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35 雨露


 のちに六花の戦いと呼ばれるこの戦いは、禁軍が六つの方向から敵を囲い込んだことからその名がついた。

 反乱軍の八千。禁軍は二万余の掃討戦である。

 数では皇帝側である禁軍が圧倒していたが、反乱軍側には大量の人質がいた。

 名門貴族、または諸外国から輿入れした妃達である。

 彼女らの身に何かあれば、たとえ戦に勝利しようとも今後の国家運営に大きな障害になるだろう。

 地盤の安定しない元傀儡皇帝の御宇(みよ)である。

 名門代表ともいえる華翠月を幹部に引き入れたとはいえ、まだ龍宝の治世は盤石なものではない。

 彼の綱渡りの賭けは、まだ終わってはいなかった。

 龍宝は周囲が止めるのも聞かず、最も危険と思われる玄武門から突入し先陣を切る。

 銅鑼の音を合図に、各門から続々と禁軍の反撃が始まった。


「無法者ども! 余の留守に簒奪を企んだ罪、命をもって贖え!」


「陛下に続けぇ!」


「おぉぉぉぉぉぉ!」


 選抜された精鋭達は、皇帝を守るため獅子奮迅の戦いを見せた。

 驚いたのは背後を突かれた反乱軍だ。

 少数の羽林軍以外それらしい抵抗もなく入城を果たした彼等である。

 絢爛豪華な造りの後宮に、すっかり簒奪を達成させた気になっていた。

 禁軍の主力は遥か北方の地。

 そう考えていたのだから驚きはひとしおだろう。

 彼らは元々、金に雇われた者も多い急造の軍隊。

 指揮官の指示を聞かず、急いで離反しようとする者が多く出た。

 外廷に逃げ込もうとした彼らを、待ち受けていたのは禁軍の主力。一万の軍勢である。

 そこで実に反乱軍の半数が切り殺されるか、禁軍の虜となった。

 時を同じくして、離宮や房室に監禁されていた嬪妃も次々と保護されていった。

 彼女達が幸運だったのは、禁軍が反乱軍の入城から間もなく突入を開始したことである。

 宦官によって拘束された彼女達は、劇的な突入劇によって誇りを汚されずに済んだ。

 また、宦官は女官達の数の多さに対応しきれなかったらしく、主だった妃以外の女官は房に隠れて震えているところを、禁軍によって保護されるものが多かった。

 この時助けた者と助けられた者の間で多くのロマンスが発生したのだが、それはまた別の話である。



 一方いち早く後宮に乗り込んだ龍宝は、捨て身で切りかかってくる雑兵達を片付けつつ、雨露を探していた。

 禁軍の圧倒的優位とはいえ、首謀者である雨露は一筋縄ではいかない老獪な俗物だ。

 己の利益のためならどんな汚いことも平然とする男である。

 龍宝は胸の裡にわだかまる嫌な予感と戦いながら、必死で剣を振るっていた。


「陛下!」


 呼ばれて顔を上げると、そこにいたのは翠月だった。

 彼は後宮の西側、嘉獣門から入城した部隊と行動を共にしていたはずである。。

 本来のところ御史大夫は荒事と関わりのない文官だが、龍宝が自らその剣の腕を見込んで任じたものだ。

 本人も自らの娘が心配だからと了承した。

 結婚もしていない彼だが、龍宝の後宮に入れるため養子にした、年の近い義理の娘がいる。

 並ぶと花のように美しい二人だが、娘の方が持つ感情は父への思慕ではないだろうと、龍宝は気が付いている。

 気づいていて何も言わないのは、それが自分の立ち入るべき範疇ではないと心得ているからだ。

 そして翠月は、文官ながらに見事嘉獣門の奪還に成功したらしい。

 東側の東宮は無人だからいいとして、太倉のある西側は物資確保のため多くの兵が割り当てられているたはずである。

 それをなんでもない顔で成し遂げてきたのだから、文官にするにはいささか惜しい人材だったかもしれないと龍宝は思った。

 彼の余裕とは裏腹に、その胸当ては返り血で真っ赤に染まっている。


「男ぶりが上がったな」


 龍宝が冗談めかして言うと、翠月は不機嫌そうな顔を隠しもしなかった。


「それより雨露はいたか? あの爺、どこに隠れてやがる」


 美しい顔には似つかわしくない、荒い口調と獰猛な眼差しだ。

 先ほど目の前で泥まみれの妹が龍宝と抱き合っているのを目撃し、必要以上に気が立っているらしかった。

 まるで地獄からの使者とでもいわんばかりの迫力で、彼と一緒に入城した兵士達さえ怯えさせる始末である。


「まだだ」


 雨露を捕まえたら戦勝を知らせる銅鑼を打ち鳴らす手はずだが、未だに銅鑼は鳴らない。逃げ惑い或いは立ち向かってくる反乱軍の中にもそれらしい影はなく、禁軍は血眼になって戦の首謀者を探していた。


「おかしいな。とっくにつかまっていてもいい頃だ。どこかに隠れているか、或いは―――」


「己だけ特殊な法を使って逃れたか……」


 周囲を見張らせながら、二人は意味ありげに視線を合わせた。

 あらかじめ捜索させておいた、雨露の城下の邸第は空だったと既に報告がきている。

 邸第には地下があり、以前深潭が戻ってこないと言っていた細作達も物言わぬ体でそこにいた。


「後宮に門以外の逃げ道はあるのか?」


 おもむろに翠月が言った。

 龍宝はしばらく考え込み、言いづらそうに口を開く。


「口伝で語り継いでいる抜け道が、あるにはある。あの男は元内侍監だ。知っていてもおかしくはない」


「他に考えられる場所もない。その抜け道とやらはどこにある?」


「一応門外不出ということになっているのだが……」


「そんなことを言っている場合か!」


 二人が言い争いをしている間にも、彼らの周囲を守る兵士達が自棄になって向かってくる反乱軍を捌いていく。

 流石禁軍の中でも精鋭とあって、その剣に疲れや迷いのようなものは見られない。


「……蓬莱山の、石碑の下だ」


 龍宝は記憶を手繰るように、ゆっくりとそちらに視線を向けた。

 後宮の真ん中には、舟遊び用の池がある。その名も太液池といい、敷地内とは思えないなかなかに立派な大きさだ。

 最深部は深さは六尺(約二メートル)に達し、大人の男でも足がつかないほどだ。

 勾玉の形をした池の真ん中には島が浮かんでおり、仙界を模してその小島が蓬莱山と呼ばれている。

 二人は各々の部下を連れ、太液池へと急いだ。

 すると雨で増水した池の中に、身を潜めるように人影が二つ。

 攻寄る軍勢に気付いたのか、濡れそぼり貧相ななりをした老人が、水の中から蓬莱山に上がってくる。


「雨露!」


 もう一人、這いつくばるように池から上がったのは女だ。

 薄紅色の襦裙が、金魚のひれのように池の中に広がっている。


「瑞英!」


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