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第十九限ー和乃と夏樹

らしくない。そう思った。

だが、自分でも思わず肩に触れた手を見てしまう。困ってるあの子の顔を見たら、思わず手が伸びてた。

「らしくねぇな、本当によ」

大切にしてたもんなんて、脆く崩れちまうもんだろうが?

アクセルを回して、加速する。いつもはそうやって頭が冴え渡るってのに、今日は全くそんな事はなく、むしろ鈍くなりやがる。

あーあ、本当、らしくねぇなぁ……。


拉致られる危険、と言っても具体的な対策はない。理奈や夏樹と別れてから、和乃はゆっくり帰宅する。

けーと文化祭に来てた時は、二人がカップルのようにしか見えなかったし、二人の地元で会った時は夏樹は私服だった。

今日も私服ではあったが、傷だらけの手や、屈強な男達を従えている様は、改めて暴走族、喧嘩を常習的にしているのだと言う実感が沸いた。

それでも、

「優しい、手だったな」

肩に置かれた手は凄く優しい温もりを帯びていた。思わず、そっとその肩に手を触れてしまう。

「……」

家に付いて布団に入るものの、中々和乃は寝付けずにいた。夏樹の爽やかな笑顔と、敵を威嚇する顔が、頭から離れない。

凄く怖いのに、凄く優しい。あまりにも強い二面性。

そして、肩に触れたあの温もり。何故夏樹の事がこんなにも頭から離れないのだろうか。和乃は、暗闇の中、酷くしつこい影を何度も振り払おうとする。

やがて、日の明かりが、見える。

「……」

結局和乃はまともに寝る事もままならず、朝を迎えてしまった。眠くてぼんやりする。それでも顔を洗うと、大分スッキリした。

かなり苦めのコーヒーを入れて、カフェインというよりも、苦味で頭を無理矢理叩き起こす。

サラッと予習を済ませて、学校に向かう。電車の中でも、予習は欠かさない。今日やる授業の教科書を黙読する。

だが、内容は一向に頭に入って来ない。頭には夏樹の事ばかりがついて離れない。

「あー、らしくないなー。全く集中出来ない」

「どーしたの?和乃ー?」

改札を降りてぼやくと、後ろに華波と櫻子がいた。華波のツヤツヤとした肌と表情が、非常に妬ましい。

「うわっ、どうしたの、和乃!?クマ酷いよ!?」

櫻子が驚いている。そんなに酷い顔をしているのだろうか、と不安になる。メイクで誤魔化したつもりだったのだが。自分が思っている異常に深刻なようだ。

「……あんまり、寝れなくてね」

「珍しい。和乃と言えば、普段はバイト、休みは遊んでしっかり寝てしっかり勉強、って感じなのに。ねぇ、華波?」

「うん。和乃、大丈夫?悩みとかあるなら、あたしでよかったら相談して?お姉ぇちゃん程力にはなれないけど」

「ありがとう。……けど、自分でも、何に悩んでるのか、よく解らなくて……」

「むむ?悩みがよくわからない?」

華波が首を捻って、櫻子と顔を見合わせる。和乃は、また夏樹の顔を思い出し、ため息をつく。そのため息を見て、二人はピーンと来る。

「ねぇねぇ、和乃?それって、人が関係してるのかなー?」

華波の問に驚く。なんて鋭いのだろう。

「おまけに、人って男の人?」

図星だな、と確信した櫻子が重ねて問う。あれ、なんだろう。もしかして、昨日から冴えてないのは、この二人に冴えてる部分を奪われた?呪い?

「やっぱり、だよね?」

「ですな、華波師匠」

そんな、普段なら思わない事を思っていると、二人は何やら神妙な面持ちで頷き合ってる。完全に会話に置いてかれた気分だ。

「和乃ー、和乃もオンナノコだねー」

華波がニヤニヤしながら言う。肌のツヤツヤが、三割増しくらいになっている。

「いいねー、いいねー」

櫻子も同様だ。二人は楽しげに笑っている。

「え、なに?何で何も話してないのに二人とも解ったみたいに言ってるの?」

和乃はもう訳が解らなかった。そんな和乃を二人は見て楽しんでいる。

「それはねー、和乃ー?」

「きっと和乃が、未体験だから解らないんだよ?」

「未体験?」

ますます解らない。何なんだろう、今日の二人は。

「ずばり?華波先生?」

「和乃ちんは、恋の病にかかってるのだー!」

華波がビシッと指を指しながら言う。もう肌の艶は最初の五割増しくらいになっている。もう、天真爛漫という言葉では足りないような、華波自身が発光しているかのような笑顔だ。

「……恋、の病……?」

……恋の病?恋煩い?誰に?夏樹さんに?

「いや、ないから」

ビシッと返して和乃は呆れる。なんだ、それは。

「でしょでしょー!?……って、え?和乃ー?」

「……いやいや、きっと恋煩いだよ、和乃?」

「ないない。あり得ない。わたし恋なんかした事ないもん。華波達はそっちに結びつけて楽しんでるだけでしょ」

今時の若い女の子はなんでも恋愛に結びつけると聞いた事があったが、まさか二人までとは思わなかった。だが、そういえば華波も櫻子も、恋多き乙女だったな、と思い出す。華波は過去形だが。

「わたし恋してる余裕ないしね。たまの休みを除いたら、結構忙殺されてるんだから」

「それは知ってるけどさ」

櫻子がバツが悪そうに言うが、華波は首を傾げている。

「和乃は忙しいから、恋をしないの?」

「ん?そう、だね。そういう事かな」

「それは、違うよ、和乃ー」

華波はニパッと笑う。和乃は首を傾げる。違う、とはなんだ。

「忙しいから恋をしないって言うのは行動なんだよ?しないというより諦める?相手に好きな人がいる場合とかみたいに。心じゃないの。その場合も、すでに恋をしてるんだよ。

和乃はまだ、忙しいって言い訳を使って自分を誤魔化してるだけだよ。忙しいと恋愛が出来ないなら、アスリートとか、芸能人に恋人なんか出来ないでしょ?」

「……」

そう、なのだろうか。和乃にはよく解らなかった。自分に、偽っているのだろうか。けーから、夏樹に告白されたという事を、気にしているのだろうか。

解らない。

「……解らない、よ」

「あたし達も、別に無理して聞き出そうとかしないからさ。あたし達、結構遊んでたから、相談くらいなら乗れるよ?」

「その辺は、お姉ぇちゃんより強いかもね」

「だねー」

「ありがとう」

恋なのかは、解らない。悩みも解決したとは言えない。だが、少し肩の荷が降りた気がした。

頼れる仲間がいるからだろうか。

家庭科室に着くと、騒いでる二人を余所に理奈にも相談してみるものの、回答としては二人とほとんど同じだった。

授業中もほとんど予習の時と同じように頭に何も入っては来なかった。ただ呆っと宙を眺めて、夏樹の事を考えるばかりだった。

いや、それと一つ、かなり厳しい状況に直面していた。

「……ねむ……」

何せろくに寝てない。今更になって睡魔がやってきた。歯を食いしばって、なんとかギリギリのところで意識を保つ。

「関元和乃さん」

「は、はいっ!?」

数学の教師に名前を呼ばれて、飛び上がる。眠気すらも吹っ飛ぶ程に驚いた。

「この問題、解りますか?」

「はい、はい!解ります、大丈夫です!」

慌てて前に出て問題を解こうとするが、机の足にひっかかって蹴躓く。

問題は予習した範囲だったが、うろ覚えでしかなかった。頭を必死に動かして、辛うじて問題を解く。

教員は正解です、というものの、あまり良い顔をしていない。少し、問題を解くのに時間をかけすぎたようだ。

「和乃さんにしては時間がかかりましたね?」

案の定の言葉が教員の口から出てきて、和乃は少し唇を噛み締める。誰かに指摘されると、より心にささる。

「すみません、少し体調が良くなくて」

「そういう事でしたら、無理に授業に出なくても良いのですよ。体調管理もしっかりして下さいね」

「……はい」

正解したのに怒られるってなんだ。和乃は少し数学の教師を恨めしく思いつつ、自分の席に戻る。何か意識がはっきりするものはないだろうか……。睡魔の攻勢は勢いを増し、意識の城壁は、陥落寸前だった。

辛うじて一限の授業を終えると、休み時間の間だけでも寝ようと、イヤホンをスマホに繋いで、アラームをセットする。そうして机の上に突っ伏す。少しでも寝て回復させようという魂胆だ。

休み時間は10分。何があっても顔をあげてはいけない短期決戦だ。和乃はそう決め込む。

すぐ逝けると思ったのだが、中々寝付けない。焦りを覚えながらも、5分目くらいに、ようやく意識が遠退く。

「……」

パチッ、と目が開く。アラームが聞こえた訳ではないが、自然と目が覚めた。和乃はうーん、と伸びをする。

「ハッ!?」

そこで、ようやく自分のおかれた状況に気付く。目の前にいる教員は、ある程度すでに授業を始めていた。そこはまだ良い。一番前のど真中、教壇の目の前の席で伸びをしてるこの醜態もどうでもいい。

問題は、それが次の二限の現代文ではない、という事だ。

黒板に書かれた授業の内容は、午前の授業の最後、四限の世界史だった。

追い討ちをかけるように、終業のチャイムが鳴る。

「!?」

二限から四限、全てを寝て過ごしていたらしい。愕然とする和乃に、世界史の教員が「無理はしないようにね」と言い残して教室を後にする。

「……」

伸びをしたままの姿勢で固まる。何でこんな時間まで寝てるの?しばらくして、ようやく首を傾げ、そしてガタッと立ち上がる。

「え!?なに!?何で!?」

状況把握。ようは、寝過ごした。元より自力のみで起きれる自信なんてものは皆無に近い。だが、学校という特性から、必ず起こしてくれるだろうという甘えた考えのせいか、誰一人として起こしてはくれなかったようだ。

いや、あるいは一向に起きないから呆れられた?

それはまずいだろう。理奈程の点数がない自分には、内申に響くだろうそれはまずすぎる。

「和乃大丈夫ー?」

クラスメイトが、事もなげに尋ねて来る。和乃は勢い良く振り返ると、少しだけフラッと姿勢を崩す。

「あー、ダメダメ。安静にしないと」

クラスメイトに制されて、椅子に座らされる。

「……待って、どゆ事?わたしずっと寝てたの?」

「うん。和乃いつもキッチリしてるのに、珍しく寝てたから、先生に体調があまり優れないみたいだから寝かせてくれって頼んだの。まぁ、先生も、その辺理解してくれたみたいだよ?」

「……」

なんて事だ。成績優秀、品行方正が裏目に出るとは。少し項垂れるのだが、そこでラッキーとは思わないのが和乃が品行方正と教員に思われる理由だろう。

寝れたお陰で、頭はスッキリしてるんだけど、どうしたものかな。頭を抱える。結局、種は残ったままなのだ。不眠症は副産物である。

午後の授業も頭に入って来ない。おまけに放課後のアルバイトも、ミスを連発していた。

「はぁ」

なんでこんな風になってしまったのだろう。ファミレスのホールに立ちながら、思わずため息をついてしまう。

「和乃さん、元気がないですね?悩み事でも?」

夏樹の幻聴まで聞こえ始めてしまった。もう自分はダメなのかもしれない。

「そうなんですよー。とある人が頭から離れなくて、もう勉強もバイトもダメダメでして。夜も中々寝付けないで」

「ほう。それは大変ですね。というか、マンガに出てくる典型的過ぎる恋する乙女ですね」

夏樹の声は、楽しげだ。幻聴相手に話している自分は相当ダメなのだろう。不審者、危ない人認定だ。

「みーんなそうやって言うんですよ。けど、わたし恋なんかした事ないですし。それに」

もう一度ため息をついて、し

「……あれ?」

目の前に、夏樹の姿があった。

「幻覚まで見えるなんて」

「ん?落ち着いて下さい、和乃さん。俺は幻覚でなくて、夏樹です。間違いなく本物です」

「まさかー。夏樹さんがこんなとこ、いる訳ないじゃないですかー」

ベシベシ、と肩を叩く。……ん?叩く?

和乃は、目の前の夏樹をよく見る。特効服でもなければ、今まで見たことのある私服でもない。幻覚にならありそうな、自分好みの服でもない。

「え?え?」

「大丈夫ですか?」

心配そうな顔。和乃はしばらくフリーズしてから顔から火を吹いたように真っ赤になる。

「すすすすすすすすすすみませんでしたぁっ!」

そのまま勢いよく頭を全力で下げる。ゴッ、と目の前にあったレジに頭をぶつけるが、恥ずかしさから顔をあげられない。

「すみません!すみませんでしたぁっ!」

「和乃さん!?」

店の奥から、ドタバタと走る音がしたかと思うと、年配の店員が現れる。

「すみません!ウチの店員が何か粗相を!?すみません!」

店長のようだった。店長も物凄い勢いで頭を下げる。

「え?あ?」

夏樹が二人の勢いに押されて、しどろもどろする。頭を下げる二人を見て夏樹はどうすんだよ、これ、と辟易とした顔をする。

同時に、少し頭を上げた店長と目が合う。店長の顔に恐怖が張り付き、

「すみませんでした!」

再び勢いよく、先程よりも深く頭を下げる。

「いや、あの。全然怒ってるとかでなくて」

そこで夏樹は平静を取り戻す。店長が少し頭を上げる。

「いや、本当に。二人ともそんな頭下げないで下さいって。店長さん、ですか?俺、この子、和乃さんの知り合いで、ちょっと和乃さんが疲れて良く解らなくなったただけですから。和乃さんも」

「……」

和乃の顔が再び着火する。解らなくって、かなりダメなのではなかろうか。

その後、しばらく夏樹はレジから離れられなくなってしまった。

「……ふぅ」

「本当に、すみません」

席について、夏樹にコーヒーを一杯出すと、和乃は再び頭を下げる。店長はもう奥に引っ込み、客は他にはいない。

「いや、良いですよ。よく解りませんが、お疲れみたいですしね」

夏樹はコーヒーを口に運びながら言う。言葉の一つ一つが、和乃に矢となり降りかかる。

「急にお邪魔してしまって、すみませんね」

「いえ、いつでも歓迎します」

夏樹はタバコに火をつける。そして、あっ、と短い声を上げてすぐに火を消す。

「すみません、和乃さんの前で」

「あ、いえ。お気になさらずに」

夏樹は誤魔化すようにコーヒーをもう一度口に運ぶ。

「和乃さんは、毎日放課後バイトをしていると聞いたので、護送をさせてもらいに来ました。夜道は何があるか解りませんからね」

「そんな、気にしなくて良いです」

ちょっとぶっきらぼうに返す。優しさが、妙に照れ臭いのは、何故だろう。

「櫻子さんもバイトをしているようなのですが、そっちには親衛隊長が向かいました」

「……」

なんて不穏な響きだろう。親衛隊長に護送される櫻子。あの子は恋多き乙女だから、恋をしてもおかしくはないだろう。

「少し時間を間違えましてね。早くに出過ぎてしまったようなので、お邪魔でなければ、店内で待っていても、問題はありませんか?」

「あ、大丈夫です。っていうか、そんな護送なんてしなくても別に……」

「物騒ですから」

夏樹の言葉には、有無を言わせぬ力があった。

「けーさんを脅迫、なんて真似もさせないですし、和乃さん達を、危険な目に合わせる訳にはいきませんから」

「……」

夏樹はお決まりの、爽やかな笑顔を和乃に向ける。

ドクンッ、それを見た和乃は自分の鼓動が、明らかに強くなったのを感じる。思わず、視線を夏樹から反らす。

え、いや。だけど。わたしは、そんな。

ドクンッ。

恋なんかした事ないし、夏樹さんは、けーが好きで。

ドクンッ。ドクンッ。

『忙しいから恋をしないって言うのは行動なんだよ?しないというより諦める?相手に好きな人がいる場合とかみたいに。心じゃないの。その場合も、すでに恋をしてるんだよ。

和乃はまだ、忙しいって言い訳を使って自分を誤魔化してるだけだよ』

朝の華波の言葉が、脳裏で反復される。

わたしの気持ちは、誰に向いているんだろう。

和乃は、反らした視線を、そっと夏樹に向ける。

「どうしました?和乃さん?」

優しく、温かく微笑む夏樹。

わたしは、夏樹さんが?違う。だって夏樹さんはけーが好きで。わたしの気持ちは?他の誰かが好きなのに。わたしは誰を見ているの?違う。脳裏にいるのは?違う。目の前の。違う。目の前にいる。違う。

夏樹。

パズルが組合わさったような、ガラスが割れるような、不思議な感覚。

和乃は、ようやく理解する。華波も、櫻子も、間違ってなんかいなかったのだ。ただ、自分が認めていなかっただけで。

「失礼、します」

「お仕事、頑張って下さいね、和乃さん」

決まって見せる笑顔もろくに見ないで、和乃はホールから逃げ出すように立ち去っていく。

おかしい。変に決まっている。

和乃はそのままロッカールームにまで逃げ込む。前後のシフトでは女子が自分しかいないから、誰かに干渉されるような事はない。

和乃は、頭を抱える。

他の誰かを好きな人を好きになるなんて、おかしいに決まっている。和乃はそう思っていた。

幸いその時間、一切の客の出入りもなく、和乃は夏樹と顔を合わさないですんだ。


横からホイッと出て来たわたしが、何をしていいと言うんだろう。

何もしていい訳がない。

無遠慮に土足で入り込む事で、壊れてしまうものがある。そして、それを持ち出すなんて。もっての他だ。

わたしが、望まなければ、願わなければ、求めなければ、それでいいんだ。

それでいいはずだ。間違ってなんてない。

間違ってるのは、わたしの感情。わたしの、歪な恋慕。

求めなければ、それで、いいんだ。

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