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愛しのガヴァネス(3)

 ダヴィネス城、現在。


 カレンは自室のソファに腰掛け、隣国の姉からの手紙を一心に読む。


 カレンの手紙に対する返信は何枚にもなり、カレンは次々と便箋を捲った。


「……」

 一通り読み終えると、膝上に便箋を置いたまま宙を見る。


 やはり、隣国王家ではステラ・パウエルの一連のことは、極秘事項として扱っているとあった。

 しかし、ダヴィネス城のガヴァネスとしてステラを雇用したのならば…という前提で、姉はステラにまつわることを手紙に託してくれた。


 ステラの子どもの男児は、現在9つになる。

 パウエル卿が亡くなった幼少…ステラが我が国へガヴァネスとして職についた頃…より王家で面倒をみており、姉の子どものグレゴリーやエリックは弟のように可愛がっているとのことで、カレンは少しホッとする。


 一方でパウエル卿の本宅は、ステラ達とは距離をおき、一切の関係を断っているとのこと。

 男児の身分は宙に浮いたままで、今のままだと適当な貴族の養子の形を取って、王子達の護衛や側近の道が妥当…とある。

 幼いながらもとても賢く、年に3ヶ月の母と過ごす期間を心待にしているとのことだ。


 姉の手紙の中で、カレンを一際驚かせたのは…


「ステラの子どもは、驚くほどウィンダム公とそっくりの見た目」


 だということだった。

 公をよく知るものならば、一目で彼の縁者だとわかるだろう、とも書いてある。


 今はまだいいが、これから男児が成長し、公に人前に出ることがあり、かつ我が国の者の目に触れれば、否が応でもウィンダム公との繋がりを疑われることは避けられないだろう……


「はぁ……」

 カレンはため息をついた。


 王家で世話になっている以上、王家の側近くで恩を返すのが筋だし、なんと言っても、男児は第三国の王家の血を引いている。加えて我が国の筆頭公爵家の血をも引くのだ。

 ウィンダム公に似ているとなれば、いつまでも隠し通せるものではないだろう。


 ここでカレンは、ふと思う。


 ミス パウエルは、ウィンダム公のことをどう思っているのだろうか…?

 翻って独身主義の筆頭公爵は、ミス パウエルを他の軽いお付き合いの女性達と同類としていたのだろうか?


 あのように特別な美しさの女性をいっときでも愛したのならば、簡単に忘れられるものかしら…?


 しかしカレンは幼い頃からよく目にした、ウィンダム公と華々しい淑女たちとの戯れを思い浮かべる。


「…プレイボーイの本性なんて、誰にもわからないわよね…」


 ・


「ジェラルド、質問があります」


 先に寝室に来て、ベッドに腰掛けたカレンは、ジェラルドが寝支度を整えるや否や、真面目な顔でジェラルドに話し掛けた。


「? なに?」


 ジェラルドは微笑んでカレンの隣に座る。


「例えばのお話ですが…」前置きをする。

「ジェラルドがとても心惹かれた女性…愛した女性が何の前触れもなく突然姿を消したとして…」


 この時点で、カレンはプレイボーイの又従兄弟のことを言っているのだとジェラルドはピンときた。


 ジェラルドはカレンの肩を抱くと、こめかみにキスをした。

「それで?」


 ジェラルドは面白そうにカレンを見る。

 ジェラルドのキスに顔を傾けはするが、カレンは真面目な顔を崩さない。

 これはからかわない方がいいと判断し、話の続きを促す。


「その女性を簡単に忘れられるものですか? 何もなかったかのように過ごすことはできますか…?」


 切羽詰まったように、眉根を寄せている。


 ジェラルドはふむ…と少し考えると、今度はカレンの額にキスを落とし、そのままゆっくりとカレンをベッドへ横たえた。


「ジェラルド?」

「この方が忌憚無く答えられる」


 そう言われれば従うしかない。

 カレンはジェラルドの逞しい体に手を回した。


「…そうだな…すぐに忘れるのは無理だろうな。突然姿を消したのならなおさら」


「そうですよね…」


「しかし、何か訳を話せない理由があったのかも知れないと思うだろうな」


「……」


「その時点で、縁がなかったと諦めるやもしれない」


「!」

 カレンはガバッと頭を起こした。

「諦めるのですか?!」


「…当分は後を引くだろう。しかしだからと言って、派手に浮き名を流す理由にはならない」

 ジェラルドはカレンの頭を撫でると、意味深にニヤリと笑った。


「!」

 ウィンダム公のことだってバレバレなワケね…


 カレンはパタリ…とジェラルドの厚い胸の上に頭をもたれさせた。

 ジェラルドはそのままカレンの頭を優しくなでる。


「殿方って…」かなり間をおいてカレンが再び口を開いた。

「一度に幾人もの女性を愛せるものなのですか?」


 ジェラルドは胸の内で慎重に答えを探る。

 答えようによっては、火の粉が翔んでくる可能性があるからだ。

 しかし、カレンは耳に優しい答えを求めてはいないだろう。


「…愛せる」


 ジェラルドは胸の上のカレンの瞳を見つめたまま答えた。

 カレンの瞳に変化はない。


 しかし、これはあくまで一般的な意見だぞ、と念を押すのは忘れない。


 ジェラルドはカレンの耳を優しく撫でる。カレンはくすぐったそうに顔を傾けた。


「他国の王家では側室を数多く娶ったり、かつての第三国のように後宮を持つこともあるが…そうだな、純粋に『愛する』という意味では、やはり難しいかも知れない」


「それは、政略結婚だから…?」


「政略結婚でも、深い愛を育むこともある」


「私達のように?」


 カレンの言葉に、ジェラルドはふっと笑うと、横向きになりカレンを腕の中へ抱いた。


「カレン、男というものは、胸の内には一人の女性を住まわせることしかできないと、私は思っている」


 カレンは目を見開いた後、うむ…と考える。

「愛する度合いが異なる、ということですか?」


「度合い…」

 今度はジェラルドがうむ…と考える。

「ああ…いや、そうだな…」


 ジェラルドにしてはハッキリしない言い様だが、もしかすると困らせたかとカレンは気づき、ジェラルドに小さくキスをした。


「わかりました、ジェラルド。殿方の心の有り様を探ろうとした私がダメですね…思ったより、たぶん、ずっと複雑…」


 ジェラルドは黙ったまま、カレンの頬を両手で包んだ。

 深緑の瞳が揺れ、金の光彩を煌めかせる。


「複雑かも知れないが、自分ではちゃんとわかっているんだ…“この女が自分を生かしている”と…」


 そのまま、カレンの口を塞いだ。


 ・


 ダヴィネスは冬を迎えた。


 初雪がダヴィネスの地を覆った日、王都のストラトフォード侯爵から、火急の早馬が驚くべき知らせをもたらした。



「なに? ウィンダム公がか? この時期に?」


 ジェラルドの執務室。


「ええ。なんでも雪が厚くなる前に、ダヴィネスの視察をしたいとかで…」


「王家の名代ではなくか?」


「どうやらそうでは無さそうですが…なんでしょうね」


 ストラトフォード侯爵からの書簡に目を通したフリードも納得のいかない様子だ。


 …まずいな


 ウィンダム公はカレンとは遠縁だ。さして理由のない来訪も受け入れよう。客人をもてなすのはやぶさかではないが…ジェラルドの脳裏には嫌な予感がよぎる。


「まさかな…」


「なんです?」


「いや…フリード、カレンを呼んでくれ」


「…わかりました」


 ∴


「ミス パウエル、落ち着いて聞いてもらいたいの」


「? はい」


 ジェラルドからウィンダム公の急な来訪を聞いたカレンは、自室にミス パウエルに来てもらった。


 部屋には、ジェラルドもおりすでに人払いをしている。

 カレンとジェラルドの向かいに、ステラ・パウエルは座っている。


「ウィンダム公が来られます」


「!!」


 カレンの言葉に、ステラは大きく目を見開いた。

「な…!」


 いつもは決して動揺を見せないステラ・パウエルの慌てた様子を、カレンもジェラルドも初めて目にした。


「…大丈夫ですか?」

 カレンは思わず聞く。


「…………」


 何も答えず俯くステラに、カレンとジェラルドは顔を見合わせた。


「ミス パウエル、ウィンダム公の来訪の目的はわからない。表向きは視察とのことだが…」


「ごめなさい、ミス パウエル。この知らせは父からなの。父もかなり焦ったのだと思うわ。…私達も、驚いています…ただ、さすがにお断りはできなくて…」


 ジェラルドもカレンもステラを気遣う。


「まだ雪が薄いので、今から隣国へ行くご手配も可能です。ダヴィネス内であれば、義妹のお邸やフリード卿のお邸へ一時的に…」


「いえ、どこにも参りません」


「えっ」

 カレンは、またもやジェラルドと顔を見合わせた。


 ステラはたおやかな笑みを浮かべた。


「いつまでも逃げ回っていては…息子のためにもならないと、ここへ来て思いました」


「もしウィンダム公に会ったなら、ご子息の存在も明かすと?」


「いえ閣下、あの子の親は私だけです。これは変わりません」


「……」「……」


 カレンもジェラルドも言葉に窮した。


 しかし、ジェラルドは決めたようだ。

「わかりました。では…いつも通りに要人を迎えます。しかし我等はあなたを匿うことを託されています。進んで公にはあなたの存在は明かしません。それも公の出方次第となりますが…それでいいですか?」


「はい」


 ステラは、覚悟を決めたように言った。


 ・


「何か思惑があるのは確かだ」


「ですよね…」


 ウィンダム公を迎えるにあたり、カレンとジェラルドはコンサバトリーで二人きりの作戦会議だ。


「いずれにせよ、皆にはミス パウエルのことは箝口令を敷く。当面はアンジェリーナ達のガヴァネスも休んでもらおう」


「はい…」


「よく考えるまでもなく、ウィンダム公はあなたの父上に負けず劣らずの遣り手だ。使える密偵も揃えているだろう」


 これは、ウィンダム公がすでにステラの存在を知った上でダヴィネスを訪れることを意味した。


「ジェラルド、私この精神戦に耐えられるでしょうか…」

 カレンは思わず不安を漏らした。


 肩を落とすカレンの額にジェラルドはキスした。


「どう転がるにしろ、私達は最後まで見届けよう」


「……はい」


「公もあなたには弱い。これはこちらに分があるぞ」


 ジェラルドは微笑んでカレンの顔を覗く。


「どうでしょう…でも、ミス パウエルのお力になれるならば、頑張ります」


 その意気だ、と言うと、ジェラルドは再びカレンの額にキスを落とし、そのまま抱き締めた。


 ・


「この度は世話になる、ダヴィネス伯、レディ カレン」



 公爵家の家紋を施した立派な馬車が、ダヴィネス城へ到着した。


 雪華がハラハラと舞い散る中、馬車から颯爽と降り立ったのは、オーブリィ・ウィンダム公爵。旅装だというのに、イメージと寸分違わない都会的でスマートな出で立ちだ。


 馬車寄せでジェラルド以下、ダヴィネス城の主だった使用人や軍の上層部が出迎える。


「遠路はるばる、ようこそウィンダム公。どうかごゆっくりとお過ごしください」


「ありがとう、ダヴィネス伯」


「ようこそいらっしゃいました。長旅でお疲れではないですか?」


「大丈夫だよカレン。お気遣い感謝する…その子は君達の…?」


 カレンの隣に立つアンジェリーナは、幼いながら淑女の礼を取る。

「初めまして、ウィンダム公。アンジェリーナ・ダヴィネスです!」


 アンジェリーナのしっかりした挨拶に、ウィンダム公は片眉を上げてほほぅと感心する。


「いやはや、君の小さな頃によく似てる。時が戻ったかと思ったよ」

 嬉しそうにアンジェリーナの目線にしゃがんだ。


「幼いのにレディのような礼だな、そんな所もカレンそっくりだ」

 と、アンジェリーナの小さな手を取ると、チュッと軽めのキスをした。

 アンジェリーナはビックリ眼だ。


 カレンは隣のジェラルドから、瞬間ヒヤリとした雰囲気を感じるが、気づかない振りをする。

 アンジェリーナの後ろに控えるティムも、面白くなさそうな顔をしている。

 極めつけは…同じくアンジェリーナの後ろにいる狼犬のヴィトが、ヴヴ…と唸ったことだ。


「おおっと、なんだかいろいろ守られているね、アンジェリーナ嬢?」

 ウィンダム公は面白そうに明るく笑った。


「?」

 アンジェリーナは不思議な顔だ。


 ゴホン、とジェラルドが咳払いをした。

「ウィンダム公、ひとまず客間へご案内します。晩餐までおくつろぎください、モリス」


「はっ」


「わかった。お言葉に甘えるよ」



「…油断も隙もない」


 モリスがウィンダム公を客間へと案内するのを見ながら、ジェラルドがボソッと呟いた。


 ・


 心尽しの晩餐は、ダヴィネスの名産品と極上のワインが用意された。


 ディナーは中盤に差し掛かる。


「前に来た時も感じたが、ここは本当にゆったりとしている」

 満足した様子でウィンダム公はグラスを傾けた。


「お気に召していただけたなら幸いです」

 ジェラルドは外向きの笑顔だ。

 端から警戒を解く気はないらしい。


 ウィンダム公は微笑む。

「ところで…君達の令嬢のアンジェリーナ嬢は、今年でいくつ?」


「六つになります」

 カレンが答えた。


「もう本格的に…ガヴァネスを付けているの?」


 思わず手が止まるところだった。

 カレンは平成を装う。


 全く動じずにジェラルドは答える。

「はい、今年から。娘も意欲的に学んでいます」


「そう…優秀なガヴァネスということかな、私の姪にもそろそろガヴァネスを付ける年齢でね。参考までに、誰からの紹介?」


 カレンはニッコリ微笑む。

「実家の母ですわ。ご存知のとおり情報通ですので」


「はは、それはそうだね」


 カレンはワインをゴクリと飲み下しながら、早くこの晩餐が終わることを心から祈った。


 その日はそれ以上の追及はなく、晩餐は穏やかに終えた。


 ・


「確実に探ってきたな…」


 カレンとジェラルドはベッドに仰向けで並んで寝転ぶ。

 晩餐会のウィンダム公の話運びは、確実にステラに照準を合わせていた。

「会わせろ」と言われるのも時間の問題だ。


「…私、これ以上は無理かも知れません……」

 最後は消え入りそうな声だ。

 両手で顔を覆う。


 いつもは気丈なカレンも、公爵が相手ではさすがに負担が大きい。


 ジェラルドははぁっと息を吐くと横向きになった。

 片手で頭を支え、もう片手でカレンの手を片方ずつ、その小さな顔から避けると、ふっくらとした頬を包んだ。


「さて、どうしたものかな…私の妻をこんなに悩ませるとは…」

 親指でカレンの頬を撫でる。


「あんな風にジワジワと探られるのは…いっそのこと…」


「対面させる?」


「!」


「そもそもは二人の問題だ。いくら我らが間に立っても、ウィンダム公がここへ来てしまった以上、隠しだてするのは難しい。それに、子息のことはまた別の問題だ」


「…ジェラルド…」


 ただ、もう少しウィンダム公の様子を見よう、ということで話は落ち着いた。


 ・


 それから数日、ウィンダム公はステラのことを暗に探るような言動は見られず、城塞街や周辺の領地、駐屯地の視察を順調にこなし、時間が合えばカレンとも午後のお茶を共にしていた。


 今朝は軍の朝稽古に参加していたとのことで、アイザック曰く「結構デキる。優雅だけど剣筋は鋭い」との実力とのことだった。



「ええ? アイザック卿がかい?」


 その日のお茶を共にしていたウィンダム公は、カレンから聞いた己の剣技の感想に嬉しそうに頬を緩めた。


「ええ」


「それは光栄だね。しかしここの訓練は王立騎士団とは比べ物にならないよ。剣技の水準もさることながら…」


「?」


「かなりキツい」


 カレンは思わず笑ってしまった。

 ウィンダム公も笑う。


「質実剛健とでもいうのかな、わずか数日だけど、領主と軍の総帥…ダヴィネス伯の手腕は見事としか言いようがないね」


 ところで…と、ウィンダム公はティーカップをソーサーに置いた。


「美しいガヴァネスには、いつ会わせてもらえるのかな?…うまく隠しているようだけど」

 インディゴ・ブルーの眼差しが、鋭くカレンへと向けられた。


 きた…!


「私の滞在もあと数日だ。是非会ってから帰りたい」


 柔らかな物言いだが、確固とした強い意志が感じられる。


 ここまで言われては、隠しだてはもはや無意味だ。観念するしかない。


「…わかりました。ジェラルドと…ご本人にも確認してから、場を設けます」


 カレンの答えに、ウィンダム公は満足そうに微笑んだ。


 ・


「…承知しました」



 その日の夜更け、ウィンダム公がジェラルド達と撞球ビリヤードに興じるのを見計らって、カレンはステラの部屋を訪ね、事の次第を話した。


 もちろん、ジェラルドにも事前に話した上で、だ。


 ウィンダム公はステラの存在に気づいた上でダヴィネスを訪れていること。

 そして、対面を望んでいること…。


 ステラの気持ちが最優先だが、もしステラが承諾するのであれば、明日のディナーの席に同席してもらいたい旨を、カレンは申し出た。


 ステラは落ち着いており、意外なほどアッサリと承諾した。


「聞いておいてなんなんですが…ミス パウエル、本当に?」

 カレンは念を押した。


 ステラは微笑みを浮かべる。

「考えてみれば、もう10年近く前のことなんです。今さら、もうどうということも…」


 エメラルドの瞳を伏せているステラの心内は読めない。


 カレンはふと、ウィンダム公爵家の家紋は、大きく羽を広げたホークであったことを思い出した。


 空高くから狙いを定めたホーク…一気に獲物を手に入れるのだろうか…。

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