第15話 調査行の夜
前話翌日
翌日、ユーキとクルティスは二人だけでミスリル鉱石の出所を探る調査行に出た。
あの石がミスリル鉱石だというのは、クルティスだけにしか教えていない。
村長達には詳しい目的は伏せ、単に資源調査ということにした。
村長が案内のために村人を同行させると申し出たがユーキは丁重に断り、亡くなった先代子爵がそうしたのと同じように自分達だけで行動することを選んだ。
ミスリル鉱石は貴重かもしれないが、それより先に危険なものでもある。
十分な対処法が決まらないうちに村人達が在処を知り、迂闊に持ち出して多くの者が物珍しさに触ったら、大変なことになる。
先代子爵はあれがミスリル鉱石だとはわからなかったかもしれないが、持ち帰ってからも机の中に秘匿保管して村長には『何も見つからなかった』と言い続けた。
それは自分と娘が瘴毒に侵されたことを感じ取って、犠牲者を増やすまいと思慮してのことだろう。
先代子爵が残した地図と行程記録によると、村の近くを流れる川沿いに遡れば、片道一日ちょっとでたどり着けるはずだ。
朝早くに馬で村を出発し、地図を頼りに川の遡行を開始した。
しばらくの間は川幅はそれなりにあり川原も広い。
自然にできた土手もあって進むのにそれほど苦労はしない。
二人きりで会話を誰に聞かれる心配も無いこともあり、礼儀も言葉遣いも気にせず、気楽に雑談をしながら旅を進めた。
「ユーキ様、乗馬が上達しましたね」
「このぐらい、普通だろ? お前に比べたら、全然大したことないよ」
「いいえ、結構な荒場を馬が全く怖がらずに進むのは、大したものです。知ってます? ケンが『できないことをできるように』って、乗馬の練習を始めたの」
「そう、早速実行してくれているんだ。嬉しいし、良い事だよね。ケンにはまだ内緒だけど、いずれは王都で近衛の訓練を受けてもらいたいと思っているんだ。そうなると、乗馬ができないと困るしね」
「ケンは結構上達が早いです。ユーキ様の馬上のお姿を見て、練習に身を入れているみたいですよ。本人はそう言いませんけど、ユーキ様の乗馬姿にいつも見惚れてますから」
「そうなんだ」
「憧れられる御気分はいかがですか?」
「揶揄うなよ」
「いえ、ユーキ様にはいつでも俺達の憧れでいていただかないと。領都の娘達なんか、今じゃあもうユーキ様に夢中ですよ。スタイリス殿下以上じゃないでしょうか」
「本当かなあ」
「ええ、特に菓子屋の御主人さんとか。この前に買い出しに行ったら、『私は40前……いえ30過ぎですけど、年上は何歳ぐらいまで対象でいらっしゃるかしら』って尋ねられました」
「クルティス、今さっき、『領都の娘達』って言ったよね?」
「独身に変わりはないじゃないですか」
「怒るよ」
「大丈夫ですよ。ちゃんと断っときましたし。どうも意中のお方がおられるみたいだって言って。今度詳しく聞かせてくれって、大量におまけしてくれました」
「本当に怒るよ」
「でも、いずれは知れる事ですから。ユーキ様だって、ヴィオラ様の話になると嬉しそうにしているじゃないですか。『僕にとっては世界一美しくて温かくて優しくて柔らかくて賢くて強くて慎み深くて』って誉め言葉が止まらない様子を見て、ケンがまた感心してましたよ」
「……でも、実際にそうだから」
「はいはい。だから少しずつ領民の間に噂を蒔いておけば、実際にヴィオラ様をお迎えする時もみんな驚かずに歓迎してくれます。大丈夫です。徒な望みを抱いている娘達も、実際にヴィオラ様を一目でも見ればすぐに納得するでしょうし」
「クルティス、それ、お前の知恵じゃないだろ。誰?」
「フェリックス様とベア姉さんです。ベア姉さんが、ユーキ様は領民との距離が近い方がお好きだって言って、それならこうした方が良いってフェリックス様が。ちょっと嫌な顔をしながらでしたけど」
「そうなんだ。みんな、考えてくれているんだね。有難う」
「いえ。それに話を小出しにした方が、何度もおまけがもらえますし」
「クルティス、それ、何度も買いに行くってことだよね。逆に菓子屋さんの術中に嵌っていない?」
何時間か進むと徐々に川幅は細く流れは急になって来る。
足場も悪く、時には流れの中を渉ったり、流れを少し離れた林の中を進んだりしなければならなくなってくる。
悪路を嫌がる馬をなだめ、時々休憩をはさみながらさらに上流を目指して進む。
「ユーキ様、本当にこの先にあるんですかね。人跡未踏って感じですけど」
「数年前に先代子爵が一度か二度通っただけだから。その時に作られた地図を信じているだけだからね。でも、判り易い地図だから、道は間違っていないと思う。それに、嘘の地図を作る理由も無いと思うし」
「ここまでして探す価値があるものなのでしょうか」
「わからない。もし見つかっても、鉱石からミスリル鋼を作ることができなければ、お金に変えることはできないだろうね」
「それでも探すのですね」
「うん。危険だから。今のところは人里離れているけど、誰かが偶然に見つけて知らずに触ったら、犠牲者が増えてしまう。場合によっては、埋め戻してしまう必要があるかも知れないね」
「それは大変ですね。できれば何とかミスリル鋼にして、領の開発の資金にしたいところですね」
「うん。そっちも考えないと。だけど、みんなの安全第一だから。それにまずは在処を発見しないとね」
進路が険しくなり出してから、馬の進みは遅くなった。
それでももう目的地はそれほど遠くないだろうという頃に日が傾き出した。
夏とは言えど、山中の日暮れは早い。
二人は太陽が山の端に近づく前に、夜営の場所を定めることにした。
急に増水する事があってもすぐには流れに巻き込まれないように、川の土手よりさらに上で少し開けた場所を選ぶ。
水場も近いし、火を熾しても大丈夫そうだ。
馬から鞍を下ろして川辺に連れて行きたっぷりと水を飲ませた後は、自由に草を食べられるように手綱を長めにして立ち木に縛る。
次は鞍や装具の汚れを払い、油脂をしみ込ませておいた布で丁寧に磨き、そのまま布で包んで夜露に濡れないようにする。
その後は夕食の準備だ。
まずは大きめの石で簡単な炉を作り、良く乾いている木の枯れ枝や枯葉を二人で手分けして大量に拾い集めて来た。
クルティスが火打石を打って火口の麻紐に火を着けようとしたが、なかなかうまく行かない。
「普段、やりませんからなかなか……えいっ」
力を籠めるが、なかなか火花が出ず、出ても火口に燃えつかない。
「ふぅ」とクルティスが溜息をつくのを見て、ユーキは「一度やらせてみて」と手を出した。
王族にそんな作業をさせたくないのか、クルティスは躊躇ったが、ユーキが「ほら」と催促すると諦めて火打石をユーキの手に乗せた。
ユーキは何かの書物で読んだ方法を思い出し、火打石に麻紐の細かくほぐれた部分を乗せ、右手に持った火打金の端を削り取るように火打石に一度、二度と軽く打ち付けた。
すると明るい火花が飛び麻紐の繊維が赤く燃えだした。
「おっ」
クルティスの驚きの声を聞きながら急いで枯葉に紐を寄せ、優しく息を吹きかけると火種は枯葉に燃え移り、小さな炎を上げだした。
こうなればしめたものだ。枯葉から細い枯れ枝へ、そして太い枝へと徐々に火を移して育てて行く。
太い枝がしっかり燃え始めたところでユーキが顔を上げると、クルティスが無表情で火を眺めている。
だがその口角が少し下がって悔しそうなのを、ユーキは見逃さなかった。
ユーキが「じゃあ、食事にしようか」と声を掛けるとクルティスは「はい、そうしましょう」と答えたが、その返事に溜息が先立ったのも聞き逃さなかった。
自分にできてクルティスにできない事がある。
ユーキはそれが嬉しくて、干し肉と乾燥野菜のスープと堅パンだけの簡素な夕食も、王都で貴族達の相手をしながら食べる晩餐より遥かに美味に感じられた。
「美味しいね、これ」
「そうですか。こういう普段と違う野外で食べると何でも美味しく感じると言いますから」
「いや、本当に美味しいよ。噛めば噛むほど味が出るし」
「はあ」
ユーキが明るい気分で、クルティスは無表情で、食事を終える頃には日は既に山の陰に隠れ、周囲は暗くなってきた。
二人はしばらく無言で火を見詰めていたが、二人で起きていても仕方が無い。
辺りに狼や熊などの獣の気配はないが、万一ということもある。
火も絶やさないようにするために、夜を半分ずつに分けて交互に見張りをすることにした。
ユーキは、先に寝てくださいとクルティスに言われたが、考え事をしたいし夜中に起きる方が辛いからと返して先に当直に立つことにした。
東の山の上に出たばかりの明るい星が南の空に上がったら交替ということに決めて、クルティスは寝袋に入った。
と思ったら、すぐに寝息を立てだした。
何でも食べて良く眠る。
羨ましい奴だなと思ったが、火熾しで勝ったことを思い出した。
普段、クルティスは何をやらせてもユーキより上手くて歯が立たないだけに、やはり嬉しい。
クルティスと一緒に過ごした記憶をたどると、何かにつけて悔しい事が多い。
身長であっという間に抜かれた事とか、どんなに頑張っても武術で敵わなくなってしまった事とか。
でも、一緒に遊んだ楽しい記憶もたくさんある。
ユーキの両親のマレーネとユリアンも、クルティスの両親のクーツとヘレナも、二人が幼い頃は殆ど分け隔てなく育てていた。
二人の間での呼び名を、ユーキには「クルティス」と呼び捨てに、クルティスには「ユーキ様」と様をつけて呼ぶようにと厳しく躾けられたことを除いては。
記憶ももう不確かな幼い頃から、玩具を取り合って争ったり、邸の庭で走り比べをしたり。
幼い内はたった一歳でも齢の差は大きく、玩具を争ったらユーキが必ず勝っていた。
それでもその玩具でユーキが遊びながらふと見ると、クルティスが歯を喰いしばって我慢していて、たまらなくなった。
一緒に順番に遊ぼうと言って渡したら、とても嬉しそうにクルティスが笑ってくれて、その顔を見るだけでユーキも嬉しくなった。
結局その玩具はクルティスが独り占めすることになったけれど、ユーキは構わなかった。
その日の終わりにクルティスがユーキの手を握り、『ユーキさま、ありがと』と言ってくれた、ただそれだけでその一日が楽しい良い日になった。
さらにクルティスとの思い出を辿っていると、自然にヴィオラ嬢、当時は菫さんとの出会いが心に浮かび上がった。
夜空を見上げて、あの瞳のような紫色の星を探してみる。
でもあんなに美しく大きな星などいくら探しても無いだろうと思う。
今でも憶えているあの時の幼い泣き顔と笑顔、そして自分の手に載せてくれた小さな手。
そして再会と交わした手紙の一通一通、妓楼での求婚、父母への紹介、そしてピオニル領へ出発する日の唇の感触……とそこまで来てユーキは自分の顔が思い切り緩んでいることに気が付いた。
いけない、こんなだらしない顔、もしも菫さんに見られたら幻滅されてしまう。
いつでも、例え誰も見ていなくても気を引き締めていないと。
焚火が消えそうにないことを確かめて、クルティスを起こさないように少し離れて紅竜の剣を振ってみる。
鞘から抜けば柄から刃先へ光が走り、構えれば焚火より紅い焔が立つ。
振ればその度暗闇の中に、剣が発する光の残像が赤い幕となって現れては消える。
声は出さずに、気合を入れて素振りを繰り返すと次第に無心になれて来た。
次は型をやってみようかと思った時に、焚火の中で枝が弾ける音がした。
振り向くと火の勢いがかなり弱くなっている。
慌てて戻ってガサガサと枯れ枝を足していると、クルティスがごそごそと身動きを始めて、寝袋の中から起き出して来た。
「ふぁああ。良く寝た。ユーキ様、そろそろ代わりましょう」
「いや、まだ眠くないけど」
「でも、もう時間ですから。ほら」
クルティスが指差す南の夜空を見ると、明るい星が高くに登っている。
もうそんなに時間が経ったのか。
「わかった。じゃあ、後は頼む」
「はい。寝袋を出すのが面倒でしたら、俺のをそのまま使ってください」
「悪いね。そうするよ」
「いえ」
ユーキはクルティスが使っていた寝袋に潜り込んだ。
暖かく、慣れ親しんだ匂いの寝袋に包まれて目を瞑り、いつも眠る前にするように菫さんの顔を思い浮かべた。
菫さんが僕に向けてくれる微笑みはいつも優しく温かい。
今も『明日もどうかお気張りください』と励ましてくれているようだ。
そう思って見ていると、菫さんに椿さんが声を掛け、菫さんは慌てて椿さんの方に振り返った。
『菫、お稽古の最中に気を散らしてはなりません』
『あい、申し訳ありません』
菫さんは叱られて顔を引き締め、踊りの構えを取り直す。
横では菖蒲さんも『えへへ』と笑いながら一緒に構え、『菖蒲、集中なさい』と同じように叱られて、また『あい、えへへ』と笑っている。
椿さんが合図をすると、どういう訳だかその横でクルティスが太鼓のばちを「カチッ、カチッ」と打ち合わせ、その音に合わせて菫さんと菖蒲さんが見知らぬ舞の型を踊る。
首を振るたびに二人が髪に結んだお揃いの髪紐が、それぞれの名前の色に揺れ動く。
少し踊っては椿さんが二人を止めて何事かを言い、またクルティスが「カチッ、カチッ」と打つ拍子に合わせて二人が踊る。
何度か型を繰り返すうちにやがて椿さんから褒められたのか、菫さんと菖蒲さんは手を取り合って喜び合い、こちらを振り返った。
『殿下、御覧いただけました?』『ユー様、うまくできたの見ててくれた?』
「うん、見ていたよ」と答えようとした時に、二人の顔が混ざり合い、ああ、これは夢だ、今は山奥で野営中だと気が付き、ユーキはそのまま深い眠りに落ちて行った。
次話に続きます。




