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ムアヘッド~呪いの花と幸せのリース~(1)

「素敵…!」


 カレンは、ほうっと感嘆のため息を漏らした。



 カレンは城塞街のドレスメーカー〈フェランテ・ドレス〉の一室で、ジョアン・グレイのウェディングドレスの仮縫い後のフィッティングに立ち会っていた。


 張りのある純白のシルクサテンのウェディングドレス…たっぷりとした袖やスカート部分には、ダヴィネス特産のレースがふんだんにあしらわれている。

 胸元はやや広めに開けられたデザインで、ジョアンの美しい首からデコルテを、惜しげなく晒していた。


「なんだか…信じられません」


 鏡の中の自分の姿に、ジョアンは驚いている。


 カレンはオーナーのマダム ガランテと顔を見合わせた。


「ミス グレイ、素晴らしくお似合いですし、この上なくお美しゅうございますわよ!」


「ジョアン、マダムのおっしゃる通りよ!とっても綺麗だし…なによりあなたの清らかな美しさを引き立ててるわ…これはアイザック卿も喜ぶわね」


 マダム ガランテもカレンも、興奮気味だ。


「そんな…」

 ジョアンは頬を染めた。


 カレンは、はにかみつつも嬉そうなジョアンの姿を微笑ましく見つめる。


 ダヴィネス軍第一騎士団長・筆頭騎士のアイザックと、カレンやアンジェリーナの音楽の師でもある、ジョアン・グレイの結婚式は1ヶ月後…春の盛りに執り行われる。


 二人の出会いから、二年に亘る婚約期間を見守ったカレンは感慨深い。


 ジョアンの着るウェディングドレスは、カレンからの贈り物だ。


「うぅ…」

 喜びの空気に包まれる中、座ってお茶を飲んでいたジョアンの伯母のミセス グレイが、突如むせび泣き出した。


「伯母様!」「ミセス グレイ!?」

 ジョアンとカレンが何事かと同時に声をかけた。


「伯母様?どうかされましたか?…あ、もしかして、胸元が開きすぎですか?」


 ミセス グレイは取り出したハンカチで涙を拭うと、違う違う、とそのハンカチを顔の前で振った。


「こんなに幸せそうで綺麗なあなたを見られるなんて…夢にも思いませんでしたよ。あなたがダヴィネスへ来た時のことを思うと、胸がいっぱいで…」

 ミセスはまたも溢れる涙をハンカチで押さえた。


「伯母様…」

 ジョアンは伯母の隣に腰掛け、その手を握った。



 王都から訳あってダヴィネスの伯母の元へ身を寄せたジョアンは、その控え目な性格もあり、当初慣れないダヴィネスに戸惑ってばかりいたという。

 しかし、カレンやベアトリス達と出会い、少しずつダヴィネスにも慣れ、今では歌の才能を生かして音楽教室を開くまでになった。


 しかしやはり、最も大きな出会いはアイザックであることは疑いようもない。


 アイザックと親しい仲になってからのジョアンの生き生きと楽しそうな様子を見るにつけ、カレンは嬉しく、喜ばしく感じていた。


 …実は、アイザックはミセス グレイにジョアンとの正式な交際を認めてもらうまで、一年近くを要している。


 軍においては筆頭騎士の身分でジェラルドの信頼も篤いアイザックだが、その気さくで、時にくだけ過ぎた性格が、果たしてかわいい姪の夫として適しているのか…と、ミセス グレイに受け入れてもらえるまで時間がかかったのだ。


 しかしアイザックは、ジェラルドやフリードも驚くほど根気強く、努めて穏やかにジョアンとの距離を縮め、交際から順調に婚約に漕ぎ着けた。


 ミセスは東部を任された息子のグレイ卿にまで手紙でアイザックの人となりを確かめたらしく、アイザックは「グレイには借りができた」とこぼしていたのを、ジェラルドは笑い話にしていた。



 待ちに待った、アイザックとジョアンの結婚式だ。

 カレンは身内同然の二人のために、アレコレと準備に奔走していた。



 ・


 その三日後、ジョアン・グレイが先触れも無しにダヴィネス城へカレンを訪ねて来た。


 カレンは結婚式にまつわる相談事かしら?と快くジョアンを招き入れたが、ジョアンの顔を見て驚いた。


 三日前とは真反対の、沈んだ面持ちなのだ。


 その手には小振りなギフトボックスを持っている。


 カレンは何事かと心配になり、エマにお茶の準備だけしてもらうと、客間から人払いをした。


「ミス ジョアン、今日いらしたことはアイザック卿には?」


「…いいえ、誰にも話しておりません。もちろん伯母にも」


 何事だろう…。

 カレンは益々心配になるが、取りあえず話を聞くことにする。


「…カレン様、まずは、このボックスの中をご覧いただいてもよろしいですか?」


 ジョアンは、手元のギフトボックスをおずおずとローテブルの上に置いた。


「開けますが…カレン様、少し離れていただけますか?」


「?」

 ジョアンの言わんとすることはわかりかねるが、カレンは言われるがまま、ソファに座った上半身を背もたれへ付け、ギフトボックスからなるべく距離を取る。


 ジョアンは、ギフトボックスの蓋を両手でゆっくりと持ち上げた。


 そこには…


 カレンは目を見張る。

 まさか…


「…黒百合?」


 ジョアンはカレンの言葉に頷く。


 なるほど。黒百合は悪臭を放つ。

 カレンは先程のジョアンの言葉に納得しつつ、ハンカチを取り出して鼻を軽く押さえる。


 ジョアンはカレンの反応を見ると、素早く蓋を閉めた。


「今朝方、送られてきました…送り主もわからず…中身を見て、どうしようかと思いましたが、伯母に知られぬうちにカレン様にご相談したくて…」


 ジョアンは変わらず沈んだ面持ちだが、冷静にはっきりと話す。


 カレンは頷く。

「賢明だわ。来てくださってありがとう。ミス ジョアン……これは、私がお預かりしてもいいかしら?」


「はい」


 カレンはニコルを呼ぶと、ギフトボックスをカレンの部屋へ運ぶように言い付けた。


「あ、ニコル」

 カレンはニコルを呼び止める。


「はい奥様」


「決して蓋を開けないでね、くれぐれも」


「畏まりました」


 カレンはソファに座り直すと、手づからジョアンと自分のためにお茶を注いだ。

 注ぎながら、頭の中は黒百合のことをぐるぐると考える。


 黒百合の悪臭はもちろんだが、問題はむしろその花言葉だ。

 ジョアンも花言葉を知っているから内密にカレンを尋ねて来たに違いない。


 カレンは、ジョアンには「このことはこのまま誰にも話さずに。一旦私に預からせてください」と、ひとまず安心させて帰らせた。


 問題の黒百合の花言葉、それは……


 ・


 ─ 呪い ─



 一通りの淑女教育を受けたことがあれば、花言葉には通じているのが常識だ。

 薔薇ならば色に加えてその本数で思いを伝え合ったりもする。社交をする上で知るべき知識と言えた。

 他の花も同様で、贈ったり贈られたりの花々は、時に深い意味を持つ。

 しかしその意味は良いものもあれば、また逆のものも…


 だからと言って、カレンは花言葉に縛られることには反対で、ダヴィネス城では花言葉云々に関係なく、フローリストに季節の花々を生けてもらっていた。


 ジョアンが黒百合を一目見てその意味を察したことは、良かったのかそうでないのか……



「悪趣味ですね…」

「そうなのよ」


 カレンの自室で黒百合入りの箱を前に、カレンとダヴィネス城の専属フローリフト、フローラ・シモンズが揃って難しい顔をしていた。

 フローラも職業柄、花言葉には当然敏感だ。


「いかにも、という感じの美しいギフトボックスに詰められた所に、ねちっこい悪意を感じます」

 若いフローラはくしゃりと鼻にシワを寄せる。


 そう、そうなのだ。こんな手の込んだ嫌がらせはまず女性に間違いない。


 とりあえず、黒百合入りのボックスは一旦フローラに預かってもらった。

 フローラは黒百合の生息地にも心当たりがあるとのことで、そちらも調べてもらうことにした。


 フローラが部屋を辞したあと、カレンは頭を抱えた。


「まいったわね…」


 アイザックとジョアンの結婚式を間近に控えたこのタイミングでジョアンに嫌がらせとは…

 ジョアンは人に恨みを買うような女性ではない。となると、送り主は恐らくアイザックの関係だ。

 アイザックの女性関係…


 カレンはかつての王都でのことを思い出していた。


 自分ではなく、親友のアリシアと夫のカーヴィル卿の身の上に起こったことだ。

 カーヴィル卿は元“氷の麗人”の二つ名を持つ社交界のトップスターだったので、アリシアとの婚約が公になった時は、それはもう大変な嫉妬の嵐だった。

 カーヴィル卿への未練がましい手紙や贈り物、アリシアへの嫌がらせの数々を、カレンは腹立たしくもバサバサと解決した経緯がある。


 しかしカーヴィル卿の場合、そもそも深い仲の令嬢はいなかったので、まだましだったのかも知れない。


「……」

 考えるうち、カレンはムカムカしてきた。


 そもそも、ジョアンとお付き合いをする前に、女性関係はすべて清算したのではなかったのだろうか?

 ここにきてこんなことが起こるなんて…!


 カレンは腹立たしく、勢いよくソファから立ち上がり…

 …そのまま、再び座った。


 アイザック卿に詰めよって聞く?


 カレンはふるふると首を振った。

 個人的な女性関係を、アイザックが素直に話すとは思えない。

 でも、被害を受けたのはジョアンだ。彼女の心に影を差すのだけは許せない。でもジョアンはなるべく事を大きくしないために、わざわざ訪ねて来てくれた。


 ジェラルドに相談する?


 カレンはまたもやすっくと立ち上がった。


「……」

 しかし、言いにくいことこの上ない。

 ジェラルドにだって、なんと言って相談していいのかさえわからない。


 カレンはソファに座り直した。


 そうは言ってもアイザック卿はダヴィネスでは有名人だ。単なるイタズラ、という線もある。

 アリーへの嫌がらせも、大概は一度限りの嫉妬からくる腹いせのようなもので、それらは放っておいた。


 カレンはふむ…と考える。

 カレン自身、かなり頭に血が昇ってしまった。少し頭を冷やした方がいいのかも知れない。


「…少し、様子を見ようかしら…」


 しかし、それから1週間も経たないうちに、またもやギフトボックスを携えたジョアンがカレンを訪れたのだ。


 箱の中身は…スノードロップ。

 可愛らしい釣り鐘型の白い花はカレンも好んでおり、表向きの花言葉は“希望”や“慰め”だが、裏の花言葉は…


 ─あなたの死を望む─


 イタズラにしては達が悪い。

 しかも立て続けだ。


 カレンは、それでも気丈に振る舞うジョアンを励まし「必ず解決するから」と固く約束したのだった。


 ・


「姫様? 姫様の番だぜ?」


 ジョアンからスノードロップ入りのボックスを受け取ったその日の夜は、ジェラルド達の憩いの場にカレンも誘われた。


 ジェラルド、フリード、アイザックとカレンとで机を囲み、カードゲームに興じている。


 しかしカレンは上の空で、全く勝負に集中できない。

 黒百合に続くスノードロップのことがずっと頭から離れないのだ。


 今もアイザックに促され、ハッと我に返った。


「…あ、ごめんなさい。あの…私は下ります」


 カレンの言葉に3人は不思議そうな顔をする。

 と、隣のジェラルドがカレンのカードを覗き込んだ。

「いい手じゃないか、カレン」


 カレンはふぅ、と息を吐いた。

「なんだか集中できなくて」


「何か気に掛かることがありますか?」

 フリードがグラスの酒を呑みながら聞いた。


「……」


「カレン?」

 ジェラルドが少し心配そうだ。


 カレンは尚も迷っていた。

 今、呪いの花々のことを聞くべきか、いや聞いたところで答えてくれるのだろうか…

 せっかくのお楽しみの場を台無しにするのでは…でも、ジョアンの憂いは放ってはおけないし、解決すると約束した。


 カレンは、向かいに座るアイザックをチラリと見た。


「ん? なに?」

 アイザックはどこ吹く風で手元のカードに夢中だ。


 よし、決めた。


 カレンは手に持ったカードを、パタリとテーブルに置いた。


「アイザック卿…ジェラルド、フリード卿も、お楽しみのところ申し訳ないけど、私、アイザック卿に聞きたいことがあります」


「…聞きたいこと?」

 アイザックはポカンとしている。


「ええ」


 ジェラルドとフリードは顔を見合わせた。


 カレンは話す前の景気付けよろしく、グラスの酒を一気に呷った。

 3人はギョッとする。


「カレン、どうした?」

 とたんにジェラルド焦る。


「ジェラルドごめんなさい、どうしてもアイザック卿に聞かなきゃならないことがあって…」


「どうぞカレン様。私は居ても?」

「ええ、構いません」


「な、なんだよ改まって」


「アイザック卿…実はね、」

 カレンは、黒百合とスノードロップ入りのギフトボックスがジョアンに送り付けられてきたこと…その花言葉も含めて…を話した。


「なるほどな…ここ数日、なにか考えているようではあったが…ザック、どうなんだ」

 やはりジェラルドはカレンの少しの変化も見逃さない。


「…ザック、女性関係はすべて清算したんじゃないんですか」

 察しのいいフリードが呆れる。


「したよ!ってか違う、清算する女関係はないからなっ」

 アイザックはさも心外だと言わんばかりだ。


「送り主に心当たりは?」

 ジェラルドが腕組みで尋ねる。


「ないよ!」


「ほんとですか? 忘れてるってことはないんですか」

 フリードも詰め寄る。


 あるワケねーだろっと、アイザックはグラスの酒を半ば自棄っぱちに呷った。


「どうしようか迷いましたが、この短期間に2度です。看過できませんし、ジョアンの心内を思うと…やはりアイザック卿に聞くことは避けられなくて……」


 ジェラルドは、机の上のカレンの手をそっと握った。


「フローラに調べてもらって、黒百合の生息地は目星が着いています。限られた所にしか咲かないみたいで」


「どこです?」


「城塞街を南へ下った所にある小さな森です」


「“ムアヘッド”だな」

 ジェラルドの言葉にカレンは頷いた。


「あそこは小さな集落ですが、城塞街へ訪れる旅商人達の手頃な宿屋が集まってる宿場町ですね…」

 すかさずフリードが説明する。


「「「「…………」」」」

 沈黙が漂う。


「あ」


「なんだザック」「心当たりがありますか」


「うーん…でもなぁ」


「お願いします、アイザック卿」


 アイザックは口をへの字にしたまま、カレンを見た。


「違うとは思うけどさ、」

「小さな手がかりでも構いません」


 かなり昔の話だぜ…と、アイザックが頭をかきながら話したのは…


 ジェラルドに代替わりをしてしばらく後、アイザックは筆頭騎士になった。

 ちょうどその頃、ムアヘッドにある食堂兼宿屋の娘と顔見知りになったという。


「…へぇ。初めて聞きましたよ」

 フリードは若干興味深げだ。


「遠征の帰りかなんかでさ、腹が減りすぎて城に戻るまで持ちそうになくてさ、急きょムアヘッドで飯食ったんだよ」


「私もいたか?」

 ジェラルドは記憶にないらしい。


「いや、そん時は別行動だった。フリードも」


「それで?その食堂で出会ったんですか」

 フリードは徐々に包囲網を狭める。


「…うん。鎧のまま馬飛ばしてヘトヘトなところに、あったかい煮込みかなんかだったっけな、胃に染みたの思い出した」

 アイザックは顎に手をやり視線を漂わせた。


「ザック、それ『吊り橋効果』ってやつじゃないですか?」

 フリードは呆れ顔で酒を飲む。


「まあ…でもお前もわかるだろ? 戦いの後はことさらあったかく感じるんだよ。あったかい食べ物とか…女の優しさとか…」


「…」「…」


 心当たりがあるのだろう。ジェラルドもフリードもカレンとは目を合わせずに黙り込んだ。


 しかし、アイザックはその後数度食堂に訪れ、娘とは他のお客と変わらない他愛ない世間話をしただけだと言う。

 そうこうする内に戦況が慌ただしくなり、それきりムアヘッドへは行っていないとのことだ。


「何か約束したとか」

「いやいや、そんな仲になる前だった…ってかマジで世間話しかしてねーよ」


 話す内に記憶が甦ったのか、アイザックは確信を持って答えた。


 …でもなにかしら、なにか引っ掛かる…


 カレンは考える。


「カレン、一度ムアヘッドへ行ってみる?」

 突如、ジェラルドが提案した。


「! いいのですか?」


「何か引っ掛かるんだろう。あなたは勘が鋭いからな…黒百合の生息地もあることだし、その目で一度確かめた方がいい」


 カレンは頷く。

「わかりました。ありがとうございます…あの、ジェラルドもご一緒してくださいますか?」


 ジェラルドは握ったカレンの手をそのまま口元に寄せた。

「もちろん、喜んで」


「あージェラルド、ムアヘッドの小さな食堂にお二人で行くとなると…お忍びですよね?」

 フリードは暗に“大仰にするな”と釘を指した。


「そうだな…そうなるか。調整を頼めるかフリード」


「わかりました」


「俺は?」

 アイザックが聞く。


「留守番ですよ、護衛は別に付けます」

 フリードは若干呆れ気味だ。


「アイザック卿、何か思い出したら教えてください。あと…どうかジョアンを安心させてあげて」

 カレンの切なる願いだ。


「…わかった。姫様、世話掛ける」


 殊勝なアイザックに、カレンは、ううん、と首を振った。


 二人の結婚式…絶対に邪魔させないわよ…!


 カレンは固く心に誓った。

いつもお読みいただきましてありがとうございます!

うっかり前書きを書き忘れてしまいました…

今回は、アイザックの結婚にまつわるお話です。

カレンはやきもきしてます。

お楽しみいただけますように……

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