第ニ十ニ限ー和乃と夏樹エピローグ
倉庫の外で、夏樹は地面に腰を下ろし、手足を放り投げている。全身が痛い。熱を帯びた身体は、もうエネルギーを使いきってしまった。
黒崎はあまりにも弱く、怒り狂った夏樹に手も足も出ないでいた。そうして、今はけーのお約束を受けていた。
「なんで、来たんですか」
手足を投げ出した夏樹の横で、和乃が泣きじゃくりながら睨んでいた。夏樹はどうしたものかなー、と漠然と考えるが、頭がぼんやりしている。何も出て来ない。
「皆さんで、来れば、こんな怪我しなかった、のに」
嗚咽を溢しながら和乃は言う。
「本当になァ、夏樹ィ」
お約束を終えたけーが二人のところに戻って来た。その顔は、未だに怒っているようだ。
「珍しいじゃねェかよ?オメェがそんな事も解らなくなるくらいに焦るなんて、よ?」
どうやら、けーが怒っているのは夏樹に対してのようだ。返す言葉もなかった。それこそ、奇襲でもすれば良かったのだ。
「すみません、お手を、煩わせてしまって」
「んな事ァ聞いてねェよ?」
けーは乱雑に頭をかくと、腕を組む。そして、高圧的に、
「和乃、夏樹がテメェに言う事あるってよ」
「え?」
「けーさん!?」
和乃は突然の話に、夏樹は予期せぬ言葉に驚く。けーは鼻を鳴らして、
「落とし前、つけようぜ?」
とだけ言って立ち去る。取り残された二人の間には、沈黙が訪れる。
「まったく、本当に嵐みたいな人だ」
夏樹は頭をかくと、立ち上がる。痛みはもう大分引いているが、何本か折れてしまっていそうだ。さすがに病院にでも、後で行かないといけないな。
「あの、夏樹さん?お話って……」
話の中身が解らないでいる和乃は戸惑う。
「……少し、歩きませんか?」
夏樹の少しその場しのぎの間の取り方に、和乃は頷く。
二人は静かになった倉庫群の合間を歩く。穏やかな空気だ。和乃はつんけんとする事もなく、ついて行く。
「……俺には、妹が居ました」
夏樹の告白は、静かで、けれど、強い決意を感じられるものだった。和乃は、夏樹の言葉が過去形であるのに気付く。つまり、もう。
「妹はとても良い子でした。昔からよく俺になついていた。よく、おとなになったらお兄ちゃんと結婚するーって言ってましたね。俺が喧嘩をすると凄く心配して、よく怒られました。それでも、軽い怪我ならいつも妹が手当てしてくれました。
世話好きで、かと言って出過ぎた真似は俺くらいにしかしない、節度のある子でした。
いつでも俺のそばにいて、いつでも俺をささえてくれた、自慢の妹です。ですが」
夏樹は一同言葉を切ると、空を仰ぐ。
「妹は死にました。居眠り運転のトラックに突っ込まれて。そして、俺は、妹を失った」
夏樹の手に力がこもる。頬に涙が伝う。
「その後の俺は、もう荒んでました。妹を殺した相手を病院送りにして、俺は少年院にブチ込まれて……。出てからも、無茶苦茶してました。それでも、どれだけ無茶しても、胸に空いた、空洞は埋まりませんでした。
そんな時です。けーさんに会ったのは。兵隊の一人が、一年にやられたって聞いて、総長として、お礼参りに行ったんですよ。滅茶苦茶強いとしか聞いてなくて、性別も聞いてなかったんですよ。どんな凄い奴が出てくるのかと思ったら、あれですよ?」
少し夏樹は可笑しそうに笑う。確かに、身長百五十センチ程度しかないけーに負けたと聞けば、笑ってしまうのも無理はない。
「確かに、女の子に負けた、なんて聞いたらあの時なら負けた奴ボコして破門にしかねない勢いでしたからね。それで、多分滅茶苦茶強いとしか言わなかったんでしょうね。それでタイマンはって、負けて。
けーさんの人間性に惚れ込んで、救いを求めて付き従いました。けーさんは、ネズミ小僧です。強きを挫き、弱きを守る。そうやって、今までしてきた事チャラに出来るとは思ってなかったですけど、やってたら、少し、胸の空洞が、小さくなったんです。
きっと、妹が望んでいたのは、俺が人助けする事だったのかもしれない。それの、やり方が俺のやり方なのを除けば、妹はきっと、天国で笑っていてくれてるに違いないと思いましたから」
けど、と夏樹は言葉を区切る。
「最近、また空洞が広がってしまったんですよ。なんでだと思いますか?」
「え……っと、妹さんに代わる人がいないから、とかですか?」
「んー、惜しい。半分正解です、かね」
夏樹はいつもの爽やかな笑顔とは異なる、少し寂しさと優しさを感じさせる笑顔を向ける。
「よく、似てるんですよ、和乃さん。あなたが俺の妹に」
「……え?」
私が、似てる?夏樹は笑顔を向けたまま動かない。和乃は混乱して少し取り乱す。
「似て?え?あの……お兄ちゃんと呼べば良いですか?」
「落ち着いて下さい。俺は別にそういう性癖の持ち主ではありませんよ」
夏樹はいつもの眩しい笑顔を浮かべながら言う。
「和乃さんは、俺の妹にあまりにも似過ぎてるんですよ。だからつい守ってあげたくなるっていうか、その……」
歯切れが悪い。しばらく独りで悩み、やがて決心したように向き直る。
「その、付き合って頂けません、か?」
「付き合う?」
どこに?墓参りに?和乃がしばらくそんな事を考えていると、
「俺と付き合ってくれませんか?」
重ねてそう言われた。それでもしばらく考えて、
「ぬぇぇぇっ!?」
「俺は本気です。妹と重ねてる部分こそありますが、俺は、和乃さん、あなたを守りたい。妹と重ねて見て、そして、次第にあなたに惹かれていった。……あの時、出来なかった事を……させては頂けませんか?」
「……夏樹さん、夏樹さんは少し勘違いしてます」
「勘違い?」
夏樹が眉をしかめる。和乃は少し意地悪気に笑う。
「わたし、結構我が儘なんです。妹さんであっても、他の女性の事見てたら嫌です」
「……これは、手厳しい」
夏樹はククッと喉で笑う。夏樹はそっと和乃の手をとり跪く。まるで中世の騎士のように。
「大丈夫です。俺はけーさん、そして自分の名誉にかけて、あなただけを愛します」
「……はい」
和乃は頬を赤く染めながら返事をする。夏樹はそのまま、和乃の手に軽くキスをする。
「アハ、夏樹さんは、手で満足なんですか?」
「おや、奪ってしまっても良いのですか?」
「……敬語は、止めて下さい。私は年下です。そして、けーの友達でなく、夏樹さんの恋人です。彼女です」
「……はい、お嬢様」
夏樹は笑いながら返事をする。和乃は少し唇を尖らせて、
「解ってないじゃないですかー」
「どうも、調子が狂っちまうな。和乃さ、が我儘ってのが、解った気がしま、するな。……で、奪ってしまっても、良いの、か?」
「滅茶苦茶な言葉使いになってますよ」
「……無理です。少しずつ長いスパンで見て下さい」
夏樹が頭をかく。調子が狂ってしょうがない。
「それに」
と、和乃がまた少し顔を赤らめ
「奪われるのでなく、差し上げるのです」
夏樹は少し目眩を覚える。告白してから僅か数言で、夏樹は和乃の気付かなかった一面に気付いた。
盲目的だ。恐らく甘やかしておけば、例え二股していたとしても、間違いなく見抜く事すら出来ないだろう。生真面目が完全に裏目に出てる。悪い男に捕まる前に付き合えて良かった、と夏樹は強烈な目眩の中でつくづくそう思った。
「和乃、頼むから悪い男を見抜く力だけは持って下さいよ?」
「な、なんですか、急に?……大丈夫ですよ。わたし、別れる気ないですから」
ニッコリと笑う和乃を見ても、夏樹は不安を隠しきれない。苦笑いを浮かべてしまう。
「……しない、んですか?」
和乃が上目遣いで、モジモジしながら問う。夏樹はポンッ、と頭に手をおいてから、
「和乃が、大人になったらな」
「じゃあ、大人にして下さいよ」
「……」
意味解って言ってんのかよ?夏樹は額に手をおいてため息をつく。それを見た和乃が、唇を再び尖らす。
「なんですか、子供扱いして」
「子供、子供。俺から見りゃそりゃ子供ですって。俺ぁもう20ですよ?和乃、14歳の奴に、んな事言われたら、どう思います?」
「ムッ」
「少しは俺の気持ちも察して下さいよ?いや、身体か」
「身体?」
和乃は夏樹の事を、もう一度よく観察し、
「あ」
バイクに寄りかかって何事もないかのように振る舞っているが、四肢が震えている。そういえば、止血もロクにしてない。
「立派な大人ってのぁ、相手の事を気遣える奴でしょう?ちっと、家に行こうか?」
「……ごめん、なさい」
少し、舞い上がり過ぎたようだった。和乃は少し肩を落として、謝る。
「っと」
夏樹の膝が崩れ、ガクッと和乃の方に倒れ込む。和乃が慌ててそれを支えようとして、
「んむっ!?」
頬を挟まれ、キスをされた。驚き、和乃は動く事が出来ないままだ。身体の、心の芯から熱くなって行く。今までに感じた事のない幸福感。
極めて短い一瞬の出来事。夏樹はそっと身体を離すと、少し意地悪気に笑う。
「さ、行こうか?」
夏樹はバイクに股がるが、和乃はしばらくその場に立ち尽くす。そしてハッとすると、夏樹の事を睨む。
「意地悪です、夏樹さん」
「意地悪な彼氏は嫌いですか?」
「……やっぱり、すごく意地悪に訂正します」
夏樹は笑顔を浮かべて、
「行こうか、和乃。ここは、話すには向いてねぇし」
夏樹は見てて気持ち良い、爽やかな笑顔を浮かべた。和乃はそっとバイクに股がると、その腰に手を回す。
「そういえばけーの事好きって話聞いたんですけど」
密着した身体が、僅かな動揺を察する。夏樹は無言のままにアクセルを回しながら、あー、と唸っている。
「なんて、言うのかな……。俺は恋人なんか作らねェって言われて……。なんか、俺はあの人とは対等にはなれねぇ。年甲斐もなく、尊敬と恋慕を混在させてただけ、みたいな」
「……夏樹さん、そんないい加減で曖昧なまま告白したんですか?」
「……」
夏樹は和乃の白い目から逃れるように走り出す。リッター越えの夏樹のバイクは五月蝿く、まともな会話なんてロクに出来ない。だから和乃は責めるように背中を小突く。
「止めて下さい」
「……夏樹さん、不潔です」
「……」
どうも立場が弱いな、と夏樹は左手で頭をかく。そのままクドクドと後ろから聞こえにくいままに説教を受ける。
夏樹の家についても、和乃の説教は止まる事なかった。夏樹は掌を和乃に向けて、黙らせる。
「まぁまぁ、和乃。じゃぁ、どうして欲しいんだ?」
「え?」
どういう、事だろう。和乃が止まったのを見ると、
「俺は今まで彼女なんていなかった。それも和乃から言わせたら怒られそうだけど、それでも、今は和乃って彼女がいる。そこからはみ出すような事はしない。それじゃ、ダメなんかい?」
「……」
よし、小言が終わった。夏樹はそう判断すると、手当てを自分で始める。止血と消毒を繰り返す。骨はヒビが入っている程度のものと判断する。念のために明日病院に行く程度で良いだろう。
「……わたし、は」
不意に和乃が夏樹に抱き付く。その目は不安に満ちていた。
「わたしは、夏樹さんが曖昧だと、怖いんです。……目の前から、突然、消えてしまいそうで」
「俺はそんなに儚いですか?これでも強さを求めて来た。腕っぷしだけじゃなくて、内面的な部分も。俺は、消えたりしねぇ」
そっと和乃を引き離す。その目を真っ直ぐに見つめた。
「俺ぁ、和乃を愛し続ける。そう、宣誓したただろ?」
「……」
有無を言わさぬ強い意志を宿した瞳。和乃はそれ以上追及する事なく夏樹の手当てを黙々と手伝う。
「大好きです、夏樹さん。ずっと、守って下さいね。ずっと、一緒に、いて下さい」
「解ってますよ、お姫様」
そっと夏樹は唇を重ねる。和乃の不安を取り除くように、優しく、温かいキス。和乃を抱き締めながら、夏樹はベッドの上に横になる。
「もう一時になるけど、帰らなくて大丈夫か?」
「家に電話して、泊まっても良いですか?明日はちょうど休みですし」
「男の家に躊躇いもなく泊まるなんて、少し軽率じゃないか?」
茶化すように夏樹が言う。和乃は驚いたような顔をする。
「わたし、食べられちゃうんですか?」
「さぁ?」
「大丈夫です。夏樹さんは、わたしを泣かしたりしないって信じてます。……泣かされた時は、けーに告げ口します」
「……それは怖い。本当に怖い」
夏樹が本当に困ったような顔をするものだから、和乃は可笑しくて笑ってしまう。
「そういえば、なんでけーは夏樹さんがあそこにいるって解ったんですかね?夏樹さんは、誰に言う間も惜しんで来てくれたんですよね?」
「……ああ、その事。それは、これだよ、和乃」
夏樹はスマートフォンを手元で弄ぶ。和乃は言っている事がよく解らず小首を傾げる。
「GPSだよ。俺のバイクは盗難防止にGPSで場所が解るようになってんだけど、けーさんのスマフォでも見れるようにしてあってな?
櫻子さんの迎えに行った親衛隊長が、俺に連絡いれてて、いつもは指示出してんだけど、一向にそれが返って来ない。おまけに今日は俺が幹部連に集合かけたのに来ない。だからけーさんに連絡した。それでけーさんがGPSを見たら俺のバイクが妙なとこ、いや、あそこが俺等、けーさんが掴んだアイツ等の集合場所だった。だから何かあるって踏んだんだろ」
夏樹が推測を織り交ぜながら言う。その推測はまず正しいだろう。バイクの盗難防止が、こんなとこで役に立つとは。夏樹も驚きだった。
「……成程。つまりけーが常々GPSを確認してたら、わたしが帰ってないのがバレてしまうんですね」
「……まぁ、隠すような事じゃねぇけど、なんか言われっかなー」
「大丈夫です。なにか言われたら、わたしが全力でフォローしますから。……今夜はずっと一緒です」
「そう、だな」
和乃は抱き付く力を少し強める。夏樹はその背を撫でる。
「さすがに、疲れちまった。もう、寝ようか?」
「そうですね。夏樹さん、お疲れ様です」
夏樹がリモコンで部屋の照明をおとす。
「夏樹さん」
「ん?」
「大好きです。おやすみなさい」
「おやすみ」
軽く口付けをすると二人は優しい微睡みの中に幸福感に包まれながら沈んで行った。
目を覚ますと、愛した夏樹の顔があった。一度は諦め閉ざした恋慕だったが、今はこうして結ばれる事が出来た。
「……夏樹さん」
未だに微睡みの中に沈んでいる夏樹にギュッと抱き付く。すると、背にそっと腕を回される。
「おはよう、和乃」
「おはようございます、夏樹さん。……起こしてしまいましたか?」
「いや、少し幸せに浸ってただけだから、気にしなくて良いさ。……和乃」
「ん」
唇を優しく重ねる。ああ、こんなに幸せで良いのだろうか。和乃は夏樹に身体を預けながらそんな事を思う。
「和乃、エスプレッソ、飲むか?」
「頂きます」
夏樹は頷いてから身体を起こす。まだ数ヶ所に痛みを持っているが、夏樹はそれらを黙殺してエスプレッソを入れる。デミタスカップを和乃に渡すと、夏樹は砂糖の入った器をとる。
「砂糖、入れるんですか?」
「気分次第でね。……エスプレッソの本場がどこか知ってるか?」
「え……イタリア、ですか?」
「正解。イタリアだと、大量の砂糖をいれて数口で飲みきってしまうものなんだ」
「へー」
和乃はその本場の飲み方に倣ってみる。デミタスカップに二杯山盛りの砂糖を投入する。
甘味と苦味の奇妙なコントラスト。そして口の中に広がるコーヒーの風味。
その苦味は、まるで昨日までの苦悩、その甘味は今日のこの幸せのようで。
ああ、昨日が、昨日の苦悩があったから、今日がこんなにも幸せなのか。
和乃は隣に座る、優しい爽やかな笑顔を浮かべてる夏樹を見る。
この強い風味も、どこか夏樹のようで。この恋を思うならば、こんなコーヒーがちょうど良いだろう。
「わたし、このコーヒー、大好きです」
そう言って、和乃は夏樹に抱き付き、キスをした。




