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風の国のお伽話 第二部  作者: 花時雨
第二章 王都の恋

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第58話 王女再訪

前話約一週間後


ユーキは王都での用事を全て済ませた後にクルティスを連れてピオニル領に帰還した。

ケンは近衛軍での訓練を受けるため、王都に残った。

寝泊まりはピオニル領の王都御用邸ですることになった。

御用邸は領主であるユーキの依頼で母のマレーネ殿下が管理しており、マレーネ殿下の保護下に入ったようなものだ。

近衛の独身者の寮に入ることも出来たが、ケンに一人暮らしの経験が無いことを知ったマレーネ殿下が、寮暮らしでは生活が乱れると心配して認めてくれなかったのだ。

マレーネ殿下の邸に住むことも勧められたが、流石にそれは断った。

それでも、近衛の訓練の行きか帰りに殿下の邸に寄り、日々の状況を報告することになった。

近衛の訓練場には馬で通うことになる。

ケンは乗馬は特に上手いというほどではないが、道を常足で歩かせるぐらいはなんの問題もなく出来る。

ピオニル領にいる間に練習をきちんとしておいて本当に良かったと思う。


マレーネ殿下は、ピオニル領の御用邸の管理料代わりにケンに用事を頼んで良い様にユーキ殿下との間で取り決めをしたらしい。

もっとも、そんな取り決めが無くてもユーキ殿下の母上の王女様の依頼であれば、ケンに断れるはずも無いのだが。


今日、ケンはマレーネ殿下の使いとして、メリエンネ王女の所へ届け物に来た。

王城の城門や城内諸所の検問所で近衛兵に止められたが、マレーネ王女の使いだと告げると「ああ」と言って、碌々確認もされずに通された。

王女の名の威光や恐るべしである、というか、近衛もあまりマレーネ殿下には関わり合いになりたくないのかも知れない。

もちろん東宮局の受付や王族の居住区の入り口の衛兵には、氏名や用件、使いであることを示すマレーネ殿下の書付などをきっちりと確認された。


メリエンネ王女の部屋に辿り着き、トントントンとノックをして待つと暫くして扉が開き、侍女のスザンネが訝し気な顔で現れた。

ケンを見て「あら」と意外そうな顔をしたが、それ以上は何も言わずに控えの前室にケンを招き入れた。


「あの、マレーネ殿下からメリエンネ様へのお届け物を持って参りました」

「承りました。お預かりいたします。ですが、ジートラー卿」


スザンネの少し厳しい口調に、ケンは何事かと驚いた。


「はい? 何でしょうか」

「姫様のお名前を呼ばれるのは、姫様の御前だけにされた方が良いと思います。それも、ドロテア様と私以外の者がいる時はお避けください。『王女殿下』と呼ばれることをお勧めします」


そう言えば、以前にユーキ殿下にも同じことを注意された。

そんなに大事なことなのだろうか。

ケンはこの侍女の方に尋ねてみることにした。


「失礼しました。あの、それはなぜでしょうか」

「王族のお身内以外で、姫様が若い独身の男性にお名前を呼ぶことを許されたのは、ジートラー卿、貴方だけだからです。卿が姫様にとって特別な相手だと周囲に思われては、何かと面倒なことになります。姫様と卿の間の事は全て秘密にしてください」

「はあ。ですが、マレーネ殿下にはいろいろ尋ねられるのですが」

「ああ……。それは仕方ありませんが、最低限になさってください。よろしいですね? 姫様にとって、卿とのことは大切な秘密なのです」

「はい」


『大切な秘密』と言われて、ケンはまた前回のことを思い出した。

腕の中にあったメリエンネ様の羽毛のような軽さが意識に上り、つい顔が赤くなる。

それを見てスザンネは「まあ」と洩らしたが、それ以上は何も言わなかった。


ケンが用事はこれで済んだと見て、「では、俺はこれで失礼します」と言い踵を返そうとすると、スザンネが慌てて引き留めた。


「いえ、姫様にお会いになってください。卿が来られることはマレーネ殿下からのお手紙で姫様も御存じですから」

「マレーネ殿下が?」

「はい。こちらへどうぞ」

「はい」


スザンネは有無を言わさぬ口調でケンを促し、先に立って執務室の扉をトン、トン、トン、トンと叩き、「姫様、ジートラー卿がお見えです」と声を掛けた。


「お入りいただいてください」


中からの少し緊張した許可の声に、スザンネが扉を開いてケンを導き入れる。

メリエンネ王女は前回と同じように大テーブルに向かって車椅子に腰掛けていた。


「姫様、ジートラー卿がこれをお届けくださいました」

「そう。スザンネ、お茶と一緒にお出しして頂戴」

「はい、畏まりました」


スザンネに命じたメリエンネは、ぎこちない笑顔でケンに向いた。


「ジートラー卿、ありがとうございました。実はお届けいただいたのは、クーヘンなのです」

「ああ、それで。気を付けて大切に運ぶようにとマレーネ殿下が命じられたのはそれでですね」

「ええ。王都で繁盛しているという菓子店をお教えくださるとのことで。お届けいただきありがとうございます」

「いえ、お役に立てたのなら嬉しいです。それでは俺はこれで」


メリエンネ様に見られていると、前回のことが思い出されて顔に血が昇る。

お顔を見るのも恥ずかしく、ケンがそっけなく帰ろうとすると、メリエンネは慌ててケンの方に手を伸ばした。

何かを言おうとしたが、その前に横からドロテアがケンを厳しく(たしな)めた。


「お待ちください! ジートラー卿、卿は御存じないようですが、王族の御前はその方のお許しが無い限り勝手に下がることは許されません」

「そうなのですか」

「はい、そうなのです。それが王族の方々に対する礼儀です。お気をつけください」

「わかりました。失礼しました」


ケンが自分の失敗を知らされて顔を曇らせるのを見て、メリエンネが慌ててとりなした。


「ドロテア、そんなに強い言い方をしてはなりません。ジートラー卿は位を受けられてからまだ日が浅いのです。作法に慣れておられないのも仕方のないことなのですから」

「はい、姫様。ジートラー卿、失礼いたしました」

「いえ、教えてくださって有難うございました」


素直に頭を下げるケンの様子を見て、メリエンネはほっとして、和らいだ声を掛けた。


「では、ジートラー卿、お座りください」

「はい?」

「折角のクーヘンも、独りきりでは味気なく感じます。お相伴していただけますわよね?」


メリエンネが言うと、すかさずスザンネが横から出て来て椅子を引いてケンに座るよう促した。

これまた有無を言わさぬその態度に、ケンは止むを得ず腰掛けることにした。

甘過ぎるものはあまり得意では無いのだが、それは言わない方が良いだろう。

腰を落ち着けたケンを見て、メリエンネは嬉しそうにスザンネにお茶の準備を言い付けてから、またケンの様子を窺った。


「あの、ジートラー卿、御迷惑だったでしょうか?」


その頼りなげな姿と消え入りそうな声を聞いて、ケンはまた前回のことを、そしてユーキ殿下に言われたことを幸運にも思い出した。


「いいえ、メリエンネ様。あの、よろしければ俺のことは『ケン』とお呼びください」


それを聞いて、メリエンネの顔から不安げな様子が一掃されて、華やかな笑顔が戻った。

背筋も伸び、気のせいか血色も良くなったようだ。


「良いのですか? ……ケン、殿」

「はい、もちろんです。気が付かず、失礼いたしました」


メリエンネが嬉しそうにしていると、ドロテアが口を挟んだ。


「失礼ですが、ジートラー卿」

「はい。侍女様も『ケン』とお呼びください」

「いえ、私達は『ジートラー卿』とお呼びします。付かぬことをお伺いしますが、お仕えしておられるユークリウス殿下のお家の方々も卿のことをお名前で呼ばれるのですか?」

「マレーネ殿下とユークリウス殿下は、そうですね」

「それ以外の方々の皆様も?」

「いえ、殿下にごく近い方々だけですね」

「そうですか」


やり取りを息をひそめて聞いていたメリエンネが被せるように尋ねた。


「あの、ケン殿の村の方々も?」

「ええ、それはもちろん『ケン』と呼び捨てです。村の皆は家族も同然ですので。あいつらに『ジートラー』と呼ばれたら、誰のことだよって思ってしまいます」

「家族も同然……」

「メリエンネ様も、よろしければ『ケン』と呼び捨ててください」

「! ……いえ、嬉しいですが、ケン殿はユークリウス殿下の御家臣ですからそれはできません。でも、お気持ちはとても嬉しいです」


メリエンネが顔を朱に染めて礼を言うのを聞いて、ケンも心が浮き立つのを感じた。

この方に喜んでもらえて良かった。ただそう思った。それに自分で気が付くと、何だか恥ずかしくなってきた。

あの時はまさかと思ったが、ユーキ殿下に言われた「愛しい」と言う言葉が強く意識に上り、こちらまで顔がどんどん熱くなってくる。

横にいるドロテアがこちらの様子を窺って、二度三度と頷いていることには気が付かなかった。


「あの、ケン殿、この間は、ありがとうございました。とても楽しかったです」

「そう言っていただければ、俺も嬉しいです。あれから、歩く練習はされているのですか?」

「それが……」

「どうかされたのですか?」


メリエンネの顔が曇り、返事を口籠った。

そこにケンが問いを重ねると、メリエンネは渋々と事情を話しだした。


「立ち上がることは少しは何とかできるのですが……。歩くのはなかなか。怖くて……」

「何が怖いのですか?」

「スザンネやドロテアが支えてくれようとするのですが、二人ともそれほど力が無いでしょう? 一緒に倒れそうで怖いのです。それ以外の侍女や近衛には、歩く稽古をしているのは知られたくないので……」

「何故ですか?」

「外の貴族方に洩れると、いろいろと面倒なことになるのです」


悲しそうに言うメリエンネ様を見ると、また胸が締め付けられる。

何とかしてあげたい。前と同じように、その気持ちがまたむくむくと湧いて来る。

ケンは少し考えてから言った。


「しっかり支えられれば、歩けそうなのですね?」

「はい」

「では、俺が支えますから歩いてみませんか?」

「ケン殿が?」

「はい、俺は侍女のお二人よりほんの少しだけ力があるでしょうから」

「まあ」


メリエンネはケンの冗談にくすっと笑ったが、また不安そうな顔に戻った。


「でも……」

「やはり怖いですか?」

「なかなか勇気が出ないのです。ケン殿はお強いからわからないでしょうけれど」


そう言ってメリエンネは俯く。

ケンはその顔を見て、胸が痛んだ。

やっぱり何とかして差し上げたい。

そう思って顔を動かしたとき、服の中で何かが胸に触れた。

マーシーがくれたリーグ銀貨のペンダントだ。

それと共にマーシーの顔を、マーシーの言葉を思い出した。


ケンは立ち上がるとテーブルを周り、メリエンネの車椅子の傍に寄って跪き、右手を胸に当てた。

メリエンネは、何事かと驚いて急いで車椅子を回してケンの方を向く。

ケンは頭を垂れたまま話し掛けた。


「メリエンネ様、俺、上手く言えないかもしれないけど、お聞きください」

「はい?」

「俺の剣術の師匠はマーシーという傭兵でした。マーシーは俺の村のマリア姉さんと結婚して村に住み着きました。そして俺達、村の子供に剣術を教えてくれました。俺達にとっては憧れの的の強い男だったんです」

「そうなのですね」

「ええ。でも無法代官のニードが村に来た時にハンナ、村の幼い女の子をニードから守ろうとして、卑怯な手でやられて脚を折られてしまいました」

「……」

「それが治りが悪くて、なかなか立ち上がれなくて。嫁さんのマリア姉さんがマーシーの面倒を見ていたんですけど、赤ん坊を産む前後で危ないからって、訓練は手伝えなかったんです。俺達もニードとの戦いを準備している時でなかなか手伝えなくて、マーシーは一人で立ち上がって歩く訓練をしていたんです。でもなかなかうまく行かなくて。俺が(たま)に手が空いた時に肩を貸しても、何度も転びかけたりして。それでも止めようとしないんです。俺、心配になって、マーシーに『無理しない方がいいんじゃないか』って言いました。そうしたらマーシーが笑いながら返事したんです」

「何と、ですか?」

「『マリアも無理するなって言ってくれる。自分が何でもやるからって。だがな、俺はマリアに庇われたままでいたくはねえ。もう一度マリアを守れるようになりてえんだ。マリアと俺達の赤ん坊をな。他の誰のためでもねえ、俺がそうしてえんだ。そしてマリアに、自分の亭主が頼りになる男なんだって、思わせてやりてえんだ』って」

「……」

「俺、その時に、マーシーは本当に強い人なんだ、って思ったんです。傭兵としてだけじゃなく。剣術や体が強いだけじゃなく。人のために、大切な人のために強くあろうって頑張れるのが本当に強いってことなんだって」


ケンはそこで一度言葉を切った。そして顔を上げ、メリエンネの目を見ながら続けた。


「メリエンネ様、メリエンネ様も、どうか御自分のために、そしてみんなのために頑張っていただけませんでしょうか。お支え下さっている侍女様方や俺に、そして国民に、俺達の王女様は強い人なんだって、思わせてやっていただけませんでしょうか」

「王族として。国民のため、ドロテアやスザンネのため、そして……ケン殿のため?」

「はい」


メリエンネはケンの顔を見た。その黒い瞳の静かな輝きが優しくこちらを見ている。

その胸に当てられた手が、自分を抱き上げたのだ。

その逞しさ、腕の頼もしさを思い出す。

この人の期待に応えたい。でも、勇気が出ない。


メリエンネの手が持ち上げられて胸の前で組まれ力が籠められた。

しかしすぐに顔が俯き、そして手は弱々しく膝に下ろされようとする。


その時、ケンの両手が躊躇いがちに伸びた。

その手はメリエンネの手を柔らかく受け止めるとそっと包んだ。

メリエンネが驚いて顔を上げると、また視線が合う。

ケンの眼は、相変わらず優しくメリエンネの言葉を待っている。

そして握られた手の温もりもこちらを励ましてくれている。


メリエンネはもう一度だけ俯いてから決然と顔を上げた。


「ケン殿、私、やります」



次話に続きます。

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