第十三限ー理奈と料理部
西条高校には、天才的な料理の腕を持った少女がいた。一年で部長の座を勝ち取った彼女は、その持ち前の面倒見の良さから学年を問わずに、他の部員から慕われていた。だが、彼女が二年になる直前に、部は突然の活動停止に追い込まれる。
学校側からの説明はなく、調理部の合鍵は今も、彼女が持っている。
ケータイを学校に忘れた。理奈は嘆息する。横にいる華波が笑っている。お姉ぇちゃんもこんなミスするんだね、と。全くだ。 こんな事は普段しないのになんてミスだろう。
「なんて言うのかな。最近調子がよくないみた
いでね」
「珍しいねー。一時期『鉄の女』なんて言われてたのに」
「華波、それ違う人だから」
イギリスに謝ることになる。華波にしては珍しいボケ方だった。だが、鉄の女はいただけない。それではまるで非情か何かみたいではないか。
自分の教室、自分の机の中を覗くと、やっぱりそこにケータイはあった。全く、とんだ手間だった。
運動部の声に混じって、文化部の笑い声が聞こえる。理奈は静まりかえった調理室の前で足を止めて、静かに見上げる。
その顔からは、虚しさと後悔ともとれる、何とも言えない悲しみが伺えた。何故こうなったと、言わんばかりだ。
「……お姉ぇちゃん」
華波が不安そうに手を握る。そうでもしないと、目の前から理奈が消えてしまうと思っているかのようだった。
「大丈夫だよ、華波。私は、もう料理部の活動はしないから」
笑って言うのだが、華波の顔からは、不安は消えてないようだった。
仕方ないな、華波は。理奈はその手を引いて歩き始める。普段とは、立場が逆転する。理奈が話して、華波がそれを聞く。
華波の不安も、そうしていくうちに消えてなくなった。単純な娘なのだ。単純故に、時に危なっかしい。こうやって、誰かに騙されないと良いのだけれど。
やがて理奈はいつも通り華波の話を聞く側に回る。電車の中でも華波は喋り通しだ。時には、華波のオーヴァーな話し方や身振りで吹き出す者、五月蝿いと注意してくる者もいる。
その時、
「あ、森下先輩。お久し振りです」
「あ、瑠璃ちゃん」
振り返ると、中学時代の後輩がいた。今は別の高校に行っている。小柄な体つきで、マスコットのような娘だ。
「お久し振りですー、先輩」
「瑠璃ちゃんもね。元気そうで何より」
「最近調子はどうですか?」
「調子は良いよ。楽しくやってるよ」
「そうなんですか?また何か良いレシピあったら教えて下さい」
「……」
理奈の表情が固まる。
「最近先輩の話聞かないから心配だったんですけど、今でも楽しくやってるんですね!」
瑠璃は慕う先輩に久々に会った喜びで、理奈の異変に気付かない。
「そうだ、先輩、今度合同で」
「お姉ぇちゃん、ついたよ。降りよ」
華波がキッと瑠璃を睨むと、瑠璃は萎縮する。理奈はそれを不憫に思いながらも、またね、とだけ返して電車から降りる。
降りてからしばらく、二人の間に沈黙が訪れる。理奈は、酷く沈んでいる。
「お姉ぇちゃん!コーヒー飲も!こないだ美味しいお店見つけたって言ってたよね?あたし飲みたいんだ!」
華波は、知っている。こういうと、いつも笑顔で行こうか、と言ってくれる事を。
「……」
理奈は感情の籠ってない瞳で、華波をみる。華波は、ニコニコと笑って内心の不安を誤魔化す。今、理奈と別れたくない。その一心で言った言葉。
フッ、と理奈が破顔する。
「そうだね。行こうか」
「うんっ!」
華波は勢いよく理奈の手を掴んで早く早く、と子供のようにせがむ。理奈の手が震えていたのに気付いて、それを華波が、誤魔化した。
単純で短絡的で、そして優しい。
「華波」
「ん~?」
「ありがとう」
「……」
華波は足を止めて、首を傾げる。何の事?と問たげだ。
優しいな。理奈は心が温まる。
「ホラ、行くよ」
理奈が少し跳ねて前に出る。グイッ、と華波の手を引いてカフェに向かう。
二人は、にこやかな笑顔でコーヒーを飲む。笑顔で話す。そして、笑顔で別れた。
「……」
家について、自室に籠ると、理奈は思案する。自分の、今後についてだ。
天才とまで言われた料理の腕。きらびやかな事をした訳ではない。食材の、火の通り等を考えて、最善のタイミングで調理していただけだ。その素朴な味が話題を呼び、天才と評価された。
料理部が活動停止しても、学校は理奈に鍵を預け、いつでも活動出来るようにしていてくれていた。入部希望者が居なかった訳ではない。希望者には、今は活動停止中と言っていたらしい。
学校は味方していてくれた。
あの事件を引き摺っているのは、恐らく自分だけだろう。
ただの、不幸な事故だったのだ。ちょっとしたイタズラが、不幸な事故を引き起こしただけだった。
理奈は、あの時の事を思い返す。
新学期を目前にした時期に起きた、悲しい、不幸な事件を。




