第76話 クノスプ丘陵の盗賊(後)
本話は途中で切りたくなかったため、長くなっております。申し訳ありません。
また盗賊との戦闘、および流血の描写があります。お嫌いな方は御注意ください。
承前
近衛の荷馬車がクノスプ丘陵を貫く街道の最狭部に差し掛かった時、前方の右手の森の中から、うす汚れた革鎧を着込んだいかにも盗賊という風体の連中が十数人現れた。
ばらばらと走り街道に横一列に並ぶ。
驚いたことに、手に持っているのは良くある短剣では無く、長柄の槍である。
それも、六尺棒に後からナイフや包丁を括りつけたような手製の粗末な物ではなく、刀鍛冶がきちんと造った揃いの品と思われる。
普通の流民崩れの盗賊が持つような代物ではない。
こちらは傭兵に扮していた隊長の合図に応じて御者役の隊員が手綱を引いて輓き馬を止め、護衛役の二人が騎馬を荷馬車の前方に並べる。
すると盗賊の中から顔に何条も傷跡が走る男が前に出て来て、金切り声を上げた。
「おい! 武器を捨てて鎧を脱げ! 金と荷物は馬車ごと置いて行ってもらおうか! お前達の馬もだ! そうすれば命までは取らねえ!」
隊長が落ち着いた声で答える。
「断ると言ったら、どうする?」
「そりゃあ、判り切ったことだろう。たった四人でどうするつもりか知らねえが、命が惜しくないなら、好きなようにしろ!」
「なるほど、お前達も命は惜しくないようだな。良くわかった。好きにさせてもらおう」
「何だと!」
「お前達を盗賊と認定する。大人しく縛に就けばよし、さもなくば国王陛下の名において、この場にて討伐する! 総員、掛かれ!」
隊長の合図に応じて、荷台に潜んでいた隊員達は荷馬車の幌を引き落とし、一斉に荷台から飛び降りた。
盗賊達はそれを見て、自分達が謀られたことを覚った。
だが慌てて逃げ出すかと思えばそうはせず、横隊のまま槍の穂先を一斉にこちらに向けて来た。
さらに頭らしい男は口に指を突っ込むと、指笛を二度高く鳴らした。
するとそれに応えて、近衛隊の後方の北の森から十人ほどの盗賊が現れて街道を塞ぐと同じように横隊を形成した。
こちらも前の連中と同じように、槍衾を作って構えている。
総勢で二十五人以上。事前情報より多い人数が、前後に分かれて挟み撃ちしようとしている。
これでは、普通の行商隊では太刀打ちできずに餌食になるだろう。
多分今も、逃げるより戦った方が生き残れる可能性が高いと判断したようだ。
だがこちらは近衛である。この程度の勢力差で尻込みしていては話にならない。
隊長は鋭く号令を掛けた。
「前方に第一から第三班! 後方は第四、五班! 掛かれ!」
「応!」
号令に応じて隊員達が駆け出す。
第五班であるケン達も第四班と共に後方に走って横隊を組んで盗賊達と向き合った。
装備は一応金属製の鎧は着ているが、逃げる盗賊を追えるようにと考えて軽いものを選んでいたため装甲は薄い。
槍の刃を防ぐことはできても、切っ先でもろに突かれたら貫通されかねない。
それを補うために小さい円盾を左手に持ち、右手に剣を片手持ちにして構えたところで、一人遅れていたラウエルが横列の左端から二番目にいたケンの右脇に割り込んで来た。
「遅れて済まない」
そう言うラウエルを何をしていたのかと横目でちらと見ると、ひとりだけ頑丈そうな長大な盾を構えている。
「近衛に入る時に兄に貰った物だ。隊長に頼んで積んでもらって来てたんだ」
そう言うと、おりしも盗賊が突き出して来た槍を弾き返しながらニカッと笑った。
その向こうで、フレーゲルも戦列の中で顔を緩めている。
ケンの左側にいるテオドルも過度の緊張は無さそうだ。
だが、右の方にいる第四班の班員達は危なっかしい。
肩に力が入り過ぎており、盗賊共が突き出す穂先の捌き方がたどたどしい。
闘い始めて数分経つと、第四班の戦列が徐々に押されてじりじりと後退りを始めた。
横列が崩れるのを防ぐために、ケン達も下がらざるを得ない。
盗賊達は勢い込んで前に出て来て、ともすると多勢を利して包囲されそうになる。
不味い。これではじり貧になって追い詰められてしまう。何とかしないと。
ケンは戦いながら形勢を観察しているうちに、アンヌに習った槍の横隊の崩し方を思い出した。
何とか横に回らないと。
ケンは大盾で相手の突きを弾いているラウエルに声を掛けた。
「ラウエル、一瞬で良い、その盾で相手の左端の連中を崩してくれないか?」
ラウエルも戦況は良くないと思っていたのだろう、こちらを見ずに「応!」と叫ぶと大盾を両手持ちにして一歩前に出て、大きく振り回した。
それが自分達の優勢を信じていた盗賊達の意表を突いたのだろう、持った槍を薙ぎ払われ、端にいた二、三人が体勢を崩した。
その右にいた男がラウエルの隙を突こうと槍を出したが、ラウエルの右側のフレーゲルがそれに合わせて前に出て剣で払う間に、ラウエルは盾を構えなおして共に隊列に下がる。
その間にケンは相手の隊列に生じた隙を見逃さず、「行くぞ!」とテオドルに声を掛けて前に出て、体勢を崩した賊に大きく上から斬り付けた。
賊は「ぎゃっ」と叫ぶと、顔から鮮血を迸らせて倒れた。
テオドルもケンの左横に出て、端の賊に突き掛かった。
手入れの悪い乾燥しきった革鎧はテオドルの鋭い突きを防ぎきれずに貫通され、賊は「ぐえっ」と槍を落として突かれた腹を両手で押えて蹲る。
その手の指の間からは赤い血が流れて止まらない。
ケンとテオドルは、さらに敵の隊列の横から襲おうとした。
賊は端にいた何人かがケンとテオドルに向き直り、何とか横撃を防ごうとする。
その時、ケン達の後方から隊長の声が掛かった。
「頭を下げろ!」
近衛の隊員達がその声に応じて一斉に姿勢を低くすると、その上を空気を鋭く裂く唸りを上げて矢が飛び越した。
隊長が荷馬車の上から放ったその矢は、狙い違わず、賊の隊列の左寄りにいた男の胸を貫いた。
賊達は二の矢を恐れて一斉に荷馬車の方を向く。
ケンとテオドルはその機を逃さず、敵の隊列の横から攻撃を仕掛けた。
端にいた賊達は慌ててまたケン達に槍を向けようとしたが間に合わない。
さらにそこにラウエルが盾を構えたまま突進し、盾撃を喰らわせた。
横列は大きく崩れて賊達の槍衾が乱れ、穂先に大きく間が空く。
近衛兵達はその間隙に一斉に入り込み、総攻撃をかけた。
賊は槍を振り回そうとするが、柄が味方にぶつかって思うに任せず威力が出ない。
たちまち二人、三人と斬りつけられて斃れると、残りの者は槍を投げ捨てて森の方に逃げようとした。
だが、普段から足腰も鍛えられている近衛兵達からは逃げ切れない。
追いつかれると一人、また一人と斬り伏せられて倒れて行った。
次は前方だ。
ケンは仲間に「こっちだ!」と集合を掛けた。
残りの三人が集まったところで荷馬車の前方を見ると、戦線は膠着している。
だが、ケン達が援護に走ろうとした時に、隊長から「騎兵、突撃!」の号令が掛かった。
すると、一端戦線から退いて北の森の側まで動いていた二騎の騎馬兵が、号令に応じて賊の隊列の横から突進した。
その勢いに、賊は口々に「ヒィッ」「クワッ」と叫んで逃げ腰になった。
馬に槍を向けようとする者もいたが、腰が定まらず槍に力が入らない。
騎兵の剣に穂先を弾かれると、突進する馬にぶつかられ、仲間の中に弾き飛ばされてしまった。
もう、横隊どころではない。
近衛兵に一斉に襲い掛かられ、散り散りになって逃げ出した。
それでも追い縋られて一人、また一人と数を減らしていくが、ケンが見ていると槍をもったまま、道脇へと逃げ走る者が二人いる。
ケンは仲間三人に声を掛けてそちらへ走った。
それで気付いたのか、騎兵の一騎が逃げる賊の方に走ったが、賊は打ち捨てられた荷馬車の間に駆け込むと、その隙間から槍を突き出して来た。
騎兵は慌てて馬を返して危うくその穂先を逃れる。
騎兵は荷馬車の前を行ったり来たりするが、そのたびに二本の穂先が交互に出て来て下がらざるを得ない。
だが、ケンが仲間に「急げ」と声を掛けて廃車の横を回るとそれに気付いた賊は、槍をこちらに向けて来た。
ケンが盾と剣を構えると、テオドルとフレーゲルも左右に並んだ。
「ラウエルは?」とケンが思ったその時に、そのラウエルが大盾を前に構えたまま「うおぉぉぉ!」と雄叫びを上げながら廃車の隙間から突っ込んで来て、盗賊の横ざまにぶつかった。
二人いた賊の一人はそのまま倒れ、もう一人は槍を取り落として逃げ出したが、待ち構えていた騎兵にすぐに追いつかれて討ち取られた。
ケン達の目の前には、地面に倒れた賊とその上に盾ごとのしかかっているラウエルがいる。
賊は「降伏だ、息ができない、死ぬ、助けてくれ、誰かこの人殺しを早く降ろしてくれぇ」と勝手なことをかすれ声で呻いている。
それを聞くや否や、テオドルが「盗賊めが、何が降伏だ!」とぶるぶると震える手で剣を振り上げた。
どうやら戦闘の興奮で、頭に血が昇っているようだ。
ケンは急いでテオドルの右腕を掴んだ。
いくら街道の盗賊は問答無用で死罪といっても、無抵抗の者を隊長の許可も得ずに勝手に処刑してはまずい。
それに、こういう行為がマーシーの言う『人喰い虎』を造り出すのかも知れない。
テオドルがこちらをきつい目で見るのに、ケンは何とか笑顔を作った。
「終わりだ」
そう言ってゆっくり頷くと、テオドルの顔の張り詰めたものが萎んでいくのが見えた。
剣を振り上げていた右腕からも力が徐々に抜けていく。
ケンは掴んでいた手を放すともう一度頷いて言った。
「終わったんだ」
「ああ、そうだな。済まない、ケン」
「大丈夫だ」
ケンがそう答えると、テオドルも大きく息を吐いてからやっと笑った。
フレーゲルはラウエルに押さえ込まれた盗賊とテオドルとを交互に見ていたが、テオドルが落ち着いたのを見て、ラウエルと一緒に盗賊を後ろ手に捩じ上げて慎重に立ち上がらせながら安心したように呟いた。
「指揮官殿には、勝てねえな」
「何だって?」
「いや、ケン、何でもない。じゃあ、戻ろうか」
「そうしよう」
ケン達が盗賊を連れて荷馬車の所に戻ると、他の隊員達は他の盗賊の死体を一か所に集めているところだった。
ぱっと見たところ、どうやら生き残っているのはケン達が捕えた一人だけの様だ。
隊長がこちらを見て、満足そうに言った。
「怪我は無いか?」
「はい。全員、怪我らしい怪我はありません」
「それは良かった。しかも生きたまま捕えるとは、良くやった」
そう言うと、隊長は盗賊の男を後ろ手に縛らせて座らせた後にその首に剣を突きつけた。
「おい、お前。どこの出身だ」
男はびくびくとしながら、震える高い声で返事をした。
「へ、へえ。シェルケン侯爵領の西の端、ドブラ村の出身でやす。他の者も、十人か十五人はその近くの者で。それ以外はつい二、三日前に増えた連中で良く知りやせんが、やっぱりシェルケン領のどっかのようで、へえ」
「どうして盗賊に身を落とした」
「それは、その。昨年に税が上げられて、へえ。その時は何とか払えたんですが。半年後に年に二度目の税が臨時に取り立てられて、それが払えんでした。そしたらお代官様に引っ立てられて兵に集められやして。わっち以外にも似たような連中が一杯いて、槍の訓練をさせられながら、きっつい労役もさせられて。一日中働きづめなのに給金は税代わりに取り上げられちまって。たまったもんじゃないと思ってたら、そこにいた頬に傷跡がある男に『逃げよう、その後は俺がなんとかしてやる』って誘われてみんなで槍を持って逃げ出したんで。そいつ、多分そこの死体の山の中にいるはずでございやす。わっちと一緒にそいつに騙されて逃げ出した連中も、可哀そうに、そこにまとめて積み上げられちまったようで、へえ」
「そうか。だが、逃げ出した後に盗賊をする必要は無かっただろう」
「……それもその傷跡のある男が言い出したことでさあ。王都に行きゃあ何とかなるだろってんで、みんな腹ペコで街道を歩いてたら、商人の荷馬車を見付けまして。頭を下げて物乞いしたんですが、すげなく断られて頭に血が昇ってカッとしちまって。気が付いたら、その傷跡男が周りの連中を引き連れて槍を使ってしまってたんでさあ。いや、わっちは、やめろって言ったんです。一人もやっとりやせんのです。やったのはそいつらで。その後はもう、一度強盗に手を染めちまったらもう誰もそいつらを止められなくて。逃げようとしたら自分が殺されちまいやすし。ですが、わっちは誰も手に掛けておりません。どうか、お許しを」
「頭に血が昇ったわりには、周りを引き止めたとは落ち着いていたな。お前のその顔の傷跡はどうした」
「税が不納になった時に、代官に鞭でやられやした」
「そうか。実は、頬に刃物傷がある男も似たようなことを言っているんだ。ただそいつは、『顔に鞭跡がある男が全部取り仕切ってた』って言い張っているぞ」
「へ?」
「連れて来い」
隊長が後ろを向いて声を掛けると、荷馬車の影から腕を縛り上げられ口に猿轡を噛まされた男が隊員に押し出され突き出されしながら出て来た。
「あっ。おめえ……」
「そもそもお前は最初に、武器を捨てろと私に偉そうに言っていただろうが。そいつも後方の連中に指図してたじゃないか。騙されたとか、よくもいけしゃあしゃあと言えたものだな」
「……」
「だが、シェルケン領出身だけは確かなようだな。塒はどこだ。森の中か?」
「……へっ。ああ、そこの森の奥だ。教えてやってもいいが、行くだけ無駄だぜ」
男は唾を吐き捨てるなり、はすっぱな口調に変わった。
うまく誤魔化せず、やけっぱちになっているのだろう。
「どういうことだ」
「金目のものなんか、もう残っちゃいねえぜ。当ったり前だろ? 俺達の誰も互いを信じてるわけねえだろが。塒なんかに置いといた日にゃあ、あっという間に盗まれちまわあ。いいか、クソ商人どもから奪ったものを近くの街へ持って行っても、俺達みたいな怪しげな連中は、足下を見られて碌な金になりゃあしねえ。その分け前を配ったら、みんな身に着けて離さねえに決まってんだろが。それも、食い物やら酒やらであっという間に消えちまう。仕方ねえから、またこうやって街道に出て来るんだ。近衛様だか衛兵様だか知らねえが、金が欲しけりゃ、グールみてえにその山積みの死体を漁ってみるんだな。そんだけありゃあ、銀貨の五枚や十枚は出て来るかも知れねえぜ」
「私達は金が目当てではない」
「そうかい? シェルケン領の衛兵共が来た時にゃあ、なけなしのヴィンド金貨を一人一人に一枚ずつ差し出したらほいほいと喜んで受け取って、『さっさとどこか他所へ行け』っつって帰ってったぜ。けっ、汚らしい連中が盗賊の上前をはねやがって。お前らも似たようなもんじゃねえのか。もっとも、もう差し出せるような金貨なんざ一枚も残ってねえけどな」
「そうか。他に言っておきたいことはあるか?」
「ねえな。ああ、そうだ、神様に『今度生まれてくる時は他のもうちっとましな領にお願えしてえ』って言いたいね」
「そうか。精々祈ることだな。だが、食い詰めて流民になっても、他人の物に手を出さない者も大勢いる。お前のようなのは、どこへ行っても最後は盗賊だ。今の命をまともに生きようとしない者は、何度転生しようが毎度高い所で一生を終わるだろうな」
「けっ!」
盗賊は隊長に唾を吐き掛けようとしたが、隊員に頭を押さえ込まれて果たせなかった。
隊長はそれを無視して傍らにいた古参の隊員達に指示を出した。
「おい、適当な木に絞首索を取れ」
「おっと、北の森にしてくれよ。間違っても黒く深き魔の森に吊るされて、死んでからも妖魔に苛まれるのはごめんだからな」
盗賊は自分の生涯最後の冗談が気に入ったのか、気がふれたようにゲラゲラと笑い出した。
隊長はその様子を冷たく見ながら古参隊員に命じた。
「……猿轡を噛ませて連れて行け。立ち会うので、準備を整えておけ」
「はっ」
隊員が引き立てると、二人の盗賊は観念したのか逆らいもせず大人しく連れて行かれた。
彼等の姿が北の森の中に消えると、隊長は新兵全員を集めた。
隊員が整列すると、隊長は力強い、だがゆっくりと語るような口調で訓示した。
「全員、良くやった。大した怪我人も出ず、盗賊全員を討伐し終えたのは上々の出来だ。あの者達二人は、街道で強盗を働いた罪でこの場で絞首刑とする。お前達が折角生かして捕えた男がすぐに吊るされるのは辛く感じるかも知れん。だが、生かして連れ帰っても、処刑場所が変わるだけだ。それに、訴えた商人やこいつらに殺された者達の家族が何か馬鹿げたことをしでかさないとも限らない。それを防ぐためでもある。いいか、気にするなとは言わんが、気に病むな」
「はい」
隊員達が埃や返り血に塗れた姿で返事をしたり頷いたりするのを確かめてから、隊長は訓示を続けた。
「今回のお前達の働きは見事だった。良い初陣だった。だが、所詮相手は農民上がりの盗賊だ。鍛えられた兵が相手ではこう易々とはいかない。そのことを良く心に刻んでおけ。いいな? では、埋葬にかかれ。それが済んだら、着替えて帰投する」
隊員達は北の森の中に移動すると、黙々と埋葬用の穴を深く掘った。
戦いで討ち取った者、絞首刑に処された者の遺体を納めて掘り出した土を埋め戻す。
墓標代わりに大きめの石を荒れ地から拾って来て載せた後に全員で黙祷をささげた。
その後に荷馬車に戻って鎧を外し、自分の荷物を持つとそれぞれに森蔭で汚れた衣服を着替えた。
帰投の馬車の中でも誰も殆ど喋らず、それぞれに戦いを心の中で振り返っていた。
心と体の疲れから眠り込む者も多い。
テオドルがふと横を見ると、ケンも座ったまま眠っていた。
ただその右手は胸の辺りを彷徨い、服の内側の何かを掴んだり放したりして指が動いている。
「良く眠れるよな」
ぽつりと呟くと、反対側に座っていたフレーゲルが尋ねた。
「お前は眠れないのか?」
「ああ。初めて人を斬ったかと思うと、今でも興奮が完全には醒めない。お前もだろ」
「そうだな。恥ずかしいが、隊長に着替えろと指示されるまで、下を濡らしてしまっていることに気付かなかった」
「俺もだ。だがケンは……」
「ああ。漏らしている様子はなかったな」
「戦いの最中も冷静に敵と味方の様子を観察していた」
「ただ槍を躱したり捌いたりに汲々としていた俺達とは大違いだ」
そう言ってフレーゲルが「はぁっ」と溜息を吐くと、テオドルは俯いて自分の両手を見た。
捕えた盗賊を斬り殺そうとした時に震えていたことを思い出したらしい。
「俺は、あの時にケンが止めてくれていなかったらと思うとぞっとするんだ。あのまま、助けを求めていたあの賊を殺してしまっていたら、俺はもう壊れてしまっていたんじゃないかって」
「……わかるよ。私も止められなかった。止めなきゃだめだと思ったのに、体が動かなかった」
「ケンは、こういうことに慣れているのだろうか」
「わからん。だが、何かを乗り越えては来たんだろうな」
「……」
「まあ、こういう奴もいるが」
そう言うと、フレーゲルはテオドルとは逆側の自分の隣りを見た。
そこではラウエルが腕を組んでいびきをかいている。
その喧しさに、さらにその向こうにいる女隊員はうとうとしては目を覚まされ、迷惑そうにラウエルの方を見ている。
テオドルが「ふっ」と小さな笑いを洩らして言った。
「ラウエルはラウエルで大物なんだろうな」
「何も考えてなさそうだけどな」
「俺達みたいにつまらないことを考えていても仕方が無い、って言いそうだな」
「……眠るか」
「……そうだな」
二人は目を瞑った。
それでもなかなか眠れなかったが、戦いの最中の自分の心の動きを思い出し追い掛けるうちに、微睡の中に落ちて行った。
その夜の野営のために荷馬車から降りた時には明るい顔に戻り、夕食時にはケンやラウエルと焚火を囲みながら戦いについて冗談を言い合って、粗末な食事も楽しみながら食べることができた。
ただ天幕の中では再び追い出されてきたラウエルの大いびきに悩まされて寝付けなかったのは、我慢せざるを得なかった。




