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風の国のお伽話 第二部  作者: 花時雨
第一章 ピオニル領新政

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第29話 ドワーフのボーレ

前話翌々日


ユーキはクルティスと二人でクリーゲブルグ辺境伯領のそのまた辺境の地を馬で進んでいた。

辺境伯が手配してくれた案内人は、泊った山の辺の町の宿屋で待たせることにしてその日の朝に別れて来た。

しばらく進むと、畑が切れて山に入った途端に道は細くなった。

それでも道があるということは、この先にも人が住んでいるのだろう。

町で立ち寄った商店で聞いたところでは、何か月かに一度ぐらいは人が降りて来て、強い酒やら保存の効くつまみやらを大量に買い込んでいくらしい。


畑の間を進んでいるうちは夏の陽射しが厳しかったが、山道になり両側を灌木や樹木が覆うようになると、日光は時々遮られて涼しい空気が流れて来る。

さらに勾配が強く両側から木の枝が伸びる道を進んでゆくと、急に傾斜が無くなり円形に開けた場所に出た。

その中心に馬を歩ませると、空気が一層冷えてそれ以上進むのを躊躇わせる雰囲気を感じさせる。

周囲は丈の揃ったブナの木と深い下草に囲まれており、どちらに進むべきかわからない。


馬を立ち止まらせて辺りの様子を窺っていると、ユーキは誰かの視線を感じた。

見上げると前方の太い木の枝の上に、緑の髪に黒い肌、耳の尖った美しい女性が幹に寄り添って立っている。

女性はこちらを見下ろし、盛んにユーキとクルティスの間で視線を移動させている。

多分、アイヒェが言っていた逸れエルフではないだろうか。

ユーキが左腰に手をやり紅竜の剣の鞘を持って少し持ち上げて見せると、逸れエルフは吊り上がった眼を細めて小さく頷いたが、そのままクルティスを見つめ続けている。

クルティスの方はユーキの視線を追って逸れエルフがいる木の方を見ているが、視線は彷徨い焦点は合っていない。


なるほど、そういうことか。

ユーキはクルティスに声を掛けた。


「クルティス、ここから先は僕一人で行く。少し戻って待っていてくれ」

「ユーキ様?」

「この先は、ローゼン大森林と同じだ。この場所を荒らしたり汚したりしないようにするんだ」

「……わかりました」


見えてはいなくても気配はするのだろうか、クルティスは逸れエルフがいる方向を見ていたが、馬を廻らせて10ヤードほど戻って降り、手綱を道端の木につないだ。

逸れエルフはそれを見て満足そうに頷くと、片手を上げた。

すると広場に緩やかな風が吹き込んで来た。

そちらを見ると下草が風にそよいで割れ、道らしきものが見えている。

ユーキはその道とも言えぬ道にゆっくりと馬を進めた。

少し行くと先程の逸れエルフが行く手の大木の枝の上にまた現れた。

ユーキがポケットからプレッツェルの小さな包みを取り出すと、エルフは右手を出して人差し指でチョイチョイと招いて来た。

ユーキは包みを投げ上げた。

少し逸れたが、エルフは軽やかに身を躍らせてそれを受け取ってニコッと笑うと、「ボーレはこの先の大きな家にいる」とユーキに声を掛け、木の枝々を跳び移って去って行った。



獣道とも見(まが)うような僅かにそれとわかる道を進むと、やがて丘の向こうに煙突が何本も立っているのが見えた。

さらに木々を縫って近づいて行くと、山の崖に沿って粗末な平屋と鍜治場と思しい作業小屋が何軒か立ち並んでいる。

崖には洞穴が穿たれており、その横には掘り出された岩が積み上げられた小山がいくつも出来ている。

多分、坑道の入り口なのだろう。

ユーキは並んだ平屋の中で最も大きい家の前で馬から降りると、入口に立って声を掛けた。


「ボーレ様は、おられますか?」


しばらく待っても返事が無いので何度か大きな声を掛け続けると、家の奥で物音がして、背の低い肉付きの良い男が出て来た。

緑色の頭巾をかぶり、顔の下半分は一面に長く伸びた髭で覆われている。

瞼は厚く、目を覆い隠すように被り、その下から覗く茶色の小さな瞳がこちらを値踏みする様に動いている。

男は大声で応えた。


「お前は何じゃ? どこから来た? 何の用じゃ?」

「貴方はボーレ様でしょうか? 私はピオニル領に住む者ですが、貴方をお訪ねしに参りました。お願いしたいことがありまして」

「ほう、久し振りの客人じゃのう。話は後じゃ。入るが良かろう」

「失礼いたします」


ユーキが招き入れられたのは、作業場と思しい広い部屋だった。

その隅に、木製の粗末なテーブルと椅子が何脚か置かれている。


「まあ、座って待っておれ。茶ぐらいは出してやらんでもない」


ユーキが背嚢を下ろして椅子に腰掛けると、男は奥の部屋に入っていった。



「茶葉はどこだっけか。二年前に道に迷った商人を助けた時に貰いうけた安物がまだあったはず……。酒の空瓶ならあちこちに転がっておるが……ああ、これじゃ、これ。湯など儂の炎に掛かればチョチョイのチョイじゃ……これで良し、どうせ味などわからんじゃろう」


独り言にしては大きな声が奥の方から響き、男は木のカップを盆にのせて持ってきた。


「ほれ、極上の新茶じゃ。良く味わって飲め」

「……おもてなし、有難うございます」


男はカップをユーキの前に無造作にガタンと音を立てて置き、椅子にドスンと横ざまに座り、テーブルにゴトンと右肘をついて手に顎を乗せて尋ねた。


「それで、こんな山奥までわざわざ何をしに来たのかの?」

「こちらに、鍛冶の名匠がいらっしゃるとお聞きして参りました」

「そんなもん、おらんぞ? ここには儂の一族しか住んどらん。鍛冶職人の人間などおらん」

「はい、承知しております。ですが、隣の小屋は鍜治場ですよね」

「……」

「人間はいなくても、鍛冶師はここにおられます」

「……」

「アンヌ・クリーゲブルグ辺境伯令嬢の『紅夕立』を打たれたのは、貴方ですよね? あれには、ミスリルの芯が通っているとか。名匠にしか作れないものだと思いました」


男はそれを聞いて眉を上下に動かして意外そうに答えた。


「あの猫かぶり娘から場所を聞いたのか? 案外お喋り娘じゃのう。それにしても、結界があって入れぬようになっていたはずじゃが」

「結界の所におられたエルフ様が、私一人ならと通してくださいました。ローゼン大森林のアイヒェ様に貴方のことをお伺いしておりましたので、アイヒェ様がお話をしておいてくださったんだと思います」

「何だ、ひょろ長のアイヒェか」


『アイヒェ』という名前を聞いて、男は顔を歪めながら体を起こし、椅子の背もたれに体を預けて天井を見た。

口をへの字にして、テーブルに置いた右手の中指で繰り返しテーブルの面を叩いている。

神経質そうな仕草だが、ドンドンという音は祭囃子の太鼓のように陽気に響いて、どこか楽しそうに聞こえる。


「アイヒェめ、勝手なことをしおって。あの耳長で細っこいエルフ連中と来たら、儂らに嫌がらせばかりしおる」

「どういうことですか?」

「ひょろ長共の依木は根が深くまで伸びてのう。儂らの洞窟の天井を突き破りおるのじゃ。昔、儂らが長い長い時を掛けて掘ったローゼンの森の下の大洞窟網も、あいつらの依木に天井を崩されて、一切合切台無しになってしもうた。そのくせ、詫び言一つ言おうとせん。そればかりか、まるで儂らがあのひょろ長共の依木を枯らせたような言い草じゃ。あまりのことにあそこを出たのじゃ。全く、迷惑な連中じゃ。折角わずらわされんようにと場所を変えたのに、人間までよこしおってからに」

「アイヒェ様は、『自分らの依木の下をドワーフが勝手に掘る。地崩れが起きたのはそのせいなのに、一言も謝らない』っておっしゃっていました」

「奴の言いそうなことじゃ。こっちに責任をなすりつけおって」

「それは向こうも同じだと思います。それに、引っ越し先をわざわざエルフの方にお教えになったのは貴方ですよね」


ユーキは取り成そうとしたが、その言葉を聞くなり男は拳でテーブルをドン!と叩いた。


「ひょろ長エルフの肩を持つのか!」

「いえ、そんな気はありませんが、仲良くしていただけると良いのに、とは思います」

「大きなお世話じゃ。昔からやり合っとるんじゃから、要らぬ差し出口は止めてもらおう」

「申し訳ありません。ですがアイヒェ様は心底怒っておられるようには見えませんでした。アイヒェ様はミスリルの(やじり)の矢を携えておられましたが、あれはボーレ様が贈られたものなのでしょう?」

「はっ、あのひょろ長エルフの(しな)り強靭な真直(しんちょく)の柳の矢柄には、ミスリルでもなければ釣り合わんからな。放っておいたら、拾い物の錆鉄(さびがね)の鏃でも使いかねない雑な男なのじゃ。世話が焼けるわ」

「私も拝見しましたが、とても美しいものでした。流石はドワーフ様だと思います。アイヒェ様もとても大切にしておられました」

「そうかそうか。折角あいつが作った細工巧みな矢柄じゃからな」


男は一瞬満面の笑みになったが、すぐに仏頂面を作り直した。


「……いや、あれだけの鏃だから当たり前じゃがな」

「アイヒェ様は『会ったらよろしく伝えてくれ』とおっしゃっていました。『謝りに来れば許さないでもない』とも」

「いんにゃ。悪いのは奴らじゃから奴らの方から来い。『どうせ渡りの時に近くを通るのだから、その時に謝りに来い、許してやらんでもない』とボーレが言っておったと伝えてくれ……って、ちょっと待て。お前、儂をドワーフのボーレとわかっておるのか。なぜじゃ? どうやって見破った?」


男は急に慌てだした。

だが、驚かされたのはユーキの方である。


「え、今更ですか? どうやっても、何も……ええっと、お姿もですし、お名前にお返事もされましたし……」

「姿? ……何じゃ、こりゃ!」


男は自分の体を見て目を丸くしている。

だが、短身満躯、筋骨隆々とした腕と脚、眼に被さる厚い瞼、顔の中央に堂々と居座る幅広の鼻に長い髭と、どこからどう見ても絵物語のドワーフそのものの姿だ。

ユーキでなくても、見間違えようがない。


「お主、油断ならん奴じゃ。いつ、どうやって儂の変化(へんげ)の術を解いた? エルフの姿になっといた筈なんじゃが」

「いえ、何もしてません。最初からそのお姿でした」


男は狐に摘ままれたような顔でしげしげと自分の身体を見回した後、探るような目つきでユーキを見て尋ねた。


「ひょっとして、儂、変化し忘れてたか?」

「ええ、恐らくそうだと思います。ですが、ボーレ様はこの家におられるとエルフ様がお教えくださいました。変化されても意味は無かったと思いますので、お気になさる必要は無いと思います」

「そ、そうじゃろう、そうじゃろう。お主の手間を省いてやったんじゃ、有難く思うが良い」

「はい、有難うございます」

「それはさておき、儂をドワーフと見破ったからには、覚悟があるんじゃろうのう?」

「覚悟はあります。ですが、貴方を(しもべ)にしたいとは思いません」

「したいと思っても、儂に勝てる訳がなかろうが。この大盾・大鶴嘴を見て、絶望するがいい」


そういうと、ドワーフのボーレは何かを取ろうとして自分の傍らを見た。

だが、目当てのものはそこには無い。


「えーと、……あれ? どこへやったっけ……しまったんだっけか。すまんがちょっと隣の倉庫を捜してくるから、ゆっくり茶でも飲んで待っとってくれ」


そういうとボーレは慌てて家の奥に引っ込んだ。

隣室をあちらでもないこちらでもないとごそごそと苦労しながら漁っているのだろう、開けっ放しの扉から焦った声が聞こえる。


「見つからんぞ……確かここに入れた筈……いや違うな、上の段……やっぱり無い……下か……うわ、上が崩れる、い、いかん……」


ときおり、ガラガラ、ガシャンガシャンと物が崩れ落ちる音も聞こえる。


「あー、あったあった」


しばらくしてボーレは倉庫から大きな布包みを抱えて(ほこり)(まみ)れの姿で嬉しそうに出て来た。

闘う相手を待たせているとは思えない緊張感の無さだ。


「待たせたのう、済まん、済まん」

「いえ、お茶をいただいておりましたので」

「そうか、美味かったろう?」

「ま、まあ、それなりに」

「そうじゃろうそうじゃろう。じゃが、そんなことよりこれを見ろ」


ボーレはテーブルの上に包みを乗せると、大切そうに解いていく。

中からは黒々と塗られた表面に不思議な文様が刻まれた楕円形の盾と、艶光りする白木の柄に取り付けられた眩く白銀に光る鶴嘴が出て来た。


「どうじゃ、美しいじゃろう」


ボーレが自慢げにユーキの顔を見る。

確かに自慢するだけあって、どちらも十分に手入れされて磨き込まれ、光を反射して輝いている。


「はい、美しいです。この盾の文様は何を意味しているのですか?」

「何を言っとる、盾はごく普通の出来じゃ。こっちの鶴嘴を見ろと言っとるんじゃ」

「失礼しました。こちらも美しいです」

「ふふ、わかるか」

「はい、柄から頭部の隅々まで綺麗に磨き上げられていて。とても大切にされているんですね」

「まあな。良いか、この柄はなまなかなことでは得られん、楢の銘木の枝で作っておるからな。頭部のミスリルとの相性抜群じゃ。これをお主の頭から喰らわして、脳髄を吹き出させてやるのが楽しみじゃ。では、闘うとするか。表に出い」


自慢の鶴嘴を褒められて浮き浮きとした様子で立ち上がったボーレに促され、ユーキは小屋の外に出て向き合った。


「えーと、それで何じゃ、どこまで言ったっけ。ああ、そうじゃ、この大盾・大鶴嘴を見て、絶望したか?」


ボーレは、盾と鶴嘴を振り上げ、ユーキに楽しそうに見せびらかす。

とても自慢げだが、どちらもそこそこ大きいが、驚くほどではない。

しかしドワーフの体は小さい。

左手に盾を構えると、ドワーフの姿は完全に隠れてしまった。

そこから鶴嘴の先だけが見え隠れしている。


「どうじゃ、驚嘆したか。この盾は儂の自慢の一品でな。普段は使わずに大切に大切にしまっておる。お主のその安物のなまくら剣では、打っても折れるのが精々じゃろうて。ふぉっふぉっふぉ。じゃが、一瞬で終わらせてはあまりに哀れじゃ。初手は譲ってやる」


ドワーフは盾と鶴嘴をひけらかしながら、勝手なことをつらつらと並べている。

しまった場所を忘れたり、鶴嘴はともかく、盾は普通の出来だとさっき言っていたりは何だったのだろうか。


「良いのですか?」

「ああ、構わん、構わん。掛かって来んかい、ほれ、ほれ。それとも怖くなったか? 試しもせずに降参か? ほれ、ほれ」


ドワーフは大盾を上げ下げし、ユーキに誇示して挑発する。


「はい、では参ります」


ユーキは挑発の声に応えると紅竜の剣を抜いた。

たちまち剣身から紅く焔が立ち昇るが、盾の影に入って見えないだろうし、そもそも妖魔ドワーフが相手だから見られたところで構わない。

ユーキは無造作に前に出て、ボーレが差し出している盾に向かって「切れよ」と念じながら紅竜の剣を横ざまに振り抜いた。

熱い太刀風が吹き抜け、剣は確かに盾に当たったものと見えたが、剣は弾かれもせず音もたてず、振り抜かれたままにユーキの手の中にある。


「ん? 空振りか? クックック、酷い腕前じゃ…」


ボーレが笑って腕が動いた時、盾の上半分がすーっと斜めに下半分から離れて流れ落ち、ぐわらぐわらがーんと大音響を上げて地に落ちた。

残った盾の向こうから見える大きく口を開いた呆け顔に、ユーキはにっこりと笑って見せた。


我に返ったボーレが叫んだ。


「なんじゃ、そりゃー!」



次話に続きます。

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