10F:彼の助走と彼らの驚き-1
「小箕灘調教師! サタンマルッコの容態はどうなんですか!」
レース後、会見の場に姿を現した小箕灘へ次々と質問が浴びせられる。
それらは一刻も早く特ダネを掴みたい記者精神であると同時に、競馬ファンとして勝者の無事を祈る心配でもあった。
咳払いを一つする頃には静まった質問の雨の中、小箕灘がゆっくりと口を開ける。
「獣医の診察では骨、腱、共に異常は見られないとのことでした。有馬記念直後にもあった、極度の疲労。そういったものであるとのことです。私としましても、獣医の見立てに同意しております」
「レース後横田騎手が馬運車を呼んでいましたが、あれはどういった理由からなのでしょうか!」
「本当は骨折しているのではないのですか!」
「海外遠征の予定はどうなるのでしょうか!」
矢継ぎ早に捲くし立てられる言葉に閉口しつつ、再び口を開ける。
「馬運車を呼んだ横田騎手の判断は正しかったと思います。レース後、有体に言ってマルッコはヘトヘトだったので、検量室まで自分の力で帰って来れそうにありませんでした。自分が背中に乗っているのも辛そうだったので降りた、と横田騎手は言っていました。
精密検査をしてみないと分かりませんが、肢を触った感触では骨折の気配はありません。後日栗東ホースクリニックにて行われる検査の結果を持ちまして、改めてご報告いたします。
海外遠征については症状が確定してから正式にご報告いたしますが、現在のところ競走生活に支障がないと思われるので、事前のご報告通り、大阪杯後は海外へ遠征いたします」
安堵したような、驚いたような、そんな溜息が記者たちの間から零れた。
「海外遠征についてお聞かせください! 現在サタンマルッコ号の主戦騎手は横田友則騎手ですが、海外でもこれは継続するのでしょうか!」
「騎手については現在調整中です。しかし、海外遠征中は横田騎手への騎乗依頼の予定はございません」
「そ、それは乗り代わりということでしょうか!?」
「そう受け取っていただいて構いません」
「そのことを横田騎手は納得しているのでしょうか!」
「年明け頃よりあらかじめ伝えてあります。また、国内での騎乗については今後も横田騎手へ依頼する予定で、横田騎手以外に依頼する予定もございません」
「海外遠征中の騎手は誰なのでしょう!」
「現在調整中です。しかし予定としている騎手は決まっており、本人にも非公式ですが同意を得ています。遠征計画と合わせ、正式に決定した後ご報告いたします」
「レースについてです! サタンマルッコ号は今回大阪杯を勝利し、国内春の中距離戦線でも存在感を示しました。小箕灘調教師としては、今回の勝利にどのような印象を持たれましたか!」
「戦前より厳しい戦いになるとは考えていました。しかしそれはストームライダーとの一騎打ちに近い形での激戦を想定でした。
油断、慢心、そう取られても仕方が無い怠慢で、馬と騎手に負担をかけてしまいました。もう少しで取り返しの……取り返しのつかないことになる所でした。
深く反省すると共に、今後の海外遠征への糧としていきたい所存です。
対戦相手も強かった。本当に強かった。全出走馬、マルッコに対して意識が強く、道中も厳しい距離を保たれました。オーバーペースの逃げ馬は、5馬身差、6馬身差、ああいった距離で追走されるのが一番キツい。
3コーナー、というより残り1000m地点からのキャリオンナイトの超ロングスパートに至っては完全に計算外でした。マルッコがコーナーの途中ででああも簡単に交わされるとは考えてもいませんでした。前に付けられると判断し、スパートを早めた横田騎手の騎乗は正しかったと思っています。事前の想定があればもっと別の騎乗を依頼出来ました。完全に私のミスです。
ストームライダーは強いという言葉以外何も浮かびません。今回は首の上げ下げ、鼻の差で我々が勝利しましたが、もう一度やって同じ結果を得られると思う程自惚れてもいられません。
しかし勝利は勝利。この結果を以って国内覇者の名乗りを上げる事が出来たと確信しています。日本競馬の代表として、フランスでも戦ってまいります」
自らの言葉で会見を打ち切った小箕灘は、検量室の先へ消えた。
地下の馬房の前。「しんどー」とぐったりとした顔のマルッコを撫でる横田の姿があった。小箕灘は小走りで近づき、暫くの間、口をぱくぱくとさせながら言葉を探した。
「あの、その、横田さん。海外での騎乗の話なんだが……」
「ええ。クリスに乗り代わりって話ですよね。私は構いませんよ」
「あ、その、順序が入れ替わってしまって申し訳ない……」
会見で本人納得済みと言ってしまったが、実のところ小箕灘はこれまではっきりと乗り代わりの件について横田に話せていなかった。これは一つ間違えれば社会的大事故に繋がる可能性があったのだが、穏やかな表情でマルッコを撫でる横田に怒りや不満の色は無い。
「実は調教師。僕もお話したいことがあったんですよ」
「え? それはまた何を」
「引退しようかと思いまして」
「へ!? い、引退ですか!?」
「あの、一応デリケートな話題なのであんまり大きな声は……」
「あ、すすみません?」
動揺の余り挙動不審になりながら、小箕灘は辺りを見回す。人影は無い。一息つく。
「またどうしてそんな急に」
「前から考えてはいたんです。息子も騎手になったし、僕自身も年を取ったし、僕みたいなのが競馬界に居座ったら新人にとっては邪魔でしょう? 少なくとも僕が若い時はベテラン騎手のこと、目の敵にしてましたよ。ダービーを勝たせていただいたし、いい機会かな、と」
「決めるのは横田さんだから俺からは何も言えないが……」
「ま、とはいっても先の話ですよ。マルッコ、海外から戻ってきてもまだまだ現役なんでしょう? しっかり稼がせてもらいますよ。老後のためにもね」
「ハハハ、そうですな」
「僕ね、決めたんです。マルッコが競走馬生活を引退する時、僕も引退します。国内じゃ誰にも譲りませんよ。だってこんないい馬、二度と乗れない」
「そう言って貰えると、競走馬冥利につきる……か? マルッコ」
「ふい?」
かんぬきに首を預けたような格好でマルッコが首を傾げた。すっかり疲れきった姿。早く休ませてやる必要がある。
「正直ずっと、年上の騎手ってことで距離感が掴めてなかったんだが……やっぱりあんた、格好いいな」
「正直俺も、年下のセンセイはやりづらいところあったよ」
お互いが向き直っていた。
「今までありがとう。そして、これからもよろしく頼む」
「何かあったら呼んでくれ。何だったらフランスのレースでもいいよ。クリスが潰れたら、俺が乗る」
「それはクリスに言ってくれ」
「一度地獄を見た男だ。あいつはそんなタマじゃないさ」
「フフッ、それなら、暫くは会わないな」
「次はきっと、また秋に」
「ああ。また」
小箕灘スグル44歳。横田友則49歳。二人の男はガッシリと握手し、そして別れた。
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フランスギャロ本部。パリ国際競馬会議などで使用される荘厳かつ機能的な建物の中から一人の男が姿を見せた。
「よう、クリストフ。どうだったよ」
入り口に付けた赤い車の窓から、気安い声がかかる。クリストフと呼ばれた男も気安く答える。
「当然、発行されたよ」
「これでお前も騎手に復帰か。就職おめでとうとでも言えばいいか?」
「ケルニー。君にはとても助けられた。言葉では言い表せないほどの感謝をしている。君が望む形でお礼をしたい」
「気にするな。お前のうるさいマネージャーから既にしこたま金は貰ってる。ま、どうしてもって言うなら、そのうち美味い飯と美味い酒、たらふく奢ってくれよ」
「ああ。世界一美味い料理と世界一美味い酒を用意してやる」
「大きく出たな。さ、乗れよ」
助手席へ乗り込んだクリストフは神妙な顔をして一つ付け加えた。
「すまんケルニー。もう一つ頼まれてくれないか」
「なんだ?」
「向かって欲しい場所があるんだ」
クリストフが目的地として告げた場所、それは郊外の牧場だった。
敷地の入り口で訪問理由を告げると、大きな門が開かれた。下車して歩けば、そこかしこを走り回る若駒たちの姿が。
ロンデリー牧場。GⅠ勝利馬を多数輩出した名門牧場。そしてこの場所は、クリストフの戦友が眠る場所でもあった。
駆け回る馬たちを双眼鏡で観察している男の姿があった。その人こそが牧場長、ケリィ・ロンデリーだ。
「ケリィさん、お久しぶりです」
「ん? おお。クリストフ君。久しぶりだね。聞いたよ、騎手として復帰するんだって?」
「はい。皆さんにはご心配をおかけしました」
「そうか。その……もう、平気なのか?」
「分かりません。ですが、新しい友人達に励まされて、もう一度顔を上げる事が出来ました」
「おいおい、俺は励ましてねえってのかよ」
「はは、勿論君もだ。ケルニー」
「そうか。その様子では本当によくなったみたいだね。本当に良かった……それで、今日はどうしたんだい?」
「セルクルの墓に。彼に報告があって」
「わかった。場所は分かるね?」
「はい。少しお邪魔します」
「行っておいで」
その墓は牧場の入り口からは奥、木立の並ぶ馬道の向こう側にあった。
共同の墓地とは分けて設置された墓石。慰霊碑に刻まれた名前はネジュセルクル。
墓石の前に花束を贈り、クリストフは跪いた。供に来たケルニーは馬道からその姿を見つめている。
(セルクル。君に伝えたいことが出来たんだ)
魂は、どこからきてどこへ行くのだろう。
君によく似た馬に出会ったんだ。出会ったというのは少し違うかな? 君によく似た彼に、俺はわざわざ会いに行ったんだから。日本という国を知っているか? その国に居たんだ、その馬は。
彼はよく似ていたよ。君と似た星を持っていて、君と似た仕草をして、君に似て可愛らしい。でも一つだけ違ったんだ。彼は君より足が遅い。彼も彼で頑張るんだけど、やっぱり君には程遠い。やっぱり君が最高の競走馬だよ。その点においては、彼と君は似ていないね。
君と彼は本当によく似ているんだ。もしかして君が生まれ変わって彼になったんじゃないか、そんな風に思うこともあるくらいだよ。だけどそれはきっと、俺の思い込みでしかないんじゃないかな、そんな風にも思うんだ。
今日は報告に来たんだ。
君が俺を助けてくれたあのレースに、その彼と出走することになったんだ。
君は怒るかな? そうじゃないか。君は自分が走らないレースには興味が無かったもんな。
だけど見ていてくれ。天国か、この世のどこかか、もしかしたら、彼の中から。
今度は勝つよ。君が助けたこの命で、君の忘れ物をとってくる。
君と見た夢の、終着点を見届けるよ。
更新の度にたくさんのご感想をいただき、本当にありがとうございます。
全てに目を通し、参考、刺激にしています。手が止まったときは本当に助かっています。
少し返信が滞っていますが、週末時間が取れた際、順次お返ししようと考えています。ご容赦いただければと思います。




