8F:彼らの見た流星-2
ロンシャン競馬場の直線は長い。
フォルスストレートと呼ばれる大回りコースにのみ出現する第4コーナー手前の長い擬似直線とメインストレッチ前の最終直線を合計すると1000mを超える。この長い直線でペースを乱し、直線半ばで馬群に沈む競走馬のなんと多い事か。
その点、クエスフォールヴはここまで完璧な騎乗でロンシャンの直線を制していた。
残り400mまでは中団待機。そこから一気に抜け出して先頭へ躍り出た。近年は日本で通年免許を取得し活躍しているダミアン・ロペスだが、世界のリーディングで鎬を競ったその腕前は伊達ではなかった。ロンシャンのコースを良く知った会心の騎乗。
残り200m。この時点から吉沢富雄は不穏な胸のざわめきを抑えられないでいた。先頭は愛馬クエスフォールヴ。父の代から続くグループが誇る血の結晶と言えたその馬が、漆黒の馬体を弾ませてロンシャンの深い芝生のターフを駆けている。だが、そのすぐ後ろをピッタリと付け狙う影があった。
残り100m。馬上からもゴールは見えていることだろう。その瞬間に付け狙っていた馬、セヴンスターズ鞍上フランコフの鞭が唸った。
クエスフォールヴはあまりにも容易く交わされた。いつでも抜けたと言わんばかりにセヴンスターズの鹿毛の馬体は弾み、1馬身、2馬身と差を広げ、3馬身差がついたところがゴールだった。
ゴールの瞬間、吉沢の胸に去来する思いは「またか」であった。
もう何度目であろうか。日本馬が凱旋門賞へ挑戦し、二着に敗れるのは。
エルコンドルパサーが、ナカヤマフェスタが、ゴールドフリートが、そして今クエスフォールヴが。
勝った馬が3歳馬なら、牝馬であるなら、言い訳のしようもあった。凱旋門賞は年齢や性別による斤量差(馬が年齢や性別によって背負う重量)が大きいレースだ。逆説的に3歳で、牝馬であればもっとも有利であるといえる。
しかし。セヴンスターズはクエスフォールヴと同じ牡馬で、4歳馬だ。さらに昨年度の凱旋門賞覇者でもある。つまりは連覇である。それも圧倒的な内容でだ。
(他の世代の凱旋門ならばクエスフォールヴが勝っていたはずだ。どうしてこういう時だけいつもいつも!)
エルコンにモンジューが、フリートにトレヴが居た様に、クエスにセヴンスターズが立ちはだかっている。最早呪いか何かのように付きまとう二着の呪縛。
今年こそは、この馬こそはと、願いを託した結果だった。
この馬でダメなら、一体どんな馬が勝てるんだ。この凱旋門賞は。
日本の競馬が世界に通用するため、として目標に掲げられたのが世界の最高峰レースである、この凱旋門賞だ。凱旋門賞制覇は日本競馬の悲願と言えよう。
故に。
過ぎたる願いは呪いにも似る。日本競馬は凱旋門賞に呪われていた。
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その馬について記憶野が刺激されたのは、ジャパンカップで二着に入線したのを見送ったときだった。
パドックの段階からどこかで見覚えがあるような気がしていた。しかし年中馬の顔を見て回っている吉沢にとって、その既視感すら慣れ親しんだ感覚だったため、深く気に留めなかったのだ。
二着、サタンマルッコ。
そうだ、栗毛の馬体にまん丸の斑白。あんな幼駒を見たことがある。
手帳の記録を見返せば、確かに記載があった。三年前。羽賀競馬場で行われたセリ市で、吉沢はあの馬と出会い、印象を記録に残していた。
別の用事で九州を訪れていた時だ。訪問先の相手に近くで競走馬のセリがあるから一緒にどうだと誘われ、予定もなかったから参加したのだ。
言い方は悪いが、馬産地としての九州は北海道に劣る。というのは、吉沢一族を初めとする有名牧場の殆どが道南に拠点を置いているためで、地理的な優劣は特に無いと思われる。
だが、セリに出される馬の値段からみても相場が違い、やはりそこに格差のようなものが暦として存在する。
吉沢もそれほど期待して参加した訳ではなかった。しかしこうした馬産地への地道な活動で成り上がったのが吉沢一族であり、社代スタッドグループである。セリへの参加は習性というか、癖のようなところにまで染み付いていた。
セリには13頭出されるようだ。幼駒が5頭と1歳馬が8頭。
現れる馬現れる馬、特別目を引く身体をしておらず、また、事前に配布された血統書を眺めてみてもよく言えば珍しい、有体に言ってマイナーなそれらは血統の保存という意味での価値を認めるものの、レースに勝つための馬としては価値があるように思えない代物だった。
そうして時間は過ぎて行き、最後の一頭となった。
現れたのは栗毛……栗毛なのだろうか。鹿毛のようなくすんだ色の幼駒だった。
毛色が悪いというか汚らしい。よくこんな状態でセリ市に出したものだなと別の意味で感動するも、厩務員に連れられ歩いているその幼駒を見ているうち、興味を引かれている己に気付いた。
こうしたフィーリングは馬鹿にできない。吉沢の父親も兄もそういう感覚を信じて掘り出し物を手に入れている。
だがどうだろうか。馬体に目を引く要素は無い。痩せた仔馬だ。何に自分は興味を持った?
そうこうしているとセリが始まった。ええい、迷ったら行け、とすぐに出せる金額、80万と口に出した。この場所に連れて来た男が隣で驚いていた。
結局、その幼駒は生産者の買戻しとなった。それはそうだろう。フリートの種付けは吉沢の牧場がやっているが、1回500万である。80万では話にならなかろう。されとて吉沢も商売人。目で見える要素から算出した価格が80万であった以上、それより上の金額は口に出来なかったのだ。
「あの時の」
周囲は実力を示した愛馬の勝利に大盛り上がりで吉沢の様子に気付いていない。
クエスフォールヴが勝利した。それはいい。ある程度既定路線ではあった。だが二着の馬。サタンマルッコ。事前にある程度情報は持ち合わせていた。今年のダービー馬であること、羽賀競馬出身であり、歴史上初の快挙を成し遂げた事。しかし知りたい情報はそういった物ではなかった。
「折村君」
「はい、なんでしょう会長」
「あの馬のことが知りたい。調べてくれ」
そういって指差した先には、怒りに震える栗毛の怪馬の姿があった。
そして時間は流れ、暮れの中山、有馬記念。
吉沢はどれだけスケジュールが厳しかろうと、また、所有馬が参戦していようがいまいが、有馬記念だけは必ず現地観戦していた。日本競馬に携わる者として、これを見なければ一年が終わらないのだ。
間もなく愛馬が直線へ回ってくる。レース展開はタフだった。だからこそクエスが勝つと自信を持っていた。
思ったとおり、クエスのスピードとスタミナに他の馬は付いていけず、直線半ばで足を鈍らせていた。そうだとも。クラシックディスタンス(2400m)やそれに近い距離で勝つために――凱旋門賞を勝つために生み出された馬だ。積み上げてきた物が違う。やはり、来年もこの馬で凱旋門賞へ挑もう。それこそが一番可能性が高い。
先頭に立った。これで決まりだ。
そう、思った時だった。
俯瞰してみればスルスルと。当事者同士で目撃すれば猛烈な勢いで。内ラチ沿いを駆け上がる馬が居た。
鹿毛と見紛う程薄汚れていた馬体は輝くばかりの栗色に。
幼げで頼りない痩せた身体は、しなやかな厚みを増して。
手帳に記録を残すほど特徴的だった、額の白丸はそのままに。
(そうか)
吉沢はあの時、薄汚れた幼駒に感じた不思議な何かの正体を掴んだ。
瞳だ。
丸くて愛らしい漆黒の瞳。その奥に燃え滾るレースへの渇望。闘争心。
今、前を走る愛馬を睨みつけて走る、その瞳の闘争心。同じだ。
絶対に勝つという勝利への渇望。
クエスは負けた。頭一つ分しっかり差しきられ、完敗といえる内容で。
(この馬だ)
サタンマルッコ。この馬だ。この馬こそが!
「…………っぁぁぁあああッ! あの時買っておけばああぁぁッ!」
ぎょっとした周囲の視線も気にせず、吉沢は四半刻ほど悶え叫んだという。




