番外編:そして魔王は西より来る-8
唖然とした。
現実を認識した時、込み上げたのは怒りではなく笑いだった。
ロンシャン競馬場スタンド前。薄いガラス板を挟んだ向こう側で、愛馬セヴンスターズは敗れた。
負かした馬は彼にとって因縁のある、またしても額に白い丸を戴いた馬。
負けた。それはいい。どれだけ強い馬だろうといつかは敗れる時が来る。世代の交代であったり、なにか他の条件が折り合わず力が及ばなかったり。今回愛馬がその順番であった、ただそれだけの事。思い通りにならないからこそ競馬は、馬産は、面白い。
「私の愛馬は十分に戦った。今日の敗北が私の愛馬の価値を下げる事は無いだろう」
気付けば囲まれた報道陣の前でそう口火を切っていた。
レースが終わってからここに至るまで何をしていたのか記憶が定かでない。しかし些細な事だ。肝心なのはこれからをどうするか、明日や未来をいかに歩んでいくかなのだから。
「私はここで愛馬のこの先の予定についてお話しておこうと思う」
だからこれは刹那的な感情ではない。
なぜなら少しも怒っていないのだから。
確かに指折り数えて待ち望んでいた大目標だっただけに残念だ。うん。惜しむ気持ちは強い。何せ二連覇の時点で偉業、三連覇ともなれば前人未踏であったのだから。台無しにされた等とは思っていないが、残念なものは残念だ。
そう。冷静に、必要な判断を下し、必要な言葉を告げるだけだ。それが誰かに相談したものでなかったとしてもだ。
「セヴンスターズは来る11月、日本を訪問しジャパンカップに出走するだろう。そしてこの遠征は短期的な物ではない。現地牧場に滞在し、その後一年間、日本の競馬場で競走生活を過ごす予定だ。これは私と愛馬が行う最後の挑戦である。
何への挑戦か。それは単純明快である。王者への挑戦だ。
遥か東の国より訪れた勇者が世界の頂点に君臨したのだ。敗れた我々が彼の地へ出向くのは当然の事だ。そうだろう。エルコンドルパサーは日本で走らなかった。だがサタンマルッコはまだ走る。ようやく私の愛馬とまともに戦える競走馬が現れたのだ。これで終わりだなんてそんなこと、許されるはずがない。そうでしょう。
直近ではジャパンカップ、そしてアリマキネンに出走するだろう。これは新たな挑戦だ。是非今後の動向に注目していただきたい」
七星来たる。
その一報はサタンマルッコの凱旋門賞制覇と同時に日本競馬界へ齎された。
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秋。芝色が褪せはじめた竹中育成牧場を鹿毛の俊馬が雄大な馬体を鞠のように弾ませている。ストームライダーにとって5度目、競走馬生活を始めて3年目の秋。かつて関係者が思い描いていた華々しい未来と現在の苦闘は思いもよらぬところであろう。しかし極短い期間、夏を挟み取り組んできた課題の集大成は順調である。管理調教師山中は双眼鏡を握る手に力が篭るのを感じていた。
拡大された像が取り払われ、遠くウッドチップを蹴り上げながら直線を迫る僚馬を見やる。
12を6つ、13を1つ、11を1つ。
既に彼らにとって馴染み深くなりつつあるその数字。それは1Fごとのラップタイムだ。
大切なのは最後のスパートよりその一つ前。『タメ』の瞬間である。
遠く、人馬は呼吸を新たに力を溜めている。
直線半ばのハロン棒を越えた瞬間、弾けた。
抜群の手応え。しかしそれは秘密調教とされ、報道陣には追い切りタイムのみが伝えられた。
翌週、美浦トレーニングセンターでの追い切りは終始軽めに抑えられ、仕上がりの程をつかむことが出来ない。
秘密のヴェールに包まれて、ストームライダー陣営は追い切りを終えた。
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「いいか文昭。俺たちの本命はジャパンカップだ。天皇賞じゃねえ。
だけどな、負けていいとも思ってねぇ。恐らく宝塚以上のタフなレースになるだろう。だがそれだけだ。勝てないレースなんかじゃない」
細原大吾は息子、騎手細原文昭に告ぐ。
サタンマルッコに触発された文昭は、瞳に炎を映して小さく頷く。
「こっちは春の王者だ。府中じゃ小賢しいのは無しだ。真正面から行って捻じ伏せてみろ」
「おう。任せておけ」
「宝塚、京都大賞典でオーナーサイドの印象は良くなった。王道の競馬で負けたところでいきなり降ろされるような心配も無い」
「おう。おう?」
何やら風向きが変わった。
「いいか、だから大敗だけは止めろよ。ここで崩れられるとうるせーんだ。ようやく黙らせた所なんだよ。いいな、絶対だぞ、最低限掲示板だからな」
「なあ親父。王者だとかなんとかいってるけど、自信あるのか不安なのかはっきりしろよ」
「そりゃもう心配よ。なんでダイランドウこっち来るんだよーマイルCSに専念しろっつーの!」
「……まぁ俺は俺にやれることをするよ」
どこか半目のテツゾーに見守られながら、スティールソード陣営は追い切りを終えた。
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「ひーん! ぶるるる!」
「ひん」
栗東トレーニングセンター須田厩舎前。
漆黒のたてがみをぷるぷると震わせ跳ね回るダイスケことダイランドウと、「よう久しぶりじゃん」とでも返事するかのような見事な栗毛に額の白丸、この度世界王者に戴冠した丸いアイツことサタンマルッコ。
両者に若干の温度差はあれど、再会を祝して戯れる二頭の様子は馬産関係者の目尻を下げさせるには十分だった。
「いやーダイスケとマルッコがこうしているのを見ると、栗東に帰って来たんだなって感じがしますよほんと!」
羽賀とシャンティイを往復していた小箕灘と異なり、クニオはマルッコの渡仏以来ずっと現地に残っていた。帰国してより何かにつけて日本への帰国を感じているが、それは彼なりの稚拙な感情表現なのだろう。
「やっぱり向こうは違ったのか?」
落ち着きの無いダイスケの手綱を引きながら大河原が訊ねる。
「いやー標識とか案内板が日本語ってだけで感動しましたもん、俺」
「ああ、まあそりゃフランスだからフランス語で書いてあるよな普通」
「そうなんすよー。一々辞書引かなきゃいけなかったんで大変でした」
「むしろその状態でよくフランスに行ったな……」
「会話なんか身振り手振りでなんとかなりますよ!」
「そういうものか。いつまでもこうしていても仕方ない、馬場に出よう」
「あ、はい。マルッコは今日軽く運動して終わりですけど、ダイスケは?」
「追い切りはないな。軽めと聞いてるからせっかくだしこのまま二頭でやるか」
「それもそうですね。ダイスケもマルッコといれて嬉しそうだし」
マルッコの首筋をもぐもぐ咥えながらダイスケがひーんと鳴いた。賛成らしい。マルッコは空を仰いでどこか疲れた様子だ。
それぞれの手綱を引いて角馬場へ向かう道すがら、クニオは不在の間の出来事について訊ねていた。
「えっ、じゃあ国内戦はスティールソードが一番手なんですか?」
「ああ。春天、宝塚と勝って秋初戦の京都大賞典も似た面子相手に勝ちきってるしな。古馬の中・長距離戦じゃ抜けてるって評判だ」
「へー……なんか意外だなあ。スティールソードって3歳の時はマルッコが押さえ込んでたし、古馬戦に出てこなかったからなあ」
「まあでも同世代で唯一マルッコに先着してる馬ではあるな」
「そんな事ありましたっけ」
「青葉賞で一着だ」
「あー! そういやあの時マルッコ負けてた! なら納得だ!」
「その納得もどうなんだ?」
「ヤッティヤルーデスとか今どこ走ってるんだろ。うーん離れて初めて気付く日本競馬の面白さって感じ。あ。秋天はダイスケも出るんでしたよね。その辺どうなんです?」
「毎日王冠は完勝だった。予想として東京1800は走れると思ってたから、正直ストームライダーが相手でも勝ちの目は高いと見てた。ただな……秋天はどうかはわからない」
「どうしてですか? 1800で勝てたなら2000も勝てそうですけど」
「普通はそう思うんだろうが、そう簡単に行かないのがダイスケがダイスケたる所以なんだよなぁ……」
背中に哀愁を漂わす大河原はそう言って角馬場に入った。さすがに引き運動しつつお喋りは出来ない。職務に邁進するため、暫くの間歩くことに集中するのであった。
準備運動も終わりいよいよ馬場入りをした二頭。今日はダイランドウの調整であるため、Cウッドコースだ。
どこかぼやっとした様子で周囲を観察しているマルッコ。それは背中に跨ったクニオも感じていた。久しぶりで懐かしんでいるのかもしれないと考えたところで、自分も数ヶ月ぶりであることを思い出し、周囲に目を配った。
自然の森中を走るようなシャンティイと比較すると栗東トレーニングセンターはやはり狭く感じた。400mの直線など人間の尺度で言えば非常に広大であるはずだが、先の見えない程のコースで生活した後では終点が確認できるだけでも短いと感じられてしまう。
マルッコもそうなのだろうかと股下の気配を探るが、栗毛の怪馬は散歩を楽しむ老人のように、何の気なしに駆けているようだった。一時はレース後の消耗で体調を崩していたが、二週も経過した現在は軽いキャンター程度ならば問題なくこなせるようになっているようだ。輸送中もぐーすか寝ていたのでそうした疲労とも無縁であるのはこの先頼もしいとすら思った程だ。ただ、動きそのものは悪い。
対してダイスケ。秋の第一目標としていただけあり、動きその物が軽快であった。
軽く走っていても伝わるほど肢の可動がスムーズであり、バネの効いた前進は全開時の爆発力を思わせる。
背中に跨る大河原もこの分ならばテンションを上げないよう軽く流すだけでよさそうだと調教計画に修正が不必要であることを確認する。何よりマルッコと共に過ごしている所為か馬の機嫌がいい。非常に寂しがりやなこの馬の精神面が良化することは何より得がたいプラス要素だった。
200mの延長は未知である。仮説を基にした予想ですら半々。
でもこの状態ならば。
心身共に最良のダイランドウは軽めの追い切りで本番を迎える。
短距離王者ダイランドウ。
この距離では負けられないストームライダー。
古馬王者としての格を保つかスティールソード。
魔王を除いた世代の中心たちの戦い。
それぞれの思いを秘め、東京競馬場2000mにて秋の決戦第一弾が執り行われようとしている。
気温の変化にやられたので短め
各陣営の動向
もう次こそはとか言わない!
2018/8/23追記
検疫について現実の法令や競馬と大きな矛盾のご指摘を頂きました
改めて調べてみると、そもそも昨年度のクエスフォールヴが凱旋門→JC→有馬と出走することは不可能だったりとか、5月出国のマルッコが現地調教でサンクルー大賞に出走は無理があったりとか割といいだしたらきりがないのでさあ困ったぞ!
作中では年代を2018~2030年と設定しているため、その間に伝染病についての革新的進歩があり、畜産動物についての検疫が従来より大幅に簡略化された世界という設定で進行していきます。
とゆーかオルフェのラストランが有馬だったのってそういう理由だったんですね しらなかった
凱旋門走った日本馬がJC有馬に出れないなんておかしな話しだぜ!
てことで展開重視で捻じ伏せます。おれは検疫の話かいてんじゃねー! 熱い競馬物語がかきたいんだい!
ということで作者の不勉強を許してください(;^ω^)




