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風の国のお伽話 第二部  作者: 花時雨
第一章 ピオニル領新政

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第35話 ヴィオラとスタイリス王子

王国歴223年9月中旬


ある朝、ヴィオラは表に出る支度をする王妃の(かたわ)らで着付けを手伝っていた。

先任の侍女達が慣れた手付きで王妃の髪を梳かして結い上げ、化粧を施し、衣服を整え、装飾品を付けていく。

ヴィオラはその側で、必要になりそうなものを先回りして準備しては手渡したり、使い終わった化粧道具をてきぱきと片付けたりと、甲斐甲斐しく立ち働いている。

さらにそれだけではなく、手が空けば、先輩達の作業も憶えようと目を凝らしている。

王妃はヴィオラのその様子を目を細めて見ていたが、着付けが終わると侍女達を一人一人(ねぎら)った後にヴィオラにも声を掛けた。


「ヴィオラ、貴女もかなり慣れて来ましたね」

「ありがとうございます、お妃様」

「そろそろ別の事をしてみても良い頃でしょう。今日は昼から、私も出席するパーティーがあります。そこで給仕を手伝い、パーティーでの貴族のあり様を見て学ぶように。それまでの間、この者達から給仕の役割や立ち居振る舞いを学んでおきなさい」

「はい、承知いたしました。皆さま、厳しく御指導いただけますよう、お願いいたします」


ヴィオラが頭を下げ、他の者達が鷹揚に頷くさまを王妃は満足げに確認すると、側近を連れて部屋を出た。


廊下を歩きながら、最側近であるテレーゼ・コルネリア侍女取締が不安そうに王妃に尋ねた。


「お妃様、ヴィオラ嬢は酒の席に出させるには幼いのではありませんか? 不埒な貴族共に何をされるか言われるかわかりません。まだ早いのではないかと」

「可愛いからと言って甘やかしてはなりません。あの子は貴族の中で生まれ育ったわけではないのです。これから長く貴族に囲まれて生きていくためには、試練でしょうが、少しでも早くから見聞きして慣れさせないと」

「ですが……」


テレーゼはまだ心配げにしているが、王妃の方は事も無げに言葉を足した。


「ああ、会場内では手練れをヴィオラの近くにいさせるようにしなさい。但し、容易(たやす)く助け舟を出してはなりません」

「では、何のためにでしょうか?」

「うちの可愛いヴィオラに、胡乱なちょっかいを掛ける貴族がいたら名を控えておくように。後で思い知らせてやります」

「……」


ー-----------------------------------


ヴィオラは午前中に先輩侍女達に助言を受け、付け焼刃ながら立ち居振る舞いを教わって、午後のパーティーに臨んだ。

給仕はパーティーの席では目立たぬように、参会者に目を配って用がありそうな所にさりげなく近づくように、言葉を掛けられても応答以上の会話は控えるように、そして何かあっても参会者に恥をかかせることが無いようになどの教えられた心得を、頭の中で繰り返す。

以前に花園楼で行っていた禿の仕事に近いので、何とかなりそうだ。


参会者が集まりだすと、控室からの案内、飲み物等の配置など、取り仕切っている先輩に言い付かった作業を他の女給や従僕達と共に目立たぬようにこなしていく。

人が増えるにつれて、参会者の忘れ物を控室に取りに行くよう命じられたり、飲み過ぎて体調を崩した令嬢を控室まで介助したりと忙しい。

それでも懸命にこなす中、会場で同伴者の若い男に伴われた一人の幼げな令嬢を見掛けた。

齢も背も、ヴィオラとそれほど変わるように見えない。

恐らく成人の儀を過ぎてさほど間もなく、社交界での経験も少ないのだろう。

初々しいのは良いのだが、慣れぬ酒に酔ったのか、足取りがたどたどしい。

大丈夫だろうかとヴィオラが背後に近寄ったその時に、その令嬢の横で心配そうにしていた同伴の男の背に誰かが当たり、前によろけて玉突きとなり令嬢にぶつかった。

令嬢は「あぁっ」と小さな声をあげて姿勢を崩し倒れそうになる。

ヴィオラは急いで近寄って背中と腕を支えた。

そのおかげで令嬢は倒れずに済んだが、その手に持っていたグラスが傾いて中身が床に零れ落ちた。


令嬢は顔を蒼ざめさせて何かを言おうとしたが、それに先んじてヴィオラが声を出した。


「申し訳ありません!」


そして急いで手巾を取り出すとしゃがんで床を拭く。

当の令嬢は驚いた顔をしたが、同伴の男が先にヴィオラを見下ろして(なじ)った。


「どこを見ているのだ! 給仕が参会者にぶつかってどうするのだ!」


男の強い口調に、周囲の視線が集まった。

ぶつかったのは男の方だが、男に、ましてや花咲き初めの令嬢にも面目を失わせてはならじ。

ヴィオラは手早く床を拭き終えると立ち上がって頭を下げた。


「不調法をいたしました。お嬢様、お怪我はございませんでしょうか」

「い、いえ」


怪我などあるはずもない。

令嬢が答えようとしたが、それを遮って男がヴィオラを詰り続けた。


「彼女はこのような場所には不慣れなのだ。それを知っていて、彼女を無様に倒れさせて恥をかかせようとしたのではなかろうな!」

「とんでもないことでございます。ただただ不調法でございました」

「本当だろうな? わざとでないと言うのなら、彼女に謝りたまえ!」

「はい。お嬢様、私が前に十分気を付けておりませんでしたばかりに御迷惑をお掛けして申し訳ございません。今後このようなことがないように注意いたしますので、何卒お許しくださいませ」


令嬢は男の剣幕におろおろするやら、ヴィオラに申し訳ないという目を向けるやらとしていたが、それに向けてヴィオラが目配せをすると、『はっ』と気付いた顔をした。

そして背筋を伸ばしてヴィオラに向かって凛として立ち、落ち着いた声で答えた。


「許します。誰にも不注意はあるもの。同じしくじりを重ねねばそれで良いのです。私も同じような粗相をせぬよう、今後気を付けることにいたします」

「はい」

「服が濡れているようです。行ってお着替えなさい」

「はい、ありがとうございます」


実際には服は濡れてなどいないが、早くこの場から逃げ出せと言ってくれたのだろう。

ヴィオラは二人にもう一度頭を下げると、静かに会場を後にした。


会場内の多くの人間がその様子を見ていたが、ヴィオラが去るとほとんどの者はほっとしたという雰囲気を漂わせ、何も無かったかのように歓談に戻った。

数人の男を除いては。



「ほう。ブルフ、耳を貸せ」

「どうされました、殿下」

「(なかなかに可憐ではないか。今の給仕役の小娘を知っているか?)」

「(いや、見たことがありませんが。あの銀髪、ひょっとして、噂の陛下の新しい御養女ではありませんか?)」

「(ふむ。俺はちょっと席を外す。女達は適当に相手をしておいてくれ)」


スタイリス王子はそう言い捨てると、周囲の令嬢達を振り切って出て行った。


そしてその後を少し離れて追うように、もう一人の男が会場を後にした。


ー-----------------------------------


パーティー会場を出た後、ヴィオラは誰もいない廊下で壁にもたれて「ふぅ」と溜息をついた。


「ユーキ様、私、頑張りました」


小さく独り言を言ってみる。

あの男に投げつけられた理不尽で無礼な言い草はまだ胸に刺さっている。

だが、その痛みは、ユーキ様のお顔を思い浮かべればすぐに癒えた。

あのうら若い令嬢に恥をかかせずに済んだことをユーキ様ならきっと喜び褒めてくださるだろう。

令嬢の言葉には『ごめんなさい』という思いが響いて感じられた。

むしろ庇われたことを気に病んで、彼女がパートナーと仲違いをしてはいないかと、それが心配だ。

でも、すぐに会場に戻って近づいたら、つきまとっていると誤解を受けるかも知れない。

戻る前に頭を冷やしたい。

少しの間なら良いだろうと思い、ヴィオラは王城の庭を少し散歩することにした。


ヴィオラは侍女の先輩に断りを入れて、一人で通用口から外に出た。

以前に王妃殿下のお供をして来たことのある王城の庭の花の園を目指してゆっくりと歩く。

庭園の広大な花壇には網目の様に小径が張り巡らされ、植栽は王城の庭師達によって入念に手入れがなされている。

季節ごとに異なる花が、色とりどりに咲き揃う。


ヴィオラが美しい花々に目移りしながら歩いていると、いつのまにか人気の少ない所に入り込んでしまった。

これはいけないと戻ろうとしたが、似たような花の道ばかりでどこを通って来たのかわからない。

迷ってあちらこちらを見回していると、後ろから気取った男の芝居がかった声が掛かった。


「ほう、こちらの裏庭には大した花は植わっていないと思っていたが、いつの間にか()くも可憐な蕾が育っていたとは知らなかった。いずれ花開くのが楽しみだな」


驚いて振り返ると、輝くような金色の長髪を風になびかせた、極めて整った顔立ちの男がニヤニヤと笑いながら近づいて来た。

その薄ら笑いが無ければ素晴らしい美形なのだろうが、思惑ありげに歪めた口が台無しにしている。気色悪い。


男はさらに近寄りながらヴィオラに話し掛けて来た。


「リュークス伯爵家の養女かな? 高い身分の者が従僕の真似をさせられるとは、気の毒な事だったな」


男は止まることなく、ゆっくりと歩み寄って来る。

もう手を伸ばしたら届くのではないかと言う近さに、ヴィオラは思わず一歩二歩と後退った。

それを見て男は眉を寄せた。


「怖がることはなかろうに。私とお前は親族も同然だろうが」


不満そうに言いながら男はまた近寄ろうとする。

「親族」ということは、王族の一員であろうか。

だが王妃様に紹介されたのは、王弟殿下とメリエンネ様だけである。

一度名前を聞いたなら、必ず憶えている自信がある。

ヴィオラはまた一歩下がりながら尋ねた。


「貴方は何方(どなた)様でしょうか?」


それを聞いて、男が一度に不機嫌になった。


「俺を知らんのか? 俺の顔を見たことが無いとでも言うつもりか?」

「存じ上げておらず、申し訳ございません」


ヴィオラの答えに、男はあからさまにむっとした顔と声で名乗った。


「俺は王孫、スタイリス・ヴィンティアだ。憶えておくことだな」

「スタイリス殿下。貴方様が」

「ああ、そうだ。流石に名前は知っていたようだな」


ヴィオラが名前を呼んだことで機嫌が少し良くなったのだろうか、顔の歪みが取れて口角を上げた。

その顔を良く見ると、以前に姿絵屋に沢山あった絵の男と似ている。

庶民人気一番とあって、確かに綺麗な顔立ちだ。

長い髪は陽の光を浴びて金色に照り煌めき、勿忘草(わすれなぐさ)色の瞳は一度見たら忘れられなかろうと輝いている。

端正な鼻は高く誇らしげで、薄い唇は血色(ちいろ)濃く当人の聞かぬ気を示すかのように引き結ばれている。

その美麗さは、花園楼の姐様方がきゃあきゃあと持て囃すのもなるほどと頷ける。

でも、姿絵で見たスタイリス王子は、もっと優しげな明るい笑顔を湛えていた。

あれは絵師が王族の人気者に気を使ってそう描いたのだろうか、今目の前にいる男が浮かべている下卑た得意顔とは程遠い。

参賀の場で実物を見てユーキ様を推していた菖蒲の気持ちが良くわかった。

良くない事とは知りながら、ついユーキ様の優しい微笑みを思い出して比べてしまう。


ヴィオラがしげしげと顔を見ていると、スタイリスの機嫌がさらに良くなった。


「何だ? そんなに俺の顔を見詰めて。ああ、失礼だが構わん。若い女は俺に会うと皆そうなるからな。美しいものを見ると眼が離せなくなるのは人の(さが)というものだ。俺の目の前の花の蕾も瞬きを忘れるぐらいに美しい。咲くより早くに摘み取って、俺の部屋の花瓶の中でこの手で咲かせてみたくなるぐらいにな。美しいものは美しい者の手にあってこそ一層美しく華やぐのだ。そうだろう?」


スタイリスはいかがわしい御託(ごたく)を並べながら、ニヤニヤしてまたにじり寄って来た。

その視線がヴィオラには気味悪く、思わず顔を伏せる。


「どうした? 俺に見られて恥じらう気持ちはわかるが、(しお)れては折角の花が台無しだ。どれ、その可愛い顔を良く見せてもらおうか」


そう言うとスタイリスはヴィオラの顎を引き上げようと、右手を伸ばす。

ヴィオラは触れられまいと、思わずその手をぴしゃりと払いのけた。


「何をする、無礼者!」


スタイリスの顔が怒りに再び歪み、ヴィオラに怒鳴りつける。

遥か上から覆い被せるように脅しの声を降らされたが、ヴィオラは小動(こゆるぎ)もせず目を瞑ることもなく、顔を上げてスタイリス王子を見返した。

かつて花街近くの姿絵屋で破落戸(ごろつき)に『売り物』と罵られた日には、衝撃を受けて気落ちもした。

しかし今の自分は違う。

リュークス家の娘、マルガレータ殿下に我が身を誇れと諭された身、何よりユーキ様の婚約者として、目を背けるようなことは決してしない。してはならない。それが花街の元の仲間達のためでもある。


あの時は何も言い返せず、ユーキ様に助けられた。

今はユーキ様はここにはいない。でも、自分もあの時の自分ではない。

自分のため、ユーキ様のため、自分の身は自分で守らねば。

ユーキ様の妃として相応しい者になるために。


「失礼ながら、成人の儀も済まぬ者に触れられては、王族の御名にお差し障りになると存じます」

「う?」


ヴィオラが胸を張ってきっぱりと言い返すと、その毅然とした態度にスタイリスは気圧された。


「お手に触れた無礼はお詫びいたします。申し訳ございません。どうぞお戯れはお控えくださいますように」

「む……」


油断なく上目づかいに様子を窺いながら、ヴィオラは頭を下げて見せた。

スタイリスは年端もいかない小娘に思いも掛けず言い返されて言葉に詰まったが、意地を通そうとしてか、また前に出て手を出そうとする。


「戯れではない。顔を見せろと言っているのだ。王孫たる俺の手を払うなど、二度の無礼は許さんぞ」


ヴィオラが黙って一歩下がると、スタイリスはさらに前に出て来た。

それを嫌ってずるずると下がり、ヴィオラの足が花壇の端に詰まって下がれなくなると、スタイリスはニタッと厭らしく笑って手を差し出した。


どうしよう。ヴィオラは迷った。

王孫の手を払う無礼を繰り返しては、ユーキ様の婚約者と知れた時に御迷惑になるかも知れない。

さりとて、ユーキ様の優しい御手以外をこの身に触れさせたくはない。

いやもうそれ以前に、とにかくこの男は気持ち悪い。


逡巡する間にも気取って指を伸ばした手は迫る。

最早これまで、突き転ばせて逃げようかとヴィオラが思ったその時に、スタイリス王子の背後から声が掛かった。


「殿下! お下がりください! その娘に御用心を!」



次話に続きます。

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