愛しのガヴァネス(1)
クリスマスらしく…と言うには、少し重めの愛のお話です。
今日から5夜連続の投稿です。
お楽しみいただけますように……
「…はい、アンジェリーナ様大変結構です。ソフィア様はスペルのおさらいをなさってください」
「はい」「はーい」
ダヴィネス城のアンジェリーナの部屋。
少し前から、アンジェリーナにはガヴァネス(女性家庭教師)が付いた。
少女達は絶賛“お勉強中”だ。
基本的な読み書きは既にカレンが教えていたが、貴族の子女として、そろそろ本格的に語学や算術等を学んでも良いと判断したのだ。加えて、カレンも領主夫人の仕事が益々多忙を極めており、学ぶことに意欲的なアンジェリーナに片手間の教育では追い付かなくなったことも理由のひとつだった。
アンジェリーナと同い年のフリードとパメラの娘のソフィアも、良い機会だから、とついでに同じガヴァネスに付くことになった。が、如何せんソフィアは学ぶことにあまり意欲的ではなく、その点はフリードも頭を痛めていた。
しかし本人は至って楽しげにアンジェリーナと机を並べている。幼い頃からアンジェリーナと一緒に居ることが多く、まるで姉妹のように育っているので、ごく自然な流れと言えた。
ガヴァネスに注意を促されても、愛らしくペロリと舌を出している。
ガヴァネスはソフィアの反応を見て「やれやれ」とは思うが、顔には出さない。
子どものヤル気スイッチは、いつどんなきっかけで入るのかわからない。
今はひとまず、少女達(特にソフィア)へは鷹揚に対応していた。
ダヴィネス城に着任したガヴァネス…蜂蜜のような輝く褐色の肌に豊かな黒髪、印象的な濃いエメラルドグリーンの瞳を持つ、ステラ・パウエルは、少々訳ありの女性だった。
カレンがガヴァネスを探すにあたり、ストラトフォードの母へ相談を持ちかけると、母は慎重ながらもステラ・パウエルを強く推してきた。
話は、今年のシーズンの際に、ガヴァネスのことで直接母のレディ ストラトフォードと会話した時に遡る。
∴
「ミス ステラ・パウエルは…いったいどのような方なのですか?」
王都のストラスフォード邸で、母と娘はお茶を共にする。
母の薦めるガヴァネスについて、カレンは質問した。
「元は外交を担っていた隣国の貴族の令嬢でね、それはそれは優秀な方なのよ…この間までペンバートン伯爵のご令嬢のガヴァネスをなさってたの。…ご領地で」
ペンバートン伯爵は父の信頼の厚い仕事仲間だ。ご令嬢は少し前に結婚したと聞いている。それで次のお勤め先を探されている…といった所だろうか。
カレンはなんの疑問もなく母の話を聞いていたが…
…ん?
カレンはティーカップを運ぶ手を止めた。
「ご領地で?」
母はほんの一瞬眉を曇らせた。
「ほんとにあなたはすみにおけないわね…」
そういう所、お父様にソックリだわ…と大きなため息をつくと部屋から人払いをし、侍女達を下がらせた。
「ミス ステラ・パウエルには、少し込み入った事情があるの」
母の真剣な眼差しに、カレンは何事かと緊張する。アンジェリーナのガヴァネスの話のはずだが、なにやら物々しい。
母は幾分声を落として話し始めた。
「彼女はね、第三国の前王の第3王女…亡きポーラ姫の子どもなのよ」
「…え?」
突然のことで、カレンは思考が追い付かない。
レディ ストラトフォードは娘の様子を見ながら、ガヴァネス候補─ステラ・パウエル─の出自を語りはじめた。
第三国と言えば、前王を倒した新王へ、カレンとも親しかったマーガレット王女殿下が数年前に輿入れしたことは記憶に新しい。
ポーラ姫は年の離れた新王の姉君、ステラ・パウエルは新王の年上の姪となる。
前王の治世に第三国へ留学していた隣国のパウエル卿は、ポーラ姫の生母に頼み込まれて、秘密裏にポーラ姫を我が国を通じて隣国へ亡命させた経緯があった。
「お父様が手を貸されたのですね」
「ええ…当時の第三国はそれこそ王族や縁戚達が魑魅魍魎で、後宮にいてもいつ消されるかわからないような状態だったと聞いたわ」
その後、隣国でポーラ姫を匿ったパウエル卿は、いつしか姫と情を交わすようになった。
しかしパウエル卿には既に家同士で決められた婚約者がおり、高貴な身分でありながらもポーラ姫は日陰の身の上でステラを身籠った。
隣国王室も第三国の姫君の生活は常に気に掛け、道行かぬ二人の恋とその娘を見守ったという。
やがてポーラ姫は病に伏し、隣国─遠い異国の地─で帰らぬ人となった。
その後、パウエル卿との子ども…ステラは成長し、父の外交業務を手助けする程に秀でた才能を発揮した。
彼女の混血の見た目も、海外との国交の多い隣国では取り立てられることはなかったが、パウエル卿の本妻の手前、ステラは進んで人前に出ることを憚った。
そんな中、パウエル卿はステラを伴い、我が国へ長期の滞在をする機会があった。
父であるパウエル卿の世話を甲斐甲斐しく焼き、秘書として父の仕事を手伝っており、その品格の漂うエキゾチックな風貌は、我が国の社交界でもちょっとした噂にのぼるほどだったという。
パウエル卿の本妻の目の届かない環境も、ステラの心を解放したのかもしれない。
そしてステラは、我が国で“ある男性”と出会い、初めての恋に落ち…彼の子どもを身籠ったのだ。
「!! え!!!?」
カレンは驚きのあまり、思わずティーカップを持つ手を傾け、中身のお茶をドレスにこぼしてしまった。
「ちょっとあなた!こぼしたわよ! 誰か!」
レディ ストラトフォードは慌てて侍女を呼ぶ。
駆けつけたニコルが「あらまあ!」と驚きながらもカレンのドレスを拭い、「お邸に戻られてから本格的に染み抜きします」と言うと、二人のレディのお茶を淹れ直して、また部屋を辞した。
レディ ストラトフォードは呆れる。
「カレン…あなたちょっと驚き過ぎよ」
「だってお母様、驚かずには聞けませんっ」
つまり、アンジェリーナのガヴァネス候補の女性は、第三国の姫君の娘で、しかも我が国の男性が父親のお子様がいるのだ。
「まあ落ち着きなさいな。肝心なのはここからなのよ…」
「?」
これ以上驚くことがあるのだろうか?カレンは眉間にシワを寄せながら目を見開く。
「でもねカレン、ここから先の話を聞くなら、必ずダヴィネス城のガヴァネスとして、ミス ステラ・パウエルを雇ってもらいたいの」
母の真剣な目を見て、カレンはハッとした。
聞くべき?
それともここでやめてお断りする?
胸の内に聞いてみるが、先を聞きたい気持ちが上回る。
「…わかりました。ミス パウエルをダヴィネス城のガヴァネスとしてお迎えすることをお約束します」
カレンの言葉に、レディ ストラトフォードはホッとした表情を浮かべ、新たに淹れられたお茶を一口飲んだ。
「じゃ、すべて話すわ。でも他言無用よ…もちろん、あなたの閣下は別だけど」
カレンは頷く。
「ミス ステラ・パウエルはお相手の方に告げること無く、隣国に戻って密かに子どもを産んだの」
「? 隣国で…? でもお相手は、我が国の方なのですよね?…黙って?」
「そう」
「なぜ? ご結婚はされなかったのですか?」
「…できるお相手ならば、したでしょうね、でも…」
カレンはまたもやハッとする。
“結婚できないお相手”…既婚者か、身分違いか…
「お母様は、お相手がどなたかご存知なのですか?」
「……」
「ご存知なのですね」
「あなたには、これからミス パウエルを守ってもらうことになるから、お相手を明かすけど…」
母の歯切れが悪い。
「もしかして私の知っている殿方ですか?」
「ええ…よく知っている方よ」
? 誰だろう?
カレンは検討もつかない。
「…オーブリィよ」
母は、カレンとは目を合わさずに素っ気なく答えた。
……は????
「…まさか、お母様…」
カレンは事態が飲み込めない。
「確かよ。ミス パウエルにも確認したから」
カレンは薄碧の瞳を大きく見開いたまま、ソファの背もたれへ、ドッと背を埋めた。
オーブリィ………って、ウィンダム公…???
∴
まさか、そこまで重い話とは想像もしなかった。
カレンは先程までの母の話が信じられない。
実家を出て、王都のダヴィネス邸へ帰る馬車の中で頭を抱えた。
母の話を思い返す。
オーブリィ・ウィンダム公爵…我が国の筆頭公爵。
カレンもよく知る又従兄弟のお兄様だ。
社交界きってのプレイボーイで、数々の恋の浮き名を、カレンも幼い頃から見聞きしている。
スマートな切れ者、都会的で洗練された色男。
独身主義を豪語し、ひらりひらりと実に軽快に淑女の間を渡り歩く上級貴族の紳士……
そんなウィンダム公の子どもを産んだのが、ミス ステラ・パウエル…。
想像の域を出ないが、我が国に滞在中、二人は短くも燃え上がるような恋愛をしたのだろうか。
母は、子どものことはウィンダム公は知らないと言った。知られる前にステラは隣国へ帰ったと。
ウィンダム公は王族に連なる血統だ。明るみになれば大事になるのは必至。
身分の定かでないステラ・パウエルは自ら身を引いたのだ。
カレンの父のストラトフォード侯爵は、パウエル卿に頼まれ、またもや彼らを助けた。
父はお得意の情報操作で、ステラ・パウエルの一切の痕跡を消した。
いくら調べようが、決してステラへはたどり着けない。
ステラは隣国で赤子を産み落とした。
男児だった。
数年後、パウエル卿が亡くなり、頼るものの無くなったステラは隣国王家へ子どもを預け、我が国でひっそりとガヴァネスの職に付いた、という訳だ。
それも父や兄が密かに手引きしたとのことだった。
∴
「…驚いた」
カレンはダヴィネスのタウンハウスで、ジェラルドが王城から帰るや否や、母との話をすべて打ち明けた。
聞いたジェラルドは驚きはしたが、カレンほどには衝撃は受けてはいないようだ。
それどころか…
「お母上にしてやられたな、カレン」
少し意地悪く微笑みさえする。
「私、なんだかとんでもないことに巻き込まれていますか?」
カレンはまだ驚きが収まらない。
正常な判断ができているのかどうか、ジェラルドに確かめる始末だ。
ジェラルドはうーん、と自らの精悍なアゴに手をやる。
「要は秘密を守り、ミス パウエルを匿うようにガヴァネスとして雇う…ということかな」
かなり端的な答えに、カレンはキョトンとした。
その顔を見てジェラルドは微笑む。
「ミス パウエルの子息は、言うなればウィンダム公の嫡子で跡取りにもなり得る存在だ。筆頭公爵家のお家騒動という爆弾を背負わされた訳だが…」
その通りだ。
カレンは今更ながら、母から話を聞いたことを悔いた。
「ミス パウエルの身の上は気の毒なものだ。あなたのお父上が幾度となく動かれたのであれば、少なからず我が国の王家も関係しているだろう。協力するのはやぶさかではない」
「…はい」
ガヴァネスの雇用は領主夫人の裁量に任されるとは言え、ひとまずジェラルドの同意を得られたことにホッとはするが、カレンの頭には後から後から新たな疑問が沸き上がる。
難しい顔をするカレンを見たジェラルドは、カレンの手を取りチュッとキスをした。
「カレン、ひとつの目的のために幾多の条件をクリアすることは、ままある。ここはお母上を助けると思って」
と、カレンを元気づけた。
「…わかりました」
母に上手く丸め込まれた感は否めないが、カレンは謎に包まれたガヴァネスを受け入れる覚悟を決めた。




