第十ニ限ー理奈と華波
その日、起きたら時から理奈は胸騒ぎがしていた。学校に行くと、それは強まる一方だった。
授業が始まっても華波から連絡が来ないのが、その胸騒ぎが高める。華波はここ数日に限らず、休む時は必ず理奈と櫻子に連絡して来ていた。なのに、今日は連絡しても返事すらない。熟睡と二度寝が異様に好きだから、寝坊という事も考えられるが、それにしても、普段なら必ずメールが返ってくる。
何か、あったのでは。理奈はそう思うと、一限が終わると、帰る支度をする。華波の家に、向かうのだ。
「なんかあったら連絡してよ」
櫻子も、やはり心配なようだった。家の事情は話していないが、華波の様子が最近おかしかったのは、櫻子も知っている。
それどころか、底抜けた明るさで人気のあった華波の元気が最近なかった事、そして連日休んだ事をクラスの全員が不思議がっている。
電話をかけてみても、電話を取る事はなかった。理奈はケータイをしまうと、不安を振り払うかのように、華波からもらったシュシュに手を添える。
地元の駅につくと、華波の家に向かって走る。行き交う人が、何事か、と見ている。それらを気にする事なく走る。家につくと、息も絶え絶えになりながら、インターホンを押すが、反応がない。
「華波っ……」
「あなた、理奈ちゃん?」
聞き覚えある声を聞いて、振り返ると、華波の母親がいた。スーパーの帰りだろうか。大きめの買い物袋を手にぶら下げてる。そして、やはり怪訝な顔をしている。この時間は、学生が居て良い時間ではない。特に真面目な理奈だ。性格を知っているだけあって、何故、という思いは強いのだろう。
「すみません、今日大切な授業があって、華波も楽しみにしていたのに、連絡なく休んでいて」
「それで来てくれたの?悪いわね」
華波の母は笑いながら鍵をあける。華波はどうせ自分の部屋にいるわ。記憶の通り階段を登って行くと、そこに華波の部屋があった。理奈は、とりあえずノックをするが反応がない。
「華波、あけるよ」
一方的に了承を得て、扉をあける。すると、華波はベッドの上で、布団もかけないで寝ていた。
「華波」
理奈は安堵の息をもらす。寝過ごして連絡がなかったのか。不真面目に反して時間にはキッチリしている華波には珍しい。理奈は、久々に会った親友に、声をかけるべく近寄る。朝起きて、自分がいたらどんな顔をするだろうか。少しは、元気を出してくれるだろうか。
「華波」
そして、理奈は気付く。気付き、息を飲む。
華波は、赤色模様の布団で寝ていた。それは、本当に綺麗で、グロテスクな赤色だった。
「華波っ!」
その模様は、華波の左手首から流れた、彼女の血で彩られていた。
理奈は、少しの間理性が停止する。何故、という問が頭の中を乱舞する。しかし、それも僅かな時間で、理奈はとりあえず救急車を呼ぶ事にした。
「もしもし、急患です。……はい、……」
電話を終えると、華波の手首にきつくハンカチを巻き付ける。少しでも止血の助けになれば良いと思っての事だった。
そして、左手を心臓より高い位置にする。そうする事で、出血量を減らす。
理奈は可能な限りの止血手段を取ると、下の階に降り、リビングに向かう。華波の母は、知らない男と、談笑をしていた。成程、不倫の現場か。
「華波のお母さん」
理奈が話しかけると、迷惑そうな顔をして、すぐ社交的な笑顔に切り替える。
「どうしたの?華波は」
「華波が手首を切りました」
さすがに、二人の顔が青ざめる。特に、華波の母はパニックを起こしてるようだった。不倫相手を連れ込んだ状態で娘が自害しようとしたのなら、矛先は自分に向くと考えたのだろう。
「え、あ、救急」
「呼びました。保冷剤や氷、借ります」
「何で?」
尋ねたのは若い男だ。
「身体を冷やし体の機能を低下させて、出血量を減らします」
「頭良いね。けど、冷やして大丈夫なのかな」
「問題ありません。大分血が出てます。なので、致死量にならないよう可能な限り止血するべきだと思います」
致死量、という言葉に華波の母は敏感に身体を震わせた。父親不在の今、責任は自分にあると考えたのだろう。理奈は氷を手に、階段を登って華波の身体を冷やす。保冷剤の類いで身体を冷やしながら、腕と肩を捻り、更に手で圧迫して止血する。
護身用に学んでおいた関節技が、こんなところで役に立つとは思いもしなかった。
しばらくすると、救急車が到着する。理奈の関節技を見た救急隊がぎょっとするものの、華波の出血量を見て緊張が走る。
華波が救急車に運ばれ、母親もそれに乗り込む。理奈は不倫相手の男と、それを見届ける。
「君は、いかないの?」
「ええ、すべき事があるので」
「……立派だなぁ」
男は感嘆の声を上げる。理奈はそれを無視して歩き始める。
そうして、理奈は警察署に行き、華波の父親と面談を申し込む事にした。どうしても、聞きたい事があった。
解決に、必ず貢献出来る情報を聞き出せます、と言うと、通して貰えた。世の中、使えるものなら使うのだろう。
部屋に通されると、厳格そうや中年男性がいた。理奈の顔を見て、少し驚いたようだった。
「お久しぶりです」
「君は、確か理奈、と言ったか?昔よく華波と遊んでくれた……」
「そうです。森下理奈です。幼い頃は、お世話になりました。……今日は、お尋ねしたい事がいくつか。それと、報告が一件あります」
「報告?」
一体、自分になんの報告をするのだろうか。そんな顔をしている。
「華波が、手首を切り、自殺をしようとしました。さっき病院に運ばれました」
ガタンッ!怒りと驚きの入り交じった、恐ろしい形相で立ち上がる。寡黙な父親という彼の雰囲気からは、大きく逸脱したものだ。明らかに、母親の見せた表情とは異なる。
「自殺?家内は一体何を」
「それを含めたご質問です。そして、私の推理が正しければ、あなたには、こんなところに居て欲しくはないのです」
理奈の表情を見た彼は、静かに腰を下ろす。
賢明で、立派な父親だ。理奈は改めて思う。
理奈の顔は酷く無表情だったが、その目に宿った怒りを、父親は見逃さなかったのだろう。
聞く事を聞いた後、理奈は病院に向かう。
華波に、正しい真実を知って貰うためにも。
病院に着くと、華波の母親がちょうど出て来たところだった。理奈はその母に尋ねる。
「華波はどうですか?」
「え、ええ。一命をとりとめたわ。ありがとうね、理奈ちゃん」
「そうですか」
理奈はその後病室を聞き出す。受付を済ませ、その部屋に行くと、華波は静かに寝ていた。
理奈は華波が目を覚ますまで、華波のそばに居る事を決めた。
麻酔が効いていて、中々目を覚まさない。理奈は、それでも座り待ち続けた。
「……お姉ぇ、ちゃん?」
ようやく、華波がようやく目を覚ましたようだった。起き上がって辺りを見回し、状況を理解すると、顔を俯かせる。
理奈は立ち上がり、華波の前に立つ。
「華波」
「ッ……」
一度身体をすくませると、恐る恐る顔をあげる。ひどく、怯えた顔だ。
スパァン!
理奈の平手が、華波の頬を打つ。隣のベッドの人が何事かと騒いでいる。
「馬鹿だって事は知ってた。けど、ここまで馬鹿だとは思わなかった」
「……」
「華波が死のうとした理由、私が解らないとでも思う?そんなの、授業の問題を解くより簡単」
今まで聞いた事もない声だった。華波は、生まれたての小鹿のように震えて、理奈を見る事が出来ない。
「……つ、なんだ、もん……」
だが、華波も黙っていられない。死のうとしたのに、それでも、姉と呼び慕う、この聡明な親友なら、どうにかしてくれるかもしれないと思い。
「歪なんだもん!全部全部!あの二人も、変な男も全部!好きだったんじやないの?愛してたんじゃないの?なんでそこに入ってくるの?
愛してたのに、いつか好きでなくなるなら、……あたしは?アイツらの血が流れてるんだ。なら、あたしだって!……お姉ぇちゃんを、嫌いになるかもしれない。あたしじゃなくて、お姉ぇちゃんがあたしを、嫌いになるかもしれない。
……そんなの、嫌だ。だったら、好きでいるうちに、死にたくなった。……だから、死のうと、したの」
言いたい事を、全部吐き出す。世の中、信じられるものなんてないと言わんばかりだった。
「やっぱり馬鹿だね、華波は。馬鹿なんだからものを考えない方が良いよ」
そっと、頭を抱きしめる。強く、強く抱きしめると、華波の激情が、鎮まっていく。
「私が華波を嫌う事なんてあり得ないし、華波があたしの事嫌うなんて、あり得るわけないでしょ」
「……お姉ぇちゃん」
「次死のうとかしたら、絶対許さないから。絶対、許さないんだから」
我慢しておこうと思ったのに、涙が零れて仕方がなかった。
「馬鹿、馬鹿ぁ。華波の馬鹿」
「ごめんね、お姉ぇちゃん」
華波も、右腕だけ回す。左腕は、まだ使えない。自分が作った傷が、もどかしい。
しばらくそうしてると、理奈も華波も落ち着きを取り戻す。華波から離れた理奈は、真っ赤になった目で華波を睨む。親の仇と言わんばかりの目だ。
「馬鹿。馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿。華波の大馬鹿」
「ひっどーい。そんな言わなくたっていいじゃんー」
「言葉じゃ言い表せないバカっぷりなんだから重ねるしかないでしょ」
「ううぅっ」
怒ってそっぽを向く。但し、向いてるのは華波ではなく理奈だ。いつもとは逆の立場に華波は振り回される。
「あ、そうだ。華波、大切な話があるの」
「……大切な、話?」
「そう。もっと解りやすく言うなら」
真相解明。理奈の言葉に、華波はきょとんとする。
「真相解明?」
「そ。主に、華波のお父さんについてかな」
影が一瞬さすが、解明とつくだけあってか、華波は期待を込める。
「華波にお父さんはね」
「失礼、小井戸華波さん?」
そこにいたのは二人の警官だった。恐らく、事情聴取だろうが。
「少し待って下さい。なんでしたら聞いてても構いませんので」
警官二人は、顔を見合わせる。だが、理奈の面持ちに、聞いてみる事にしたのか、どうぞ、と言ってくる。
「華波、肩の打撲は、お母さんに殴られて出来たものでしょう?」
理奈の言葉に、警官二人がため息をつく。それは父親が殴ったという事になっている。
「……うん」
「!?待ってくれ。君はこの間」
「華波はまだ高校生です。父親の逮捕にパニックを起こして間違えた事を言ってもおかしくはないでしょう。あの時華波は相当なパニックを起こしていた。その証言だけを信じるのは、軽率と言うしかないですね。
何より、華波のお父さんは帰りが遅い。そしてこの子、寝るのが異様に早いんです。寝るのが好きだから。一体1日でどれだけ会う時間があるのか、疑問です。
では、何故そんな罪を被ろうとしたかについてですが、それは自宅にいない自分よりも自宅にいる母親の方がマシと考えたのでしょう。多少の暴行には目を瞑ってでも。
しかし、今回の自殺未遂の件を話したところ、さすがに放っておけないと考え直してくれたようです。
そして、駅で起こしたという暴行についてですが、どうやらお父さんは不倫に関して気付いていた。そこで探偵を使い不倫相手を特定した後に手を引けといったところ、煽られカッとなってしまったと。妻の不倫相手と言えば妻の尊厳を損なうと考えた結果、カッとなって、と証言を省いたのでしょう。
寡黙で、勘違いされやすいですが、非常に家族思いな、優しい方です」
「……パパッ……!」
華波が父親の元に駆け寄るべく、立ち上がろうとする。自分の勘違いも甚だしい。出来の悪い娘を、何か言いたそうに一瞥する事しかしない、 愛情のない父親だと、昔から思っていた。まともに言葉をかけられたのは、一体どれ程前の事だろうか。
「華波、ダメ。寝てないと」
「だって!あたし、パパの事!」
「お父さんからの伝言だよ。しっかり聞いててね」
理奈は、思い出す。優しい家族思いの華波の父親の事を。
『華波、あの娘には散々苦労をかけさせた。苦しめてきた。私は何もしてやれない、してやらなかったダメな親だ。理奈さん』
「もしまだ父と呼んでくれるならば、もう一度チャンスが欲しい。もう一度、私にお前の名前を呼ぶ権利をあたえて欲しい、と伝えてくれだって」
「うぅ、あたし、お父さんがなんて思ってるとか、何も考えた事なかった。いつも黙ってあたしを見るだけ。何も言わない、言ってくれない。仕事の為に生きてるだけだって」
「……まだ、なにか?刑事さん」
「……あなたに、少しだけで良いからお尋ねしたい」
刑事は理奈をさす。理奈はやれやれという顔だ。少し行ってくるね。泣いてる華波の頭を撫でてから、理奈は表にでる。
「私の名前は森下理奈。何が聞きたいのですか?」
「父親の証言についてだが、どうやって聞き出し、ひっくり返させた?」
「華波が自殺未遂をしたと言っただけです。そしたら、鬼の形相で立ち上がりました」
「それは、華波さんの自殺を種に母親に罪を被せようとしたという考えも出来るのでは?」
「愚問です。かなり心優しい方です。そんな真似はしないでしょう。その辺りは会社の部下の皆さんに聞けば確かでしょう」
「物証は?」
「ありません。全て推論ですが、それでも事足りると思いますよ。何せ、元々家庭内暴力に関しては物証はないのですから。強いていうならば、こちらには探偵事務所の不倫に関する資料があるのですから、より確かなのではないですか?いきなり駅でカッとなったというよりも。かなり軽薄な方でしたしね。態度と言葉にカッとなっても不思議ではありません。被害者の調査をすれば、すぐに出て来るの思いますよ、華波の母親との関係が」
「貴重なお話、ありがとうございます。……おい、あらい直しだ」
刑事がそそくさと帰って行くのを見て、理奈は病室に戻る。
「全く、野暮だね」
理奈がいうと、華波は笑う。そこに、今までの暗さはない。
傷も深くない事もあり、華波はその日のうちに退院する。幸いにも、病院は理奈の家からかなり近い場所にあった。二人はそのまま、玄関に入る。
「ただいま」
「たっだいま~!」
華波の声が森下家に木霊すると、紗耶香が走って出て来ると、華波を抱き締めてあれやこれや、説教のような事を言ったり、心配したと言ったり、文章が滅茶苦茶になっている。
二人は、理奈の部屋でコーヒーを飲む。今日のコーヒーは、甘い、優しい味のするカフェオレだ。
そう、華波の負った傷を包むには、そんなコーヒーが、ちょうど良いだろう。
何度目かの最終話です
謎解き部、ストーリー的に甘いところがあると思います
突っ込んで頂けたら、幸いです




