第十限ー理奈と華波の幸せ
理奈は早々に湯船に逃げ込むと、少し血走った目で華波を睨んだ。
「ハァ、ハァ!」
息が上がりきった理奈を見て華波が笑う。
「まだまだ夜は長いぜ」
八重歯をキラリとさせながら言う。冗談じゃない。
「あー、気持ちー」
華波が湯船に入ると、肩にある、痛々しい程の痣が目についた。華波の白い肌にくっきりと残ってるそれは、あまりにも生々しかった。
「お姉ぇちゃん、どしたの?」
華波は、そんなもの気にならないと言わんばかりの、いつも通りの底抜けの笑顔を向けてくる。なんで、それだけの事があったのに、それだけの目にあったのに、笑えるの?理奈には解らなかった。
「ごめんね、華波」
そっと痣を撫でると、華波がピクッと、怯えたように一瞬縮こまる。それは、見逃してしまう程一瞬の事であったが、その次の瞬間には、そんな素振りは一切見せずにリラックスしている。
「痛かったよね、辛かったよね。苦しかったよね。……なのに……私は、全く気付いてあげられなかった。……ごめんね」
肩に手を添えたままに、背の方に腕を回し、首筋に顔を埋める。なんで辛いはずの華波が笑っていて、自分はこんな体たらくなんだろう。
「んーあー?」
華波が間抜けな声を出すと、理奈を抱き締める。
「えへへー、お姉ぇちゃん抱き枕。柔らかいー」
えらく上機嫌だ。なんでこの状態でそんなおちゃらけた真似が出来るのか。
「あのね」
「私はお姉ぇちゃんと櫻子、それに和乃がいればそれで幸せなの。それ以外に興味あんまりないんだ」
「……」
抱き付かれたままで、華波の顔は見えない。
「一時期はお姉ぇちゃんに迷惑かけちゃいけないなって思って、彼氏とか作ってみたんだけどさ、なんか違ったんだよね。どうしてもお姉ぇちゃんや櫻子といる時のが楽しかった。なんだか、どこ行ってもお姉ぇちゃんがいたら、お姉ぇちゃんといたらって具合でさ。それで、お姉ぇちゃんに彼氏なんてどうでもいいんでしょって言われて、気付いたんだ。やっぱりあたしはお姉ぇちゃんといたいんだって。そしたら、お姉ぇちゃんも隣にいていいみたいな事言ってくれたじゃん?」
そういえば、そんな時期もあった気がする。
「だから、あたし今幸せなの。だって、今あたし24時間お姉ぇちゃんといられるんだよ?」
えへへー、と頭を少し乱暴に撫でられる。これじゃ、まるで華波がお姉ぇちゃんじゃない。
「……強いね、華波は」
「バカなだけだよ」
「私は華波が頭良いの、知ってるよ」
「んー、よくわかんないなー。……それはそーとして」
抱きあきたのか、空気をかえるためかーー恐らくは両方の意図で、華波は理奈の身体をまさぐり始める。
「ちょ、やっ!?」
「あたしの前でむぼーびな姿さらすなんて、こーしていいって言ってるよーなものですなー」
「や!?いい加減にっ!」
「いいいいいいいい加減にしやがれぇっ!」
風呂の戸ごしに、孝之が怒鳴る。
「てめぇらいつまで風呂場でイチャついてんだ!?いつんなったらあがんだよ!俺が入れねぇだろっ!」
「ん?孝之、いつももっと遅いじゃない」
風呂場の時計を見た理奈が冷静に言うと、
「なら昔みたいに一緒入ろうよー」
「は!?ば、ばば、馬鹿じゃねぇのっ!?」
バタンッ!ドタドタ!ドアの閉まる音と階段をかけあがる音がすると、華波が笑う。
「アハハ!つまんないなー、孝之は!」
「……華波」
理奈はもう苦笑いだ。高校生の聞く事ではないだろう。
風呂から上がっても華波のベタベタは止まらなかった。ドライヤーを奪いとると理奈の髪を渇かし、用意した布団を無視して理奈の布団にもぐり込む始末だった。
その、3日後の事だった。華波が理奈の部屋でくつろいでると、ケータイが鳴る。ディスプレイを見て、顔が少し青くなる。
「……ママ、からだ……」
華波はケータイを取るのに、少し躊躇ったようだったが、理奈が頷いて席を外す。ドアを閉じた時、震えた声でもしもし、とだけ聞こえた。
手持ち無沙汰になった理奈は、新しいコーヒー豆を挽くために台所に行く。紗耶香が規則正しい包丁を鳴らしてる。
「理奈ちゃん、華波ちゃんは~?」
紗耶香が尋ねてくる。いつも二人セットだったためだろう。
「電話。お母さんからかかって来たんだって」
理奈が事もなげに言うと、包丁の音が止まる。
「……そうなの」
紗耶香にとって、華波は娘のようなもの。つい、案じてしまうのだろう。
「お母さん、大丈夫だよ。華波は」
パタッ、とスリッパの音が階段の方からした。華波だ。顔面蒼白で、なんと声をかけたら良いのか解らない顔をしている。
「……が……」
喋ろうとするも、あまりの出来事に上手く喋れないようである。理奈は、耳をすます。
「……パパが、逮捕、された……」




