第14話 ユーキとノーラ
承前
ノルベルトにノーラの話を聞くように頼まれたユーキは、快くノーラを促した。
「ええ、もちろんです。ノーラさん、お聞かせください」
ユーキの笑顔に釣られたようにノーラは嬉しそうに話し出した。
「殿下、騎馬あるいは軍馬については、まずは御領主様であらせられる殿下御自身が大きな得意先になっていただけると思います。領の衛兵隊は騎兵を用いていらっしゃる。また、御配下の方々の騎馬も少なくないのではと思います。騎乗用、特に軍用の馬が使用に耐える年数は農耕馬より短いです。御領の部隊の規模はわかりませんが、毎年数頭ずつとはいえ、新たな馬がお入用になると思います」
微笑みながら話すノーラに、ユーキは苦笑しながら応えた。
「なるほど、私が売り込み先ですか」
「はい。ですが、売り込みが見込めるのは殿下だけではありません。私どもは前回こちらを訪れた帰りに、クリーゲブルグ辺境伯領を通りました。その際に現地の方にいろいろと話を聞きました。かの領はフルローズ国に面しており、国の守りの要となっています。噂通り尚武の気風強く、領が抱える兵の数も多いです」
「そうですね」
「ですが領都を警邏する兵達の様子や人々の話を聞くに、騎兵の数はまださほどは多いように思えません」
「それでは、騎馬の大きな需要先にはならないのでは?」
「いえ、そうとは限りません。辺境伯領は広いです。もしフルローズ国から急襲を受けたとしましょう。領都から国境に救援の軍を送るには、歩兵では間に合わない可能性が考えられます。かといって、国境の全ての地域にそれぞれ多くの歩兵を置いては、必要な兵数が多くなり、人手も装備糧食も多く必要となる上に彼の国からあらぬ疑いを掛けられるかもしれません。それらを考えると、領境ではなく領都に一定規模の騎兵を備え、どの方面にでも救援を急送できるようにすることが良いと思います」
勢い込んで話すノーラにユーキは驚いたが、また興味も持った。
この手の話を聞くのはメリエンネ王女の見舞いで授かった教えや、近衛幹部による講義以来である。
ファルコの英雄物語を聞くようで楽しくもある。
「なるほど。ですがノーラさん、それは隣領の事情ですので、我々としてはどうこうできないと思います」
「いえいえ、お言葉ですが、殿下、商売とはそのように待っていては儲かるものではありません。辺境伯様の現在のお考えはわかりませんが、こちらから提案してお考えを動かし、そして売り込みを掛けるのです。両領の関係は一時的に損なわれはしましたが、辺境伯様は前子爵の身許を引き受けられたとお伺いしました。そうであれば、こちらの領との関係は切れたとは言えないはず。働き掛けは無理ではないと思いますがいかがでしょうか」
「そうですね。いずれクリーゲブルグ閣下とは領間の話し合いをしなければなりませんので、その際に持ち掛けることはできるかも知れませんね」
ユーキが提案を否定しなかったのを見て、ノーラはさらに勢い込んだ。
「殿下、是非、是非ともそうなさってください。こういう話は、最初に持って行った者が最も大きい信用を得ますから」
「それはそうでしょうね。でもノーラさん、もしそのお話にクリーゲブルグ閣下が興味を持たれたとしても、閣下が自領で馬を生産されればそれまででは?」
「いいえ、殿下。それは良い手ではありません」
「どういうことでしょうか?」
首を傾げるユーキに、ノーラは嬉しそうにまた説き始めた。
「今のお話は、フルローズ国からクリーゲブルグ辺境伯領への侵略に備えるという前提がありますよね」
「はい、その通りです」
「辺境伯領に多くの馬が飼われているのを見れば、フルローズ国はどう思うでしょうか」
「……ますます欲しくなる?」
「でしょうね。現状、クリーゲブルグ領は小麦の大産地で、人口も多いです。そこに重要な軍需品である馬の生産地もあるとなれば……」
「兵、馬匹、兵糧。必争の要地ですね」
「御賢察です。ですが、この村で馬を産すれば、それを避けることができます」
「……」
ユーキが黙ってコクリと頷くとノーラは正鵠を射たと見てとって、さらに戦略論を続けた。
「それだけではありません。もし敵がクリーゲブルグ領を抜き、我が王都を目指すとなった場合には、西回りと東回りのどちらを選ぶでしょうか?」
「……西回りは途中にミンストレル宰相領がありますね」
「はい、他にも多くの兵力を抱える大領があり、そう易々とは進めません」
「一方で東周りは中小の領がほとんどですね。つまり敵はこの領に進軍して来ると?」
「恐らくそうなるでしょう。そうなった場合に、この領、いいえ、この村に一定の兵力があったらいかがでしょうか。先の代官との戦いでおわかりのように、フォンドー峠に防衛線を張れば、この村は難攻不落です。坂の上から矢を射て岩を落とせば、そう易々と落とされることはありません」
「……」
「ここに騎兵がいれば、王都へ向かう敵軍の横腹を襲い、戦果を挙げた後はたちどころに引き上げることが出来ます。そしてその脅威に備えて敵の進軍が遅れれば、王都からの近衛軍、西からのミンストレル軍と共に、三方からの挟撃が成立します。そのためにも、ここを防衛拠点とできるようにするためにも、この村で騎馬を生産することをお勧めします」
ノーラは嬉しそうに語り終えると、期待を込めてユーキを見た。
ところが、ユーキは困ったように微笑んでいる。
ユーキだけではない。村長も困り顔をしており、自分の隣を見るとノルベルトは頭を抱えている。
レオンだけは不思議そうに一座を見回している。
ノーラはいったいどうしたのかと思って父親に問い掛けようとした。
「父さん?」
「ノーラ……」「ノーラさん……」
ノルベルトと村長が何か言おうとしたが、ユーキの声がそれを遮った。
「ノーラさん」
「はい?」
「ノーラさんは、この村と代官との戦いを詳細に御存じなのですか? 村の皆さんが代官と戦って勝ったこと自体はこの領の中でそれなりに伝わっています。ですが、どこでどのように戦ったのかまではまだ広まっておらず、行商に来られたノーラさん達はフォンドー峠の戦いについて知る由も無いと思うのですが」
「あ……」
「ケンは代官との戦いを報告する際に、戦略を授けてもらった相手の名前は黙して語りませんでした。その方に累が及ぶのを避けるためにです。ひょっとして、その相手は、ノーラさんだったのですか?」
「いえ、それはその……、はい」
「そうですか」
ノーラは先程までの勢いから打って変わって意気消沈し、血の気の引いた顔を伏せて黙り込んだ。
それに代わって村長とノルベルトが慌てふためいて話に割り込んだ。
「殿下、ノーラさんは我々に同情して、策を授けてくださっただけなのです。領主に歯向かえとか、乱を起こせとか、扇動された訳ではありません。戦いの責任はあくまで我々にあります」
「殿下、村の皆さんに策を話して良いと許したのは私です。罰はどうか私に、ノーラはお許しください」
必死に願い出る二人に向かって、ユーキは両掌を突き出して振って見せた。
「いえいえ、お二人とも御安心ください。今更、ノーラさんを罰するとかそういうつもりはありませんので」
「殿下」
「ノルベルトさん、村長、国王陛下の御裁断は既に終わっています。村の外の誰かが戦略を授けた、そのことも報告した上でです。ですから、ノーラさんに罰が下るようなことは決してありませんので、安心してください」
「有難うございます、殿下」「安心いたしました」
ホッとした様子を見せる二人を置いて、ユーキはノーラに話し掛けた。
「ノーラさん、ケンに授けた戦略、そして先程のお話。どうやってこのような知識を得られたのですか?」
「……次から気を付ける……ます」
ノーラは、問い掛けられても相変わらず意気消沈したままだ。
「お話を聞いていて、私は幼い頃に読み聞かせてもらった英雄ファルコの絵物語を思い出してしまいました」
だがユーキの口から『ファルコ』の名前が出た途端に、ノーラは伏せていた顔をがばっと上げて輝かせた。
「ファルコの? 殿下もファルコを御存じなのですか?」
「ええ。有名ですから。とても懐かしく思いました」
「嬉しいです! 私もなので。ファルコの物語を一所懸命読んで、色々考えて。それでさっきのようなことを考えるようになりました」
「それだけで?」
驚くユーキをノーラは不思議そうにきょとんと見返した。
「はい……?」
「いえ、そうですか」
ユーキはノーラの無言での問い掛けには答えず、テーブルに置いた手を組んで暫し考え込んだ。
そして一人合点したように頷くと手を解き、ノルベルトと村長に話し掛けた。
「ノルベルトさん、村長、こちらから提案があります」
「承ります、殿下」「はい、殿下」
「先ほどの御提案の畜産の件、真剣に考えてみたいと思います。最初に投資として種馬や肌馬など、かなりのものが必要になりますが、それは私の方で考えます。村長、私が良いと言っても、村の皆さんが納得しなければ成功はおぼつきません。村長も御自身でお考えになり、また村の中の取りまとめをお願いします」
「はい、承りました」
「ノルベルトさん、ノーラさん」
「はい」
「もし畜産を始めるとしたら、関係する取引はそちらに御願いすることにしたいと思います」
「有難うございます。もちろん条件次第ではありますが喜んでお引き受けいたします」
「はい、条件については、改めてお話しさせてください。それともう一つ、よろしければこの領の領都に商いの拠点、できれば支店を構えていただけませんでしょうか。そしてノーラさんにはその支店にいていただきたい。そうすれば、私達がお守りすることができます」
「それはどういう……」
「人々は英雄物語が好きなものです。そう、英雄ファルコの物語のように。ケンやノーラさんが村を危機から救った話はここの村人からフーシュ村へ、フーシュ村からこの領の他の町村に、やがては他の領や国全体に知れるでしょう。そうなった時に、ケンやノーラさんに興味を持ち、自分の意のままに用いようとする貴族が現れるかも知れません」
「はい、実は私もそれを心配しておりました」
「ケンは幸い私に仕えてくれています。ノーラさんも、貴族に目を付けられる前にこの領に根を下ろしていただけませんか? そうすれば私の目が届き、胡乱な貴族に手を出させないようにすることができます。この村との行き来も容易になりますし、それだけでなくこの領全体を相手に商売をしていただいても良い」
「ですが、商人ギルドは外から来た者をそう簡単に登録させないでしょう」
「それは私が口を利きます」
「ですが少なくとも建前では、商人ギルドの内部には、領主も口を挟めませんですよね」
「ええ、ですが、私の所の有能な者が少し商人ギルドを調べていまして。無理が利くかも知れません」
「そうなのですか」
ユーキは言葉と共に謎めいた微笑みをノルベルトに見せた。
その理由はわからないが、領主の言うことであるのだから、取りあえずは信じても良いのだろう。
ノルベルトは考えてみた。
今までの話を聞いた限りでは、この王子は信用できそうだ。
糞真面目と言う評判とも合っている。
女性にも堅いと言う噂だから、ノーラに遊びで手を出すようなこともしないだろう。
それに守ってもらうとするなら、貴族より王族の方が良いに決まっている。
決めた。
「殿下、有難うございます。御提案、私共も真剣に考えさせていただきます」
「父さん」
「ノーラ、お前もそろそろ独り立ちや、根を下ろすことを考えても良い時期だ。真面目に考えて見なさい」
「はい」
ユーキはノルベルトとノーラのやり取りに満足そうにすると、今度は村長の方を見た。
「村長、作物については私からも提案があります」
「はい?」
「これなのですが」
ユーキも袋を取り出して、村長に渡した。
同じ様に取り出すと、こちらはやや細長い種が出て来た。
「これは見たことがありませんが、何の種でしょうか?」
「これは、ある種の香草です。これの葉を干した後に粉にして使うものです。領都付近でも生えるのですが、夏の暑さに弱いそうなのです。高地でなら合うのではないかと思いまして。干したものであれば軽く、輸送に適するのではないかと」
「何に使うのでしょうか?」
「主に、お菓子、レープクーヘンでの使用を予定しています。ですが、うちのアンジェラ、いえ、侍女が興味を持ちまして。他の料理にも使えるのではと、今試しています。使い道はあるので、何とか量を採れるようにしたいのです」
ユーキが説明すると、興味深そうに聞いていたノーラが口を挟んだ。
「殿下、レープクーヘンとは、関所で配っておられるものですか?」
「ええ、そうですが。ああ、ノーラさん達も受け取っていただけたのですね。いかがでしたか」
「とても良いと思います。あのレープクーヘンは他の領や王都へ持っていっても売れると思います。香草そのものを輸出されるおつもりですか? それでしたら、私共に是非扱わせていただきたいです」
「いえ、当面は領の中で用い、菓子や料理を領の名物にしたいと考えています。そして、人をこの領に呼び込みたい」
「良いお考えだと思います。それでできた産物でも構いません。是非、私共も協力させてください。ね、父さん?」
「そうだな。殿下、村長、是非お願いします」
流石は商人らしく、ノルベルトもノーラと一緒に勢い込んで一枚噛もうとしたが、ユーキがいったん押し留めた。
「有難うございます。ですがカウフマンさん、まずはこの村で作るか、作れるかが先ですので」
「これは失礼しました」
「私は明日から数日の間、この村の周囲の調査に出かけます。戻って来た時に、今までのお話の返事をお聞かせください。村長もカウフマンさんもです。ノーラさんも。よろしくお願いします」
「承知しました」「承りました」「はい、わかりました」
次話に続きます。




