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間諜X(3)

「レディ カレン、二人で遠乗りでもいかがですか?」


 ある日、突然カレンはデューイに誘われた。


 何か思惑があるとは思ったが、カレンは承諾した。

 一度はデューイと二人きりで話さねば、とは思っていたのだ。


「護衛は…私が居るから、二人きりでいいかな」


 デューイのような先輩騎士にそう言われては、ネイサンは何も言えず、カレンはデューイと遠乗りに出掛けた。


 デューイは騎士姿だ。


 ダヴィネス城の馬場を抜け、いつもの乗馬コースへと走り出た。


 なるほど、もちろん乗馬も巧みだ。

 しかも貴族の出だけあり、その乗馬姿はスマートで颯爽としている。


「レディ、この先にある城門まで競争しませんか?」


 ふいにデューイはカレンの視線を捉えて申し出た。


 !


「喜んで!」


 言うが早いか、特製の乗馬服に身を包んだカレンは、キュリオスの手綱と鐙に力を込めた。


 勝負なら受けて立つまでだわ…!


 カレンの行動に、デューイは一瞬目を見開いたが、すぐに自身も負けじと鐙を蹴った。


 2頭の馬が、後になり先になって平原を駆け抜ける。


 勝負の結果は、ほぼ同着だった。


「ふうっ、さすが! 乗馬が巧みとジェラルドが言ってただけのことはあるね」


 自身の乗る馬の首筋を馬上から撫でながら、デューイはカレンを誉める。


「いえ…これくらいしか得意なことはないので…」

 カレンは居心地悪く応えた。


「はは、ご謙遜を。騎士も舌を巻く程だよ…ところでレディ、少し休んでいきませんか?」


 丁度お茶の時間だ。

 カレンは快諾した。


 城塞街の端にある、かつての城門の程近くにこじんまりとしたティールームがあり、デューイはカレンを案内した。


 男性用の乗馬服姿のカレンだが、さほど人目を引いていないようだ。


「ここは城塞街の中心みたいな噂好きはいないから、安心していいよ」


 デューイはカレンの心を見透かすように言うと、椅子を引いて席へと促した。



「レディ カレン、質問してもいい?」


「はい、なんでしょう?」


 お茶とお菓子をいただいて一息ついたところで、デューイがカレンに聞いてきた。


「あなたは、ジェラルドのどんなところが好き?」


 どんなところ…


 改めて聞かれるとパッと出てこないが…カレンは愛する人を胸に浮かべる。

「いつも優しくて頼もしくて…それにとても律儀で。身分に関係なく誰に対しても礼を尽くすところ。あとは、私が勝手をして心配を掛けても、決して呆れずにいつもちゃんと話を聞いてくださるし…あとは…」


「ベッドはどう?」


「えっ!?」


 いきなりの突っ込んだ質問にカレンは狼狽し、カチャンッと音を立ててカップを置いてしまった。


 デューイはカレンの様子に声を立てて笑う。

「ははっ、あんなにあなたに首ったけなんだ、さぞや熱い夜を過ごしているんだろうね」

 思わせ振りな目でカレンを見ると、お茶を飲んだ。


「い、いえ…その…はい…」

 カレンは赤くなって下を向いた。


「ははっ、すまない、不粋だった。さすがに答えにくいよね」


「…すみません」


 その後もたわいない日常のことや、カレンの知らないジェラルドの幼少こと、最近の王都の様子や流行、果ては外国の話など、デューイは豊富な話題と実に巧みな会話でカレンを楽しませ、時間はあっという間に過ぎた。


 今度は城塞街を一緒に巡ろう、と約束を交わして、2人は馬を並べてダヴィネス城へ帰城したのだった。


 ・


「実に面白い女性だよ。正直驚いた」


「? カレン様のことですか?」


「ああ」



 兵舎の食堂のディナーの時間。

 ガヤガヤとした雰囲気の中、デューイとフリードは向かい合って食事をしていた。


「元侯爵令嬢なのに、気取ったところが少しもないし…」


 フリードは黙ってデューイの話を聞く。


「既に母親だけど、まるで少女みたいに屈託がない…それにあの好奇心の強さは…とても興味深いね。ジェラルドが惚れ込むはずだ」

 デューイはフォークを口に運ぶ。


「…合格ですか」


 フリードの言葉に、デューイは口元をナフキンで拭いながら「ん?」と眉を上げた。


「なんだ?フリード、心配しなくてもいいよ。それどころか…」


「?」


「もっと知りたくなったよ。我が領主夫人を」


「!」


 フリードの目が丸くなったのを見るとクスリと笑いながら、お先に、と言い、デューイは席を立った。


 その後ろ姿を眺めながら、フリードはやれやれ、と一人ため息をついた。


 ・


「とても話題が豊富で博識でいらっしやるので、話が尽きませんでした」


 こちらは領主夫妻のディナーの席だ。


 今日のデューイとの遠乗りのことを、カレンは目をキラキラさせてジェラルドに報告する。

 カレンをあれほど悩ませたデューイへの警戒心は、見事にきれいさっぱり無くなったと言えた。それどころか、今やデューイに親しみさえ感じている。


「楽しかったならなによりだ」


 ジェラルドは微笑むが、少しばかり複雑な顔をしている。


「…ジェラルド?どうかされましたか?」


「いや、デューイは人の選り好みがハッキリしているから、そんなに話が弾んだのなら、余程あなたを気に入ったらしい」


「…うーん、気に入っていただけたかはわかりませんが、今度は城塞街でデートする約束をしました」


「デート?」

 ジェラルドの眉がピクリと反応するが、カレンは気づかない。


「ええ。“女同士で”っておっしゃったので、ご婦人の格好なのかも」

 カレンはウキウキ気分だ。


「…」


 楽しそうなカレンを眺める一方的で、ジェラルドは考える。

 カレンは新しい友達ができたような楽しげな様子だが、デューイは恐らくあの手この手でカレンを探っているであろうことは否めない。

 しかも、デューイはれっきとした騎士で男だ。

 信頼はしているし、必要以上に親しくなることに何も思わないわけではないが…


「ジェラルド?」


 動きを止めて考えるジェラルドに、カレンが話し掛けた。


「いや、なんでもない。“女性同士”ならば必ず護衛を付けて、カレン」


 ・


「レディ、今日は私のことは“レディ アマンダ”って呼んでね」


 数日後、カレンとデューイは約束どおり城塞街で“女性同士”のデートを楽しんでいた。


 今日のデューイは、どこから見ても貴族のご夫人の街歩きの風情で、髪型からアクセサリーまで実に念がいっていて、隙のない設えだ。


 カレンは城塞街に行くときは華美にならないデイドレスと決めているので、民からすれば「王都から来たレディの友達を、レディが案内している」といった風に映るだろう。

 しかしデューイは女性の出で立ちながらも、さりげなくカレンをエスコートしている。

 …と言っても女性同士なので、極めて距離が近い。

 はじめ少し戸惑ったカレンだが、どこから見ても聞いても疑いようのない“レディ アマンダ”に、すっかり気を許していた。


 ジェラルドに言われたのでネイサンが護衛に付いてはいるが、ほぼ、二人を遠巻きに見守る程度だ。

 距離の近すぎる二人は気になる所だが…。


 二人は連れ立って雑貨屋やスウィーツショップを次々と巡り、広場に出るとカレンの贔屓の香水店の前まで来た。

 驚くべきことに、デューイもとい“レディ アマンダ”は女性の好みにも精通しており、その上とても趣味が良い。カレンは途中からデューイが男性であることをすっかり忘れるほどに、街歩きを楽しんでいた。


「デュ、いえレディ アマンダは香水はつけられますか?」

 “レディ アマンダ”が言い慣れない。


「実は私は香水が苦手なのよ」


「そうなのですね」


「うん。商売がら、気配を気取られやすいからってのもあるけど…もちろん変装してる時は逆手に取って印象付けるために使ったりはするわよ。でもね、」


「?」


「プライベートでは、まず付けないわね」


 香水はそれこそ好みの嗜好品なので、カレンはそれ以上は問わない。


「あなたはいつもいい匂いね」


 ふいにデューイは、カレンの顔に顔を近づけて囁いた。


 カレンはドキリとする。


「あ、あの、ここの香水店のものを使っています」


「『Flowers of Daviness』?」


「! はい」

 自身はつけないのに、ピタリと言い当てられたことにカレンは驚く。

 さすがの知識だ。


「ふふ、あなたにピッタリ……と」


 突然デューイのヘーゼル色の瞳が鋭さを増した。


「レディ、このまま歩いて。私の側を離れないで」

 デューイは早口で囁き、カレンの腕を取ると速足で広場の端にある物陰に潜んだ。


「しゃがんで、レディ」


 なに?


 カレンは訳がわからないが、デューイに従う。


 デューイは「ったく、こんな人目の多い所で…」と、チッと舌打ちをしながら、なにやら胸元あたりをゴソゴソとしたかと思うと、それぞれの指の間に短剣よりも小さな、鋭く尖った刃物を仕込んだ手を取り出した。


 カレンはギョッとする。


 !! 何? なんなの!?


「レディ、ここから一歩も動かないで」

 周囲に神経を張り巡らせながら「ネイサンは何してんだっ」と文句タラタラだ。


 男性の声に戻っている。


「すみません!レディ!!」

 ネイサンが後ろから身を低くして駆け寄ってきた。


「お前何やってんだ! 気づくのがおっそいんだよっ」

 護衛だろが、と品性は皆無でネイサンに毒づく。しかしその間も周りへの注意はを怠らない。


 広場には人々が行き交っている。

 見慣れた日常の風景の中にあって、カレンの周りだけ突き立つような緊張感に満ちていた。


 広場全体を見渡せる場所に隠れてはいるが、カレンはまったく事情が飲み込めない。

 飲み込めないが、二人の様子から、どうやら緊急事態なのだと察した。


 二人はカレンを守るように挟んで様子を探る。


「一人…二人か…」

「心当たりがありますか」

「あり過ぎる。一人は見たことがあるヤツだ」

「王都で?」

「ああ、西国のヤツらだ…王都でアジトをぶっ潰した。後処理を王都の工作員に任せたが…中途半端なことしやがって」

「追われてるってことですか……やっかいですね」

「ったくおちおち休暇も取れやしない」


 二人の会話から、カレンはだいたいの事情を察した。


 つまり、デューイの王都での活動を恨んだ西国の工作員がダヴィネスまで追いかけてきたということだ。


「レディ、すまない。巻き込んでしまった」

 デューイはピリピリとした気を放ったまま、カレンとは目を合わせずに詫びた。


「! いえ…」


「デューイ卿、私はレディをお護りしますので、」

「頼んだ。私はキッチリ“カタ”をつけてくるよ」

 言いながらデューイは即座に立ち上がる。


「ッ、デューイ卿!」

 カレンが呼び止めた。


「? なに?」

 険しい顔のデューイが振り向く。


「どうかご無事で…!」


 デューイは、カレンの言葉に一瞬拍子抜けしたような顔になると、フフン、と不適な笑みを浮かべた。


「ありがとレディ」

 化粧を施したヘーゼル色の瞳をパチリとウィンクすると、気配を消して素早く人に紛れた。


「デューイ卿は大丈夫なの?カタをつけるって…?」

 カレンはわからないなりに、危険が目の前にあろうことはわかる。デューイのことが心配で思わずネイサンに問いかけた。


「大丈夫です。彼はプロ中のプロですから」

 さ、私達はここを離れましょう。


 ネイサンはごく冷静に言うと、カレンを庇いながらひとまず騎士の詰所へと向かった。


 ・


「で? デューイは?」

 ジェラルドがあからさまに不機嫌さを隠さない。



 城塞街の詰所から城へ繋ぎを取ると、城からすぐに数名の騎士が現れ、カレンは厚い護衛のもと帰城した。


 まずはカレンの無事に皆安堵し、今は執務室でネイサンと共にデューイのことを報告している。


 カレンはソファでお茶を飲むが、どこか心ここに非ず…といった雰囲気だ。

 人波に消えたデューイが気になっていた。



「カタをつける、と言ったので、恐らく始末してから帰城するかと…あっ」


 “始末”というフレーズにカレンがハッと反応したのを認めたネイサンは、わかりやすく「しまった」という顔になった。


 二人の様子を見て、フリードがわざとらしく咳払いをする。

「ご心配なくカレン様。基本、工作員は単独行動です。デューイ卿はいつも通り手堅く仕事をする、ということですので」


「え、ええ。よくわかっています」

 本当はよくわかっていない。いや、わかりたくないのかも…


 “生か死か”…それが仕事だと言うなら、領主夫人の自分はなんと罪深い立場なのか、と感じると同時にデューイは大丈夫なのか、と不安が募る。


「怪しい二人はそもそもデューイ卿を追ってダヴィネスへ来た…となれば、本人にカタをつけてもらうのは至極当然ですね…それにしても、カレン様を巻き込むとは…」

 フリードは眉を曇らせた。


「…らしくないな」

 今まで押し黙っていたジェラルドが突然発言した。


「だな」

「確かに」

 アイザックとネイサンが同意する。


「そもそも西国の工作員を探るのは、王家からの依頼の仕事だ。デューイをもってして対象を泳がせるのは考えにくい」


「…何か裏があると…?」

 フリードがジェラルドに問う。


 ジェラルドは硬い表情で頷いた。

「…今はデューイからの報告を待つしかないがな…」


 ・


 その日の真夜中、デューイが負傷して帰城したとカレンが聞いたのは、翌日の朝食の席だった。


「デューイ卿のお怪我は…?」


 ジェラルドは朝食に遅れる、とモリスから聞いていたカレンは、遅れてテーブルに着いたジェラルドからデューイのことを聞いた。


「肩をやられてる。しかしさすがにうまく急所は外していた」

 心配ない。と、ジェラルドは普段通りの様子でお茶を飲んだ。


 カレンは、ダヴィネスの諜報活動のことは全く知らないし、知らされることはこの先もないと思う。

 しかし今回は巻き込まれたにしろ、無関係ではいられない。


「あの…デューイ卿をお見舞いしたいのですが…」

 カレンは控え目にジェラルドに尋ねた。


「…構わないが…カレン」


「はい」


「デューイは怪我が治り次第西国へ潜入する」


「え?」


「どうやら王都の工作員が寝返った可能性があるんだ。西国は皇帝の代替わりを控えて地下活動が活発になっている。国境である辺境がその動きを把握する必要がある」


 ジェラルドはかなり事務的に説明した。


「……そんなに急を要するのですか?」


 カレンの瞳に不安の色を認めたジェラルドは、短い息を吐いた。


「そもそも…工作員は気の休まらない仕事だ。常に神経を尖らせていなければならない。例外なく…デューイもそうだ」


 ・


「引退は取り消しですね」


「…ああ。まったく因果な仕事だよ」


 兵舎のデューイの部屋。


 デューイは軍医に包帯を取り替えてもらい、シャツを着る。

 側にはフリードがいた。


「しかし、そんなにガッカリしていないように見えますよ?」


 フリードの言葉に、デューイは少し考えてフッと笑みを漏らした。


「…この私が見ての通りだ。今回は抜かったが、西国のヤツは結構手強い。今度会ったら必ず息の根を止めてやるさ」


「やる気を煽られたってことですか」


「それもあるが…そうだな、レディを守りたくなった」

 デューイはニヤリと笑う。


「は?」


「言うなれば、臣下として身を捧げたくなったってとこかな…ソレ、レディが見舞ってくれたんだぜ」

 デューイは枕元のサイドテーブルの上に飾られた花へ目をやる。初夏のダヴィネスの花々を束ねたブーケだ。

 カレンが庭から、香りの強くないものを手づから摘み取り、フローリストのフローラに頼んでアレンジメントしたものだった。


「…領主夫人だけど、かっわいいよな」


 とたんにフリードが怪訝な顔をする。


「なんですか、その当初とは180度違う考えは!」


「いやさ、城塞街で心配してくれたんだぜ、“死して屍拾う者無し”のこんな私をさ」


「…やる気になったのはいいことではありますが、それ、ジェラルドの耳には絶対に入れたくないですよ」

 フリードは半ば本気で懸念する。


「はははっ、わかってるって。明日には西国に立つんだ。そんな心配はいらないよ…しかし私は、よっぽど闇の世界に気に入られているよ」


 その言葉に、フリードは何も返すことができなかった。


 ・


 暗闇の中、2人の長身の男が抱き合っている。


 夜明けにはまだ早い時間、ダヴィネス城の目立たぬ出入口。


 2人の男は、ゆっくりと体を離した。


「…では頼んだぞ、デューイ」

 男の1人はジェラルドだ。


 西国へと立つデューイを見送る。

 ジェラルドの後ろには、フリードとアイザックが控えている。


 デューイはどこにでもいる村人の風情だ。

 ハニーブロンドは短髪に刈り込まれ、少しくたびれたシャツとジャケット、と徹底した変装だ。


「ああ。また当分会えないが…達者でな、ジェラルド」


 ジェラルドは黙ったまま頷いた。

 工作員の他国への潜伏は、一方で惜別を意味する。

 ジェラルドは神妙な面持ちだ。


「通信手段はいつもの通りです」

「わかった」

「また呑もうぜ」

「ああ」


 フリードとアイザックも真剣な表情だ。


「じゃ、行ってくるよ……あれ?」


 デューイが3人の後ろに視線を向けた。

 3人は同時に振り返る。


「…カレン?」

 ジェラルドは驚く。


 そこには、寝着にガウンを羽織ったカレンが居た。

 ジェラルドはそっとベッドを抜け出たつもりだったが、どうやら気取られたらしい。


「なんだ、拍子抜けしたよ。レディ、見送ってくれるのかな?」


 カレンは静かにデューイに歩み寄った。


 工作員に対する流儀などカレンにはわからないが、命を張って国のため、ダヴィネスのためにたった一人で他国へ立つ…友人のように接してくれたデューイに、せめてもの礼を尽くすつもりで、カレンはそこに居た。


「デューイ卿、恙無くお仕事をなさいますよう…ご無事をお祈りしております」

 カレンは寝着にガウン姿のまま、淑女の礼を取った。


 デューイは即座にカレンに歩み寄ると、礼を取るのを止めさせ、両手を手に取った。

 いつもの軽い調子は鳴りを潜め、その顔はデューイ本来のものだった。


「ありがとう、レディ カレン」


「また、お会いできますよね?」


「私は約束はしない主義なんだけど…君にはまた会いたい」


「お待ちしています」


「ジェラルドのこと、頼んだよ」

 デューイは形の整った唇に、ニッコリと笑みを乗せると、カレンの細い指先にキスをした。

「…『Flowers of Daviness』だ」


「え?」


 とたんにジェラルドが鋭い気を放つ。


「! ジェラルド」

 慌てたフリードがすかさずジェラルドに注意を促した。


 ジェラルドは短く息を吐いた。

「…わかっている。心配するな」


「ああ、怖い怖い 昔はあんなに可愛かったのに。じゃ、行ってくるよ」

 デューイは軽く手を上げると、颯爽と騎乗し、暗闇へと消えた。


「相変わらずですね」

「まったくだ」

「それにしてもさ…」

 と、3人はまだ暗闇を見つめるカレンへと顔を向けた。


「カレン…カレン?」


「えっ、あ、はい」

 ジェラルドの呼び掛けにやっと答えたカレンだが、デューイを思ってか、顔もとが暗い。


「カレン、こちらへおいで」

 ジェラルドはそう言いながらも自らカレンに歩み寄ると腕の中へ収め、抱き締めた。


 フリードとアイザックは顔を見合せ、そそくさとその場を去った。


「夜明けまではまだ少しある。ベッドへ戻る?」

 ジェラルドは寝着を通して伝わる、カレンの体のぬくもりと柔らかさを確かめる。


「…ううん…」

 カレンはジェラルドの胸に顔を埋めた。

「私、本当に罪深い立場だと…軍を要するこの地の領主夫人がどういうものか…やっぱりまだわかってなくて…自分を叱りたい」


「カレン…」


「……ッ」


「カレン、こちらを向いて」


 カレンは、おずおずと顔を上向きにした。


 薄碧の瞳は涙に濡れている。


 ジェラルドは親指で丁寧に涙を拭うと、カレンを安心させるようにその額に長いキスをした。


「あなたにこんな涙を流させるとは…デューイこそ罪深い」

 深緑の瞳はカレンを包み込む。


「もう…ジェラルド…」


 カレンはジェラルドの言葉にふっと微笑むと、手を伸ばしてジェラルドの首へ両手を回して抱きついた。

 ジェラルドは一層強くカレンを抱き締める。


「罪深いのは私も同じだ。こうしている間にも、国中で仲間達が働いている。ひとたび戦地へ赴けば、私の言葉ひとつで多くの命が散る可能性もある…」


 カレンはハッとし、慌ててジェラルドの顔を見る。

「それは、役割が違うから…!」


「そう。役割が違うな。皆それぞれ、己の立場で精一杯戦っている」

 ジェラルドはカレンの小さな鼻先へキスした。

「そう考えると、我らのできることなど、ほんのわずかかも知れない。だから…」


「だから?」

 カレンはジェラルドの胸へ両手をついたまま、深緑の瞳を見上げる。


「こうやって、ダヴィネスのこと、仲間達のことを思うのは意味がある」


「…本当に?」


 ジェラルドは答えるように微笑むと、カレンの口を塞いだ。


 “次に会う、明確な約束は決してしない”

 一期一会の鉄則


 ジェラルドは、暗黙の了解とも言える軍の決まりごとを、カレンに強いる気は毛頭ない。

 しかしこのような機会は必ずまたあるだろう。

 できれば心を痛めることなしに過ごしてほしいが、相対する敵がいる限り、またダヴィネス領主夫人の立場でいる限りは、厳しい現実を突きつけられるであろうことは、避けようがなかった。


 ・


「無事潜入して、今は様子見のようです」


 デューイがダヴィネスを立って約ひと月後、フリードは受けた報告をジェラルドに告げた。


「…そうか」


「今回も長くなりそうですね」


「西国の皇太子は好戦的だ。当分気の抜けない状況が続くだろう」


「地下活動も活発になりますか…」


「そうだな…」


 ジェラルドは、執務室の窓から見えるダヴィネスの地を越え、その遥か向こうの友へと思いを馳せるのだった。

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