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愛しのガヴァネス(5)

 かつての王都で、ウィンダム公は最初こそ植物園やアートギャラリー、オペラ等の王都でしか享受できない楽しみの場へステラを連れて行った。


 しかしある日を境に、二人は専らウィンダム公の王都の別邸で会うようになった。



 様々な場所へ二人で訪れるうちに、あっという間に距離が縮まった。

 最初は遠慮がちだったステラも、スマートなエスコートや細やかな気遣いに触れるにつけ、自然にウィンダム公を受け入れるようになった。

 女性の扱いにおいて、これ程長けている殿方はいないであろうことはわかったうえで、それでもステラは彼に惹かれた。


 あらゆる公の場に連れ立って現れる二人に対して、社交界の反応はと言えば…隣国から現れた少し毛色の変わった女性が、ウィンダム公にとっては珍しく、また我が国のゲストとして、形式的にもてなしているのだろうと目されていた。


 しかし、一人の女性には決して肩入れしなかったプレイボーイ公爵は、ステラの相手をし始めると、他の女性との関わりをピタリと止めたのだ。


 誰のものにもならなかった希代のプレイボーイの変貌…二人の様子を目にした上流界の淑女達は大層驚き、嫉妬にかられた者は陰で邪な噂を囁くようになった。


 ─異国の淫らな女─


 噂を耳にしたステラは、失望した。


 これだから社交界は嫌いなのだ。


 ステラは、ウィンダム公との関わりを断とうとした。

 己の醜聞が父の耳に入れば迷惑を掛けてしまう。


 しかし、ウィンダム公は益々一目を憚らず、ステラを連れ出した。

 既に度を越した娘への関わりを知るところとなったパウエル卿だが、相手が筆頭公爵では立場上どうすることもできない。


 いずれは隣国へと帰る。

 隣国では、この国ほど自由は利かない。

 別れの時までの期限付きと割り切り、パウエル卿は二人の関係を見て見ぬ振りをした。

 何より相手は名うてのプレイボーイだ。まさか娘に本気になるとは予想だにしていなかった。


 ステラはたまらず、ウィンダム公に問い詰めたことがある。

 なぜこんな風に自分に関わるのか、と。


「自分でも驚いているが…君に夢中なんだ」


 ウィンダム公の思いがけない言葉に、ステラは心底驚いた。


 その時のウィンダム公の顔を、ステラは忘れることができない。


 いつもの取り澄ました顔ではなく、恐らく自分でも戸惑いがあるのか…少し切羽詰まったような、まるで少年のような顔だった。


 ステラは、ウィンダム公の気持ちに応えたかった。

 生まれて初めての衝動だったと言っていい。


 それから、二人の逢瀬は専らウィンダム公の別邸となった。

 時を忘れるほどに愛し合う日もあれば、静かに語り合う日もある。

 別邸の料理人の腕は超一流で、弁えた使用人達は何も問わず快くステラの対応をする。


 一切の外野を遮断した空間で、二人は夢のような時を過ごした。


 しかし、ステラが妊娠したことで、事態は急展開を迎えたのだった。


 ・


 ウィンダム公からステラへと申し出のあった翌日、ウィンダム公は事の次第とダヴィネスへ来た本当の目的を、カレンとジェラルドに打ち明けた。


 朝食後の応接室。


「きみの父上には本当に振り回されたよ。さすがの手回しではあるけどね」


 多少の皮肉を交えて、それでも笑みをたたえながらウィンダム公はカレンに言った。


 ミス パウエルの動向は、彼女が隣国を出てペンバートン伯爵の領地に居る頃から掴んでいたのとことだ。そこから急に行方不明となり、ダヴィネスへ移動したことを知ったウィンダム公は一気に事を動かした。


「…ご子息のことは、いつおわかりになったのですか?」

 ジェラルドが尋ねる。


「結構最近だよ、それも偶然。我が国の外交官が隣国を訪れた際に、偶々王城で見かけたらしい。私にソックリだったとご丁寧に報告してくれたんだよ」


 カレンは、ああ、と納得する。


「結果的には、それですべてが繋がった」



 昨晩、ウィンダム公はステラに提案した。


 まずは隣国に居る息子を、正式にウィンダム公の令息とし、いったんは我が国へ呼び寄せること。

 そのうえで、隣国王家に仕える意志があれば、それは構わないこと。


 そして、ステラは…正式に第三国王家の血縁者であり、我が国のゲストとして王家も認め、公爵家が後見となること。

 このことは、すでに第三国の新王の了承を得ていること…。


 どこを取っても、さすがとしか言い様のない采配だ。


 しかしカレンは、「ん?」と疑問に思う。


「あの…」


「なに? カレン」


 カレンはウィンダム公の話で、すっぽり抜けていることが気になった。

 隣のジェラルドを見ると、やはりジェラルドも気にかかっているようで、カレンに疑問の顔を向ける。

 恐らく、同じことを考えている。


 カレンからウィンダム公に問うことにする。


「お伺いしても良いですか?…少し立ち入った事ですが…」


「構わないよ」


「では…閣下は、ミス パウエルとの関係は望まれないのですか?…その、個人的な…」


 ウィンダム公は鋭さの浮かぶ真面目な顔の後、にこりと笑みを浮かべた。

 しかしそのインディゴ・ブルーの瞳は、どこか寂しげだ。


「…そうだね…。でもまずは彼女を自由にすることが先決だ。そのうえで、彼女の意思を尊重したい」


 その言葉だけを聞くと、ウィンダム公はステラの意思を最優先していると感じる。ステラに対する深い愛と言っても差し支えはないだろう。


 これが友人ならばカレンも喜んで焚き付けるし、ジェラルドだって後押しするだろう。

 しかし相手は筆頭公爵なのだ。おいそれと軽い言葉は掛けられない。


 カレンもジェラルドも、言葉に詰まる。


 しかしカレンは、ウィンダム公の言葉に引っ掛かりを感じていた。


 ウィンダム公は目の前の領主夫妻の顔を見ると、再び笑みを漏らした。

「バラしてしまえば、彼女と一緒に居られるのならば、公爵の身分など今すぐ捨てても構わないと思っているよ…しかし、現実はそうはいかない」


 嘘ではないだろう。


「ミス パウエルの反応は?」

 ジェラルドが発した。


 夕べ、二人きりの時に何かあったのかも知れない。


「夕べの感じだと、戸惑ってたね。何もかもに」


「ならば、閣下がいち早く手を差しのべてあげては…?」

 カレンは思わず口にした。


 ウィンダム公はゆっくりと首を横に振る。


「そもそも、10年前に彼女を飛べない鳥にしてしまったのは他ならぬ私だ」


「でも、お二人にお気持ちがまだあるのなら…!」


「いいやカレン、予想以上に私の手は汚れている。今さらミス パウエルには触れられない。…君達のような夫婦の幸せなど、夢見てはいけないんだよ」


 ウィンダム公は自嘲する。


 “手は汚れている”

 カレンは、「は?」と思う。


 それを言うならば、ストラトフォードの父の手など真っ黒だ。

 あらゆる手を尽くして国や領地、家族を守るのは、貴族にとっては当たり前のことなのだ。ジェラルドだって、その手は血塗られている。そうやって国とダヴィネスを守ってきたのだ。


 でも、それとこれとは別ではないか。


 ウィンダム公の処世術とて、同じことだ。


「…ずるいわ」


「!」

 ウィンダム公は一瞬ハッとした後、目をすがめた。


「カレン?」

 ジェラルドは驚いて、カレンの横顔を見る。

 少し俯き、珍しく険しい表情だ。


 カレンは心の声を口にしてしまった。


 しかしカレンは止めなかった。

 ウィンダム公を真正面から見つめる。


「…閣下、もし閣下の申し入れをミス パウエルが受け入れたとして…ええ、彼女は今のように王都とあなたを避けるようなことはなくなるでしょう。でも、また別の籠に囚われることになるわ」

 カレンは薄碧の瞳に怒りを露にした。

「社交界では表立っては彼女を攻撃しないでしょう。だって王家と公爵家のお墨付きですもの。でもご存知のとおり、社交界は噂の坩堝です。美しい鳥は以前にも増して嫉妬にかられるやも知れません。傷つき、二度と羽ばたけなくなるかも。ならばこのままガヴァネスとして地方にいた方が、よほど彼女の心は穏やかなはずですわ。彼女はガヴァネスとしてとても優秀ですから…!」


 一気に吐露した。


 部屋は、シーンとしている。


「…失礼いたします」

 カレンは立ち上がり、扉へ向かい掛け、ふと足を止めて振り向いた。


「ガッカリさせないでください、ウィンダム公…いえ、オーブリィお兄様」

 最後の一言を言い放ち、さっさと部屋を後にした。


 部屋に残されたジェラルドとウィンダム公はしばらく黙ったままだったが、ウィンダム公が先に口を開いた。


「……言うね」


「…的は得ているかと。しかし、お詫びしますウィンダム公、いくら近しい間柄とは言え、妻の無礼をお許しください」


「…許すも何も、カレンの言うことは…最もだよ」

 ウィンダム公は額に手をやる。


「しかし、」


「貴殿も心内ではカレンと同意見だね」

 チラリとジェラルドを見やる。


 それはそうだ。

 ジェラルドは迷うが…

「…私の手もこれ以上ないというほどに血にまみれています。しかし、カレンの微笑みをこの腕の中で見られるのならば、すべてを背負うことを苦には感じません。…この10年であなたも確信したのでは?」


「……」


「閣下、ご自身の幸せを求めても…バチは当たりませんよ」


 ジェラルドは静かに応接室を辞した。


 ・


 …やっちゃった


 カレンは応接室を出て自室に飛び込むと、後ろ手に扉をバタンと閉めた。


 ニコルはいない。


 盛大なため息を吐き、ソファへどっさりと腰を下ろした。


 …大きなお世話よね…間違いなく


 それでも言わずにはいられなかった。


 コンコン


 どれくらい、ソファに座ったままだったろう。

 控え目なノックの音にハッとする。


「…どうぞ」


 そっと開かれた扉から現れたのは、ステラだった。

 泣き明かしたのか、美しい目元が少し赤い。


「…ミス パウエル…」


「失礼します。レディ…お顔色が優れませんが、大丈夫ですか?」


 自らのことでいっぱいいっぱいだろうに、健気にカレンの心配をしてくれる。


 カレンはステラにソファへと座るよう促した。


 ∴


「一晩考えて…決めました」


「ミス パウエル…」


「一番に、レディに聞いていただきたくて…」

 たおやかな笑みだ。


 カレンは頷いて話を促す。


「ウィンダム公の申し入れを受け入れます」


「そうですか…」


「はい。でも、半分だけ、ですわ」


「え?」


 カレンの反応を見て、ステラは微笑みを深めた。


「息子に関する事だけ、受け入れます」


「…」


 ステラは賢い。

 カレンは驚かなかった。


「あなたの決断を尊重します。話してくださってありがとう」


「でも、レディにだけは…」


 ステラは、エメラルドの瞳を揺らした。


「今でも、今までもこれからも、愛する人はウィンダム公、ただおひとりです」


 と、スーっと涙が頬を伝う。


「それが、よくわかりました」


「ミス パウエル…!」


「…だから、私に関することは捨て置いていただきたいのです」


「なぜ?」


 ステラは流れる涙を拭いもしない。


 エメラルドからこぼれる、ダイヤモンドのような美しい涙。

 カレンはこんなに美しい泣き顔を見たことがない。


「私の身分など、もはやどうということはありません。この10年の年月を無駄にしないためにも…」


「それは違うわ…!」


 カレンは思わず前のめりになる。


「ウィンダム公も、あなたを愛しています。あなただっておわかりでしょう?」


「でも、閣下は私の手を取ってはくれません」


 カレンは又従兄弟を殴りたい気分になる。


「……ウィンダム公を呼ぶわ」


「え!?」


 カレンは勢いよく立ち上がった。


「私、短気なの。ダヴィネスへ来てから王都風のもって回したやり方は…忘れました。きれいさっぱりと」

 最後はニッコリと笑う。


「レディ!」


「ご心配なさらないで、ミス パウエル。私には“鬼神”も付いてるから」


 言い残すと、カレンは自室を後にした。


 ∴


 部屋を出たところで、ニコルと鉢合わせた。


「奥様! 申し訳ありません。おひとりにしてしまって……キッチンでエマさんに捕まりました」


「いいのよニコル。ちょうど良かったわ。お部屋にミス パウエルがいらっしゃるから、お茶をお出ししてね。……彼女が逃げないように見張ってて」


「…! はい! かしこまりましたっ」


 優秀な侍女は、決して主に訳など聞かない。



 カレンは、ジェラルドの執務室へと急いだ。


 と、カレンは立ち止まる。


 確か今日は各士団長達と会議って聞いたわね…

 まだ会議中かしら…


 部屋の前に立つ護衛騎士が、カレンを認めると、ピシッと姿勢を正した。


「こんにちは、レディ」


「ご苦労様。…ジェラルドは居ますか?」


「はっ。各士団長達と会議中です。が、そろそろ終わられる頃かと」


 そうか…


「終わったら、私が来たことを伝えてもらえますか?火急の用事があると、」


 と、ガチャリと執務室の扉が開き、アイザックが出てきた。

「あれ? 姫様、なんか用事?」


 カレンはしめた!とほくそ笑んだ。


「アイザック卿、会議は終わられましたか?」


「ああ。とっくに終わって雑談してるよ。ジェラルドだろ? 入ったらいいよ」

 大きく扉を開けてくれた。


「お忙しいところごめんなさい、お邪魔します」


「! カレン」

 執務室に一歩入ると、騎士団長達と話していたジェラルドがすぐにカレンに反応した。


 続いて騎士団長達も、おお!と反応し、いやいやようこそ、と口々にカレンへ挨拶を述べる。


 カレンは騎士団長達とは顔見知りだが、しょっちゅう顔を合わせるわけではない。

 皆、領主夫人のカレンが大好きだ。

 場が一気に華やぐ。


「レディ、私のところに二人目が生まれました。是非とも名付け親に」

「レディ、城塞街に新しいティーサロンができたそうです。店の名は確か…」

「そういやレディ、エルメ爺がレディのお越しを首を長くして待ってるらしいですよ」


 ゴホン!


 一際大きな咳払いの主はフリードだ。

「皆、一度に喋るな。カレン様がお困りだろう」


 カレンはクスクス笑っている。

 ジェラルドとアイザックやれやれと呆れ顔だ。


「いいのよ、フリード卿。皆さんもありがとう。ええ、名付け親は喜んで。ティーサロンにも行ってみます。近々第5部隊にも顔を出しますね。エルメ卿によろしくお伝えくださいな」


 皆一斉に「はっ! ありがとうございます!」と力強く応えると、また各々の雑談へと戻った。


「…それでカレン、何か急ぎのことでも?」


「ええ、ジェラルド。少しご相談とご報告が…」


「そうか、ここでは落ち着けないな…」


「俺達出よっか?」

 アイザックが気を効かせる。フリードも頷く。


「いえ、すぐに済みます…あ、ジェラルド、こちらへ」

 カレンは言いながら、ベランダへ通じるガラス扉の鍵を回した。


 冬の日にしては、今日は良く晴れている。

 執務室のベランダは広いので、ちょうどいいだろう。


 ジェラルドはわかった、と言うと、カレンの後からベランダへ出た。


 二人は手すりにもたれかかり、向き合う。


「それで?…ウィンダム公をやり込める作戦を思い付いた?」

 ジェラルドが面白そうにカレンの顔を覗く。


「! ジェラルド!」

 どこからか見ていたのだろうか?

 いや、ジェラルドも二人のことは気になっているのだ。


 カレンは眉を下げる。

「…はい。覚悟を決めました。ウィンダム公から話を聞いた後、先ほどミス パウエルが来てくださって……」


 カレンはステラとの会話をジェラルドに話した。


「ふむ。これは益々放ってはおけないな」

 ジェラルドは顎に手をやる。


「はい」


「ダヴィネスでは、勝機を逸する…王都でのようなのらりくらりとした騙し合いは時間の無駄と捉える。…あなたもかなりここに染まった」

 かなりあからさまな言い様だが、ジェラルドは不敵の笑みを浮かべた。


「ええ。なにしろ“鬼神”の妻ですから」


「はは、言うな」

 カレンの細い顎を摘まみ、次いで両手をカレンの腰に回した。

「それで? どんな作戦?」


「…もしかすると、ウィンダム公は本気で怒るかもしれません…ジェラルドにご迷惑が掛かるかも…」


 ジェラルドはフッと笑う。


「心配はいらない、カレン…それに今さらだろう。今朝はかなりのカウンターパンチだったぞ?」


 もう!


 カレンはぷくりとむくれる。


 ジェラルドは笑いながら、さも愛しそうにその頬をやわやわと触ると顔を近づけた。

「…あとひと押しだと、私も思う。あなたが仕掛けるならば、全面的に協力しよう」


「ありがとうございます、ジェラルド」


 二人はそのまま口づけた。


 と、視線を感じて部屋を見ると、騎士団長達がガラス越しにニコニコしながらこちらを見ている。


 フリードとアイザックはやれやれといった顔だ。


 ジェラルドがギロリ、と視線を走らせると、蜘蛛の子を散らしたように皆は立ち去った。


 ・


「…カレン、今なんと言った…?」


「チャンスを差し上げる、と申しました」


 カレンは、客間で昼食を取っているウィンダム公を訪ねた。


「私を試そうとしているのか?」

 インディゴ・ブルーの瞳が、冷たく、疑り深くカレンを見る。


「いいえまさか! そんなことをしても何の得にもなりませんもの。でも…」


「何?」


「あなたがどうしてもミス パウエルの身分を保証なさりたいとおっしゃるのなら、私にも考えがあります」


「侯爵仕込みの駆け引きかい? まったく呆れるね…」

 口元をナフキンで拭う。


「駆け引きなど致しませんわ。これは至極真っ当な取り引きです」

 カレンは落ち着きはらっている。


「取り引き…?」


「ええ。だからチャンスを差し上げますわ、閣下。ミス パウエルは、あなたのお申し出…ご子息に関することだけ受け入れると私に打ち明けてくれました。この意味がおわかりですか?」


 カレンの言葉に、ウィンダム公は眉根を寄せた。


「…閣下、いかに筆頭公爵のあなたでも、すべて思い通りにはなりません。何が良いことで何が悪いことなのか…そんなことは、この際どうでもいいのでは?」


「……」


「あなたが、本当の意味でミス パウエルの手を取らないのであれば、私はダヴィネスから彼女を出す気はありません…これは彼女の雇用主として、ダヴィネス領主夫人としての考えです。もちろんジェラルドも賛同してくれています」


「!」

 ウィンダム公は大きく目を見開いた。


「…閣下、愛する人を苦しめては、ダメです。プレイボーイの名折れですわよ?」


 ウィンダム公は口元に手をやり、考える…と、フッと笑みを漏らした。

「破天荒でキレイなばかりだと思っていたが…あなたは本当に生意気だ」


「生意気なのは、昔からですわ」


 ウィンダム公は片眉を上げる。

「それは…そうだね。ダヴィネス伯の苦労が偲ばれるよ…しかし本当に、君は立派になった」

 最後は感心しながらだ。


 それは恐れ入ります、カレンはニッコリと笑う。


「それで…ザヴィリアはどこ?」


 ・


 ステラは、カレンの部屋の窓から庭を眺めていた。


 薄く積もった雪の表面が、冬の日差しに溶けながらキラキラと眩く光る。


 ステラは、カレンの部屋に“軟禁”された状態だ。

 しかしそれは物騒なものではない。


 怒りながら部屋を去り、戻ってきた領主夫人は、意気揚々とステラに告げた。


「今日はこの部屋で過ごしましょう?」


 何か企みがあるような、イタズラっ子のように瞳を煌めかせる領主夫人は、とてつもなくまぶしい。

 ステラは同意し、共に昼食を終えお喋りに興じている時、ふいにノックの音がした。


「来られたみたいね」


 気のせいか、カレンの顔に一瞬緊張が走ったような気がした。


 扉を開けた侍女のニコルは扉の外の人物を確認すると、主のカレンへ頷いた。


「…ミス パウエル、ウィンダム公が来られました。どうか…納得なさるまでお話をなさってください」

 カレンはソファから立ち上がると、ステラの元へ行きしゃがんだ。


 カレンは両手でステラの手を取る。

「何をおっしゃっても大丈夫。この部屋の中では、ご自身を偽らないでください、決して。忘れないで、私はあなたをお守りします」


 ステラは大きく目を見開く。


 カレンはニコリと微笑むと、ニコルと共に部屋を去った。


 入れ違いでウィンダム公が現れる。


 ステラは立ち上がった。


 ……なんだろう、いつもの余裕綽々とした体ではなく、戸惑い?ためらい? 美しいブロンドが少し乱れてさえいる。


 しかし、そのインディゴ・ブルーの瞳は、真っ直ぐにステラを見つめていた。


「あの、お掛けになられては……?」


 ステラはいたたまれず、声を掛けた。


 ウィンダム公は、スタスタとステラへ近づくと、スッと片膝をついてしゃがんだ。


「! ウィンダム公!?」


 驚くステラには取り合わず、そのままステラの手を取る。


「…まったく私としたことが、指輪を持ち合わせていない」

 半ば独り言のように発すると、そのままステラの手へキスを落とした。


「手を、手を離してくださいっ」


「ダメだ」


「ウィンダム公…!」


「愛している、ザヴィリア…ずっと愛していた」


 ウィンダム公は立ち上がった。

 ステラの左手は強い力で握ったまま、片手でステラの腰へ手を回すと、隙間なく身体を寄せた。

 互いの顔は息がかかりそうなほどに近い。


 インディゴ・ブルーの瞳は、熱を帯びて切なく揺れる。


 ウィンダム公は、ステラの耳元に顔を寄せた。

「君の…君の香りだ…」


 気のせいではない。腰に回されたウィンダム公の手が震えている。


「…オーブリィ…」


 ステラは思わず、かつてのようにファーストネームを口にしてしまった。


 ウィンダム公はゆっくりとステラに向かい合い、互いの瞳に互いを映すと、ステラの口を塞いだ。


 ステラは抵抗はしない。

 それどころか、ウィンダム公のこの上ない官能的な口付けに応えた。


 長く、甘い口付けは、離れた年月を飛び越え、気持ちを確かめ合うには十分だった。


「……ザヴィリア」


 唇が離れると、ウィンダム公は一層強くステラを抱き締める。


「ザヴィリア、私の妻になって欲しい」


「…………」


「ザヴィリア…!」

 頼むから、と切羽詰まった顔で囁く。


 この人の、こんなに余裕の無い顔を見たのは初めてだ。

 と言うか、この顔…


 ステラはクスリと笑う。


「!?」


 ウィンダム公はなぜこの時に笑う?と不思議な顔をした。


「…ごめんなさい。だってあなたの今のお顔…あの子に…オーガスタスにそっくりで…」


 ウィンダム公はふっと緊張を緩めた。

「オーガスタス…私達の息子だ。そんなに似てる?」


「ええ」


「早く会いたい」


「でも………私、公爵夫人は荷が重くて、」


「構わない。社交はしなくていい」


 ウィンダム公はもう一度ステラを抱き締めた。


「そんな…!」


 ウィンダム公は、ステラのエメラルドの瞳を覗く。

「ザヴィリア、君は自由だ。君を縛る枷はすべて私が取り払う。胸を張って、どこへでも飛び立てるんだよ。その美しい羽を広げて」


 ステラの頬を涙が伝う。

「あなたの、手を取ってもいいのですか…?」


 ウィンダム公は長細い指で、涙を拭った。


「私の手は、そのためにある」


 ・


「まったく、格好などついたものではないよ。しかしどうやら、ここでは直球勝負しか許されない…礼を言う、ダヴィネス伯、カレン」


 応接室で、事の次第を聞いたカレンとジェラルドは、ほっと胸を撫で下ろした。


 向かいには、手を繋いだウィンダム公とステラが座る。

 ステラは幾分恥ずかしげだ。


「お二人で王都に戻られますか?」


 ジェラルドの問いに、二人は顔を見合わせた。


「いえ、私はお嬢様方のガヴァネスをひとまず続けます」


「えっ?」

 カレンは予想外の答えに驚く。


「私はザヴィリアを迎える準備と…根回しがあるからね」


「でも」

 それでは申し訳がない。


「レディ、ご心配は無用です。私は、もうこの手を決して離しません。それに、ダヴィネス城のガヴァネスであることを誇りに思っております。当面は仕事を続けさせてくださいませ」


 今度はカレンとジェラルドが顔を見合わせた。


「なに、10年待ったんだ。物理的な距離はさほど苦ではないよ」

 と、ステラの手にキスをした。


 …本当に絵になるお二人だわ。もう心配ないわね。


 カレンとジェラルドは微笑んで頷き合った。


 ・


 ステラは、アンジェリーナ達のガヴァネスを勤めながら、親子の対面を果たし、晴れてウィンダム公の妻となった。


 王都では、かつてのウィンダム公とステラのことを口の端に乗せる者はいない。


 ウィンダム公をよく知るもの達は、彼の独身主義の終止符と、元ガヴァネスの美しい夫人を快く受け入れたという。

お読みいただきましてありがとうございました。

表と裏…と言うより、光と影を持つ人物として、カレンの又従兄弟のウィンダム公は興味深くて掘り下げたくなる存在でした。(シリーズ1でも二度ほど登場しています。)

ハッピーエンド万歳!ということで、お楽しみいただけたら幸いです。

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