第67話 王女の力
承前
部屋に着くと、メリエンネは『ほうっ』と溜息をつくと緊張を解きがっくりと項垂れた。
その様子に、ドロテアが慌てて声を掛ける。
「姫様、大丈夫ですか」
「ええ、ドロテア。少し疲れただけです」
そう言うと、メリエンネはケンに向いた。
「ケン殿は大丈夫ですか」
「はい。メリエンネ様、御迷惑を掛けてすみません」
「いいえ。ケン殿に落ち度が無いことは、やりとりを聞いていてわかっています。私の所へ来た使者を蔑ろにされては困りますから、するべきことをしたまでです。私の身を守るべき近衛に貴方が愚弄を受けたこと、心から残念に思います」
「いえ、メリエンネ様のせいじゃないです」
「ケン殿、ここに長居しては、帰りにあの者にまた何やかやと言われるかも知れません。今日のところは、このままお戻りください。歩く練習の手伝いをお願いできないのは残念ですが、仕方ありません」
「……わかりました」
ケンはメリエンネの消耗した様子が気になって去り難く思ったが、自分がいても何ができるわけでもない。
言われたように帰ろうとした。
と、その時にメリエンネが遠慮がちに声を掛けた。
「ケン殿、ここへ来ることについて、これからはあの者だけでなく他の貴族からも何か言われるかも知れません。それでも、ここへ来てくださいますか?」
ケンはメリエンネを見た。
華奢な姿は車椅子の上で頼りなげに傾ぎ、細い手が肘掛けを精一杯の力で握り締めている。
その顔から笑みは消えて俯き、視線は床を彷徨う。
その儚げな姿からケンが眼を離せずにいると、二人の侍女が身動いだ。
だが、ドロテアとスザンネが何かを言う前にケンが口を開いた。
この可憐な女が傷つくことが無いように、自分にできる限りの、精一杯の優しさを込めて。
「はい、メリエンネ様。メリエンネ様のお体のためであれば、俺は何を言われても構いません。貴族方の評判など、気にしませんので御安心ください」
メリエンネは顔を上げてケンを見た。
背を伸ばし、真剣な表情で精一杯の力を声に込めた。
「ありがとう。ならばケン殿、貴方は私が守ります」
「メリエンネ様?」
「貴方は私をか弱い女と思い、自分が守るのだと思っているのかも知れません。確かに私は体が弱いですから。でも、人の力は体力だけではありません。いろいろな力で戦うことが出来るのです。貴族が貴方を貶め害しようとすることがあれば、私は王族として貴方を守りましょう」
思いもよらぬ言葉に、ケンは驚いた。
力を振り絞って真っ直ぐに自分に語り続けるメリエンネの、王族としての威風を湛えた姿容に気圧されたまま、ただ見守る。
「王女だから守られていればそれで良い、そんなこと、私は嫌です。強くありたい。私は私のできることで、国民を、大切な人々を守りたいのです。ケン殿、貴方もです。私も貴方を守りたいのです」
そう言うとメリエンネは、訴え掛けるようにケンを見た。
肘掛けを握る手に一層の力を籠め、ケンの返事を待っている。
「有難うございます、王女殿下。私も殿下が歩けるようになるまでは訓練をお手伝いいたします」
ケンが何とか感謝の言葉を返すと、メリエンネの顔が赤くなった。
溢れ出る感情を抑えきれず、体を震わせて潤んだ眼から涙を零した。
慌てて横からハンカチを差し出すドロテアに構わずに呟くように返事をする。
「きっと、また、来てくださいね」
身体から力を抜き背もたれに身を預けてぽつんと言った言葉は、淋しく部屋に響いた。
そしてドロテアを促して、車椅子を押されながら寝室へと去って行った。
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ケンが去る時、フェッテはこちらを思い切り睨みつけて来たが、何も言いはしなかった。
ケンはその視線を無視して通り過ぎた。
訪問が済んだことを報告するためにマレーネ殿下の邸に向かう間、ケンはずっとメリエンネ王女のことを考えていた。
邸に着くと、いつもの侍女見習に迎えられた。
「ケン様、おかえりなさい」
「アイリス嬢、ただいま戻りました。マレーネ殿下に報告をしたいのですが」
「ん、案内する。……ケン様、顔が変」
「変?」
「うん。いつも以上に真面目な顔。何か悩み事? アイリスが相談に乗っても良い。女性関係ならお任せあれ」
「女性のことって、良くわかりましたね」
「女のことを考えている男の顔は、たっくさん見てきたので。それにケン様は、言葉は少ないけど、感情は自分で思っているよりは顔に出る」
「悩み事というわけでもないですけど、ちょっと考え事をしていたので」
「どんな?」
「女性って、不思議だな、と。……弱いようでいて。……でもそれだけじゃないんだな、と思いまして」
ケンが途切れ途切れの小声で侍女見習に考えを洩らすと、その小さな顔がコテンと傾いだ。
栗色の髪に結ばれた菖蒲色の髪紐も揺れ動く。
「良くわからないけど、その人は弱い人?」
「そう思ってたんですけど。守ってあげたいなと。でも逆に俺を守りたいって言われて」
「ふーん。ケン様はその人に自分の前では弱くいて欲しいの?」
「え? 弱くいて欲しい?」
アイリスがケンの眼を真っ直ぐに見つめて尋ねる。
その思わぬ問いに、ケンの胸の中で心臓が撥ねた。
それを見透かすようにアイリスは遠慮のない言葉を繋げる。
「ずっと自分が守る人でいるために。ずっとその人に何かを与える人でいるために」
「俺はそんなつもりでは」
「ケン様のつもりはそうかも知れない。でも、守られてばかりいると、自分が小さく弱く思えて、切なく哀しくなってくる。ケン様は強い人だからわからないかも知れないけれど」
「俺は別に強くないですけど」
「ううん。強い。一人で生きようとする人は強い。例えば菫は一人では強くないけれど、ユー様と離れ離れでも互いに支え合い守り合っていると信じているからこそ、強くあろうと頑張れてる。その人も、ケン様に守られるだけではいたくないと思ったのでは。ケン様と近い存在になりたくて」
「俺と近くに?」
「そう。ケン様は、その人を近くに感じたことはある? 遠ざけるようなことを言わなかった?」
アイリスに尋ねられて、ケンはメリエンネとのやり取りを思い起こした。
彼女が涙を流す前の自分の言葉は何だったか。
『有難うございます、王女殿下』、そう言った。
そして思い出した。『ケン』と名前で呼ぶように願った時に彼女がどんなに嬉しそうに笑ったかを。
「……俺、悪いこと言ったのかもしれません」
「そうかもしれない。でもそれだけじゃなくて、その人がケン様に言って欲しかったことを言わなかったのかもしれない」
「……」
ケンが黙り込むと、アイリスは「ふっ」と笑いを零した。
ケンよりずいぶん年下のはずが、まるで、聞き分けのない弟を諭す姉のような表情だ。
「ケン様は言葉足らず。自分でわからなければ、マー様に相談してみたら?」
「そんなことをしてもいいもんでしょうか」
「マー様、ケン様のことも息子みたいに思ってるよ? ケン様はもう少し、まわりに頼るべきだと思う。強くても弱くても、結局、人は人と関わり合いながら生きるのだから」
「……アイリスさん、大人みたいです」
「って、マー様が言ってた」
「マレーネ殿下がおっしゃったことを他に洩らしたら拙いんじゃ」
「あ、そうかも。今の、無し。えへへ」




