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22 運命の朝

 翌朝、なにやら騒がしい物音で目が覚めた。

 (子美、かな?)



 遠くで女の声が聞こえた気がした。

 まだ目が覚めたばかりで、夢か現か判断がつかない。

 昨日尚紅に泊まってくれた子美か春麗のどちらかの声かとも思ったが、それにしては距離が遠すぎる。

 雨音がしていた。

 季節外れの嵐のような、叩きつける雨音。

 そしてその中には確かに、小さな悲鳴が混じっていた。

 夜着のまま慌てて寝台から飛び出し、飾り格子の隙間から外を見る。

 雨の中霞む視界に、剣を持った男達がいるのが見えた。地味な灰色の交領襦裙。妃嬪や女官とあまりに違うその色彩は、遠目にも宦官のものだとはっきり分かる。

 一瞬恐怖と驚きで身動きが取れなくなった。


 (まさか、ついに雨露が?)


 そう思った時、突然後ろから口を掴まれた。

 驚きで心臓が止まりそうになる。

 こわごわ振り向くと、私の口を押さえているのは春麗の手だった。

 外から見えないように姿勢を低くし、宦官に聞こえないよう春麗が囁く。


「鈴音様、ご無事ですか?」


 春麗は流石に、この異常事態の中でも落ち着いていた。

 どうにか落ち着きを取り戻した私は、こくこくと頷いて無事を知らせる。

 いつの間にか子美も起きていて、青ざめた顔でこちらを見ていた。それでも懸命に冷静であろうとしているのが、見て取れる。


「とにかく、ここは危険です。すぐに離れなければ」


 春麗に促されるまま、私達は尚紅の外に出た。

 強い雨脚が、無防備な夜着に叩きつける。

 夏も目前とはいえ、その冷たさには体が竦む。


「傘を差しますと目立ちますから、しばらく辛抱してください」


 春麗は私と子美の頭から大きな灰色っぽい布をかぶせると、足早に私達を誘導した。

 彼女の手を頼りに、私たちは雨の中を走る。

 木々の陰に隠れながら走る内に、華妃の房の脇を通りかかった。

 中からは悲鳴が聞こえ、思わず立ち止まってしまいそうになる。


「鈴音様。今は走ってください」


 春麗の言葉に、萎えそうにある足で再び走り出す。

 悲鳴が華妃の声でなければいいなと思ったけれど、記憶を手繰っても彼女だったかどうかは判断できなかった。

 何度か宦官達と鉢合わせしそうになりながら、私達はやっとの思いで人気のない果樹園にたどり着く。


「こちらに、旧知の宦官がおります。そこで一時匿ってもらいましょう」


「そいつ、信用できるの? あいつらの仲間かもしれないじゃないっ」


 必死に声を殺しながら、子美が言った。

 私より小さな彼女の体もまた、がたがたと震えている。

 それがとても可哀想で、私は彼女の肩に手を回した。


 (春麗に守られてるばかりじゃだめだ。私が二人を、守らなくちゃ)


 必死に自分に言い聞かせると、少しずつ頭が冴えてくる。


「権力に興味のない変わり者です。おそらくその心配はないでしょう。それに彼らもまさか、全ての女官を捕まえられるとは思っていないはず。そこまで恐れることはありません」


 こういうとき、春麗の冷静さには救われる。

 先の見通しが立ったことで、早鐘のようだった鼓動が少しだけ落ち着いてきた。

 その時だった。

 尖った神経に、天を劈くような悲鳴がとどろく。


「いやぁぁぁ!」


 聞き覚えのある声だった。

 気づけば、私は走り出していた。


「鈴音様!」


 春麗の声が背中に聞こえるが、どうしても立ち止まるわけにはいかなかった。

 人気のない果樹園の中で、声の主はすぐに見つかった。

 剣を振り上げる宦官と、地面を這い泥の中を逃げ惑う女性―――賈妃だ。

 私はぞっとした。

 面識のある人が、目の前で殺されようとしている。


 (ええい、一か八かよ!)


 運よくこちらに背を向けていた男に、体当たりをする。

 不意の攻撃に驚いた男は、そのまま体制を崩し、もんどりを打って倒れた。

 起き上がろうとしてくるのを、そのまま泥の中に顔を押さえつける。

 とにかく必死で、何がどうなるかなんて考えていなかった。


「賈妃も手伝ってください! 早く!」


 私一人では振り落とされそうになり、唖然としていた賈妃の手を借りる。

 二人係で必死に男の頭を押さえつけていると、ようやく静かになった。

 恐る恐る手を離しても、起き上がってくる気配はない。


 (死んじゃった、の?)


「ご無事ですか!?」


 ちょうどその時、春麗と子美が追いついてきた。

 春麗は一瞬にして事態を把握すると、うつぶせのままの男をひっくり返して脈をとった。


「死んではいないようです。仲間が探しに来るといけませんから、早くこの場を離れましょう」


 男が生きていると聞いた時、自分で思っていた以上にほっとしてしまった。

 そして私たちは賈妃を連れて、改めて春麗の知り合いの元へと急いだ。


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