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第三十五限ー華波と義光

義光と華波のお話です


ネオンが鬱陶しい。

疲れた身体が、周りの景色を拒絶する。

「お父さん、飲んでかない?」

しつこくつきまとう、居酒屋のキャッチを振り払う。

義光は、仕事帰りだった。仕事を終えて帰っているのだが、家についてから、華波と夕飯を食べた後、また仕事をしなくてはならない。

終わらない大量の仕事。

思い返せば、愛娘の事も全て、妻に任せっきりだった。家にも帰らず、会社の仮眠室で寝ては仕事、という生活をずっと続けていた。

その、ツケなのだろうか。

義光は、電車に揺られながら呆然と考える。

父親らしい事なんか、何一つしてやらなかった、そのツケなのだろうか。

華波は、自分の事を父親として認めてくれているのだろうか、という疑問。

「疲れていると、不安ばかりが目につくな」

漠然とした不安を振り払いながら、義光は苦笑する。やれやれ、と首をふりながら、最寄り駅の改札を通る。

「義光さん?」

ふと、少女の声がした。聞き覚えのある声だ。そうだ、この声は、自分の娘がいつも世話になっている、あの子の声だ。

「こんばんは、理奈さん」

声の方を振り返れば、少し小柄な少女。学校の制服のセーラーの上からコートを着ている。手には、すぐ近くの書店の買い物袋。

「買い物かな?」

「ええ、参考書を何冊か。……今お帰りですか?」

「ああ、少し、仕事が長引いてしまってね」

「御苦労様です」

理奈がペコっと頭を下げる。本当に礼儀正しい。おまけに勉強熱心だ。最近、少しばかり勉強しているようだが、華波には是非爪の垢でも飲んでもらいたい。義光は、娘の普段を思い出してそう思う。

何せ休みの日は寝る以外本当に何もしない。朝食と昼食を作る時だけ起きたら後は全て寝る。あるいは理奈の家に行くぐらいだ。この間、理奈の家で寝ていた、と聞いた時は失神しそうになった。折菓子でももって行こうかと、本気で悩んだ程だ。

「義光さんは、仕事熱心ですね。華波もよく話していますよ」

「……そうか」

その言葉は、理奈にとってはなんでもない世間話だったのだが、義光にとっては先程の不安を思い出すはまかりだ。

「義光さん?」

少し黙ったのを不審に思った理奈が小首を傾げる。義光はいや、と言い淀む。それにさらに理奈は眉を潜める。

「私なにか、気に触るような事言いましたか?」

少し不安そうに、上目遣いに尋ねてくる。

「いや、そういう訳ではないんだ」

「……そういう訳ではない、ですか。ですが、それは思うところはある、ととれますね」

全てを見透かすような瞳。義光は心の中を覗かれたような恐怖感に襲われる。だが一方で、救いなのでは、とも思えた。

聡明なこの娘になら、同じ年の娘を持つ自分が相談をしても、なんらおかしな、みっともない事ではないのでは、と思えた。

「理奈さん、時間があったら、コーヒーでも如何かね?」

義光は、その時の理奈の顔を一生忘れる事はない。

いつも大体無表情で冷静な理奈が、驚き、目をありえないくらい大きく見開き、まばたきを繰り返す顔を。

そのまま首を一回右に傾ける。

「えっと」

そして今度は左に傾ける。

「あ」

そして、思い出したように、

「なんで私があなたなんかとお茶にいくの」

と極めて棒読みで言った。

そしてそこで再びハッとしたような顔になる。顔を盛大に赤らめて、一歩後ずさる。そのまま、いつもはキチッと四十五度のお辞儀をする理奈が、バタバタと、いつもより低めに頭を下げる。

「ごめんなさい、失礼しました。華波に男の人にお茶に誘われたらこう言えって……」

「……いや、大丈夫だ。問題ない」

あまりの発言に心が折られかけたとはとてもではないが言えない。仮にも家族ぐるみで長年連れ添っていただけに、受けたショックを顔に出さないのは結構精神を使った。

「義光さんなら、大丈夫よね。うん。ナンパじゃないわ。大丈夫です、お供させて頂きます」

なんだか恐ろしく警戒されている。義光はそんなに信頼がないのかと、少し肩を落とす。

二人は駅中の喫茶店に入る。理奈はいつも通りに大量の砂糖とミルクを入れる。理奈がコーヒーに砂糖とミルクを入れている様子を初めて見た義光は、こんなにいれるのかと、驚く。理奈の砂糖とミルクの使用量は尋常じゃないと、華波から何度か聞いていたが、目の当たりにすると、その言葉の意味がよく解る。

理奈は美味しそうにそれを一口飲むと、真剣な眼差しになる。

「どういったご相談ですか、義光さん?華波についてでしょうけど、私は最近の華波はひどく立派だと思いますが、まだ何かさせるおつもりですか?」

「いや、違う。私は華波のする事が、世間一般で悪いと思われない限り何かを言う気はない。以前、成績について言及したのも、それだけだ」

「華波に、興味がないのですか?」

理奈の一言に、義光は冷たいものすら感じた。その一言は、まるで責め立てるように義光の心に刺さる。

少し、理奈もそういうニュアンスを含んだには違いない。だが、義光にとっては、先程まで感じていた不安の答えのようにすら思えた。自分が華波に興味を持っていないから、父親として認められていないのではないだろうか、と結論つけるには、充分な言葉だった。

義光は首をふる。違う。そんな事はない、と。

「いや、違う。関心がないのではない。私は、あの娘に何一つ父親らしい事をしてやれなかった。だから、間違いは正すが、それ以外の事に言及しようとは思わない。自由に、周りに迷惑をかけない程度に今を楽しんで欲しい。ただ、それだけだ」

「……では、どのようなお話でしょうか」

「……今の問答の延長にある。……華波は、私の事を父親として認めてくれているだろうか。聞きたいだけだ」

「……」

理奈はその言葉を聞くと、黙ってコーヒーを飲んだ。そのまま目を閉じて黙り込む。そして、フッと笑った。

「あの娘にこの親あり、といったところね。頭で考えて、冷静に現状確認も出来ず、どんどんマイナス思考に陥るところ、そっくりですね」

可笑しそうにクスクス笑う。義光が訳が解らないと言わんばかりに困惑した顔をする。

「そんなに気になるなら、本人に直接聞いて見れば良いですよ。あの娘は解りやすいから」

それが出来ないから苦労しているのだ。義光は少し残念な気分になる。娘に、そんな事聞ける訳がないのだから。

「聞けない、という顔をしてますね。けれど、娘が父親として認めてくれてるか、なんて、尋ねる以外にもいくらでも方法はあると思いますよ」

理奈が腕時計を見る。そして一つ頷く。

「コーヒー御馳走様でした。この時間なら、華波は夕飯を作ってそのままリビングで寝てますよ。義光さんの帰りを待って」

席を後にする理奈の背中を眺めながら、義光も重い腰を持ち上げる。一体、どうやって聞けというんだ。

重い足取りで帰ると、華波は本当にリビングで寝ていた。よく解っているな、と頷くと華波の肩に手を伸ばす。

ふと、食事の用意がされたまま、華波の分も手付かずなのに気付く。

すると、先程の理奈の言葉が頭をよぎる。

成程、義光は一度頷く。本当に娘の事をよく解っている。

「華波、起きなさい」

義光が肩を揺すると、華波はんあ~?と間抜けな声を出す。

「あ、パパ、お帰り~!」

一度腰に腕を回して抱き付くと、食卓を指差す。

「見て見て!今日パパの好きな肉じゃがにしたんだよ!嬉しい?嬉しい!?」

「ああ、嬉しいよ。ありがとう、華波」

「イェイッ!!……あ、けど冷めてるかな……。今温めるね~!」

パタパタとリビングを走って台所に向かう。義光はその背中に、言葉を投げる。

「すまないな、こんな父親で」

その言葉に華波が足を止めて、不思議そうな顔をする。

「なんでパパが謝るの?パパ何かしたの?」

「せっかく作ってくれた料理を、冷ましてしまって」

「アハハハ!何言ってるの~!?」

華波は可笑しそうに笑う。

「あたしはパパがこんな遅くまで頑張って働いてくれてるから学校に行けてる。お姉ぇちゃんと遊べる。そのパパが仕事が遅くて料理冷ましても、仕方ないじゃん?

……あたしはパパにすっごく感謝してる。だからお料理もお勉強も頑張る。パパが料理を冷ましたら、温めるだけだよ」

そう言って、台所に行って、ガスをつける。

義光は先刻まで抱えていた不安が、全く持って見当違いだった事を痛感する。成る程、マイナス思考に陥る、か。

聞けば良いなんて簡単に言うと思ったが、そういう事か。あの娘は、全て解って言っていたんだろう。

少し意地の悪そうな笑顔を思い出す。だが、これを見越しての笑顔だったのだろう。確かに、人伝に聞くより本人の口から聞いた方が肩の荷は降りた気がする。

「あれ、お姉ぇちゃんからメールだ」

華波がスマートフォンを弄る。ガスから目を離すな、と理奈に言われている事は、完全に忘れているみたいだった。

「え~、パパと三人で肉じゃが食べよーって言ったのにー。お姉ぇちゃんは仕方ないなー」

少し面白く思わない内容だったらしい。華波は少し乱暴にスマートフォンを放る。

「理奈さんが、どうかしたのか?」

「なんか買った本が面白かったからこのまま家で読むって。一緒に食べる約束してたのにさー」

華波は義光の茶碗にご飯を盛ると、その倍は自分の分を盛る。ちなみに、義光のご飯の量も、普通の大盛くらいはある。ヤケ食いのようだ。

「後、パパによろしくだってさ」

ブスッ、としたまま華波が言う。その最後の一文が殊更気に入らなかったようだ。あたしへの愛がどうの、とぶつくさ言っている。

買った本が面白かった。先程、確か参考書を何冊かと、言って居なかっただろうか。

義光は、肉じゃがをつつきながらそんな疑問を抱く。それに、読み出したにしてはあまりにも間がない。序章数ページで、そんなに掴みが良いような本があったとして、あの娘がそんなもので娘との約束を反古するとは思わない。

「……」

そこで義光は理解する。約束を反古した理由は、本ではない事に。

「……本当に、よく出来た娘だ」

家族の団欒を優先してくれた事に、義光は感謝しながら、華波の作った肉じゃがを食べる。目の前の華波も、山盛りのご飯二杯目に突入する頃には義光とあれこれ話し始めた。

愛娘の作った肉じゃがは、実に美味しかった。

義光と食事をして、食器を片付けると、華波は自室のベッドの上に横になる。

「あーあ、お姉ぇちゃんがあたしより本を優先するなんてなー」

華波は口を尖らせながらぶつくさと文句を言う。食べてある程度発散はしたが、また込み上げて来た。読書狂いめ、読書狂いめ、と呟きながらスマートフォンを取る。同時に、ブルブルと振動しながら、ベートーベンの『運命』が鳴り響く。

「うわっ、お姉ぇちゃんからだ。……もしもしー、お姉ぇちゃんー?」

『華波、今日行けなくてごめんね』

「……ヤだ。楽しみにしてたのに」

少し間をおいて、機嫌悪そうに言うが、顔はもうニヤニヤしている。理奈の最初の一言で、主導権は、自分にある気がした。少しくらい、楽しんでも良いだろう。

『もう、許してよ』

理奈の嘆息混じりの声は、どこか困惑しているように華波にはとれた。もう頬の筋肉が足るんで仕方ない。華波の脳内では、理奈が自分の袖を掴み、上目遣いで懇願してきている妄想でいっぱいだった。

『なら、明日出かけましょう?それでも駄目?』

明日は休みで、家で寝潰す予定だった。理奈は土日は自宅やカフェで勉強している事が多く、華波とは違った意味であまり土日外出をしない。

「本当!?」

華波は嬉々揚々と、思わず大きな声で尋ね返してしまう。もう少し、引き伸ばしたかったのだが、元々怒っていなかった事もあり、目の前に餌を置かれたようなものだ。

『本当よ。反古したりしないわ』

「やったー、お姉ぇちゃんとデートだー!!」

華波は飛び起きると、クローゼットを開ける。そのまま服を物色し始める。

「本当に本当?嘘じゃないよね!?」

『今までそんな嘘ついた事なかったでしょう』

「そーだけどさ、そーだけどさ!!」

そのままステップでも踏みたくなったが、下で仕事をしている義光の邪魔をしてはいけないと、自粛する。

『それじゃ、明日、駅のカフェでの待ち合わせで大丈夫?』

「うん!ありがとう!お姉ぇちゃん!!お休みー!」

『お休みなさい』

通話を終わらせると、華波は改めてクローゼットに向かって服を悩む。

「……どーしよーかな」

お姉ぇちゃんがちょっと可愛い系だしな、と華波は唸る。

そのままベージュトレンチに、赤いスカートの裾が少し出る程度で合わす。インには黒地に白い柄のはいったブラウスを合わせる。

ネックレスにショートのゴールドチェーンにピンク色の石、ロードライトガーネットが優しいものをチョイス。ピンクシルバーのピンキーリングを見繕う。大人っぽさの中に、少し女性的な可愛らしさを混ぜる。

「よし!」

服をハンガーにかけ直して、その前で二拍二礼して、明日に思いを馳せる。ちょっと強引だったけど、デートなんて久々だ。いつも学校帰りとかは一緒だが、休みの日に、二人で出掛けるのには、いつもと違った楽しさがある。

「……えへへ」

普段ならば布団に入った次の瞬間には眠っている華波だったが、その日だけは、中々寝付く事が出来なかった。

次は二人のデートです

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