34 あなたに寄り添うように
殺されるんじゃないかと思ったら目の前に黒曜が現れて、抱き上げられた。
黒曜のキラキラの鎧に泥がついては大変だと思ったのだけれど、逃げる隙も無かった。やけに熱っぽい目に見つめられて、一瞬時間が止まった。
そして抱きしめられる。
大勢の前で恥ずかしいとか、そういうことも思ったはずなのに。
そのがっしりとした感触に、ようやく頼るべき人が帰ってきたのだと感じて泣きたくなった。
「ごほん」
と、その心地に酔っていたら深潭に釘を刺される。
私は飛び上がって黒曜から離れた。
今はこんなことをしている場合じゃない。
「あの、あのっ」
驚いたことに、黒曜の後ろには先ほど咳払いをした深潭と、それから余暉までいる。どちらも見慣れない鎧姿で、少し恐くなる。
「鈴音、一体どうしてこんなところに?」
余暉が一歩前に出てくるが、深潭はそんなこと心底どうでもいいというような顔をした。
「陛下、早くお戻りください。兵達の前でこんなことをしていては士気にかかわります。何より今は時間がない」
厳しい言葉に、私も一気に現実に引き戻された。
(そうだ。今は驚いたり喜んだりしている場合じゃない。後宮が大変なことに!)
「黒曜! 後宮が大変アル! 宦官達が突然っ、お妃様達を……っ」
私がそう言うと、向かい合う三人の顔が険しいものになった。
その後ろにも何人か人がいるようだ。
全員が鎧姿で剣を佩いていて、辺りには物々しい空気が漂っている。
「そうか奴ら、玄武門から……」
余暉の呟きを遮るように、黒曜が口を開く。
「玄武門の守備はどうなっている?」
すると間髪入れずに、見知らぬ鯰髭の男性が答えを口にした。
「左右羽林軍。平常時と同じく警備を行っております。玄武門から侵入するには竜山を登らねばなりません。そう簡単には……」
「それはあくまで平常時の場合でしょう。宦官が雨露の味方に付いたとなれば、話は変わってきます」
深潭が冷静に返す。
彼らが何を話しているのか、半分も理解できない。
ただ何かとんでもないことが起きている。肌にびりびりと伝わってくる緊張感で、そのことを痛いほど感じた。
「た、助けて! みんな恐い思いしてる、です!」
知らせなくちゃと思っていたことを口にしたら、涙が溢れ出てきた。
服どころか、顔までぐちゃぐちゃになり、きっと今の私はとんでもないことになっている。
「分かっている。心配するな」
肩に置かれた黒曜の大きな手を、これほど頼もしいと思ったことはない。
彼を支えたいなんて大それたことだった。私がつまらないことでうじうじ悩んでいる間に、彼は一人でどんどん立派になっていたのだ。
「今から後宮に突入する。全軍を二分し、その一方を五つに分けて玄武門、安礼門、玄徳門、嘉獣門に振り分けよ。敵を炙り出し、飛び出してきた者達を残りの者が迎え撃つのだ」
後宮の北、東、西にある各門を指定し、黒曜は冷静に指示を出していった。
すぐに周囲にいた人たちが慌ただしく動き始める。
立つことを許された兵士たちが、上官の指示に従って速やかに移動していく。
黒曜の背中が、去っていこうとしている。
呼び止めていい場面じゃないと分かっていたけれど、私はつい彼の名前を呼んでしまった。
まだ呼びなれない、本当の名前。
「……龍宝」
振り向いた長身と目が合う。
こんなに沢山味方がいるとしても、本当は危ない場所になんて行ってほしくない。
けれど後宮には春麗や子美がいる。他の女性たちを助けてほしいと思う気持ちも本当だ。
「無事に、帰ってきてください。どうか……」
言えたのは、それだけだった。
誰かに呼ばれたのか、返事はなく黒曜は去っていく。
立ち止まっている私を残して、誰もかれもが目的のために動いていた。
まるでスクランブル交差点の真ん中にでもいるみたい。
人ごみの中にいて感じる、どうしようもない孤独と不安。
「おい、女!」
声を掛けてきたのは、先ほどの白髪混じりの“将軍”だった。
何事だろうと見返すと、彼の手には先ほどの釵が握られている。
「取り上げて、悪かったな」
不愛想にそう言って、釵を渡すと彼はすぐどこかに行ってしまった。
それどころではないというのに、きっと優しい人なのだろう。
私は戻ってきた釵を握り締め、兵士たちの邪魔にならないよう壁際へ移動した。
(どうか、間に合いますように。みんなが無事でありますように!)
両手で握った釵に、必死に祈る。
不意に、耳元に春麗の言葉が蘇った。
―――葉は花を想う。花は葉を想う。
祈ることしかできないけれど、私はずっと、あの人を想っている。




