6F:彼の迷い-5
昔はこの時期の府中は枯れ芝だったんだけどなぁ。
国内の選りすぐりの競走馬対舶来の競走馬の戦いを見守るため詰め掛けた観客でひしめく11月25日東京競馬場第11Rパドック。パドック周回中のマルッコの背に揺られながら、パドックの中央で青々と揺れる洋芝を横田は何とはなしに見つめていた。
「今日のマルッコ、集中してますね」
引き綱を持つクニオがそんな横田に声をかけた。
「本当に。菊花賞で反省したのか、カメラに見向きもしないですよ。しっかり歩いて身体を解してますね」
今日のマルッコは、ずんずんと前足に後足がぶつかるほど踏み込み、大勢居る観客にも乱されずレースへ向けて感情を高めているように見えた。いつもの落ち着きの無いパドックと異なり、好走する直前の馬が持つ良い雰囲気を纏っているとさえ言えた。
あの中間で、この手応えならば。横田の胸にも期するものがあった。
「それにしても、クリスはやっぱりあのクリストフ=ユミルなんですねぇ。分かっちゃいましたけど、ああして偉い人の輪の中に居るのを見ると、本当は凄い奴なんだなぁって思っちゃいます」
クニオの視線はパドックの内、緑の芝生の上で歓談するノースファーム代表、吉沢富雄と小箕灘厩舎で調教助手をしているクリスの姿を見つめていた。
日本では偶に短期免許で現れる外国人ジョッキーという認識のクリスことクリストフだが、直接関わっている人間からすればかつて世界のトップリーディングの一角であった若き名手である。騎乗依頼などで知己である吉沢は当然のようにクリストフの姿を見止め、昔話に花咲かせているのである。それは純粋に精神の快復を祝う話であったり、時にビジネスの話であったりした。
「以前がどうあれ、今の状態は彼が望んだことだからね。そんなに気にする必要はないんじゃないですか?」
「俺、バカだから気に出来ないってのもあるんですけどね」
「うぃーん」
うるせーなーとでも言いたげにマルッコが唸った。普段と立場が逆だな、クニオと横田は余計に笑みをこぼした。
状態は良い。集中もしている。レースのペースプランはこれまでの調教でみっちりやった。後は相手か。横田は二つ前を行く黒鹿毛の馬体を観察した。
黒い毛並みに4つの半白。凱旋門賞二着のクエスフォールヴ。今回のレースで最も手強い相手となるのはあの馬であるというのがチーム小箕灘の結論だった。
隙の無い先行抜け出し型。それは同世代においてストームライダーと同型の脚質だが、年齢が一つ上の分、道中のペースに奥行きが感じられる。道中が遅ければ終いの足を長く使い、道中が早ければ終いまで失速しない足を使う。昨年末から国内を圧倒したその実力は正に王道と呼んで良い物だ。
(隙があるとするならば、オーバーペースの逃げ馬に出会った事が無い点)
上の世代にはコレといった逃げ馬がいない。逃げ馬不在の際にはクエスフォールヴ自身が先頭を切っていたほどだ。最後の直線だけの勝負にされては厳しい、鋭い末脚を持たないマルッコの出す答えは決まっていた。
前へ、より前へ、だ。
「やるぞ、マルッコ」
「ぶるるっ」
誘導馬に従い地下馬道へ向かう人馬は心持を新たにした。
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「それではレースの模様を見ていきましょう。実況はラジオNK河本哲也さんです」
《秋の西日と金管の音色、そして沢山のお客さんの歓声を浴びて、今年は3頭の外国馬を含む18頭でのレースとなります東京第11Rジャパンカップ。
注目はなんといっても凱旋門賞で目覚しい活躍も二着に惜敗したクエスフォールヴと、3歳世代の王者として君臨したサタンマルッコの対決。今年国内無敗の王者に土を付けるのか、それとも王者が貫禄を見せ付けるのか。さらには海外で戴冠こそ無いものの、それぞれの舞台で実力を発揮する海外の優駿達3頭。この3頭がどういった走りを見せ、また、日本の代表馬達はそれにどう応えるのか。
出走各馬は既にゲート入りを始めております。奇数番号の馬の枠入りは順調に収まり、続いて偶数番号の馬が収まっていきますが、⑯番のハイエンドシーが……どうやら枠入りを嫌がっているようです。今勢いをつけて行きますが、んー収まりません。
係員がロープを持って、もう一度勢いをつけて……入りました。最後に⑱番ファミファミヌルが入りました!
日本一の称号は誰の手に。第NN回ジャパンカップ……スタートしましたッ!
サタンマルッコいつものようにスタート絶好! スーッと泳ぐように先頭へ立ちました!
内の方①番キャリオンナイトがダッシュが付かず後ろへつけたようですがその他各馬は揃ったスタートとなったようです。
さあ猛然とサタンマルッコが後続を引き離しつつ1コーナーへ、このまますんなりいけるのかどうか。二番手争いですが内に一頭分あけて⑤番ラストラプソディー、その外⑬番マイティウォームがつけて後ろに追走が⑨番モデラート。その後ろ2馬身切れて内の方⑪グレーターミューズ、⑯番ハイエンドシーなどがいてその外! いつの間にかその外目に⑥番クエスフォールヴがいた! これはマークで包まれるのを警戒した騎乗なのか鞍上ダミアンロペスの選択!
先頭のサタンマルッコが1000mを通過します。既にかなりの差が開いていますが、通過タイムは57秒5!
はやいぞこれは凄いことになった、⑧番サタンマルッコ今日は力の逃げ!
後続とは既に……14、5馬身ほどの差を開いている!
向こう正面に入り、後続の隊列は変わらず先頭が⑤番ラストラプソディー単走となりましたが、外目すぐ後ろに⑬番マイティウォーム、そこから4、5馬身間が空いて⑨番モデラート今日も前までは届くか竹田豊。宝塚記念の再現なるかどうか。
間が空いて⑪番グレーターミューズ、その外に並ぶように⑯番ハイエンドシー更にはクエスフォールヴも位置を上げていて、それを見るように後方集団、⑱ファミファミヌル、③ヴェルトーチカなどが一団となっていて最後方①番キャリオンナイトといった、先頭から最後方まで20馬身くらいあるのではないかという、縦長の体勢となりました第NN回ジャパンカップ。
先頭をひた走るサタンマルッコ横田友則。今日はどうなんだ。今日はこれでいいのか!
ざわめきの中先頭のサタンマルッコが3コーナー大欅の向うへ姿を隠します。
しかし後方集団も前へ迫ってきている。馬群も前後が詰まりかなり密集しています。
800の標識を通過、サタンマルッコとの差がぐんぐん詰まっている、サタンマルッコの息はどうだ、足はまだ残っているのかどうか。
最後方①番キャリオンナイトは既に鞭が入り追い上げ体勢、集団前の方は⑨番モデラートが⑤番ラストラプソディー⑬マイティウォームと入れ替わるように抜け出していく、⑪番グレーターミューズ、⑯番ハイエンドシーらも位置を上げる中、⑥番クエスフォールヴは外へ持ち出している! 名手ダミアンの手は既に動いているぞ!
さあ先頭のサタンマルッコが直線に入る! リードは7、8馬身!
後続各馬は一気に追い上げ体勢だ、2番手追いすがる内⑨番モデラート、⑤番ラストラプソディー、マイティーウォームだが伸びがどうか!?
外の方では⑪番グレーターミューズが、おおっとその外を猛烈な勢いでクエスフォールヴが追い上げてくる! 凄い脚だ! クエスフォールヴ脚色が良い!
前のサタンマルッコとは2馬身差! 残り200を切る!
1馬身! 大外迫るクエスフォールヴ! 内逃げるサタンマルッコ!
並ぶか!?
並んだ!
並んだ!
かわした! クエスフォールヴ先頭!
今度は1馬身! クエスフォールヴ! サタンマルッコ食い下がる!
ああああっと馬群の中からキャリオンナイトォ! 物凄い脚だ!
前の二頭にはどうだ! 届くか!
いや、これはクエスフォールヴ鈍らない! クエスフォールヴ! クエスフォールヴ!
クエスフォールヴだぁッ!
――……》
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後ろの脚色がいい。
この馬に乗って久しく感じなかった焦燥感に身を焦がされながら、横田は府中の坂を懸命に騎乗していた。
序盤は作戦通りのリードを取る事が出来た。
しかし3コーナー辺りから後方のペースが予想以上の上がりを見せ、直線を向いた時点で予定されていたリードを保てて居なかった。
だが4コーナーから坂の手前まできっちり息を入れた。ここからもう一伸びすれば、3コーナーから追い通しの後続は届かない――はずだった。
内を走るモデラート、ラストラプソディーら先行勢は見事に脚を鈍らせた。
だが外の馬。グレーターミューズの脚が残っている。つまりそれは道中中団に位置付けていたあの馬も脚を残している証左に他ならない。
果たしてその馬は来た。大外から豪脚を伴って。
(やっぱりこの馬か、クエスフォールヴ!)
残り150mほど。ついに交わされた。
だがまだ盛り返せると思った、その時だった。
手綱を通して伝わるマルッコの常ならぬ感情。
なんだ、と思った次の瞬間、マルッコの足並みが、一完歩分だけ乱れた。
「なっ!?」
ありえならざる現象。走るのを止めたのでもなく、手前を変えたのでも無い、ただの乱れ。足はまだある。ならば故障か、最悪の可能性が脳裏を横切る。しかしマルッコはそのまま速度を落とすことなくゴール板まで駆け抜けた。
ゴール後、横田はすぐに鞍から降り、脚を診た。異常は見られない、ように思えた。
「ぐるるる……ッ」
マルッコは怒っていた。喉を鳴らして、荒い呼吸を繰り返し、筋肉を隆起させながら。憤然と大地を睨みつけていた。
これに似た姿はかつて見たことがあった。結果としてスティールソードに負けた青葉賞のゴール後だ。あの時は勝ったスティールソードへ怒りを向けていた。しかし今はどうだ。これではまるで、己自身の至らなさを嘆いているようではないか。
瞬時に蘇る、直線で手綱越しに得た、あの不自然な感情。あれは、あれは恐らく――
「なあマルッコ。お前はあの時、何を迷ったんだ?」
大外から抜き去ったクエスフォールヴを見て、お前は何を迷ったんだ。マルッコ。
怒りに震える栗毛の怪馬の瞳には、決然とした意志が浮かんでいた。
「あれハ――」
マルッコの走りに何を感じたのか。スタンドで観戦するクリスの瞳に影が差す。
沢山の方に読んでいただけて本当に嬉しく思います。
次回更新も明日の昼の予定です。




