第28話 アンヌとクルティス
承前
「アンヌをダンナー殿と婚姻させていただき、殿下の御家中にお迎えいただきたいのです」
「は?」
いったいどういうことだろうか。
クリーゲブルグ辺境伯の突然の願いに、ユーキは言葉を失った。
辺境伯家と言えば侯爵と同格、家の武力では上回る極めて高い身分である。
その辺境伯がいきなり自分の最愛の娘を、王族に仕えているとはいえ従者の妻にしろとはおかしくはないか。
何かの冗談だろうか。
だが辺境伯がこちらを見詰める眼差しは真剣そのもので、冗談とは思えない。
奥方の顔は心配そうだが、娘の心中を思いやってというよりは、ユーキが承諾してくれるかどうかが気掛かりだという表情だ。
当のアンヌとクルティスは手を繋いだまま、互いをチラチラと見交わしては顔を赤くしている。
根っからの武人たちに囲まれた中で、ユーキは自分一人が言葉の通じない異邦人だという錯覚に囚われそうになった。
その時に後ろで息を呑む気配がしたのでちらっと振り返ると、ケンが眼を丸くしている。
ここに仲間がいたと、ユーキが心の安らぎを求めそうになった時に、ケンが呟いた。
「クルティスさん、俺より二つ年下なのにアンヌお嬢様に勝って惚れられるなんて、やっぱり凄い……」
やはり異邦人は自分一人だけのようだ。
ユーキは気を取り直して、こちらの答えを息を殺して待っている辺境伯夫妻に向き直った。
「アンヌ嬢をクルティスに、ですか? 閣下、おっしゃる意味が良くわからないのですが、どういうことでしょうか」
ユーキの問いに辺境伯は表情を崩さずに答えた。
「殿下、私としては良縁あらばアンヌを嫁がせたいと相手を捜しておりました。ですがアンヌは、自分より強い者に嫁ぎたいとかねてから申していたのです。容易いこととかつては思っておりましたが、アンヌは私が見つけて来た者を悉く打ち負かしてしまいました。最近ではアンヌに挑む気概のある者すら見つからぬ有様で、王都で国王陛下にお縋りしても候補となる者が得られず今日に至ったのです。殿下、アンヌが薙刀に開眼して以来、アンヌを打ち負かしたのはダンナー殿が初めてなのです」
「ですが、こういうことは武術だけではなく、人柄とかも大切なのではないでしょうか?」
「何をおっしゃいますか。生真面目で真摯と名高い殿下の御家中、それも始終お傍に仕える従者殿ではないですか。折り紙付きと申せましょう。それとも、殿下はダンナー殿のお人柄に何か問題でも感じておられるのでしょうか」
「いえ、そんなことはありません。もちろんクルティスは私の知る限り最高の男です。強いばかりでなく努力を惜しまず、良く気が付いて優しくて。私にとって掛け替えの無い者です」
「であれば、ますます有難く。アンヌも薙刀を横に置けば、親が言うのも何ですが、見た目のみならず立ち居振る舞いも淑やかなることはどこの家の令嬢にも負けはしません。また一度薙刀を手に取れば、ダンナー殿と共に殿下や将来のお妃様の御身を必ずや護って見せるでありましょう。何卒、アンヌをお引き受けいただきたくお願いいたします」
辺境伯が大きく頭を下げるのに合わせて、奥方も一緒に「何卒」と腰を折る。
その勢いにユーキは気圧されそうになったが、こういうことは当事者の意志も大切である。
ユーキはあたふたとアンヌに向いた。
「えーと、お父上、お母上はこのようにおっしゃっていますが、アンヌ嬢はよろしいのでしょうか?」
「はい、私は父の命に従います。ダンナー殿は私よりお強くお逞しくお優しいですし」
アンヌの答えは間髪を入れない。
ユーキがゆっくり視線を移すと、クルティスは問われる前に勢い込んで答えた。
「私は殿下の命に喜んで従います。お嬢様は私よりお強いと思いますが」
クルティスが付け加えた言葉を聞いて、アンヌがクルティスの方を向いて不満そうな声を出した。
「あら、でも私はダンナー殿にものの見事に転がされましたわ」
「お嬢様の最後の打ち込みは、私に怪我がないように頭から寸止めでした。そうでなければ受けた両手首もへし折られていたでしょう。例えあのミスリル混じりの手甲であっても、お嬢様の薙刀、紅夕立はそれをも砕くと見ました」
「それは私が強いのではなく、紅夕立が特別なのです。柄に純ミスリルの芯が通っておりますので。ダンナー殿の方がお強い証拠に、私の技を全て見切っておられました」
「それは私を傷つけぬようにとのお嬢様の御配慮があったからです。最初の左手での突きは、最後で勢いを殺しておられました。そうでなければ避けても間に合わなかったはずです。あそこで勝負は付いておりますものを、私の身を思ってくださったお優しさ、私は忘れることは無いでしょう」
「いえ、それはこちらが申し上げたいこと。あの時の私の隙にダンナー殿が全力で打ち込んでおられれば、突きは当たっても半端に終わり、私は正面を打ち据えられていたでしょう。ですがそれでは防具の上からの打ちでも昏倒すると気遣われて、打たずに突きを避けられたのです。そのお心、私にとって一生ものの宝物です」
二人はこちらをそっち退けにして言い合いを始めた。
今の手合わせを巡っての激しい議論に聞こえるが、何のことは無い、「貴女の方が強い」「いいえ貴方こそ」と互いを持ち上げ合って楽しげだ。
声の調子も次第次第に甘ったるくなっている。
クルティスがエスコートして来た筈が、いつの間にやら二人は手甲を外して胸の前で両の手と手を握り合い、クルティスは愛しげに見下ろし、アンヌは恥ずかしげに見上げ、両手の指だけでなく視線も絡め合っている。
アンヌ嬢はいざ知らず、クルティスがこんなに優しそうな顔付きをしたのは初めて見る。
ハンナちゃんの時以上じゃないか。
クルティスの手甲もアンヌの紅夕立も、哀れ地面に落ちて寂しげだ。
いい加減にして欲しい。
だがその二人の様子を辺境伯は感慨深げに、奥方は微笑ましげに頷きながら見ているだけである。
武人達の相互理解の方法と内容はさっぱり訳がわからない。
ユーキはやっぱり自分が異邦人ではないかと思われた。
きっぱりと言いたい。王都の菫さんが恋しい。
それはさておき、このまま放置しておけば、二人はいつまでもいちゃいちゃしていかねない。
ユーキは大きく咳払いをしてから二人に声を掛けた。
「オホン! その問題は二人には重要かもしれませんが、二人だけの場で二人だけの間で決めれば良いのではないかと思います。いずれ夫婦喧嘩でもすれば自ずと決まるでしょう」
ユーキがそう言うと、二人は恥ずかしそうに手を放してこちらに向き直った。
ユーキも辺境伯夫妻に向いて言った。
「閣下、わかりました。私としてもアンヌ嬢を我が家に迎え入れることができれば、これほど嬉しいことはありません。喜んでお引き受けします」
「おお! 殿下、有難うございます。何卒ダンナー殿同様に、アンヌをお可愛がりください」
「殿下、アンヌをどうか良しなにお願いいたします」
「閣下、奥方様、承りました」
それを聞いてクルティスとアンヌも再び手を取り合って嬉しそうにしている。
ユーキはもうそちらは見ないようにして辺境伯に提案することにした。
「閣下、実際の婚姻には国王陛下とクルティスの両親への報告も含め、種々の手順が必要かと思います。それは別に相談させてください」
「承知しました。アンヌにもこれまでとは異なる修行をさせねばなりません。それに殿下も御婚姻はそれほど遠からずではと拝察いたします。ダンナー殿とアンヌはその後にと」
いきなり自分の話が出てユーキは赤面した。
それ以上突っ込まれない様に話を変えることにする。
途中で聞き捨てならない一言があったのだ。
「えー、それはさておき、アンヌ嬢が先程、その薙刀、紅夕立の柄にミスリルの芯が通っているといわれましたよね。紅夕立の来歴を是非お聞かせいただけませんでしょうか」
ユーキの問いにアンヌが「あっ」と小声を上げて片手を口にやった。
辺境伯も困ったように美髯を歪めたが、直ぐに笑顔に戻った。
「アンヌ、構わぬ。お前をお引き受けくださったとあれば、我が家はもう殿下のお身内同然。殿下、お話しいたしましょう。いかにも、紅夕立には純度の高いミスリルの芯が通っております。そのため純木より軽く、鉄より強く、鋼玉より硬いのです」
「どうやってお求めになられたのですか?」
「アンヌ、お聞かせせよ」
父親に促されて、アンヌが答えた。
「はい、殿下。紅夕立を打ったのは、十年ほど前にぶらりとこの領の山手に現れた野鍛冶です。私が巡回任務に当たっていた時に、道中で疝痛を患っていたのを助けたのです。するとその礼に打ちたいと申しまして、出来上がって持ってきたのが紅夕立なのです。用いたミスリルは、親方にもらったとか申しておりました」
「そうなのですか。その男の風体はどのようでしたか?」
「そうですね、背高く、髪は緑。目は細く吊り上がって、耳は尖っていました。一方で肉は豊かで筋骨逞しく。太い眉毛と長い髭。まだ老齢とは見えぬのに瞼は垂れて頭巾を被り。まるでお伽話のエルフのようでもあり……」
「ドワーフのようでもあり?」
「ええ、そのようにも見えましたが、それを言っては失礼かと思い言いませんでした」
それだ。
「名は何と?」
「通り名ですが、『ボーレと呼んでくれ』と」
間違いない、エルフのアイヒェが言っていた、ローゼン大森林から退去したドワーフだ。
恐らく正体を隠すために変化した姿なのだろう。
アンヌ嬢が慎ましい質で良かった。もし詮索していれば争いになっていたかもしれない。
やはり、人の姿形をあれこれ言うのは災いの種なのだろう。
それはともかく、ユーキは急いでアンヌに尋ねた。
「その方に会いたいのですが、会われた場所をお教えいただけますか?」
「殿下もやはり武人、良い武器をお求めになられたいのですね」
アンヌが同好の士を見出だしたとばかりに嬉しそうに言う。
辺境伯と夫人も、ユーキの腰の見た目は古びた紅竜の剣に気付かぬように振る舞いながらも、さもあらんと頷いている。
ドワーフに会いたい目的は違うのだが、それを言う訳にはいかないのでユーキは曖昧に答えた。
「ええ、まあ」
「そちらの領に近い山奥です。ただ、何分、かなり前の事ですので今もそこにいるかどうかは、わかりません。それに気難しそうな男でしたので、ご注意ください。私も頼んでみたのですが、紅夕立以外の武器を打つのは強く断られました」
「そうですか。でも、まずは会ってみたいと思います」
「でしたら、よろしければ、出会った場所まで私が案内させていただきます」
ユーキは少し考えた。
もし本当にドワーフなら、大勢を引き連れていくのは良くない。
妖魔様の領域を人が侵略しに来たと誤解されたら、問答無用で襲われかねない。
場所は、アイヒェが約束を忘れていなければ、近くまで行けば逸れエルフが教えてくれるだろう。
「いえ、地図をお書きいただければ、私とクルティスとで参ります。アンヌ嬢は、これから何かと準備がお忙しくなるのではありませんか?」
ユーキが答えると、アンヌが頬を染め、クルティスが後ろで咳払いをした。
その様子を見て辺境伯が微笑みながらユーキに話し掛けた。
「殿下、ケンと護衛はどうされますか? 連れて行かれないのですか?」
「はい、こちらの領を他領の領主が大勢の護衛を連れてうろつき回ると、妙な誤解を招くかもしれませんので。護衛はクルティスが一人では不十分でしょうか?」
「いえ、国境からは距離があり、治安には問題はありません。なるほど、内分の依頼にされたいのですな。それでしたら、一番近い町まで案内人を付けましょう。その者には御微行での御視察と伝えておきますので、その町で待つようにお言い付けください」
「有難うございます」
「ケンと護衛の方々は、殿下が戻られるまでこちらでお預かりいたしましょう。ケンには代官との戦いのことをいろいろと聞かせてもらってよろしいでしょうな?」
「ケンが良ければ」
ユーキが笑顔でケンを促すように見たので、ケンは頷かざるを得なかった。
「はい、私は話が上手くありませんので、面白くないかもしれませんが」
「ケン、戦話は面白いかどうかでは無いぞ。戦訓を得るためのものなのだ」
「はい、閣下。申し訳ありません」
「とは言え、救村の英雄物語だ。吟遊詩人に同席させて、歌物語とさせても良いな」
「閣下」
困惑するケンを見ながらも、辺境伯は愉快そうに笑声を上げた。




