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30 反乱の終わり


 龍宝の愛馬、雪原公主は不服そうだ。

 それもそのはず。

 戦場にはありえないことだが、龍宝は彼女の背に二人乗りしている。

 後ろにしがみついているのは芙蓉。

 一緒に行くと言って、彼女が聞かないのだから仕方ない。


「こちらの方が兵力は圧倒的とはいえ、何があっても知らないからな!」


 怒鳴りつける龍宝に、気圧されるような芙蓉ではない。


「望むところだい! アンタ達だって玄冥宮の造りに詳しい人間がいた方が好都合だろ!」


 と、どうどうと言い返す。

 もう何度も繰り返されたやり取りで、周囲の兵士達が芙蓉を見る目もすっかり変わった。

 最初はうっとりとその美貌を見つめていたものだが、今は関わり合いになりたくないとばかりに目を逸らしている。


「……誰だこの女を傾国だなんていったのは。暴君の間違いじゃないのか」


「はあ、なんだってぇ?」


 この二人は元々仲がいいわけではない。

 お気に入りの化粧師を奪った方と奪われた方で、どちらかといえば龍宝の分が悪いのだ。

 一応自分は天子だぞと思わないでもないが、そんな論理がこの女傑に通じるとも思えない。


「お二人とも、そろそろ集中なさってくださいね」


 仁貴の何度目か分からない注意が入る。

 禁軍は既に虎柵県の中に入っており、玄冥宮が視認できる位置まで来ていた。

 早朝のこと。虎柵県の街は靄に包まれ静まり返っている。


「怯むな行けー!」


 先鋒を務めるのは天幕に直訴に来た男だ。位で言うと虎柵県の指揮官より上の長吏というところである。

 作戦通り反乱軍は動揺しているようだ。その証拠に弓の飛来がない。

 前もって戦闘に備えてあれば、いつでも弓を発射できるよう見張り台に弓兵を配置しておくはずである。


「ははあ、やつら玄冥宮に逃げ込むのが精一杯で、備えも十分ではないと見える。この戦勝ちましたな」


「だからといって油断するな。追い詰められた相手は何をするかわからんぞ」


 仁貴の言葉に活を入れながら、龍宝はもやもやとした違和感のようなものを感じていた。


 (いくら何でも、静かすぎる 敵軍がここまで入り込んでいるのに、抵抗がないなどありえるのだろうか?)


 不意を突かれたのならばむしろ、慌てて迂闊な兵が飛び出してきてもおかしくない。

 それがどうだ。

 玄冥宮はまるで人っこ一人いないかの如く静まり返っている。


「芙蓉」


「なンだい?」


 龍宝の問いかけに、芙蓉は静かな返事を返す。


「お前の話に出てきた男というのは、どんな男だった?」


 龍宝は芙蓉からあらかじめ、皇太后とのやり取りを聞かされていた。

 話に出てきた芙蓉を倉庫から助け出した男というのは、皇太后への対応から見ておそらく反乱軍の首謀者だろう。

 ただの徴兵の一人かと思っていたが、なぜか今になってその男の存在が気になった。


「そうさねぇ、眉の太い厳つい面サ。年の頃はアンタより少し上かね。ちょうどそこの鯰将軍と同じぐらいサ」


 鯰将軍と呼ばれた仁貴は目を白黒させる。

 その時だった。



「榮国禁軍の皆々様ァ!」



 とんでもない大声だ。

 それは木霊となって、禁軍の隅々にまで届いた。


「ああ、あの男だよっ」


 後ろで芙蓉が驚きの声を上げる。

 これが驚かないでいられるだろうか。

 まさか反乱軍の大将がたった一人、供もなく玄冥宮の屋根に立っている。

 居並ぶ兵士達の間にも、驚きが広がっていく。


「この度の戦、わたくしの負けでございます。虎柵県鎮戌校尉馬鉄、この命を以て世間を騒がせたお詫びをいたします!」


 すると男は、するりと刀を抜いた。

 遠目にも偽物ではなく人を切る能力を持った刀であることは、見て取れた。


「仁貴、させるな!」


 龍宝の命令に応じたのは、仁貴ではなかった。

 彼の部隊にいた弓の名手が、目にも止まらぬ速さで弓を射る。

 矢は美しい放物線を描いて、見事馬鉄の右腕を射抜いた。

 弾き飛ぶ刀。

 馬鉄が虚を突かれたその時、龍宝は声を張り上げた。


「馬鉄とやら! 貴様には生きて、この度の戦の首謀者を吐いてもらう。簡単に死ねると思うな!」


「へ、陛下!」


 動揺した仁貴の声がする。

 わざわざ目立つような真似はしてくれるなと、彼の声音には狼狽が混じっていた。


「首謀者は俺だ! 他の者に罪はない!」


 居並ぶ兵士達は、茫然と男を見上げるより他ない。

 男のすぐ足元まで来ていた先ほどの長吏が、そのやり取りに苛立たし気に参戦する。


「ふざけたことを申すな! 反乱を起こした者は全て例外なく、九族皆殺しと決まっておる! お前一人ではなくその家族も、部下の家族も、探し出して皆殺しにしてくれるわっ」


「ならば致し方ない!」


 馬鉄がそう叫ぶと同時に、玄冥宮の建物から火の手が上がった。

 あらかじめ油でも撒いておいたのか、火の回りは異常なほどに早い。


「巻き込まれるぞ、退けぇ!」


 仁貴が声を張り上げた。

 命令を行き渡らせるための太鼓が、どんどんと打ち鳴らされる。

 炎は一瞬にして屋根まで届き、靄に濡れていた建物からはじゅわじゅわと蒸気が上がった。


「皇帝に伝えよ! 我ら榮の礎とならん! 貴様が奢り国を乱せば、鬼神となって三度(みたび)地上に戻らん!」


「おぉぉぉぉ!」


 馬鉄が叫ぶと、玄冥宮の内から野太い賛同の声が上がった。

 反乱軍は敗北を覚悟し、全員玄冥宮を枕に焼け死ぬつもりらしい。

 ざわざわと、禁軍の兵士達に動揺が走る。


「周囲に燃え広がらないよう木を切れ! 急げ!」


 龍宝が指示を飛ばす。


「待ってよ、あの中にはまだ妈妈が……っ」


 芙蓉の言葉が、不自然に途切れた。

 それは馬鉄のいる屋根の上にもう一人、戦場には似つかわしくない女が現れたからだ。

 彼女は馬鉄の手を借りて瓦の上に這い上がると、攻め寄せる軍勢を見下ろして言った。


「青児! おめおめとこんなところまでよく来たこと。とっとと竜宝に戻りや。欲の張った閹人に、国を掠め取られたくなくば!」


 皇太后の登場である。

 禁軍は王都に駐屯する中央軍という性質上、皇太后の顔を知る者も多い。


「おいあれ……」


「まさか皇太后か!?」


 様々な憶測が兵士たちの間で飛び交う。

 事前にこのことを知らされていなかった指揮官たちもまた、愕然とした。


「毒婦が! 似合いの死に様だ!」


「おうおう! 冥府で閻魔にでも媚びを売るんだなぁ!」


「これっぽっちの兵で国を取り戻せるとでも思ったか!」


 皇太后に反感を持つ禁軍の兵士たちが、続々と卑下の言葉を投げつける。

 黒煙がもくもくと立ち上るさなか、その場は一種異様な興奮に包まれていた。


「静まれ!!」


 龍宝が叫ぶ。

 よく通る声だ。

 醜い罵声が途切れ、パチパチと玄冥宮が燃え崩れる音だけが残る。


「妈妈!」


 人々の沈黙を、悲痛な芙蓉の叫びが切り裂く。


「最期の最期まで、どうしてそう勝手なの!? 冷たくされたからって私がアンタを見捨てると思ったら、大間違いだよっ。そんぐらいの覚悟なら、はじめっからこんな北の果てについてきたりしないんだよ!」


 それまで、炎の中でも気丈に立ち続けていた皇太后の表情が、わずかに崩れた。

 しかし彼女は何も言わない。

 すると芙蓉はおもむろに、歌を歌い出した。

 臘日の宴で披露した、故郷を想う詩人の詠んだ古歌だ。

 琵琶はないが、騒めきや炎の勢いにも負けず、その歌は皇太后の耳にまで届いた。



 ぜひ会いにゆきたいが、故郷は遠く、旅費もない。

 この不甲斐ない有様では、母に合わせる顔もない。

 母よ。体を壊してはいないか? 生活に困ってはいないか?

 望郷の思いは募るばかり。

 母よ。叶うのならば、もう一度会いたい。

 母よ。その腕に抱かれて、故郷の土で眠りたい―――……。



 何かに堪えるように、皇太后が細い体を折る。

 そして玄冥宮の中からは、故郷を想って泣く男たちの声が響いた。

 しかし外からでは、もうなすすべはない。

 炎はいよいよ高く燃え上がり、玄冥宮のすべてを飲み込もうとする。


「佳佳……幸せに!」


 最期にそう叫んで、女の姿は炎の中に消えた。

 その壮絶な有様に、皇太后を汚く罵った兵士たちもまた、言葉を無くして茫然と立ちすくんでいる。

 龍宝の背中では、おいおいと国一番の妓女が泣く。

 虎柵県で起きた反乱は、そうして予想外の形で幕を閉じたのだった。


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