第48話 飛び交う書簡
承前(前話約一週間後)
フェリックス・ヴァイツ領主補佐に二通の書簡が相前後して届いた。
一通は父親から、もう一通はブルフ伯爵からの返信である。
フェリックスはそのうちの一通、ブルフ伯爵からのものを開封した。
今回も文末に添えられた派手な署名はやはりスタイリス王子のものだった。
前回のものと便箋を並べて比べてみる。
本文の文字を観察すると、前回とは字の癖が異なって几帳面な筆跡だ。
してみると、今回の文は誰かが代筆したのだろうか。
いや、前回の文字も癖はあるが、署名の派手派手しさとはそぐわない。
多分スタイリス王子は署名するだけで、前回と今回とで代筆した者が異なっていると考えた方が自然だろう。
内容を何度か読み返してみる。
まずは御大層に上から目線で美辞麗句を並べてこちらを褒めつつ自分の王族としての立場を強調してから、こちらから希望を尋ねた講義内容についての回答が記されていた。
『小領の領政の実態について今後の実地に役立てるべく貴説を伺いたい。特に評判が高いピオニル領での最近の施策は貴下が発想発案されたものと聞くが、実に素晴らしく尊敬に値する。是非参考にしたいのでその具体的内容と発想法について詳しく聞かせてもらいたい』と書いている。
その後には自分の側近がこぞって陪席を望んでいることを、そいつらの講義への期待の言葉を引用して連ね、人数が多いので自分の王子としての名を用いて王城の進講室を借りるつもりだと続けている。
『貴公から学びを得て我らが殿下へのお仕えに共に一層励みたいと、口々に言上を受けている』、か。
フェリックスは読み終えると「ふぅっ」と深く溜息をついた。
奇妙な返事だ。
一見それらしい事を書いているように見えるが、きちんと読めば無茶苦茶だ。
我々が行っている政策のどれに興味があり、その何を知っており何を知らないかは全く書かれていない。
具体的な中身も知らずに『実に素晴らしい』とは、ふざけているのかあるいはこちらを馬鹿にしているのか。
本当に学びたいのであれば、どの政策を、と指定してくるものだろう。
それに『実地に役立てる』と言っても、あのスタイリス殿下に小領の領政に携わる意志があるとは思えない。
現にこのピオニル領の臨時領主を断ったと聞いている。
今更、この領での具体的な政策を聞いてどうしようというのだ。
『発案が尊敬に値する』などと褒めちぎっておだてたつもりだろうが、実情は発想創案はユークリウス殿下のもので、その独特の着眼が素晴らしいのだ。
私はそれを実施するために形を仕上げて配下に実行させているに過ぎない。
本気で引き抜くつもりなら、その程度のことは調べておくはずだ。
これでは褒められたどころか、むしろ感情を逆撫でされた思いだ。
講義への陪席希望者の多さを装った側近の数の自慢やそいつらの中身の無い諂いの言葉などはもう目障りなだけだ。
導師の講義もまともに聴かなかった有象無象の聴講希望など、いくら多かろうが腹立ちを超えて呆れしか感じない。
『お仕えに共に一層励みたい』とか、こちらの知ったことでは無い、勝手に頑張れとしか言いようがない。
王城の進講室は王族の学びのための部屋で、お前らの昼寝のための仮眠室ではない。
これはおかしい。
仕官の誘いのはずだが、本気であるとは到底思えない。
かと言って、スタイリス王子がこちらを馬鹿にするためにわざわざ手紙を送りつけてくる理由も考えられない。
だが、これはスタイリス王子本人の文ではなく代筆だ。
もし、これを書いた人物、二度目に代筆を任された者の意図が別にあるのなら。
スタイリス王子はこんな杜撰な文案に署名をする迂闊者な上に貴族を見下す傲岸な男で、こちらのことなど大勢の腰巾着の一人としてしか扱うつもりが無いのだと告げようとしているのだとすれば。
『引き抜きを受けるべきではない』と忠告しようとしてくれているのであれば辻褄は合う。
心当たりはある。
領主補佐の任命を国王陛下から受けるために上都した際に、我が家の派閥の長であるミンストレル宰相から、スタイリス王子の異母弟の賢人クレベール王子は兄との間に距離を置き始めたように見えると耳打ちされた。
それを考え合わせると、つまりはそういうことか。
ならば自分と忠告者のために、これ以上は深入りしない方が良い。
父からの返信にも、『相手にせず、逆らわぬ程度の理由を適当に付けて断れ。事情は内々に国王陛下と宰相閣下の耳に入れておく』とあった。
フェリックスは頷いてペンを取り、スタイリス王子への返信を書き始めた。
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スタイリス王子はフェリックスからの回答の書簡を読むと、上機嫌でクレベール王子を呼び寄せた。
「クレベール、これを見ろ」
「……『真に残念ながら、今は国王陛下から与えられた役に専念せよと父から命じられたため、当面は上都することは叶わない。止むを得ずお許しいただきたい。領政についてはまとめて記録しておくので、いずれこの役を全うした際にも御希望があるようならばその時に改めて考慮したい。殿下と殿下を慕われるこんなにも多くの方々に御期待をいただきながら、お言葉に従えないことを心苦しく思うこの気持ちをお汲み取りいただきたい』、ですか」
「俺の策が嵌ったぞ。父には止められたが自分としてはいずれは俺の所へ来たいということだろう。あいつの心はユークリウスの奴を離れた。これでもう、領政補佐には身が入らんぞ。やはり俺は策士だな。あははは、思い通りだ。いや、もしあいつがほいほいと乗ってきたら、嫌々聞かねばならなかった面倒な講義も聞かずに済むのだ。思った以上の結果と言うべきか。どうだ、俺の策は」
「見事ですね」
「そうだろう。俺は策士だからな。俺ほどの力を持つものは、他にはおらんだろう。こいつも俺に近付く連中の多さに驚いている。お前の文案に手を入れずそのまま使ったのは、そのこともきちんと書いてあったからだ。俺の魅力を知れば知るほど、こちらに気持ちが靡くだろうからな。クレベール、合格だ。この調子で引き続き励めよ」
「有難うございます」
「しかしこうも上手くいくとはな。あははは、笑いが止まらん」
スタイリス王子の周囲の者達も追従笑いをする中で、クレベール王子はいつものように無表情を保つ。
だが、内心ではほっと肩の荷を下ろし、フェリックスの返書を反芻していた。
「(つまり少なくとも国王陛下に役を解かれなければ戻ってくる気は無い、か。陛下の御命を盾に取ればこの男に無理強いされる心配も疑われることもない。それ以上は言わずに、持ち上げ返してこちらに徒な期待を持たせたか。見事だな。こちらの意図を読んだかどうかはわからないが、やはりヴァイツは有能な男のようだ。うまく行って良かった。しかしこの目の前の男は、態良くあっさり断られていると言うのに全く気が付かないのか。情けない。所詮は自分が見たいものしか見えないこの程度の小物、ユークリウス殿下とは器が違うのだ……)」
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フェリックスはスタイリス王子に断りの返事を出した翌日、清々しい気持ちで領政の状況をユーキに報告していた。
ユーキは語られる内容の一つ一つに真顔で頷いていたが、報告が終わるとフェリックスに答えた。
「フェリックス、順調に景気が回復しているとのこと、嬉しく思う。これは貴方のお蔭が大きい。私には貴方のように細部にまで行き届いた政は到底できない。領主として、また領民一同に成り代わってお礼を言うよ。有難う。いつも感謝している」
「殿下、勿体ないお言葉です。私は殿下のお考えを具体化しているにすぎません」
「そうかも知れない。でも、それこそが本当に難しいことだと思う。大雑把な思い付きを出すことは楽しく面白い。誰だってやりたがる。一方でその思い付きを実現可能な形に整え、関係する者達に心を配って準備を整えるのは手間が掛かり面倒で地道な作業だ。貴方はそれを率先して実行してくれている。簡単な事ではないだろうと思うんだ」
「いえ、殿下。私一人の力ではありませんので」
「そうだね。一緒に働いてもらっている者達の力も大きい。その力を引き出せているのも貴方の功績だと私は思っている。貴方の立場は彼等と私の間で、両方の事を考えなければいけない。苦心も一番だ。彼等に話を聞くと、私と同じように貴方を尊敬し信頼していることがわかる。どれだけ丁寧に彼等に向き合って仕事をしてくれているかの表れだと思う。フェリックス・ヴァイツ卿、もう一度言わせて欲しい。私は貴方に感謝している」
フェリックスは胸に詰まるものを感じたが、それを何とか押し殺して答えた。
「……殿下。数々のお褒めのお言葉、この身に余ります。この先も殿下のお考えに従って、この領を富ませ、領民の幸せを図ることに努め、長く殿下のお膝の下にありたいと思います」
「うん。私の方こそ、これからもよろしくお願いする」
ユーキが屈託のない嬉しそうな笑顔を浮かべると、フェリックスはそれを見つめた。
「(この方は、私の実際の働きや姿をきちんと見て褒めてくださっている。だからこんなにも胸に響く。上に立つ者はこうあるべきなのだ。この笑顔だ。私も見習わねば)」
力強い視線を浴びせられたユーキはどぎまぎとして頬を触りながら尋ねた。
「僕の顔に何かついてる?」
「いえ。もっと領を富ませて、いずれリュークス伯爵令嬢様が来られた時に驚かれるようにしておけば、殿下に今以上の笑顔になっていただけるだろうかと思いまして」
「フェル、領主を揶揄って遊ぶのはベア姉さんだけで十分だよ」
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その夜、ユーキは溜まっている書類仕事を片付けようと、一人で遅くまで執務室に籠った。
夜も更けて一区切りついたところで、書類入れから一通の手紙を取り出した。
イザーク・アルホフ男爵令息、スタイリス王子の側近ではあるが、以前のピオニル領への監察の後に『是非ともユークリウス殿下にお仕えしたい』と望んで来た男からのものだ。
仕官はやんわりと断ったのだが、それ以降、偽名を用いて何度か王都の貴族達の派閥活動の様子を書いて送ってきていた。
取り立ててどうということもない内容だったが、二週間ほど前に来たこの手紙は違った。
『スタイリス王子がフェリックス・ヴァイツ卿を引き抜こうとしているので御注意あれ』という通報だ。
真偽を疑ったが、ここしばらくフェリックスは何か悩み事があるようにも見えた。
事実であれば、ユーキとしてはフェリックスに抜けられては困る。
こちらから尋ねる訳にもいかず、もし辞意を打ち明けられたら何と言って引き留めようかと思い悩みもした。
だが、今日のこちらを揶揄ってくる明るい様子を見ると、どうやらその心配はなさそうだ。
長く一緒に働くことを選んでくれたのであれば、とても嬉しいことだ。
ユーキは手紙を持って立ち上がると燭台に近づき、蝋燭から火を着けて暖炉に放り込んだ。
悩みの種だったその手紙はひと時の間だけ明るい炎を上げてユーキの微笑みを照らし、そして消えて灰になった。
ユーキは火掻き棒でその灰を跡形なく崩しながら独り言を言った。
「政は一人でできることじゃない。皆の力を集めてこそ、だよね」
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数日後、フェリックスの父親であるヴァイツ伯爵の所にフェリックスからの書簡が届いた。
息子がピオニル領の領主補佐として赴任してからは数か月が経っている。
ヴァイツ伯爵は書簡の封印を確かめながら、可愛がっている息子がピオニル領に赴いてから今までに送って来た手紙の内容を思い起こした。
ピオニル領に行ってすぐの最初の手紙では「王子は噂以上の堅物で、そのくせにせっかちなのに驚いた」と言っていた。
次の月には「殿下を説得するのに時間が掛かって仕方がない、もうちょっと柔らかくなって欲しい。引き受けたのは早計だったかもしれない」と泣き言を書いて寄こした。
その次は「貴族のみならず衛兵、傭兵、商人、農民等々、様々な立場の民のことを深く考えておられる。目が開かれた思いがして、自分を見つめ直さなければと反省している」だった。
途中でスタイリス王子が変なちょっかいを掛けて来て、相談の手紙がフェリックスから届いた時にはちょっと慌てたが、喜んで喰い付かずこちらに相談してきたところを見るとあいつも少しは成長したようだ。
さて、今回は何と書いてあるのか。
伯爵はおもむろに封を切り、便箋を取り出すと興味津々で息子の文字に見入った。
一度読んでしばらく瞑目し、また二度、三度と読み返した。
見慣れたはずの文字だが、いつもよりインクが濃く、力もこもり、字の端々が勢いよく撥ねている。
心行くまで読んだ後は丁寧に封筒に納め、慎重に封をし直し、机の引き出しにしまい込んで錠を下ろした。
何枚もの便箋にはピオニル領で手掛けている事業や計画、共に働く者達など多くの事が踊るがごとくに楽し気な文で綴られていたが、大半は頭に入らず、最後の数文だけが心に残った。
「殿下を見習わせていただき、日々接する領民達からその仕事や土地、作物に対する思い入れを聞き取っていると、『領民の一人一人が愛おしく思える』という殿下のお言葉が漸く心に沁み入ってその意味を知ることができるようになって参りました。殿下が領民に慕われる御姿を何度も拝見するにつけて、領や国の栄に必要なのは、結局のところは民への愛なのだと悟りました。何事も理を用いて解決すれば良いと考えていたこれまでの自分の驕りを恥じております。これからも毎日の仕事に勤しみ、殿下の理想の実現をお手伝いするために長く力を尽くす決意をしております。
巨いなる竜の身近にありその息吹に励まされながら働くという、願っても無い幸運をしみじみと噛み締めて、この機会を下さった国王陛下と父上に心から感謝しております。
父上、本当に有難うございました。次にお目に掛かり直接にお礼を申し上げられる時まで、どうぞお体を大切にお過ごしください」




