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番外編:だから始まる最終戦争-2


「色々考えられます」


 有馬記念で勝つためにはどのようなレース運びにするべきか。小箕灘の問いに横田はそう前置き言葉を続けた。


「必須の条件は道中が速い流れになること。そうすれば最後の追い足勝負になっても足を伸ばせるマルッコが強い。凱旋門賞ですら通用したその戦法が直線の短い中山の有馬記念で通用しないとはやはり思えませんね。

 問題は位置取りでしょう。枠にもよるんでしょうがダイランドウが居る以上ハナは切れないと思ったほうがいい。むしろ最近の走りを見ていると、ライダーなんかも周りを見て先頭付近で競馬してくる可能性も高い。

 クリスから聞いた話によればセヴンスターズは取れる走りに限りがある。そしてスティールソードは」

「スティールソードは?」

「マルッコに任せましょう」

「いやいや横田さん。任せるって何を」

「マルッコ、あの馬のこと異常に意識してるじゃないですか。ましてやジャパンカップで競り負けたわけだし。たぶん二度と負けてやるかと思ってますよ」

「それでなんとかなるモンかねぇ」

「ならなきゃその程度ってことですよ。この先一生勝てません。引退しましょう」


 あまりにも唐突に飛び出た言葉に、小箕灘は声を詰まらせた。

 確かに、凱旋門を勝ってからマルッコは力が抜けたというか競馬に対して意欲を失ったような走り方をしているように見えていた。もう負けないとでも思っていたのかもしれないし、新聞が読めると評判のあの馬のことだ、自分が世界の最高峰を征したことが分かったのかもしれない。

 タイミングとして4歳の引退は早い。しかしこれだけの実績を持つ馬だ。馬自身がやる気をなくしているなら、引退させてやるというのも無くは無い。しかし、


「最近は目に力が入ってる。それは乗ってる横田さんも分かるでしょう」

「ええ。負けてからというものやる気が違いますね」

「なら、マルッコを信じましょう。というよりそれしかないですな。何せ俺はこれまで、マルッコに対して何もしてこれなかったんですから」


 環境は用意した。だが調教師(じぶん)がなにかした感覚はない。

 勝手に育った。小箕灘にとってサタンマルッコはそういう存在だった。今までも、恐らくこれからも。


「負けたら引退。それくらいの気持ちでやりましょう」

「その意気です。自動的に僕の引退もかかってるんですから真剣さもましますよ。だからセンセイ。抽選会、今年もいい枠お願いしますね。外と内じゃ選べる戦略がまるで違いますよ。なんとしてでも3枠以内です!」

「…………いや、今年は横田さんが引きましょう」

「いやですよ!」

「俺だっていやですよ! あれねぇ、ほんっっっとうに緊張するんですよ!?」

「それなら今年もオーナーに決めてもらいましょう」

「なら早いほうがいいですな。今から電話してみましょう」


 こういう時だけやけに手際がいい小箕灘はすぐさま携帯端末から中川の電話を呼び出した。しかし呼び出し音だけが続き一向に出る様子が無い。仕方なく次点の九州は羽賀、中川牧場事務所へ電話をかけた。今度は数回のコール音の後、受話器が上がった。


『お電話ありがとうございます。中川牧場でございます』

「あ、どうもお疲れ様です。調教師の小箕灘です」

『あらセンセイ。どうされました?』

「いえ、突然で申し訳ないのですが、有馬記念の抽選の話を今横田さんとしていましてね。誰が引くか、あらかじめオーナーに決めておいていただこうかなと思いまして」

『まあ。まだ二週間も先なのに。でも困ったわ、今あの人牧場にいないのよ』

「ああどこかにお出かけでしたか。お戻りはいつ頃の予定でしょうか」

『それがね、あの人今入院しているの』

「は?」

『インフルエンザがちょっと悪くでちゃって。死ぬ死ぬってうるさいから病院にぶち込んじゃったの。マルちゃんのおかげよね、ちょっと前だったら意地でも自宅で直そうとしたもの』

「そ、そうだったのですか……それはなんというか、大変な時に申し訳ありません。ちなみにご退院はいつごろでしょうか? というか抽選会はどうなるんでしょう」

『そうね、病み上がりで遠出するのもよくないでしょうから私が行きます。誰が引くかは今度病院に行ったとき聞いておきますね』

「あ、はい。お願いします」


 競馬の本質は賭博であり、賭博の本質は運否天賦である。

 不思議なことに。

 ツイてない人間はとことんツイてないのが幸運の持つ性質の一つであり、一度ケチがつくと途端に離れていくのも幸運である。

 小箕灘が力なく端末を下ろすと、気遣わしげな様子で横田が訊ねた。


「オーナーが、どうかしたんですか?」

「……貧乏神がついたかもしれん」

「は?」

「横田さん、一緒にお払いに行きましょう。どっちが引いてもいいように。ね! ね!」

「えっ、えぇ? どうしたんですかいきなり!」


 いやな予感、ヒシヒシと。

 貧乏神(しにがみ)の足音が近づいていた。



----



 竹山牧場現役競走馬厩舎。

 毎日新しい寝藁が取り替えられる誠に豪勢なその馬房にて、ストームライダーと調教師山中、騎手竹田は打ち合わせにしけこんでいた。

 目の前に遊び相手がいるのに構ってもらえず、牧場に居る間アラシと呼ばれる彼は気を引くように山中や竹田の裾や襟を甘噛みしている。

 そんなアラシを宥めつつ、山中が口を開ける。


「竹田君。有馬はどう乗る?」


 調教師としての仕事は馬の調子を整え万全にする所まで、レースでの判断は現場の人間の意見を尊重するべきとする牧場のやり方に従い、山中は訊ねた。


「枠次第と言いたくなりますけど、ダイランドウから10馬身以内で進めたいですね。そうするとサタンからも6、7馬身で追走できると思うので。ましてや中山内回りですからね、ハイペースの中外を回してたら絶対に間に合いませんよ」

「やはり前目かぁ。サタンにせよダイランドウにせよ、出てくるといつもこれなんだよなぁ」

「はは、言っても仕方ないですよ。逃げ先行が最も強い戦法であることなんて、とっくに知られてる事じゃないですか」

「まぁねぇ。そうなると、また厳しいレースになりそうだなぁ。頑張れよアラシ」


 分かったような分からないような愛くるしい表情で、呼びかけられたアラシは二度三度と尻尾を振った。


「ジャパンカップは僕のミスでした。前二頭が潰れるかもしれないなんて甘い考えでいたのがいけなかった」

「終わった事だよ竹田君。それに天皇賞から激戦続きだ。もしも最後まで競り合っていたら、あそこでパンクしていたかもしれない。あそこで負けたからこそ、有馬を万全の状態で迎えられるんだ」


 誰が考えても、決着は有馬。

 どこに価値観を置くかは人次第だが、年度代表馬への選出は有馬の勝者をおいて他に無いとする風潮が投票者たる記者達に広がっている。

 年度代表馬に選出される価値の有無はさておき、記録は残る。

 才能溢れる競走馬達が集いに集ったこの時代、その代表として名が刻まれる。それは距離、コース、体調、条件が常に一定でない競馬という競技において、最も普遍的な勝者である証なのではないだろうか。


 これが終われば今年の競馬はもう終わり。年内引退のクエスフォールヴとの対戦は今回をおいて二度と実現しない。

 彼の馬だけではない。他の馬とも、もしかしたら二度と戦う機会が訪れないかもしれない。伝説を作ったサタンマルッコ、伝説であったセヴンスターズ、大記録を打ち立てたダイランドウ、突破口を開いたクエスフォールヴ、国内王者スティールソード。


「もう、負けても次があるなんて思いません」


 これは戦争だ。今年最後の大戦争だ。


「だから山中さん。是非、いい枠引いてくださいね」

「いやだよ! 竹田君が引いてくれよ!」

「僕だって毎年引かされてるんですよ! たまにはいいじゃないですか!」


 故に最初にして最大の関門である枠抽選にプレッシャーがかかる。


「ほら、アラシも竹田君がいいと思ってるんだよ! もぐもぐして……ん?」

「嫌ですってば! あれ、アラシくん、靴紐解いちゃった? いや、これは……」

「ひん?」


 竹田の足元をもごもごあさっていたアラシが顔を上げる。口先にはやけにすっぱりと千切れた靴紐がぶら下がっていた。


「く、靴紐が切れた」

「ふ、不吉だ……」


 見えない幸運に、見えない暗雲立ち込める。



----



 その日の予定を終え、文昭は美浦トレーニングセンターから歩いて15分の家路についていた。とはいえセンターの敷地も広いのでその実態は更に時間のかかるものではあったが。


「――へー、じゃあ抽選通ったのかすげーじゃん」

『そーだよ。だから年明け絶対行こうね』

「まあたぶん平気だとは思うけど、絶対じゃないから」

『そーいう時は絶対いくって言っとくの!』

「あ、なんかすみま……ん?」

『どしたの?』

「いやね、猫が横切って」


 人通りが少なくそもそも建物もまばらな閑散とした街道。どこからか現れた黒猫が文昭の前を横切り、にゃーと鳴いた。

 猫。しかも黒猫。あんな猫居ただろうか。やけに毛並みが良かったので野良ではないと思われる。馬主体で考えるトレセン的に、猫そのものはマイナスではない。競走馬と小動物は意外と仲良くやれたりするものだ。が、例に漏れず基本的に競走馬は臆病な生き物である。物影から突然何かが現れたりするとそれだけで驚いて暴れたりすることもある。

 その中で黒猫はあまりよろしくない。体が黒いので影より現れると馬が気付き難く、必要以上に驚く場合がある。つまるところ遭えて黒猫を飼う人間はいないはずなのだが、と考えたところで文昭は不吉な可能性に頬を引きつらせた。


「ガァガァ」

「みゃーみゃー」

「ガァー」

「カーカー」

『なんか凄い鳴き声聞こえてるけどどしたの?』

「なんかしらんが黒猫とカラスにめっちゃ囲まれてる」

『あはは、フミフミ、それ絶対悪い事あるよ! よくあるじゃん、死亡フラグってやつ!』

「おいばかやめろ有馬の抽選があるんだぞ」

『お払いいっとくぅ?』


 虫の報せも馬鹿にはできない。

 何かしらあるものとして文昭は開運祈願を決意した。


「あ、家ついたわ。一回切る」

『ほいほーい』


 玄関をあけようとしたその時、ふいに庭が騒がしい事に気付いた。気になって覗いてみると、そこには


「おー文昭。見てみろよ可愛いだろ猫ちゃんだぞ。どこから来たんだろうな」


 黒猫に囲まれた父、大吾の姿があった。

 絶対にお払いに行こう。開運祈願もしよう。父親も、なんだったら厩舎の人間全員を連れて。文昭は決意を新たにした。



----



「と、どこの陣営もダイスケがオーバーペースで逃げると考えている。そこに付け込む隙があるわけよ」

「はぁ」


 また始まったよ、と思いつつ国分寺は須田から厩舎の勝負服を受け取った。

 師走に入り2歳GⅠで騒がしい栗東トレーニングセンター。須田厩舎ではここのところ、須田による奇策の提案が定番となりつつあった。


「でもダイスケに番手の競馬が出来ますかねぇ」

「いやなにも番手で構える必要はねぇ。先頭をゆっくり走ればいいのよ」

「それが出来たらこんなに苦労していないと思うんですが……」

「そこを挑戦してこそ見えてくるものもあるんだろうがよぉ。まぁ俺も出来ると思っちゃいないんだが」


 思ってないのかよ、とでかかった言葉を飲み込んで国分寺は曖昧に笑った。


「いいか、こうやってあーだこーだやってるだけでも他の陣営は困惑するんだ。まぁスローペースの逃げが出来たらそれはそれで面白いとも思ってるんだが。てことで今日の調教でちょっとやってみるぞ」

「えぇぇ……前にペース落とそうとして逆に引っかかって大変な目にあったの忘れたんですか」

「大変な目に遭うのは俺じゃねえ、お前かガワラだ」

「そんな堂々と言わなくても」

「まあとにかくやってみろって。はぁ、すっかり寒くなったな、茶がうま……どわっちゃぁあああ! あっちいい!」

「ええぇぇ!? ちょっとセンセイ大丈夫ですか!? どうしていきなり湯飲みが割れたんだ!?」

「うおおお水、水、あぁこっちのも割れてるじゃねえかどうなってんだ!」



----



 ピキリ、と何かが割れる音。ジェイクがテーブルに目をやると、陶器市で買った湯飲みにひびが入り、中を満たしていたコーヒーが漏れ出ているところだった。

 しかし彼の優雅な昼下がりは損なわれない。


「ふむ? キミ、ユノミが割れてしまった。新しいのを……そうだな、土産物にもしたいから300個ほど頼む。なに? 以前にも注文していた? ああ、あれは保管しておいた物が倉庫で全部割れてしまっていたのだよ。不思議な事もあるものだな」


 と、ふいに肩を回しながら続ける。


「最近肩が重いな。私も年を取ったということなのだろう。この国では按摩師と呼ぶのだったか、それを呼んでみるのも一つの手か。どれ、カタログを……むっ、スニーカーの紐が切れたか。値段は大したものではなかったが、中々手に入らない品で大事にしていたのだがな、しかし物はいつか壊れるものだ。それに靴紐程度であれば修繕も出来よう。

 む? あんな黒い猫を飼っていたか? どこかから迷い込んできたのか。まあいい私の家に入った以上は私の家族だ。キミ、十分な餌を与えておきなさい。

 おや、どこかで不幸があったようだな、葬儀の車が走っている。香典というのだったか、魂の安楽のため私の名前で出しておくように。それにしてもこの国のカラスはでかいな、数も多い。私なら害鳥として駆除してしまうところだが、こんな鳥でも保護するとはつくづくこの国は豊かで余裕があるものなのだな」


 優雅な昼下がりは、損なわれない。



次はたぶん月曜日12~13時更新だと思います

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― 新着の感想 ―
[一言] ジェ、ジェイクさん強いな
[良い点] これは王族の余裕ですわ……
[一言] 不幸に対してジェイクさんがあまりにも最強すぎるだろ
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