第64話 グリンダ商会にて
王国歴223年12月初頭
王都の南街区にあるグリンダ武器商会の商会長は、自分の執務室で机に向かって伝票や請求書、領収書等の確認、そして貴族宛の挨拶状や売り込みの手紙の執筆と、忙しく働いていた。
そこに廊下を誰かが走ってくる音がパタパタパタと響くと、ノックもなしに扉が「バン!」と力強く開かれ、若い女が走り込んで来た。
何事かと商会長が顔を上げると、自分の長女で片腕として働いているアルマ・グリンダである。
アルマは商会長が窘める間もなく机に小走りで近寄って大声を上げた。
「お父様!」
「どうした、アルマ。何を興奮しているんだ? 入る前にノックをしろ。それに部屋に入ったら、扉を閉めろ」
「それどころではありません! これは興奮せずにはいられません! お父様、ピオニル領のユークリウス殿下から、お手紙を頂戴しました!」
「ユークリウス殿下から? まずは扉を閉めろ」
座ったまま落ち着いて返事をする父親を見て、アルマは憤然として父親の机の上に手を突いて身を乗り出した。
「お父様、何を落ち着いているのですか? ユークリウス殿下の御直筆なのですよ! 誰かに代筆させずに、私宛に御自身で書いてくださったのです。私の名前もちゃあんと憶えていてくださったのです。『親愛なるアルマ』って! それだけで凄い事ではありませんか! ああ、もう、このまま二度と開けずに、宝箱に入れておこうかしら。それとも、額に入れて寝室に飾った方がいいかしら?」
「わかった、わかった。良かったな」
「はい!」
「わかったから、少し落ち着け。深呼吸しろ。そして扉を閉めろ」
アルマは言いたいことを言って少し落ち着いたらしく、我に返ると机に突いていた両手を引っ込めて扉に戻り、急いで閉めて来た。
父親はほっとして尋ねた。
「で、何の用件だ? 何が書いてあったのだ?」
アルマはまだ興奮が完全には醒めていないようで、両手を体の前で握り締めながら答える。
「どうやら、何かの伝手でミスリル鋼を手に入れられたようなのです。それを用いて武具を作製できる職人を紹介して欲しいと。それから、特別な武具の御注文もいただきました」
「ふむ。ミスリル鋼を扱える鍛冶職人はそうはおらん。うちでも一人だけだろう」
「はい、お父様」
それを聞いて、父親は商会長の顔に戻った。
首を傾げ顎に手をやり少し考えてから首を横に振る。
「ふむ……近頃の噂では、ユークリウス殿下は人望が高いそうだ。迂闊に紹介しては殿下に魅かれて引き抜かれてしまう恐れがある。アルマ、ここは何か適当な理由を付けてお断りした方が良いだろうな」
「いいえ」
父親の後ろ向きな言葉に、だがアルマは全く動じなかった。
笑顔で父親の言葉を否定して、反論を始めた。
「お父様、それは良い手ではないと思います。殿下の御人望が高いのであれば、繋がりを太くしておけば殿下に近づく貴族方への手蔓にもなる筈です。そもそも、ミスリル鋼を用いるような高価な武具を購入しようと言うのは、高位貴族や王族ぐらいなのではありませんか? 新進気鋭の王族である殿下との繋がりを断っては、私達の売り込み先を自分で狭めることになります」
「それはそうだが。では、どうしようと言うのだ?」
自分の考えを否定されて父親はむっとしたようだが、アルマにそれを気にする様子はまるで無く、説得の勢いは変わらない。
「ここは殿下に面会させていただいて、御事情をお伺いしてはどうかと思います。場合によっては、その鋼材を良いお値段で引き取ることを提案してはいかがでしょうか。殿下の所での御入用を優先した上で、残りの鋼材を使った武具も身許確かな貴族方以外には売らないことを誓約すれば、殿下も御安心くださると思います」
「だが、ミスリル鋼の値段と言えば、途轍もないぞ」
「そうであればこそ、です。殿下が御領政を立て直される資金の一助になれれば、私達へのお憶えもめでたくなると思います。もしこちらの資金に余裕が無ければ、少しの利息で割賦をお願いすれば良いのです」
「それはそうかもしれんが。だが、いくらお誓いしても、良い武具があちこちの貴族に渡って大丈夫か?」
「大丈夫です。職人一人では作れる数にも限りがありますから。もちろん殿下の所にお納めする分は、ご要望に応じて堅実精強なものをお届けしましょう。ですが残りは武具と言っても貴族方に売るものです。大げさに煌びやかな飾りの部分だけにミスリル鋼をふんだんに使えば、実用性は今一つでも喜んで買い入れる侯爵伯爵は沢山いらっしゃるのでは。さらにその方々が見栄を張れるように価値をしっかりと主張した値段で……いえ、いっそ限定競売に掛けましょう。そうすればあっという間に元手以上が回収できる上に、物は各家の武具庫で美しいまま静かに眠ることでしょう。しっかり売って、殿下にしっかりお支払いして、私達の所にもしっかり貯まる」
娘の口から、興奮している割には商人らしい虫の良さげな案が飛び出してきた。
「お前、それはなかなかにえぐい案だな」
商会長は思わず体を後ろに反らしたが、考えてみれば悪くはない話である。
「だがまあ、客である貴族が喜び、我々が儲かればそれで良いか」
「はい、殿下の御領は栄え、貴族方は喜び、私達も儲かった上に殿下のお覚えがめでたくなる。三方良しではありませんか。それもこれも、まずは殿下にお目に掛かって相談させていただくべきかと。もちろんお手紙をいただいた私が直接担当させていただきます。これは譲れません」
「……アルマ、お前、自分が殿下に会いたいだけだろう」
「今日中に面会をお願いするお返事をお送りします。御許可があり次第ピオニル領に向かいますから、店の留守番の方はお父様にお願いいたしますね。旅装もすぐに準備を始めないと」
「……アルマ、聞こえているか?」
「手土産は……、そう、殿下は王都を離れられてしばらく経たれているので、王都限定のものが良いですわよね……。確かお噂では甘いものがお好きだったはず……。どこのお店にしようかしら……。最近話題の菓子店と言えば……。メモは私の机の中ね……」
「おい、待て、アルマ。ちょっと待て」
父親の呼び掛けも空しく、アルマは俯いてぶつぶつ呟きながら部屋を出て自分の執務室へと歩いて行った。
「おーいアルマ、帰って来ーい。せめて扉を閉めていけー」




