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《ミニシリーズ・領主の娘 2》まだ見ぬ未来

「やっぱりアンジェリーナって、お兄様に似てるわ…」



 城塞街の程近くにある、ジェラルドの妹ベアトリスのモイエ伯爵邸にカレンはいた。


 今季の冬は、国全土で流感が大流行していた。

 ダヴィネスもその例外ではなく、特に人が集まる城塞街やダヴィネス城ではあっという間に流行ってしまった。


 カレンは冬の初め、早々に流感にかかった。

 妊娠しているためきつい薬は飲めなかったが、幸い大事には至らず2週間ほどで完治し、ジェラルドをホッとさせたが、次はアンジェリーナが罹患した。


 ダヴィネス城の使用人や軍部も次々と罹患し、一時は城が回らないのではと危惧されたが、辛うじてやり過ごし、今は全体的に落ち着いた状態だ。

 逆に城塞街や近隣の地域では勢いが収まらず、そちらへの対応にも追われていた。


 ちなみに、ジェラルドは一度も罹患していなかった。


 この度の流感は、一度かかると二度目は症状が軽い。かといってまだ流行はしている。

 ジェラルドは大事を取って、カレンとアンジェリーナを、妹の家へ預けていた。




「似てるって…見た目ではなく?」


 ベアトリスの発言にカレンは返した。


 モイエ邸の居間で、カレンとベアトリスはお茶の時間だ。


 二人の目線の先には、アンジェリーナ、ベアトリスの息子のジェームズと娘のアメリア、フリードとパメラの娘のソフィアが遊んでいる。


 パメラの邸では、今まさに流感が猛威を奮っており、パメラはダウンしていた。アンジェリーナとソフィアはしょっちゅう一緒にいるので、城詰めのフリードに頼まれ、ついでにソフィアもモイエ邸で面倒を見てもらっていた。


「ええ。だってカレン様、この子達の様子…」

 ベアトリスは四人の子ども達を興味深く見る。


 カレンも連られて子ども達を観察し始めた。


 ほぼ同い年のアンジェリーナ、ジェームズ、ソフィアは、母達の集まりなどで幼い頃からよく一緒に遊んでいる幼馴染みだ。皆、家族同然と言ってもいい。


 四人の子ども達はそれぞれの遊びに興じている。


 ジェームズは最近字を覚えて、父のモイエ伯が王都から買ってきた絵本に夢中だ。

 一方ソフィアは、見た目も好みも女の子らしく、お人形遊びが大好きで、侍女に作ってもらった小さな人形用のドレスを着せ替えるのが忙しい。

 また、まだ小さなアメリアは、積み木を重ねたり崩したりしている。

 そしてアンジェリーナはと言うと…


「ねえアンジー、これってどういう意味?」

「どれ?『まぼろし』か……これはね、えーっとね、ぼやーっとしてて、夢みたいなことかな」

 ジェームズの質問に答える。


「アンジー、この子にはどっちが似合うと思う?」

「この子はこれからどこへお出掛けするの?」

「うーん…城塞街のティールームでお茶をするの」

「だったら、このベルベットのドレスなんかどうかな。あ、外は寒いからこのショールを着たらあったかだよ」

 ソフィアの人形のドレスを選ぶ。


「あう、アンジ、」

「アメリア、ちょっと待ってね…ほら、お家ができるよ。あとはここに並べてね」

 アメリアの積み木の手助けをする。


「アンジー『やまびこ』って何?」

「ねえアンジー、お茶が済んだら乗馬をするから…」

「あんじ、あんじ、おうち」


 引きも切らない。


 カレンとベアトリスは顔を見合わせて苦笑した。


 一度に三人の相手をしているが、当の本人はいたって落ち着いており、冷静に楽しげにそれぞれの対応をしている。そして、自分はなにやら地図のような物を広げている。


「ねえアンジェリーナ、それ、何を見てるの?」


 アンジェリーナは母の呼び掛けに「ん?」と顔を向けた。


「これは、城の図書室から借りたものを写しました……ダヴィネス軍の戦場の記録です」

 と、赤のクレヨンで✕や○の印を書き込んでいる。


 カレンとベアトリスは呆気に取られた。


「これは…お兄様の上を行くわね…」

 ベアトリスがポツリと呟く。



「お兄様もね、幼い頃から年上や年下の子の面倒を…今のアンジェリーナみたいによく見ていたのです。それはもうごく当たり前に」

 ベアトリスは懐かしそうだ。


 カレンは頷いて話を聞く。


「その頃は私と同じくらいの女の子が周りにいなくて、私も否応なしに兄に着いて行ってました。でもさすがに男の子のようには走ったり木登りしたり、小川を飛び越えたりはできなくて…でも兄は全く面倒がらず、ごく自然に手を繋いでくれておぶってくれて……」


 小さなジェラルドとベアトリス様…光景が目に浮かぶようだ。

 カレンは思わず微笑んだ。


「そうやって私の世話を焼きながらも、仲間の男の子の相手はちゃんとして、遊んでるんです。私と一緒に木の実を拾ったら、種類を分けるように言って、男の子達と木登り競争をして木から降りて来ると、男の子達は剣にする枝を探してる…丁度私も木の実を分け終わってて、今度は分けた木の実を葉っぱのお皿に乗せておままごとのディナーの準備をさせてくれたり…」


 …なんてマメなの…!


 カレンは驚いた。ジェラルドの律儀さは幼い頃からなのだ。


「うふふ、驚かれましたか?」

 ベアトリスはカレンの顔を見て楽しそうだ。


「ええ…驚きました。それを聞くと、今のアンジェリーナって…まさに」


「ええ。ソックリでしょう?」

 ベアトリスはティーカップを持ち上げながらクスクスと笑う。

「でもねカレン様」


「はい」


「やはり“器”なんだと思いますの、私」


「え?」


 ベアトリスはニッコリと笑い、ダヴィネス家に継がれる深緑の瞳をクルリとさせた。


「“領主の器”です」


「……」

 カレンはベアトリスの言葉に微笑みながら、皆に頼りにされる我が子を眺める。


 “領主の器”……


 ここ1.2年、アンジェリーナのことで、よく耳にする言葉だ。


 カレンは小さくため息をついた。


 どういうつもりでその言葉を放つのかは、実際のところわからない。


 しかしその気があろうがなかろうが、また本人が望もうが望むまいが、領主の子どもならば避けては通れなさそうだ。

 それが例え女児であっても。


 母の目であることを抜きにしても、アンジェリーナはその年にしてはかなりしっかりしているし、とても賢い。

 そしてその行動や考え方が、驚くほどジェラルドに似ているのだ。


 カレンは薄々気づいていた。

 恐らく、アンジェリーナは確実に父であるジェラルドの背中を追っている。


 生まれた時から要塞が遊び場で、周りはすべて大人という環境で育った。

 自然と興味の矛先は騎士や兵士のそれとなる。

 …それは仕方のないことだった。

 剣技や弓技、ありとあらゆる軍に関わることに興味を抱き、なんでも知りたがり吸収している。


 早くからポニーに乗り、「ありゃポニーの乗馬じゃねーぞ。デイジー(ポニー)が気の毒だ」というアイザックの言葉どおり、アンジェリーナは早々に馬に切り替えた。

 カレンとて、男装で乗馬をしている。何も文句は言えない。

 しかしアンジェリーナのその目線の先には、ダヴィネス領主であり、ダヴィネス軍総帥である父、ジェラルドが常にいる。


 ジェラルドは意識しているのだろうか…子煩悩なジェラルドは、立て込んでいない書類仕事の際は、幼いアンジェリーナを膝に乗せて仕事をしていたし、アンジェリーナも飽きることなく父の仕事を見ていた。

 領地内へも幾度となくジェラルドと共に訪れている。


 本人は口にこそしないが、たぶん、アンジェリーナはジェラルドの後を継ぐことを望んでいる。


 カレンは、マナーや常識については口出ししても、今までアンジェリーナのやりたがることを止めたことはない。


 カレンと同様、貴族として生まれたからには、将来的には嫌でも家名を背負わなければならない宿命だ。

 ならばせめてそれまでは、好奇心の赴くままに過ごして欲しい。

 それがカレンの願いだったが、間違っていたのだろうか?


 皆の言う“領主の器”を持つアンジェリーナ……

 このままでいいのだろうか?



「カレン様?」


 ベアトリスの呼び掛けに、カレンはハッとして現実へ引き戻された。


「どうかなさいましたか?」


「いえ…。アンジェリーナのこれからのことを考えてしまって…」


 カレンの言葉に、ベアトリスは神妙な面持ちになる。


 今、カレンのお腹の中にいる子が男児か女児かによって、ダヴィネスの未来は大きく変わる可能性がある。


 領主の家に生まれたベアトリスは、そのことがわかり過ぎるほどわかっていると言っていい。

 カレンの気持ちも察することができるだけに、跡継ぎのことは軽々しくは話題にできないが、それでも領主である兄の性質を確かに受け継ぐ可愛い姪…アンジェリーナに、まだ見ぬ未来を期待せずにはいられなかった。


「…カレン様、いずれにせよ、アンジェリーナの幸せが一番ですわ。先のことは誰にもわかりませんから…」


「ええ…」


 その通りだ。

 カレンはベアトリスの気持ちが嬉しかった。


「ところで、」とベアトリスは話題を変えた。


 話は城塞街の孤児院のことになる。

 流感は例外なく孤児院でも流行っていて、物資は足りているが人手が足りていない、ということだった。


 カレンも孤児院のことは気になっており、何かできないかと気をもんでいたのだ。


「私…明日孤児院へ行ってみようかと思いますの」


「! カレン様、流感は何度でもかかります。今のお体で無理は禁物ですし…なにより私が兄に叱られます」

 ベアトリスは前のめりでカレンの説得にかかる。


 行動力のある義姉には、これまで幾度も驚かされているのだ。

 もし再び流感にかかれば、モイエ邸で預かっている意味がなくなってしまう。


「でも、見て見ぬふりはできません」


 カレンの透き通った薄碧の瞳は、強く訴えてくる。


 ベアトリスははぁ、とため息をついた。

「カレン様…」


「アンジェも行きます!」


「「え?」」


 さっきまで三人の面倒を見ていたアンジェリーナが、いつの間にか二人の側に立っている。


「行くってアンジェ、」


「私も孤児院へ行きたいです!」


 カレンとベアトリスは顔を見合わせた。


 ・


 翌日の朝。


「ベアトリス様、今日はもしものことを考えて、ひとまず城へ帰ります。もし調子が良ければ、また明日にでも参りますので」


「…わかりました。どうかお気をつけてカレン様、決して無理はなさらないでください」


 ベアトリスはカレンの説得は諦めた。

 領主夫人としての意識が強く、時に自分のことは全く省みずに行動するカレンを、ベアトリスは尊敬しているし、憧れもしている。

 何より、その志の高さは誰にも真似できない。

 誇るべき義姉なのだ。


 となれば、快く送り出すのが己の役目であると思い至った。


「アンジェリーナも無理しないでね。カレン様のこと頼んだわよ」


「はいっ。お任せください、ベアトリスおばちゃま」


 まるで小さな騎士のようなアンジェリーナの物言いに、ベアトリスは苦笑する。


「では、行って参ります」


 モイエ邸の玄関で、ベアトリスや子ども達に見送られ、カレンとアンジェリーナ、ニコルは城塞街の孤児院へと馬車で向かった。


 ニコルの手には、かごに盛られたリンゴがある。

 せめてもの差し入れとして、ベアトリスが準備してくれたのだ。


「ニコル…ごめんなさいね、あなたまで付き合わせて」


「何をおっしゃってるんですか奥様…私も孤児院の子ども達のことは気になるんです」


 ニコルの気丈な言葉が心強い。カレンは「ありがとう」と返した。



 孤児院へ着き、馬車を降りたカレンはあまりの静けさに不安を覚えた。


 いつもなら、カレンの馬車が到着するかしないかで、子ども達が駆け寄ってくるのだ。しかし、今日は誰一人外には出ていなかった。


「急ぎましょう」


 カレンはアンジェリーナとニコルを伴って孤児院の扉を開けた。


 院の中は今だかつてないほどにシン…と静まり返っている。


「どなたかおられるかしら?」

 カレンは声を掛けたが返事はない。


「私は院長室へ行ってみるわ。アンジェリーナは談話室や図書室を見てきてくれる?」


 アンジェリーナも何度も孤児院を訪れているので、勝手知ったるだ。

「わかりました!」

 言うなり、駆け出した。


 カレンは院長室のドアをノックをするが、返事はない。

 カレンはニコルと顔を見合わせながらドアを開けたが、中はもぬけの殻だ。


 となれば、宿舎棟かしら…

 それにしても、誰もいないなんて…


「あ、レディ!」


 カレンが院長室を出たところで、一人の女の子が声を掛けてきた。

 年の頃はアンジェリーナより少し上の、フェリシティという名の女児だ。

 手には水差しを持っている。


 フェリシティはカレンに駆け寄ると、律儀に綺麗な礼を取った。

 カレンはフェリシティの目線にしゃがんだ。

 幾分疲れた顔をしている。


「フェリシティ、皆はどうしたの?院長やシスターは?」


「流感にかかっている子は、全員大聖堂に集められています。院長先生やシスターもほとんどそちらへ…あ、アンジェ」


「! フェリス!」


 フェリシティはカレンの向こうにアンジェリーナを見つけたらしい。

 二人は顔馴染みだ…というか、フェリシティはアンジェリーナの“親友”だ。


 今アンジェリーナの周りで、本当の意味で対当にアンジェリーナと話ができるのは、何を隠そうこのフェリシティだった。

 フェリシティもまた、孤児院の子ども達(年上でも年下でも)の面倒をよく見ており、大変賢い子だ。

 早くから文字を習得し、とても勉強熱心で、アンジェリーナのよきライバルとも言えた。


「それでフェリシティ、あなたは?」


「あ、はい、私は宿舎で元気な子や症状の軽い子達の方を任されてて…」

「あなた一人で?!」

「はい。今は大聖堂が大変だから…」


 これは思ったより深刻な事態だ。


「城から騎士や兵士は来ていますか?食べ物は足りてる?」


「はい。子どもを運んでくださったり、水を汲んできてくださったり…とてもお世話になっています。ありがとうございます」


 フェリシティは律儀に頭を下げた。


「当然のことよ、フェリシティ。一人で偉いわ」

 カレンはフェリシティの頭を撫でた。


 フェリシティは嬉しそうにはにかむ。


「ねぇ母様、私、フェリスを手伝います!」


「そうね、そうなさい。何か足りないものがあったら遠慮なく言ってね、フェリシティ」


「はい! アンジェ、こっち」

「うん!」


 二人は宿舎の方へ駆け出した。


 カレンは立ち上がって、二人の後ろ姿を見守った。


 身分の垣根を越えた二人の友情が嬉しくもあり、頼もしくも感じる。


「さて、私達は大聖堂へ行きましょう!」

「はい」


 カレンとニコルは大聖堂へと急いだ。



「…!」


 想像はしていたが、カレンは驚いた。


 大聖堂の長椅子はすべて子ども達の仮のベッドとなり、それでは足りずに窓際にもマットが敷かれ寝ている子どももいる。


 院長をはじめ、シスター達も忙しく立ち回り、騎士や兵士達も忙しなく動いていた。


 子ども達は高い熱に苦しそうで、中には重篤な症状の子どももいるようだ。


「あ、レディ!」


 顔見知りの騎士の一人がカレンに気づいて近づいてきた。

 騎士はカレンの前でサッと騎士の礼を取った。


「ご苦労様。私もお手伝いします。ここはどんな現状ですか?」


 騎士は立ち上がった。

「はっ。重篤な子どもはあちらで……」

 騎士はカレンに説明しながら聖堂内を案内する。


「まあ! レディ!」

 振り向くと、院長が驚いている。


「院長!」

 カレンは駆け寄ってその手を取った。

 近くで見ると、かなり顔色が悪い。手の温度も高く、体調が心配だ。


「レディ…お越しくださるのはありがたいのですが…身重のお体で…」

 院長は申し訳なさそうだ。


 カレンはキッパリと首を振った。


「幸い私は元気です。皆で助け合わないと」


「レディ…」


 カレンは子ども達の症状を把握すると、看病にあたるシスターや騎士、兵士達の体調も確認して、交代で休憩を取るよう指示した。


「院長も不眠不休でしょう。私がおりますので、少しお休みになってください」


「レディ、それでは申し訳ないわ…」


「院長、今は非常事態です。あなたが元気でいてくださらないと」

 カレンは院長に休息を促した。


 カレンは引き続き、子ども達の額の布を取り替えたり、体を拭いたり、ニコルが準備してくれたリンゴのすりおろしや薬湯を与えたりとせっせと立ち回る。

 中には不安から泣き出す小さな子どももおり、カレンは抱っこしたり、あやしたりした。


 ・


 その日の夜。


 ふう…


 一日中看病に明け暮れたカレンは、ニコルにせっつかれてやっと休憩を取った。

 今は一人、キッチンの片隅でスープとパンの食事を取っている。


 料理人もダウンしているので、シスターとニコルの作ってくれた心ばかりの食事ではあるが、身に染みて美味しい。


 大聖堂にいる子ども達の中には、まだ予断を許さない症状の子もいる。

 とても帰れない状態だ。


 ニコルには明日必要な物を持ってきてもらうために、交替で城へと戻る騎士と一緒に、一旦城へ帰ってもらった。

 カレンを一人にすることに最後まで渋々だったが、非常事態だから、と納得してもらった。

 騎士には、今の孤児院の状態と自分のことをジェラルドに伝えて欲しい旨を託した。


「母様」

 アンジェリーナがひょっこりと顔を出してきた。フェリシティも一緒だ。


「あら…二人ともお食事は取ったの?」


「「はい」」


 今日は、宿舎の子ども達のお世話を二人でしたのだ。大活躍だった。

 しっかり者の二人のお陰で、症状の重い子ども達の面倒をずっと看ることができた。


「アンジェリーナ、フェリシティ、こちらへいらっしゃい」


 二人は素直にカレンへ近づく。


 カレンは二人の小さな手を取った。

「二人とも本当にありがとう。偉かったわね…こんなに素敵なお姉さん二人がいて、みんな心強かったでしょう。私も助かりました。誇りに思います」


 二人は揃って嬉しそうに微笑む。


 カレンは二人の額に、次々とキスをした。


「さ、もう遅いわ。お休みなさい…アンジェは…」


「フェリスのベッドで一緒に寝ます!」

 二人は顔を見合わせて笑う。


 大変な状況の中でも、頼もしい娘はちゃっかりとお楽しみを見つけたようだ。


「そう。フェリシティ、お世話になります。この子…あまり寝相が良くないから…」


「大丈夫です、レディ。私も寝相はあんまり良くなくて…」

 えへへ、とソバカスの散った鼻に、くしゃりとシワを寄せた。


「ありがとう。二人ともちゃんとお布団を掛けてね」


「「はーい! おやすみなさい」」

 言いながら、二人は去った。


 カレンは微笑ましく、二人のことを思った。


 カレンはふと、鍋を掛けた暖炉へ目を向けた。


 パチパチと燃える暖炉の炎は揺らめき、キッチンの壁に影を作る。


 ジェラルド、心配してるだろうな……


 城のことはジェラルドに任せきりなのだ。

 明日にはきっと病状の良くなる子どももいるだろう。

 もう少し頑張らなきゃ…!


 カレンは気持ちを奮い立たせる。


 眠る前に大聖堂の子ども達をもう一度見て回ることにする。


 大聖堂には、シスターも幾人か居てくれるが、やはり子ども達が気になるのだ。


「!」

 立ち上がって初めて自覚したが、お腹が少し張っている。恐らく一日中歩き回ったせいだろう。


 今は気にしないことに…


 カレンはランプを手に、音を立てないように大きな扉を薄く開けて、大聖堂の中へ入った。


 大聖堂の中は暗いが、いくつもの大きな窓から月明かりが差しているので、真っ暗ではない。


 カレンに気づいたシスターに微笑みながら、ゆっくりと子ども達の様子を伺う。


 まだ熱の下がらない子どもの額の布を替えて、水を飲ませたり、布団から出た手を収めたりしながら、一通り様子を見る。


「……?」


 …蹄の音…?


 カレンは耳を済ませた。

 聞き違いでなければ、1頭の大きな馬の蹄音がする。


 もう真夜中だ。

 騎士の誰かだろうか……?


 と、大聖堂の扉が静かに開くと、ランプを手にした男性…恐らく騎士だろう…が現れた。


「……!」


 月明かりとランプのほの灯りのシルエットだけで、カレンはそれが誰だかわかった。


 ジェラルド…!


 同様に、ジェラルドもカレンに気づいたようだ。


「カレ…」「しーっ」


 カレンは慌てて人差し指を唇に充て、ジェラルドの元へと急いだ。

 ジェラルドの手を取り「ひとまずこちらへ」と囁きながら大聖堂から出ると、キッチンへと向かった。


 キッチンへ入るなり、ジェラルドはカレンを抱き締めた。

 ムスクウッディとジェラルド自身の混じった香り…その温かさに包まれ、カレンはいかに自分が気を張っていたか、改めて気づく。


「…ジェラルド」


「すまないカレン、来るのが遅くなった」


 カレンはううん、と首をふる。


 ダヴィネスの大事なのだ。

 領主であるジェラルドは寝る間もないだろう。


「カレン、よく顔を見せて」

 ジェラルドはカレンの顔を上向きにした。


 こうしてジェラルドと会うのは、実に1週間ぶりだ。


「体調は?カレン」

「大丈夫です」

「食事はとった?」

「はい、いただきました」

「しかし…」


 ジェラルドはカレンの顔をまじまじと観察しながら、その額から頬、頭を優しく撫でる。


「ずいぶん疲れた顔をしているぞ」

 ため息混じりだ。


 そう言うジェラルドこそ、あまり眠ってはいないのだろう。無精髭が生えている。


 カレンは眉を下げる。

「今日は朝から大変でしたが…でも皆で力を併せてようやく落ち着きました……ジェラルド、城や軍の方は?他の領地はどんな様子ですか?」


「城は落ち着いているし、軍や他の領地でも流行の山は越えたと報告がきている」

 あとは日にち薬だ。


「…よかった…」

 カレンは心からホッとした。


「今朝、ビーからの使いであなたとアンジェリーナが孤児院ここへ来たことを知った…気が気ではなかったが、夜の報告で泊まりだと聞いて…」


 駆けつけてくださったのね。


 カレンはジェラルドにふわりと口づけた。


「ふふ…」

「ん?」

「ちょっと、チクチクします」

「ふっ、顔を合わせる度にモリスに顔をしかめられたが、暇がなかった」


 モリスはいつもジェラルドの髭をあたっている。しかめっ面が目に浮かぶようだ。


 カレンはジェラルドの無精髭の顔も感触も大好きだ。

 ふざけてハムハムと唇を充てる。


 微笑み合うと、そのまま頬同士をピタリと沿わせて抱き合う。


「…アンジェリーナは?」

「元気にしています。大親友とのお泊まりで、楽しそうでした」


 ジェラルドは少し考えて、カレンの顔を見る。「フェリス?」


 カレンは頷く。

 アンジェリーナは、城でもよくフェリシティの話をする。


「あの子はいつでも前向きで…自分の役割をすぐに見つけて、頼もしい限りです。お友達もたくさんいて」

「友達は一生の宝物だ」

「そうですね」


 その後、ジェラルドはまだ食事をとっていないと言うので、カレンと同じスープとパンの簡単な食事を済ませた。


 夜も更け、孤児院はシンと静まり返っている。


 二人のいるキッチンには、暖炉の灯りが変わらずゆらゆらと揺らめく。


 目が冴えているのか、カレンはまだ眠くならない。

 ジェラルドもそのようで、二人は何をするでもなく、狭いキッチンで久しぶりの二人きりの時を過ごす。


「昨日、ベアトリス様から小さな頃のジェラルドのお話を聞きました」


「まったくアイツは…どんな話?」


「ふふ、ジェラルドによく面倒を見てもらったって…とても懐かしそうで嬉しそうでしたよ?」


「そうだな…ビーはいつも私達の後をついて回っていた。運動神経は…まぁいい方ではなかったが…チョコチョコと走り回っていたな」

 懐かしそうな目が優しい。


「…アンジェリーナが、あなたによく似てると言われてました」


「私に? この瞳だけではなくてか?」


 カレンは頷く。


「律儀で面倒見の良いところ…今日もジェームズ達の相手をしながら、自分はダヴィネス軍の戦地の地図を見ていました」


「我が娘ながら、アンジェリーナにはいつも驚かされる。あの年頃の私はよく親父に叱られていたものだが…戦地の地図か…まるでいっぱしの騎士のようだな…」


 カレンは、ドキリとする。


 ジェラルドから見たアンジェリーナは、恐らく自由気ままな可愛い娘だ。

 いったいアンジェリーナの資質について、どこまで把握しているのだろうか。


 カレンは、思いきって聞くことにした。


「アンジェリーナは、ダヴィネス軍やあなたのお仕事にとても興味があるみたいです。生まれ持った環境以上に…」


 カレンの言葉に、ジェラルドは一瞬ハッとした。


「カレン、アンジェリーナは女児だ。いくら資質があっても、ダヴィネスを背負わせる訳には……」


 …そうよね…


 でもやはり、ジェラルドもアンジェリーナの器を見抜いているってことだわ。

 軍の人達も、ジェラルドによく似たアンジェリーナの資質に気づいている。ジェラルドが気づかない訳がない。


「…わかっています」


 口ではそう言いながらも、カレンは万にひとつの可能性でもあるならば、アンジェリーナにとって、引いてはダヴィネスにとっての全く新しい未来を思わずにはいられなかった。


 ・


「ふふ、レディに誉められちゃったっ」


「だって、フェリス、すごいもん」


 狭いベッドに体をくっつけ合い、アンジェリーナとフェリシティはお喋りする。


「…ねぇ、アンジェ」


「ん?」


「アンジェは領主様の子どもだし、貴族だけど…将来はどうしたいの?」


「うーーん……」


「やっぱり、どこかのお貴族様と結婚するの?」


「わかんない…けど、なんか違う気がする」


「だよね」


「フェリスは?」


「私孤児だよ? 将来に夢なんかないけど…でもそうだな、もっと勉強したら、なんかにはなれるかなって」


「なれるよ! フェリス頭いいもの」


「あんたの方がいいよ」


「絶対フェリスだよ」

「アンジェだよ」


 二人の少女は、顔を見合わせてキャッキャウフフと笑い合う。


 互いのことを互いよりよく知る二人。


 この二人の友情は、生涯揺らぐことはなかった。

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