第二九限ー理奈と鮎川
西条高校の家庭科室。今日も理奈はそこでコーヒーを淹れている。静かな、朝。
ドタドタと、廊下の方から走る音がする。これだけ五月蝿く走るのは華波ね、と理奈は思った。
バァンッ!と喧しく開かれる家庭科室の扉。開け放った張本人ですら、その音に驚くボリュームだった。エコーが聞こえる始末だ。
抜群のスタイルに、長い黒髪。いつもはコピーアンドペーストされているのではとすら思える天真爛漫とした表情が、今は険しい。
いつもと、様子が違うようだ。理奈は首を静かに傾ける。
「お姉ぇちゃん!お姉ぇちゃん!大変だよ、大変なんだよ!?」
「どうしたのよ?そんなに血相変えて……。まるでこの世の終わりみたいな顔してるわよ?」
「この世の終わりみたいなものだよ!」
あ、ロクでもない会話ね。理奈はそう予測すると、華波用のフィルターをかける。ちょっとやそっとの事では動じない、精神のフィルターを。
「あたし達の出番、少なくないっ!?」
……何を、言ってるのかしら、華波は。理奈はフィルターを軽く打ち破って来た華波に、若干の恐怖を覚える。その、理解出来ない頭の構造に。
「最近全然相談事無いじゃん!?なのに、けーのSNS、ホラ!何このネコ可愛い!」
スマートフォンを突きだそうとした華波は、自分の開いたけーのページの猫の画像に悶絶する。
「可愛いねー」
理奈は上の空で返事をする。華波も満面の笑みで頷く。
「ねぇ!ねぇ!可愛いよねぇ!……って違くて!」
華波はスマートフォンをスクロールさせると、画面をタップする。そして、改めて突きだす。
「『猫飼える猫好き募集中!』って!けーが呟いてるからどうしたの、って聞いたの!そしたらメンバーの悩み事の非暴力解決って!おまけにけー、この活動のお陰で動物愛護団体から受賞されたらしいよ!?蹴ったらしいけど」
「どちらかっていうと、蹴った話の方が聞きたいわね」
『なんか、『俺は困ってる奴を助けただけ。それも飼い主が見つからないってダチに頼まれて、ソイツを助けたんだ。結果として猫の飼い主が見つかっただけだからんな賞ァいらねェ』って。カッコいい!」
「さすがけーね。平成のネズミ小僧」
「ねー。……って違くて!」
「はい、コーヒー」
「わー、ありがとー。……ってお姉ぇちゃん!?さっきから!」
「華波、今日小テストが三限の国語であるけど、予習は?」
「会話を避けないで!お願いだから!」
バレたか。理奈は露骨に嘆息する。華波のバカには昔っから慣れっこだが、嫌な予感がする時は逃げるが一番という教訓も刷り込み済みなのだ。
「お姉ぇちゃん、あたしの話聞きたくない感じなの!?」
「そんな事ないわ。けど、人には優先しなくてはならない事、というのもあるのよ?」
「コーヒーやテストの話が!?」
「……華波は冷めたコーヒーが飲みたいの?アイスコーヒーでもなんでもなく、温くなったホットコーヒーが」
「……温かいのがいいです」
「華波は私が華波のテストの点数の心配をしているのを、どうでも良い事だと思ってるの?思ってるなら……良いわ。私、今後華波の面倒みないから。……放課後、独りでアルバイトでもしようかなー」
「うううっ!?ごめんなさい、お姉ぇちゃん!」
「よろしい」
会話を事もなく避けた理奈は安心してホッとする。華波はメソメソしながら、コーヒーを飲む。
……少し、罪悪感。
理奈の胸がチクリと痛んだ。溜め息一つついて、で?と華波を促す。
「んあっ?」
華波が間抜けな声を出す。目元に涙がたまっていて、罪悪感が強まる。泣く程か。
「華波の話ってなんなの?」
ペカーッ!と太陽の様に眩しい笑顔。うっ、と理奈は怯む。先程の罪悪感から眩しさがさらに強まり、理奈は目を反らす。
「どーしたの?お姉ぇちゃん?こっち向いてよー!」
「……いや、ちょっと眩し過ぎて……」
「ん?なんの事?」
華波は全く意に介していないようだった。理奈が華波の方を見ると、邪気のないニコニコした顔。やっぱり、見辛い。
「どうしたの?気になんかしなくていいんだよ?罪悪感なんて、覚えなくていいんだよ?」
「……」
邪気まみれだった。ペシッ、と頭をひっぱたくと、罪悪感はどこに消えたのやら。理奈はいつも通りの視線を向ける。
「なんかさー、あたし達出番なくないー?最近全然相談来ないじゃん?」
「良い事じゃない。誰も困っていないって事でしょう?……華波、誰か来ると威嚇するじゃない。それって華波は困ってる人を威嚇して楽しむって事?」
「うぐっ」
理奈はコーヒーを飲む。確かに最近全くと言って言い程相談事が来ない。理奈としては平穏が守られて助かる訳なのだが。
年の後半になって皆落ち着いたのだろう。理奈はそう決めつけると、窓の方に移動する。窓際に椅子をおいて、カーテンと窓を開け放つ。11月の涼しい風が、頬を撫でる。
「そんな事より、見てよ、華波。花壇が凄く綺麗よ」
理奈は眼下の花壇をさす。春夏秋冬、それぞれの時期に咲く花をうまく配置していて、花が途絶える事のない花壇。多くの色が折り重なり合うにも関わらず、雑多な感じはせず、まるで絵画のようですらある。
「今年の美化委員は優秀ね。学祭の時も、花を愛でてる人多かったし、私達の成功はあの花壇にあると言っても過言ではないわね」
「過言でしょ、色々手尽くしてたクセに」
「華波、少し詩的になりましょうよ。こんな綺麗な花壇を毎日拝められる私達は幸せ者よ?」
「うーん、確かに綺麗だけど」
華波は理奈の背中に覆い被さるように抱き付きながら花壇を見る。綺麗だし惚れ惚れするのは解る。去年までとは段違いに綺麗なのも。
「ああ、解った。あたし、花を愛でるってタイプじゃないんだ。そりゃ無理だよ、お姉ぇちゃん。あんまり興味ないみたい」
「……」
理奈は嘆息する。解っていた。この友人はもっと人工的、現代的なものが好きなのだ。花を愛でろ、とは確かに中々の無茶だったのかもしれない。
「……あ、和乃。また夏樹さんに送って貰ってるよー、バイク登校楽そうだなー」
華波が、理奈に抱き付いたまま手を振ると、夏樹と和乃が手を上げて返す。夏樹はそのまま走り去る。重い排気音に理奈が顔をしかめる。
「……夏樹さんは悪くないのだけれど、大型バイクの音はこの景観には似つかわしくないわね」
「今日のお姉ぇちゃんは花を愛でる乙女だもんねー」
華波が理奈の頭の上でコーヒーを飲む。理奈は溢さないでね、とヒヤッとしながら釘をさす。ホットコーヒーなんて頭に溢されたら、せっかくの気分が台無し、それどころか今日一日最悪の気分である。
「おはよう。花壇、いつみても綺麗だよね」
和乃が笑いながら言う。理奈が窓辺でコーヒーを飲む時は花壇の花を愛でている時、というのは櫻子含む四人の中では周知の事実だから、またか、という感じである。
「理奈って、そういうのに少し影響受けるよなね。カーテン花柄に替えたんでしょ?」
和乃がスマートフォンをクルクルと回しながら言う。理奈は横目でそれを眺めるが、図星を突かれ少し照れているのを、二人は見逃さない。ニヤニヤとし始める。
「仕方ないよー、櫻子ー。お姉ぇちゃんはお花が大好きな『乙女』なんだからぁー」
「……」
ピクピクと、理奈の頬が少しひきつる。常に冷静沈着を装う理奈は、ロマンチストと思われるのを嫌がる。恐らく自分に対するイメージを意識して似合わないと思っているのだろうが、このように自爆する事も多々ある。
「……花が、嫌いな『女の子』なんているかしら……?」
『女の子』の部分に強烈なアクセントをつけて理奈が言う。反撃を試みる。
「嫌いな子はいないかもしれないけど、そうやって愛でる人も少ないんじゃない?」
「愛でるのは、『乙女』くらいだよねー、和乃ー?」
「そうねー、わざわざ見えるところに移動して愛でる人はいないんじゃない?」
只今劣勢。さて、どうやって覆そうか。
「……あ、美化委員の、鮎川さんだ」
「え、どこ?……あ、いたいた。鮎川さん、本当に可愛らしいね。影で花の妖精なんて言われてるの、知らないんでしょうけど」
和乃と華波が、表に視線を落とすと、理奈は逃れられた事に安心してため息をつく。
恐ろしく小柄な彼女は幼くも見えるが人当たりの良さと可愛らしさ、愛嬌から男子学生から絶大な人気を誇る。華波の笑顔を太陽のようだとすれば、彼女の笑顔はまさに花のようである。
ショートの茶髪に、赤い花をあしらった髪飾りがまた可愛らしさを強める。
「鮎川さん、委員長なんだよね、確か」
「頑張ってるよねー。……でも、なんか美化委員には問題児がいるらしいねー?」
「ああ、えっと……早川くん、の事?確かに彼は、ねー」
和乃の歯切れが悪い。その下で花壇の花をクルクル回りながら水をやり手入れしていく鮎川。もっとも、それは華麗な姿とは言い難く、ドタバタと騒がしいものだ。
「なーんていうか、あれじゃ妖精っていうよりドワーフだよねー、可愛らしいけどさー」
「ドワーフも妖精じゃなかった?だからこそのあだ名でしょ?」
「……あ、早川くんだー」
見れば金髪ピアスという、どこかで見た事ある喧嘩屋みたいなルックスの男子が、バタバタとしている鮎川の首ねっこを掴んで何かを言っている。鮎川と少し会話をすると、盛大な舌打ちをして如雨露をひったくって花に水をやっている。
「なーんか、ホントにけーみたいだねー!」
「本当、本当!」
声が聞こえたのか、ギロッ、と二人は睨まれる。和乃はそそくさと中に引っ込むが、華波は逆に身を乗り出す。
「美化委員の早川くんと鮎川さーん!綺麗な花壇だね!御苦労様ー!」
「ありがとーございますー!」
少し舌ったらずな声が返ってくる。早川はもう一度舌打ちをして、花に水をやる。
「……ふーん、何事も、ないと良いけど」
理奈はその光景を見ながら、そんな不吉な事を呟いた。




