24 龍宝の計
紫微城の一角。
まるで光を恐れるように、暗がりで男たちは言葉を交わす。
「陛下が王都を空けている間に、あの宦官めいよいよ仕掛ける気だな」
顰められた声には、相手の出方を窺う狡猾さが滲んでいる。
「どちらにつくか、慎重にならねば。華家の当主を陣営に迎え入れたとはいえ、陛下の影響力はまだまだ弱い」
「一方賤露は皇太后を通じて富を蓄えている。味方する者も少なくないはず」
「全く、陛下はどうしてこんな時に親征など……わざわざ己の武勇を示すよりもまず。王都でやることがあるだろうに」
「若さゆえというやつだろう。臘日、後宮を軍勢でもって取り囲み、皇太后殿下を蟄居、雨露を謹慎させたまではよかったが、その後がどうにもよくないな」
彼らは官吏の中でも、年長で位の高い者達である。
傀儡だった頃の龍宝を知っているためか、どうにもその論調は厳しいものだ。
更に親征の間人事を任された華家の若者によって、老いた者はどんどん閑職に追い込まれているのもまた、彼らの不満を煽っていた。
若く家格の低い官吏が次々と抜擢され、要職についている。
これで実際に政治を行う上層部は一気に若返り、滞っていた案件も次々に動き出していた。
ゆえに華翠月の若者達からの支持は大層なものだったが、今まさに追い落とされようとする古参の者達には大層面白くない展開だ。
ゆえに彼らは口を閉ざし、雨露からの使者があってもその事実を黙っていたのである。
雨露の企みは、龍原の都を滅ぼしかねない過激なものだった。
老いた者達は互いを監視し合い、周囲が雨露に転ぶのなら後れを取らないようにせねばと焦っていた。
彼らは言葉の端々に罠を仕掛け、相手がそれにかかるのを辛抱強く待っている。
主不在の紫微城は、そんな不穏な空気に包まれていたのだった。
***
結果から言うと、龍宝の策は呆気ないほどに上手くいった。
禁軍の早すぎる到着で浮足立っていた反乱軍は、城内の人心掌握をする暇もなかったと見える。
龍宝が放っていた細作達は、虎柵県の住民に対してあらかじめ噂を流していた。その噂というのは、皇帝は寝返った者に対して罪に問わず、その財産も保証するというものである。
極めつけは城壁の外で日夜繰り広げられる飲めや歌えの大宴会で、その呑気な様子に安心して寝返る者が多数出た。
龍宝はあらかじめ流してあった噂のとおり、彼らを保護するだけでよかった。とはいっても一つの都市の住民が逃げてくるのだから大事である。
龍宝は金に糸目は付けず、足りない物資は周囲の都市まで買いに走らせた。
軍馬に荷馬車を引かせ、食糧、人、布、木材。なんでも運ばせた。
おかげで虎柵県の周辺では酒と米が高騰し、突然の好景気が訪れた。おこぼれに与ろうと、誰もが競って禁軍の宿営地に向かったほどである。
人というのは逞しいもので、半月も経たぬ内に虎柵県の内部は半分以上がもぬけの殻。城壁の外では簡易の建物が建ち、物売りや民妓まで姿を見せるようになった。
この頃になると城門はすっかり開かれ、反乱軍はかなり数を減らしている。
しかし一方で、思うようにいかないこともあった。
追い詰められた反乱軍は厄介なことに、玄冥宮に陣を敷き立て籠もったのだった。
古く設備もずさんな玄冥宮は、籠城にふさわしい建物とは言い難い。そこに敢えて陣を敷いたというのであれば、反乱軍は玄冥宮の特殊な事情を知っているということである。
「厄介なことになりましたな。もしやと、考えてはおりましたが」
仁貴が重い溜息をつく。
広い天幕は龍宝と彼の二人きりだ。
そして禁軍の中で、玄冥宮に皇太后がいると知っているのもこの二人だけ。
軍を野蛮だと嫌っていた皇太后には、未だ敵意を持つ将官は少なくない。玄冥宮に彼女がいると知れれば、反乱軍鎮圧にかこつけて彼女に害をなす者が現れるかもしれないと、龍宝達はあえてこの情報を自分達の胸の裡に留めておいたのだ。
それ故、反乱軍が籠城には向かない玄冥宮に陣取ったことを不思議がる者や、一刻も早く攻め込むべきと進言する者が後を絶たない。
思いの他上手くいきすぎてしまった成り行きは、龍宝に考えていたよりもずっと早い決断を迫っていた。
「虎柵県には、玄冥宮よりよほど籠城に向いた砦が他にある。それをわざわざ選んだということは、反乱軍の指導者はあそこに皇太后がいると知っていたのだろう。あの女が指導者としてそこにいるのか、それとも人質としてそこにいるのか、それは分からんが……」
龍宝は顔をしかめた。
虎柵県で反乱と聞いた時から、これは想定された事態ではあった。
問題は皇太后が政権を取り返すため主導的に起こした反乱か、それとも他の者の企みにただ巻き込まれただけなのか、という点である。
前者であれば次こそ間違いなく首を落とすところだが、後者であれば義理の息子としてその命を救わねばならない。
それは龍宝の感情とは無関係に、皇帝が順守すべきとされる徳や礼に則った判断であった。 これは榮の建国当初から、国家運営の上で最も優先される理念とされている。
諸官に敬を求める天子が自ら孝を破り令を乱すわけにはいかず、それこそが龍宝を悩ませている題目であった。
皇太后など関係なしと玄冥宮に攻め入るのは簡単だが、そこで彼女が死ねばのちにことが公になった時、龍宝を非難する者もあるだろう。それで戻り始めた人心が、再び離れてしまう可能性もある。
徳や礼というものは美しい理想でありながら、時としてこのように不自由を強いるものでもあった。
(だが)
そして思い悩む龍宝の思考の一片に、引っかかる木の葉のように纏わりつく思いがある。
(あそこには、芙蓉もいる。あれになにかあれば、鈴音は悲しむだろう)
頭から切り離すべき些事と思いながらも、思い悩む龍宝の脳裏からはその考えが消えないのだった。




