第49話 駐屯中隊
王国歴223年10月末
ユーキが国王陛下に対して馬産用の種馬と肌馬の貸与を願い出てからしばらくして、宰相名で返答が送られて来た。
急いで中身を読むと、許可する、その代わりに近衛第三大隊から一個中隊分の駐屯の受け入れを命じるとのことで、ユーキは大いに喜びまた驚いた。
その少し前にメリエンネ王女から『近々良い事があるでしょう』と手紙が来ていたのはこれのことかと思い、王女が力添えをしてくれたのだろうと感謝した。
いずれ上都する際には、お目に掛かって篤くお礼を言わなければと心に留めおいた。
それはともかくとして、ユーキは受け入れ準備を急がせた。
ネルント開拓村では、新たに牧場と馴致に当たる要員用の住居等を建てている。
手が足りないので傭兵ギルドや麓のフーシュ村からも人を雇って大忙しだ。
ノーラも領都にカウフマン商会の支店を設けるだけでなく、村にも出張所を開くことになった。
領都でも中隊受け入れのための駐屯所が建設されている。
来領する商人も増えてきて、領全体が活気に満ちて来た。
ユーキもあれやこれやで大忙しだ。
それでもフェリックスやベアトリクスそしてその配下に付けた者達は、さまざまな手配や事務を簡単にこなしていく。
彼等を見てユーキは感謝するとともに、もし彼等がいなければどうなっただろうと背筋がぞっと冷えるのを感じずにはいられなかった。
駐屯所が完成して間もなく、王都から中隊がやって来た。
騎兵が百数騎、それに加えて予備の馬や隊員の荷物を運ぶ荷車に、家族の乗った馬車も加えるとかなり大きな隊列になり、街道を進んでいても目立つ。
町や村では人々が道の両側に群がって歓声を上げたり指笛を吹いたりしている。
近衛兵の金糸煌めく揃いの濃緑の軍服と凛々しい騎馬武者ぶりに、娘達のきゃあきゃあという嬌声も聞こえる。
その中には娘とは言えなさそうな者や男の声も混じっていたりするが。
近衛兵達はそのような沿道からの声に動じない者、ニヤッと笑って見せる者、振られた手を見て振り返す者と様々である。
小隊長や班長達がそれを注意する様子もなく、かといって隊員達がだらけているわけでもない。
馬上の姿勢は全員が美しく背が伸びており、腰の騎兵剣や馬の歩調も規則正しく弾んでいる。
規律が緩んでいるのではなく、隊の気風がのびのびとしているということなのだろう。
衛兵の先触れにより隊の到着を知らされていたユーキは、家臣達と共に邸の前で出迎えていた。
隊は騎乗のまま門を抜けて前庭に入ると、副長の号令一下きびきびと、方陣をとって整然と並んだ。
その前には中隊長と副長の二騎が立っている。
中隊長が馬の背から跳び降りると副長が「下馬!」と号令を掛け、隊員達も一斉に鞍から地面へと降り立つ。
馬の脇に直立した中隊長の前にユーキが進んで立つと副長が姿勢を正して口を開いた。
「気を付け!」
号令に合わせて隊員が靴の踵の音高く姿勢を正す。
「ピオニル領領主ユークリウス・ウィルヘルム・ヴィンティア殿下にー、捧げー、剣!」
中隊長が敬礼し、副長以下全員が一斉に騎兵剣を抜き、顔の前に立てる。
その動きは一糸乱れず、立てた剣は微動だにしない。
服装がやや乱れていたのとは異なり、訓練は十分に行き届いている様だ。
ユーキが感心していると、副長が「納剣! 直れ!」と号令を掛け、また剣の刃が一斉に煌めいて消えて靴音が立ち、兵は足を少し広げて姿勢を直す。
中隊長がユーキに向かって引き締まった声を出した。
「中隊長ゲラルド・ショルツ大尉以下、近衛第三大隊ピオニル駐屯中隊百二名、ただいま到着いたしました。王命により、ユークリウス・ウィルヘルム・ヴィンティア殿下の麾下にてただいまより活動を開始いたします!」
「中隊長、御苦労に思います。私がユークリウスです。これからよろしくお願いします」
「恐縮です。殿下、早速ですが、御閲兵をお願いいたします」
「……」
ユーキが無言で微笑みながらショルツ大尉の少しあみだになっている軍帽に視線を送ると、大尉は慌てて真っ直ぐにかぶり直した。
それを見て隊員達も一斉に軍帽やら帯剣やらを整える。
そのざわめきが鎮まったところでユーキは返事をした。
「わかりました。隊長、先導をお願いします」
「有難うございます、殿下。では」
大尉の導きを受けてユーキは隊列にゆっくりと歩み寄り、副長を皮切りに隊員一人一人の前に立ちその立ち姿と愛馬を見回す。
兵の顔色は一様に良く体格は逞しく、その姿勢は真っ直ぐに伸びて美しいが、そればかりではない。
馬の毛艶もその背に置かれた鞍や装具もぴかぴかと光っている。
それを確かめてユーキが兵に頷くと、表情は変わらないがその瞳が嬉しそうに輝く。
次々に歩を進めて閲兵を続けると、三列目の左端に見覚えのある者がいた。
以前にユーキがクルティスと一緒に城下に繰り出してヴィオラ嬢、当時の名は菫と再会した時に護衛を務めてくれた男だ。
「貴方はあの時に護衛してくださった方ですね」
そう話し掛けると兵は表情こそ変えなかったが、嬉しそうな声で答えた。
「殿下、憶えていてくださいましたか。光栄です」
「あの時は、有難うございました」
「いえ。私の方こそ殿下の見事なお手並みを拝見でき、眼福でした」
菫を破落戸の手から救うために悪漢の一人を投げ飛ばしたことなど、王族としては下品でありこそすれ、何の自慢にもならない。
「その件は、どうぞ内分にしてください」
ユーキが慌てて口に人差し指を当てて言うと、兵の真後ろに並んでいた者が「プッ」と声を洩らした。
覗いてみると、もう一人の護衛だった者である。
横から中隊長が「オホン」と咳払いをして小さい声を出した。
「殿下、畏れながらもう手遅れかと。殿下の武勇伝については私も報告を受けておりますし、その二人の小隊長の隊では酒の席で毎度毎度の肴になっており、少なくともこの中隊には拡がっていると思われます」
「そうですか。それでは中隊外には広まらないように御配慮願います」
「承りました」
ユーキは心中で苦笑いしながら中隊長に頼むと、またその兵に向いた。
「小隊長に栄進されたんですね。おめでとうございます」
「有難うございます。またお傍近くで働くことができ、光栄です。何かありましたら身命を賭してお護りさせていただきます」
「よろしくお願いします」
どうやらそのやり取りは全員に聞こえていたらしい。
ユーキが世話になった近衛兵を憶えていた、ただそれだけのことだとしても、嬉しそうな雰囲気が隊の全員に広がった。
全員の閲兵が終わり正面に戻ると、中隊長がユーキに再度敬礼した。
「殿下、御訓示をお願いいたします」
隊長の言葉にユーキは頷いた。
自分自身も姿勢を正して隊員達に向かうと、一つ咳払いをしてから声を張った。
「諸君、私がこの領の領主、王大甥ユークリウス・ウィルヘルム・ヴィンティアである。諸君を心から歓迎し敬意を払う。
諸君は国王陛下の御命により、万一の戦に備えて王都から遠く離れたこの地に分散配置されたものである。偉大なる陛下の優れた御治政と外交の御努力により、平和は長く続いている。だが、油断はできない。もし我々が備えを怠り隙を見せれば、諸国はたちまち牙をむき襲い掛かって来るであろう。そうなれば禍は我々に留まらず、多くの民を苦しめることになる。それを防ぐために、我々は常に腕を鍛え、剣を研ぎ澄まさなければならない。真の和平が成り、磨滅し削れ果てたその剣を記念の飾りとできるその日まで。
諸君はその備えの先頭にある。私は諸君の刻苦精励と奮闘を期待し、また心から信じて疑わない。以上だ」
「殿下に敬礼!」
副長の号令で隊員が一斉に敬礼し、儀式は終わった。
隊員達は従僕の一人に案内されて駐屯地に向かうなか、中隊長はその場に留まって打ち解けた様子でユーキに話し掛けて来た。
「殿下、見事な御訓示でした。お若いとはいえ、流石は王族方と感服いたしました」
「有難うございます。隊長は、ショルツ家の縁者の方なのですか?」
「はい、現当主の従甥に当たります」
そう答えてから中隊長は声を潜めた。
「私が本任務にあたることを当主に報告したところ、殿下にお伝えする様に言われました」
ショルツ家の当主は、縁が切れているとはいえ、ヴィオラ嬢の叔父に当たる人間である。
ユーキは思わず身構えて周囲を見回し、こちらを窺っている人間がいないことを確かめてから尋ねた。
「何と、ですか?」
「これを後ほどお読みください」
中隊長は書簡を取り出した。
ユーキが受け取って素早くポケットにしまうと言葉を続けた。
「私は当主侯爵から、殿下に忠誠を尽くせと命じられております。どうか御信頼いただき、なんなりと御命をいただければと思います」
「わかりました」
「それから、国王陛下からも御伝言が。『本中隊は其の方の親衛隊と思い、いざの時には手兵とせよ』と。副長もウルブール侯爵の縁戚で、殿下のお身内のようなものです。どうか隊を殿下の剣、殿下の盾とお考えください」
「有難うございます。そのように」
ユーキが返事をすると中隊長は嬉しそうにしてもう一度ユーキに敬礼した。
そして颯爽と騎乗し、軍帽をちょいと斜にずらすとゆったりと馬を動かして隊員達の後を追って行った。
ユーキは自分の部屋に戻って一人きりでショルツ侯爵の書簡の封を開いた。
中の手紙には次のようなことが書いてあった。
「ショルツ家の現当主として、兄、前当主ならびにその夫人が生前に行った妓女葵様への仕打ちを深く恥じている。今更許されるべくもないことは承知しており表に出すつもりも毛頭ないが、何かの際には我が家はお二人のお味方と思っていただきたい。そしてもしもいつの日にかヴィオラ・リュークス嬢へのお詫びが適うことがあれば、兄が邸の裏庭に造り、最期の日々に僅かながらの安らぎを得た、葵と菫の小さな花園をお二人で訪れていただければ心底より嬉しく思う。 侯爵フレドリク・ショルツ」
章立てを付けて、本話までを第一章とし、次話から第二章となります。
舞台が王都に移ります。




