴょんと跳ねながら帰ってきた。注意された事はすぐ忘れる華波の悪い癖だ。だが、今回ばかりは、気まずさを緩和する、良い効果を果たした気がした。
「はい、お姉ぇちゃん!」
言って華波が突き出してきたのは、シンピジウムの花束。そんなに多い本数では無いが、見栄えが悪いわけではない。
「……え、ええ? なんで?」
「ん? あたしのために今日デートしてくれたから」
「……」
本当に、馬鹿だろう。先程までの気まずい空気からやる行動ではない。
「ふーん、華波? ちなみに、この、シンピジウムの花言葉知ってる?」
「知らない」
理奈はそっとため息をつく。知らないで買ったのか、と思わず突っ込みたくなる。
「気取らない心、高貴な美人、熱心、よ。華波は、どういう意味で私にこれを贈ったのかしら?」
「もちろん、高貴な美人!」
「それは、私に高貴な美人になれって事かしら?」
「もちろん、高貴な美人なお姉ぇちゃんに相応しい花を選んだのだ!」
「ふーん、なら、私は気取らない心を育てるわ」
「えー、なんでー?」
「華波とそっくりじゃない」
「ぷっ、お姉ぇちゃん、それは気取り過ぎでしょ」
華波の贈り物は、良い気分転換になった。二人の間に再び笑顔が咲く。理奈は自宅の前につくと、門をあける。
「じゃぁ、華波。おやすみ」
「おやすみなさーい。……ううっ、もうちょっと遊んでたかったー」
華波が露骨に肩を落とす。本気で残念がっているようで、理奈にはしょんぼりと垂れ下がった耳としっぽが見えた。そんな華波の頭をそっと撫でてやる。
「幸せは程々の方が良いの。余韻を楽しみたいのよ。あまりにも遊びすぎて、今日の事を振り返れないままに終わるのは嫌なの」
「思い出すような事したー?」
「したじゃない。買い物したり、お茶したり、服部さんの事もあるし。……あ、華波が怯えてたのも後でゆっくり反芻するわ」
「ぶー。しなくていーよー」
「可愛らしかったわー」
華波が門越しに腕を振るが、さすがにリーチが足りない。入って来ないのは、理奈が帰りたいと言っているのを尊重してだろう。じゃぁ、おやすみ、と言って理奈は家に入る。そして、そのままリビングにいる家族に一声だけかけてから自室に入る。カバンをおいて、スマートフォンを取り出す。
「……そろそろ、ね」
理奈は一人呟き、スマートフォンを操作すると、通話を開始する。
「もしもし?」
『もしもーし、どーしたの、お姉ぇちゃん? 忘れ物?』
「そんな事、するわけないじゃない」
『この間学校にケータイ忘れたよね』
「言わないで」
ちょっとね、と理奈は言いよどむ。さて、言うべきだろうか。
『んん? その前置きみたいなのが凄く怖いんだけど? どーしたの?』
「そうね、忘れ物でなく、言い忘れかしら?」
『言い忘れー?』
「ちゃんと、家まで帰るのよ。フラフラしないで、キチッと」
『もー、お姉ぇちゃんは心配性だなー。もう家の前だよー?』
「あら、まだついてなかったの?」
『うん、今門のとこー』
「そう」
まさにドンピシャ、狙い通りのタイミングだろう。
「今日はありがとう。とても楽しい一日だったわ」
『……。……ううっ、ズルいー。そんなのこのタイミングで言われたら、嬉しくて寝られないー』
「知ってるわ。だから、今なの」
特に、再び車に轢かれたりしないように。ポンポン跳ね回られたら、たまったものじゃない。そう、この程度で嬉しがってるようでは。
「後、今日のリップも、髪も、香水も。全部とても可愛らしかったわ。いつもと違ってとても」
「……気付いてたのー!?」
「おやすみ」
「ちょ! 待っ! その辺詳し!」
プッ。理奈は一方的に通話を終了させると、背筋に、ゾゾッと悪寒が走る。この生殺しのような状態が、堪らなく快感だった。
会って一目見て全て気付いた。気付いた瞬間に、この計画を企んだ。最初に話をふっておいて、気付かぬフリをして、最後の最後で言ってやる。今朝の落胆も相まって、華波は今頃悶絶しているに違いない。
余韻を、華波にも是非味わって欲しかった。幸せの余韻を。
「ふふふ」
理奈は最近お気に入りのブレンド豆を挽きながら笑う。適度な苦みと酸味、そして、豆の甘みを活かしたコーヒーだ。理奈は、それをブラックのまま一杯入れてそっと口に含む。コーヒーのフレーバーが、口に広がる。
幸せ、楽しさの余韻に浸りながら、理奈はそっと、コーヒーを堪能した。




